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剣闘場

挿絵(By みてみん)

 収穫祭はレーヴァにおいても秋の到来の楽しみの一つだ。

 晴れ渡る秋空に、例年以上の大勢の人出が集まっている。

 このところ続いた長雨で、あまり外に出られなかった人々に訪れた抜けるように美しい青空。そして、今日はレーヴァに剣闘技大会の巡業が来ていた。

 仮設の闘技場はほぼ満席。

 雪や寒さに閉ざされる冬が来る前の最後の催事。これが終われば本格的な冬支度が始まる。葡萄の収穫やワイン仕込み準備を一通り済ませた人々が、その労働の開放感を味わえる今年最後の機会。

 武門を誇りとする領主シグルドの意向もあり、闘技大会の興行は娯楽以外の理由もあり歓迎されている。日頃の鍛錬を披露できる格好の場であるのだ。

 とは言え、辺境の街レーヴァには他に大した娯楽もないと言うのが正直なところで。

 長閑な田舎でろくに事件も起きない場所においては、普段自分たちの街を守ってくれている騎士や兵士の日々の訓練が見た目だけではないというのを確認できる貴重な機会である。領主の定めで一定数の騎士や兵士は出場枠に入れられる。

 褒賞も領主から出されている上に成績次第では昇給や、目に留まれば一般からの仕官の機会もあると言う。

 レーヴァの騎士ウォルフガングも当然毎回出場枠に入れられていた。鍛練をするのは剣の道を究める為で、見世物になる為ではないから本人は乗り気ではない。

 しかしながら主君シグルドの直接指示である。否応もない。

 ウォルフガングの毎回の戦績はまずまずと言った評価で落ち着いている。実力から言えばもう少し上位戦績を狙えるが、そうならないのは日頃シグルドから指摘されている戦士として致命的な欠点が理由でもある。


「さあさあ、今日の対戦カードの目玉だよ!」

 興行主の荒い声が場内に響き渡る。

「レーヴァはさすがに高名な竜騎士様の治める地だ、シグルド様の配下の方々の強いこと。うちのお抱え闘士どもがやられちまったからな。最後の対戦はシグルド様の配下同士だぞ。こんな組み合わせは滅多にないだろう」

 ついに順番が回ってきたウォルフガングの最後の対戦相手は、領主館の門番の男だった。とてもじゃないが、本気が出せる相手ではない。力量も練度も経験も違いすぎて手加減しても怪我を負わせかねない。

 闘技場の武器はなまくらでも鉄製で、木剣ではないのだ。

 しかし、辞退も許されまい。出場そのものがシグルドからの命令である。

 迷っている間にも、容赦なく場内に引き出される。

 だが、それ以上に戸惑っているのは対戦相手の門番兵だ。

 気の毒なほど顔色が真っ青になっていく。

 その門番兵はウォルフガング自身が個人的に剣術の稽古を付けている、まだ10代の若い生真面目で心優しい青年だ。寡黙で無愛想な騎士を慕ってくれている。

 今回の剣闘技大会においては熱心な鍛練の成果だろうか、ウォルフガングと組まれるほど勝ち残っていたようだ。

 これといった怪我もない様子でウォルフガングは安堵していた。

 指南役としては彼の無事と成長は嬉しい限りだが、今の状況は好ましくない。

 門番兵は完全に戦意喪失に陥っており、これでは始まる前から結果が出ている。

 ウォルフガング自身、出来るものなら棄権したいほどだ。


「その試合、まて」

 制止の声をあげた者が現れた。場内によく通る太い声。

 領主シグルドだった。

「その者では、到底その騎士の相手にならん。対戦カードは急遽変更だ。代わりに私が出よう、異存がある者は名乗り出よ」

「お館様‥‥!」

 シグルドはその場で上着を脱ぎ捨てた。

 隆々たる逞しい身体が闘技場に躍り出る。

 厚い筋肉に脂肪が乗った堂々たる太い体躯は見たものを威圧するに十分である。

 観客席は一気に大歓声の渦が湧き上がった。鐘が一際派手に打ち鳴らされる。

 思いもよらぬ対戦カードに場内は興奮のるつぼであった。

「不満どころか、大歓迎でさぁ!」

 興行主は声を張り上げた。

「天下にその名を轟かせるミドルドラグーンの竜騎士シグルド閣下と、レーヴァの黒き狼ウォルフガング様! こいつは面白くなってきたぞ!」

「うおおおおおお!」

 領主シグルドは闘技場の真ん中で観客席に向かって、煽るように野太い両手を振り上げ熊のような雄叫びを上げている。

 観客席は領主のパフォーマンスに大歓声で盛り上がっている。

 賭け金を叫ぶ声が飛び交う。予想外の対戦に博徒だけではなく、一般客すら贔屓の戦士を応援する為に賭けに参加する。観客にワインや蜂蜜酒を売りつける物売りたちの掛け声が、最後の試合前に必死の追い込みをかけている。

 今年の収穫祭最後の一大イベントにすっかりお祭り騒ぎになってしまった。

 我が街自慢の英雄の登場にレーヴァの領民は大喜びだ。

 その渦中に投げ込まれている黒狼だけが、恨めしげな視線を主人に向ける。

 ウォルフガングはめまいがした。出来るものなら棄権させて欲しい。


「ウォルフ、甘い事を考えていると痛い目に遭うぞ」

 シグルドは鉄の剣を片手でぶんぶんと手の中で回しながらウォルフガングを挑発する。領主などと言う地位に収まっているが、シグルドも根っからの戦士である。

 荒事に血湧き肉躍る側の人間なのだ。

 その威厳のある髭面は満面の笑顔である。

「お館様‥‥」

 門番の心配をするどころではなくなった。もはや自身の身の安全すら怪しい。

 すでに、シグルドは猛獣の眼でウォルフガングを睨みつけている。

 近隣諸国にその名を轟かせる竜騎士シグルドが、なぜそうであるのかは地のミドルドラグーン『レヴィア』の騎手であると言う肩書きだけではないことをウォルフガングは骨身に染みてわかっている。

 シグルドは領主館の中庭、つまり訓練場でしか見せない姿がある。

 それがウォルフガングの知っている戦士シグルドである。

 しかし、相手を傷つける心配が無くなったのは気が楽になった。


 ザンッ!

 いきなりウォルフガングの立っていた場所に剣が突き刺さる。

 刃が空を切る音に反応して、騎士はその場から反射的に飛び退いた。投げつけたシグルドはニヤニヤしている。実に楽しそうだ。

 悠々と近づいてくると、地面に突き刺さった剣を目の前で抜き放った。

「おい、へなちょこ。お前から来ないなら私から行ってやろう」

 鉄の剣で鋭い突きを放ってきた。呼吸や気配を察知して身を翻して避ける。

 上着の一部が刃に触れて斬り裂かれた。

 鉄製とは言え、わざと刃を潰してある闘技場のなまくらなのに、熟練の使い手の技の前では研ぎ澄まされた剣のようである。シグルドほどの腕前ならこのなまくらでも、馬の首すら一刀で斬り落としてしまうだろう。

 今の突きでそれを示してきた。

「私は‥‥」

 訓練場の木剣ならいざ知らず、どうしても主君に刃を向ける事に抵抗があった。

 いくら追い詰められた状況とは言え、人に、ましてや敬愛するシグルドに。

 この()に及んでも、ウォルフガングはろくに構えることすらできないでいる。

「剣を握るからには覚悟しろと、私は教えなかったか?」

 シグルドは喝を入れる。弟子の腹の底など見抜かれていた。剣の腕を上げるほどに人に真剣を向けられなくなった、ウォルフガングの1番の欠点だった。

「覚悟が足りん!」

 シグルドは連続攻撃をしかける。肩、小手、胴、脚を流れるように払い上げ、突いてくる。その流れるような動作は思わず見惚れてしまうような、一種の美しさすら感じてしまう。その度に重い一撃一撃を丁寧に受け流すウォルフガング。

 空気を切り裂く音が風圧と共に迫り、受けるたびに剣を持つ手が痺れる。

「この愚か者め!」

 太い筋肉で膨れ上がった足で蹴りを放ってくるシグルドを、紙一重で(かわ)す。

 蹴りと同時に打ち込んできた斬撃を、ウォルフガングは剣で受け止め返す。

 どよめきと歓声があがる。

 観客は大興奮で食い入るように両者の一挙手一投足に釘付けになっている。

 ウォルフガングも防戦一方ではあるが、一撃も許さない。

 そんな立ち回りがしばらく続いた後、竜騎士シグルドは大きく剣を振りかぶる構えを見せた。一撃必殺の構えである。

 隙が大きいように見えるが、それは罠だ。とても踏み込む余地がない。

 ウォルフガングも滅多に見せない防御の型で構えた。

「そんなことで私の一撃を防げると思うてか、舐めるなぁ!」

 シグルドが一気に滑るように接近して空を切り裂く斬撃を繰り出した。

 剣がぶつかるほんの一瞬、時間が止まったかのように感じた。

 最接近したシグルドと目が合う。

 ガキン!と金属がかち合う鈍い音が響き渡った。火花が散る。

「くっ!」

 それをウォルフガングが両手で支えた剣で腰を落として正面から受け止める。

「‥‥ふん」

 シグルドが鼻を鳴らし、歓声が静まった。

 ウォルフガングの鉄の剣が耐えきれずに真っ二つに折れてしまった。

 受けきれなかったシグルドの剣はそのままウォルフガングの左肩に食い込んだ。

 勢いは相殺されたものの、重い一撃を全て殺すことはできなかった。

「参りました‥‥」

 ウォルフガングが敗北の宣言をした。

 場内は大歓声が上がった。

「剣闘如きのなまくら剣ではここまでか」

 肩の革鎧のおかげで斬られることは避けられたが、その衝撃はウォルフガングの背筋を凍らせるのには十分であった。主君の剣は、剣の脆さや鎧の耐性すべてを見抜いた上での寸止めの打ち込みだったのがわかったからである。

 もしも、寸止めで無ければ。

 ウォルフガングは肩から袈裟がけに真っ二つになっていたに違いない。紙一重のタイミングで剣撃を止められるなど、普通の騎士には到底できる技ではない。改めてその技の凄まじさを知る。

「ひゃあ、凄いね、レーヴァの英傑にして領主シグルド様は!」

 興行主の声が響き、最後の対戦カードは終了した。一方的な戦いではあったが、この主従対決は後々に語り継がれる酒場の話題となった。


「おーまーえーはー!」

 領主館に戻ったウォルフガングを見つけたシグルドが、突進してその首根っこに太い腕を回してきた。髪を掴んで、いつもより荒々しくかき混ぜる。

「も、申し訳ありません」

 大熊の猛攻撃に勢いで謝るウォルフガング。当然、問い詰められるだろうとは覚悟していた。武人として情け無い立ち回りをしてしまったのは明らかである。

「何故打ち込んで来なかったのか!」

 シグルドが吠える。

「このレーヴァでお館様の構えに打ち込める人間などおりません!」

 本当にそう思った。それは、きっと間違いはないはず。

 しかし、せっかくの面白い機会を不意にされたシグルドは納得しない。

「いいや! お前なら出来たはずだ!」

「できません! できません!」

 固い拳をぐりぐりと頭に擦り付ける。痛い。

 まだ戦いの興奮冷めやらぬ大熊は暴れ足りない。野獣のような荒々しい取っ組み合いに巻き込まれたくない使用人たちは捕まったウォルフガングの犠牲に同情しつつも、暴れる猛獣の如きその姿を恐れてそそくさと逃げていく。

 誰もウォルフガングを助けてはくれない。

「お、お館様‥‥」

 このヘナチョコめ!と言いながら抵抗できないウォルフガングを問い詰めた。

 しかし、シグルドは気付いていた。ウォルフガングの剣は折れこそしたが、受け止める瞬間にその剣筋は真っ直ぐにシグルドの喉元を向いていた。

 あれが、もしも折れない剣であったなら。シグルドは斬り捨てる前にその勢いを利用された上で突かれていたのかもしれない。

 もちろん、そうなっていればなったでシグルドは回避していたであろうが、一手を余計に取られることには変わりない。

 一瞬の判断や太刀筋で勝負が決まる戦いの駆け引きにおいて、一手を余計に取らされる事の重大さと屈辱は、達人になるほどその意味は重い。

 だが、ウォルフガングは剣が折れることを想定した上でそうして見せたのだろう。破壊や殺意が身につかない、つくづく戦いの中にいて判断の甘い男である。

 シグルドは自然と笑いが込み上げてきた。

「この生意気なやつめ!」

 笑いながらウォルフガングを抱えたまま、岩のような拳を顔に押し付けてみせる。押し合いを続けた挙句にシグルドは馬乗りになった。


「あなた、いい加減になさい」

 クレアの冷たい声が聞こえた。男たちが大騒ぎしていたのを聞きつけたのか、いつの間にか領主の奥方が姿を見せた。

 絶望的だったウォルフガングに助け船が現れた。

 唯一、領主に対抗しうるレーヴァ最強の人物。

 うげっと呻いて飛び退くと、クレアの二の句を待たずしてシグルドは身を翻して遁走(とんそう)した。やけに速い。

「‥‥」

 すっと立ったまま、黙ってその背中を見送るクレアの眼差しがとても冷たい。

「ウォルフ、さぁ肩を診せて。痛めているのは知ってます」

 騎士に向き直ると、いつもと変わらない様子で優しく声をかける。

 クレアにとって少年の頃から慕ってくれるウォルフガングは、家臣と言うより歳の離れた可愛い弟のような存在である。無愛想の強面で身体が逞しく大きくなっても、出会った頃の少年の面影を見ていた。

「いえ、奥方様‥‥」

 試合の話を使用人たちから聞いていたクレアは、有無を言わさず立ち去ろうとするウォルフガングの上着をぐいっと掴むとめくり上げる。

 案の定、騎士の左肩は痛々しいまでに青黒く腫れていた。

 そっと触れただけでびくりと震える。

「ぐうっ‥‥」

 耐えていたが、触れられて思わず声を漏らした。ただの打身だと言うのに、そのみっともなさ、恥ずかしさに騎士は思わず(うつむ)いた。

「ああ、もう‥‥痛いなら我慢しないで。手当てをしましょう。準備するわ」

 用意していた濡らした布を湿布代わりにあてがう。

「あの人もたまには痛い思いをすれば良いんです。ウォルフ、あなたは優しすぎますよ。‥‥そこがレーヴァの騎士の素敵なところですけど」

「いえ‥‥手加減ではありません。お館様には到底敵いませんでした。お館様もきっと不甲斐ないと落胆されたでしょう。鍛練不足だと痛感しております」

 クレアが首を振って呆れる。

「結局、ウォルフ‥‥あなたもあの人と同じ人種なのね」

 腫れて鬱血した打撲箇所にひんやりとした感覚が染み渡る。

「あなたたち男ときたら、口を開けばいつも戦う事ばかり。その身を心配する人の事をこれっぽっちも考えないんだから‥‥ウォルフ、どうせ聞いてはくれないんでしょうけど、あまり無茶しないでね」

 クレアは、本当はシグルドにそう言いたいのかも知れない。

 そんな風にウォルフガングには聞こえた。

「申し訳ありません‥‥クレア様」

 ウォルフガングはすっかり観念していた。その様子はシグルドと変わらないとクレアは思った。師匠も師匠なら弟子も弟子。いや、むしろ師弟と言うよりは本当に仲の良い兄弟のようだ。

「いいでしょう‥‥でも、うちの大事なウォルフにこんなに酷い目に遭わせたあの人には、今夜はたっぷりとお仕置きが必要かも、ね」

 クレアはにっこり微笑んで見せた。背筋がゾクっとした。

 ウォルフガングにも既視感のある、実に不穏な笑顔である。

「ああ、シグルド様‥‥」

 この後のことを想像して、ウォルフガングは主君に同情した。

 今宵は、奥方様の熊退治である。



【END】

戦士としてはウォルフは凡人の努力型で、天賦の才能のシグルドには到底勝てない。同じ凡人タイプで同程度の経験値なら普通より少し強い程度をイメージしてる。戦い方は基本に忠実。普段は人に剣を向けられる性格ではない。温厚な田舎騎士なので。

※ウォルフ28歳 シグルド33歳

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