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ーーなるほど、『今回』は『この義兄』が私に死をもたらすのね。
簡素な服を身にまとった女は、義兄を力無く見上げる。
今まさに剣を振り上げた義兄の目はどこまでも冷たく、容赦のないものだった。
その青い瞳が、『今回』の彼女の最後の記憶だった。
ゆっくりと意識が戻ってくる感覚に、彼女はため息をつき身じろいだ。
さらりとした寝具の手触りがいい。まとっている夜着も上質の布地で再び忍び寄ってくる睡魔を妨げることはない。
妨げたのは、控えめな侍女の声だ。
「お嬢様、お支度なさいますか?」
それらに『また戻った』のだと、実感する。
「そうね、お願い……マージェリー」
侍女の名前を記憶から拾い上げるのに少し間が空いたものの、おそらくは寝起きゆえのものと思われるだろう。
かくして、エレノア・アシュフォード男爵令嬢は、もう『何度目』になるかもはっきりしない十六歳の初夏の朝を迎えた。
エレノアが十六歳の初夏を過ごすのは初めてではない。
多少のぶれはあれども『起点』は常に初夏の朝であり、ベッドでの目覚めから始まる。
問題は常につきまとう『その後』である。
アシュフォード家にはエレノアしか子がいない。
それゆえに入婿を取るか、養子を取るかという問題があった。
両親はエレノアの気質をよく理解していて、『どの場合』においても積極的な性格の、入婿か養子を見繕ってくるのである。
その点に関しては、彼女自身も問題は感じていなかった。
彼女は己が当主としては引っ込み思案であることをわかっており、領内のことを理解していても、口を出せるだけの胆力にも欠けていると自覚していた。
ゆえに、代わりに領内を取り仕切ってくれる適格な者がいるならばそれでいいと思っていた。
だが、そこから先で『いつも』事態が悪い方へと転がっていくのだ。
まず両親が事故や病で必ずほぼ同じくして世を去り、それを境に領内のあちこちに魔獣による被害が頻発するようになる。
当然、夫あるいは養子となった者が爵位を継ぎ、ことの対応にあたるのだが、そこで現れるのが聖女である。
『星の乙女』と呼ばれるこの国の高位の聖女が、わざわざこの男爵領に訪れるのであった。
侍女に着替えを手伝ってもらいながら、エレノアはわずかに顔を顰める。
そう、聖女だ。
波打つ銀髪に吸い込まれるような深い紫の瞳を持つ、やわらかな可憐さを備えた美しい女の姿を、もう何度見ただろうか。
訪れた聖女は誰もが忘れ去っていた小さな塚を見つけ出し、それが禁術によって穢されたことが原因であると宣言する。
何度も何度も繰り返し見せられたその宣言の場で、彼女が意味深な目でエレノアを見つめていたことを思い返す。
今更ながら思う、毎回あの時点で聖女は仕上げに入っていたのだろうーーエレノアをこの世から消すことへの。
そして夫、あるいは養子の手によって、身に覚えのない禁術を行った証拠の数々がエレノアの物として見つかり、罪人として彼女は捕らえられるのだ。
そしてその時、爵位を得た男の傍らには、エレノアを哀れむように見つめる聖女が立っている。
これも毎回のことだ。
なぜエレノアが禁術を行ったかの理由づけこそ毎回多少の違いはあれど、常にその先にあるのは死である。
ある時は領民たちの前で処刑され、ある時は毒杯をあおり、ある時は夫あるいは養子として迎えられた男ーー先頃は年上であったため、義兄であったーーによって殺害される。
両親の死を回避するのも毎回うまくいかず、かといって異変の頃に領内から離れようとしても、両親のこともあり、必ず留まることになってしまう。
塚の様子も繰り返しのうちの何度かは様子を見に行ったものの、魔術の素養のないエレノアにはまるでわからなかったし、何度かは魔術の心得のあるものを伴って行ってみたものの、その際には異変はないと言われていた。
むしろ塚の様子を見に行ったことで、禁術の準備と見なされ、かえって不利に働いたことの方が多い。
そして配偶者が違っていても、養子が弟でも兄であっても、結果として最後に死を迎え、そしてこの十六歳の初夏に戻ってきてしまうのだ。
軽めの朝食を両親らととりながら、こっそりとエレノアは小さくため息をついた。
彼女はもう、疲れ切っていたのだ。
「ねえ、エレノア」
きっと縁談か養子の話だろう、そう思いながら彼女は母に顔を向けた。
「来週、揃って王都へ行こうと思うのよ」
「……王都へ?」
これまでにはなかった流れにエレノアは目を丸くした。
王都まで行くような何かがあっただろうか。
「うむ、エレノアにも一度、星の乙女のおわしになる礼拝を見せてやりたくてな」
「レガリア様の凜としたお姿は、きっと見惚れるわよ」
初めての父母の提案であった。
そこに驚きはもちろんあったのだが、もっと大きな衝撃がエレノアを襲った。
「レガリア、さま?」
知らない名前だったのである。
これまでの繰り返しの中で聖女は何度も登場した。
だが、それはいつも両親の死後の魔獣の異変が起きてからのことで、名前だって違うものだった。
驚きのあまり言葉を失っているエレノアを、返事に困っているのかと両親は勘違いした。
「まあ、もしかして着るものの心配? 大丈夫よ、レガリア様は格式ばったことはあまりお好きではないの」
「礼拝といっても平民も多いし、みな位に関わらず気取らぬ身なりのものがほとんどだ。王都だからといって尻込みしなくてもいいぞ」
視線をうろうろとさまよわせながら、エレノアはどうにか声を絞り出した。
「は、はい……滅多にないことですもの、ぜひご一緒させてください」
レガリアは、ぎゅうと抱きしめる母の腕をなかなか振り解けないでいた。
男である以上腕力なら問題はないのだが、無碍に扱うには情が邪魔をするのである。
「母様、何も今生の別というわけでもないでしょう」
「でも〜、久しぶりにゆっくり過ごせると思っていたのよ……」
抱きしめる腕にさらに力を込める母をレガリアはなんとか引き剥がし、父へ押しつける。
「父上も何涙ぐんでおられるのですか、夫婦水入らずの旅行でしょう、もっと景気の良い顔をしてください!」
「そうは言うがな、最近お前も教会や騎士団へ慰問に行ったりで、なかなかゆっくりできなかっただろう」
この両親、相変わらず子離れができていない。
大きなため息をつくレガリアに、両親はなおも恨めしげな目を向ける。
「やはりレガリアも一緒に」
「いけません、先日の騒ぎもあって、私はあまり王都から離れられないのです!」
父母の侍従と共に、国内屈指の保養地へ向かう馬車へ二人を押し込む。
「娘が頼もしいけど冷たい〜」
「息子です、息子!」
今も軽装とはいえ女の身なりではあるが、譲れない一点をことさら強く言う。
「父としてもそこは繰り返さないでほしい……」
母も大概であるが、父も相変わらずである。
苦笑いの家令たちに囲まれつつ、レガリアはなんとか両親を旅行へと送り出した。
「まったく、あの人たちは……」
「愛されておるのだ、良いことであろう?」
騒ぎの間ニヤニヤするばかりで、一向に手を貸さなかったレガリアの侍従であるタイセイが笑う。
「そうはいっても新婚時代のように二人きりで、とか言っていたのはお二人自身なんだぞ」
「お熱いことだ、善哉善哉」
また年寄り臭い物言いをと呆れるレガリアをどこ吹く風といった体で、タイセイが促す。
そう、この後はレガリア自身も『聖女』としての予定があるのだ。
「やれやれ、今日は王宮か……支度するぞ」
「応さ」
軽く応じたタイセイをレガリアはじろりと睨む。
「いいか、例の『トラ』とか『リュウ』の上着はダメだぞ」
「ほう、良い物なのだがなぁ」
意外そうな顔に、ため息をついたレガリアであった。
だが、いざ出かける段になってタイセイが誇らしげに身に纏った『ホウオウ』とやらの銀糸の派手な鳥をあしらった上着に、さらに大きなため息をつくことになるのである。