バレンタインの勢いで
今年こそ バレンタインの 勢いで
密かに思う 君に渡そう
ことしこそ バレンタインの いきおいで
ひそかにおもう きみにわたそう
私という一人称。
それを、母から強要されたのは、小学校に入ったあたりだったか。
周りの女子は、「あたし」が一番多かった。
幼いときのために、滑舌がよくなくて、「わたし」と明確に言うのはちょっと大変なこともあったのかもしれない。
ともあれ、幼少期から「私」と明確に言えたのは、母の教えの賜物だと思っている。
私は発育が遅いのか、高校2年になってもクラスメイトどころか1年の後輩たちよりも背が低く、制服に指定されているネクタイの色でかろうじて2年と認識される程度。
髪の長さも中途半端。色も、祖父母の代からの隔世遺伝で茶髪。
成績も、運動も、誇れるものはなにもなく。
それでも、恋焦がれる人がいる。
生徒会長、北原歩先輩。
2月の今となっては、先輩は進学先もとっくに決まり、生徒会もすでに引退。
だから、正しくは前生徒会長なのだけれど。
その、歩先輩を、放課後に呼び出した。
手段は古風に、直筆の手紙を下駄箱に入れて。
場所は、人目の少ない校舎裏。
名前も書いていない手紙だったから、来てくれるとは思っていない。
それならそれで、諦めもつくというもの。
だって、今日は、バレンタインデー。
きっと、先輩はたくさんの女子からチョコと黄色い声援を受け取っているに違いないから。
2月とはいえ、警報が出る寒波の日。
寒さに震えながら、ただ時間が過ぎるのを待つ。
凛々しく男前でカッコいい先輩は、みんなの人気者。
恋人を作らないのは、みんな不思議がってはいたけれども。
けれど、私は知っている。
先輩には、本命の人がいるということを。
だからこれは、願掛けですらない。
先輩を諦めるための儀式。
正門が閉じられる下校時刻になったら、胸の痛みとともにここから立ち去り、涙とともに用意したチョコを捨てよう。
……や、捨てるのはもったいないから、自分で食べよう。お母さんと一緒に。
失恋を忘れるためにって言ったら、お父さんも一緒に食べてくれるかな?
味も見た目もこだわり抜いた、自信作だから、やっぱり捨てるのはもったいないや。
日も陰り、空は少しずつあかね色に染まりだす。
下校を促す、最後の校内放送が鳴るまであとわずか。
寒さに震え、手もかじかみ、歯もカチカチと鳴り出す。
このままじゃ風邪ひくな。
そうは思っても、ギリギリまで諦めきれないのが恋心というもので。
今日こそがチャンスとばかりに、気合を入れてチョコを作ったんだ。
もう、期待はしてないけれど、せめて時間まで。
諦めるには、一晩じゃ無理かもしれないけれども。
せめて、下校時刻までは。
本日最後の校内放送が鳴り始めたとき、校舎裏に人影が。
空は夕暮れ。もうじき日も落ちるたそがれ時。
すでに薄暗く、距離があると顔も判別しにくい。
見回りの用務員さんだろうか?
ふと、首をかしげた。
「すまない、遅くなってしまった」
人影が発した声に、驚いてしまい不本意な声を出してしまう。
「こんな寒い日に、ずいぶんと待たせてしまってすまないね、千尋」
千尋は私の名前だ。
こんな、人の顔も分からなくなってしまうような夕暮れ時に、明かりのない校舎裏で、どうして私のことが?
先輩に来てもらって嬉しいはずなのに、名前も書いてない手紙で呼び出した先輩が、どうして私だと分かったのか。
寒くて震える体。頭は混乱して、どうしてばかりが巡る。
「どうもこうもないよ、千尋。きみの字はよく知っているし、前にもらった手紙と同じ封筒と便せん使っていたじゃないか。それに、今日は1日スマホの電源切っていたろう? 休み時間とか連絡取ろうとしても、メールは返ってこないしトークアプリは既読にならないし電話かけたらそもそも電源がってなるし」
そう言いながら、抱きしめてくれる歩先輩。
心配か、迷惑か、かけてしまったかも。
「こんなに震えて……。体中冷え切ってる……。バカだな。名前の書いていない手紙でこんなところに呼び出さなくても、一度家に帰ってから、改めてうちに来てくれればよかったのに。近所なんだから」
バカと言いつつ、その言葉は優しく温かい。冬用コートを着た先輩みたいに。
「願掛け、だったんです」
「願掛け?」
先輩の温もりで震えも収まってきた私の言葉に、おうむ返しに問う先輩。
「はい。もし、来てくれたら、きっとこの恋は成就する。でも、来てくれなかったら、この恋はすっぱり諦めるって願掛け」
「なんだってまた、そんなことを?」
私を抱きしめながら、ほおずりまでしてくれる先輩に、胸の内まで温かくなってしまう。
これを言ったら、呆れられるか、引かれるか、笑われるか。
「卒業したら、離れ離れになっちゃう。学年は違ったけれど、小さいころからずっと一緒だったから、離れたら、耐えられないかと思って……」
涙をこぼしながら想いを吐き出す私に、先輩は苦笑で応えた。
「よかった。ぼくは捨てられるわけじゃないんだね」
「そんなっ! ……あ、でも……」
あまりの言葉に、つい声をあげてしまうけれども。
でも、見方を変えれば、手紙が伝わらなかったなら、私の勝手な決意表明で、先輩と別れることになっていたと思うと……。
「意外と思い込みが激しいところ。きみのよくないところだよ。なんでも話してって言っただろう? ……ぼくも、不安なんだよ? 可愛い恋人に、悪い虫が付かないかどうかとか」
「可愛いって言ってくれてありがとうございます。でも、先輩だってとってもすてきです。それでですね、私だって、不安なんですよ。先輩は、恋人と言ってくれた私がそばにいないと、すぐに告白されてるじゃないですか。男女問わず」
うぐっ、とうめき声をあげる先輩。
きっと、バレンタインデーの今日も、誰かから告白されていたと思う。
それこそ、男女問わずに。
「知ってる人が多いここの学校でもそうなのに、大学に行ったら、薄汚いハイエナみたいな男どもに、拐われてひどいことされちゃうんじゃないかって、心配で心配で…………」
「さすがにそれは、変な漫画の読み過ぎだと思う」
歩先輩は、頬を引きつらせて抗議してくるけれども、先輩は、自分の美しさをちゃんと分かってない。
私より少し高い背に、腰まで届きそうな艶のある黒髪、切れ長の目に完璧な造形の美貌、大きくもなく小さくもない、理想のバランスの胸、抱きしめると折れてしまいそうな細い腰に、評価は分かれるけれども安産型のお尻から太ももにかけての曲線の美しさ。
涼しげに微笑む表情も、凛々しく引き締まった表情も、心地よく響く声も、甘く蕩けそうな優しい声も、なにもかもが美しくて、私のような半端ものと恋仲だなんて、信じられないくらい。
胸に手を当てて陶酔するように先輩の美しさを心の中で諳んじていると、声に漏れてしまっていたのか、顔を真っ赤にして恥じらっている先輩。可愛い。
「拐われるとしたなら、きみの方だろう。可愛いのは千尋の方だよ」
赤い顔をそらしながら、それでも褒めてくれる先輩。嬉しい。
「先輩は、綺麗で美しくて可愛いです。私は、よくてマスコット系ですよ。先輩には敵いません。それに、拐われそうになったら相手を処します」
「いや落ち着こうか。処したらだめだよ」
話がちょっと変な方向にいってることに二人して気がついて。
見つめ合って、笑った。
「先輩。とってもがんばって作った、自信作のチョコ、受け取ってくれますか?」
「喜んで」
チョコなだけに、ちょこっと離れて改まり、バックの中から包装したバレンタインチョコを先輩に渡す。
この日のために、練習を重ねて作り上げた渾身のチョコを、恭しく受け取ってくれる先輩。
きっとこれで、この恋は成就する。
二人は離れても、きっと大丈夫。
一年我慢したなら、必ずまたそばに行きますから。
想いを込めて、抱きついて。
ちょっと背伸びして、口を近づけて……。
「こら、そこで何してる? もう下校時間だぞ。早く帰りなさい」
見回りの用務員さんに注意されて、二人とも、飛び上がらんばかりに驚いて。
なんだか、笑いがこみ上げてきてしまって。
用務員さんに、追い立てられるように学校をあとにした。
日が落ちて、明かりの灯った帰り道。
二人の距離は離れても、心は決して離れぬように。
指を絡め、手をしっかりと握って歩く。
見た目は女子と言われる私だけれど、性別は男な半端もの。
けれど、たとえ半端ものの後輩でも、想い合う愛しい女性を守りたいと思う気持ちはちゃんとあるので、先輩を自宅まで送り届ける。
じゃあ、また明日。と微笑みながら手を振る先輩のその手を引き、強引に、唇を重ねる。
愛しさが溢れて暴走しているのは自覚しているけれども。
気持ちを、止められないときだって……。
「おかえり歩。ほら、外でいちゃついてないで中に入りなさい。千尋くんも、寒いからうちにあがっていって」
まさかのタイミングで声をかけられて、二人ともバッと身を離す。
さすがに、親が見ている前では甘い雰囲気も出にくいもので。
二人同時に苦笑して、おやすみを言い合って帰路につく。
自宅への道中、ふと思い立ってメールする。
『大好きです』
『ぼくもだよ』
秒で来た返事に、なんか吹き出してしまう。
鬱々と、自分勝手に悩んで、バカみたい。
信じろ。
私自身じゃなく、私を好いてくれている歩先輩を。
大丈夫。あの人なら信じられる。
離れても、きっと大丈夫。
先輩とのこれまでを、信じれば、きっと。
晴れた心を示すように、見上げた空には、満月が爛々と輝いていた。
結局、先輩は自宅から大学に通うから、接する時間は減るけれども関係はあまり変わらなかった。まる。






