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2 真夏の神社

「お兄ちゃん……、お兄ちゃん……、お兄ちゃん!」

「………ん?」


 何度も呼ばれ、俺はようやく我に返る。


「お兄ちゃん、ボーッとして大丈夫?」

「あ……大丈夫。ごめん、考え事してた。」

「まったくもう、夏にボーッとするのは危ないよ?水分補給、ちゃんとしてよね?」

「はい……。」

「はい……?」

「うん。」

「よろしい。」


 そう、今は夏である。朝はいいが、日中はグダるような暑さになる。この妹の言う通り、水分補給は必須だ。


「それと私、もう部活に行く時間だから、お昼は適当に食べてね。じゃあね。」

「行ってらっしゃい。」


 妹を見送ると、玄関の扉が閉まる音が聞こえた。


 妹の名前は(かえで)というらしく、十三歳で中学一年生。三日前から夏休みに入り、今は部活に行っている。そして俺は水瀬みなせ杜遥(もとはる)、十六歳。


 あれから病院を退院して三週間が経つ。父親は俺たちが小さい頃に家を出て行ったようで、今は妹と祖母と一緒に三人で暮らしている。


 どうやら事故に遭ってから丸一ヶ月、俺はずっと眠り続けていたらしい。そしてその事故が原因で、自分の記憶を失ってしまったようだ。


 目覚めてから何度も検査を受けた。

 だが、結局何も思い出せず、ついた病名は「乖離性健忘」だった。医師は「過度な精神的苦痛から逃れるために、自分で記憶を閉ざしている。」と言っていたが、その説明が俺にはどこか遠く感じられた。


 自分に関する記憶は全く思い出せないのに、言語能力や会話のスキルが正常に保たれているのはとても不思議な感覚だ。


 多くの場合、記憶は時間と共に回復するらしいが、回復の速度や程度には個人差があるとのことで、俺の記憶が戻るかは分からないと言われた。



 ーー結局、俺はこれからどうすればいいのだろうか。



 妹も祖母も優しいし、良い人だと思う。けれど俺は二人のことを知らない。家にいても、どこか他人行儀になってしまうだけで、落ち着かない。


 だから、


「よし、散歩でもしよう。」


 今日は思い切って、家を出てみることにした。


 それに、事故以前の俺は妹と母と都会で暮らしていたらしいが、小さい頃は何度か遊びに来ていたと言っていた。あまり詳しく聞いたわけでもないから、何をしていたのかは分からない。


 けれどもしかしたら、散歩でもしてるうちに何かを思い出すかもしれない。


(ばあ)ちゃん、俺ちょっと出掛けて来てもいい?」

「はいよ。」


 祖母に一言声を掛けてから、俺は扉を開けて外に出た。


 





 「暑い……。」


 家を出てせいぜい五分ほどだろう。しかし、俺の半袖Tシャツは、すでに汗だくになっていた。真夏の日差しは当然強く、何より(セミ)の鳴き声が一層暑さを感じさせている。


 暑さを(しの)げる場所を探していると、(しばら)く歩いた先に鳥居が見えた。


 俺は鳥居を(くぐ)り、石でできた緩やかな階段を上がる。古びた神社があった。周囲は木々に囲まれ、足元には土の地面が広がっている。


「涼しい……。」


 直射日光が照りつける道路とは、まるで別世界だった。


 深呼吸し、俺は涼しさを堪能する。すると、左からチョロチョロという音が聞こえた。その音がする方に目を向ける。

 手水舎(ちょうずや)だ。透き通った水が、ひとしきり静かに流れていた。

 俺は柄杓(ひしゃく)でその水を(すく)い、手に掛ける。


「冷たッ。」


 湧き水だろうか、想像以上に冷たく、気持ちが良かった。きっとこの手水鉢(ちょうずばち)に両腕を突っ込めば、もっと気持ちがいいのだろう。けれど、それがマナー違反であることは流石に分かった。


 もう一度水を汲んで、今度は口に運ぶ。


 しかし、この渇ききった喉が潤うことはなかった。


「そこ!飲んじゃダメ!」


 不意に、後ろから声がかかった。飲みかけたところで、止められたのだ。


 振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。歳は同じくらいだろうか。灰色の制服に赤いリボン、そして茶色のスカート。凛とした雰囲気を纏い、その場の空気が一瞬にして変わったように感じられた。


「これ、飲んじゃいけないのか……?」

「ダメ。手水舎の水は手や口を清めるためのものだから、飲むものじゃないわ。マナー違反よ。というか、常識なんだけど。」

「………。」


 彼女は「何で知らないの?」とでも言いたげにこちらを見ている。どうやら、これもマナー違反だったらしい。


「でも、何で俺が飲もうとしてるって分かったんだ?口を(すす)ぐだけの可能性もあったはずなのに。」

「それは……勘ね。今時、あんなので口を清める人なんていないわ。」

「なるほど……。」

「そもそも、湧き水とか井戸水とかって透明だけど、飲んじゃダメよ?昔の人は普通に飲んでたらしいけど、ピロリ菌がいるから将来胃癌になるわ。」

「え、何それこわいな。」

 

 ここまで透き通った綺麗な水が飲めないのは、(にわか)には信じられない。でも、嘘をついているようには見えなかった。


「それにしても見ない顔ね。こんなことも知らないってことは、都会から来たのかしら。」

「……まぁ、そんな感じ。」 

「ふーん、こんな田舎に都会から人が来るなんて珍しいわね。まあ、何しに来たかは知らないけど、ここ、あまり来ない方がいいわよ、出るから。」

「え?……何が?」

「幽霊。」

「は……?」


 思考が追いつかず、無意識に声が漏れた。唐突な内容に頭がついていかない。「幽霊」と、確かにそう聞こえたが、俺の聞き間違いだろうか。


「ゆうれいってあの幽霊?」

「そうよ。って、他にどのゆうれいがあるのよ。」

「………。」


 それもそうだ。驚きが強すぎて正常に頭が回っていない。


「あー何て言うんだ。えっと……、そういうの信じるタイプ?」

「~~~~!?」


 間違えた。これは非常に失礼だ。言った瞬間に後悔したが、もう遅かった。


「……信じないなら別にいいわよ。夕方、この神社に来てみれば?昔亡くなった幼い少女の幽霊がきっと出るわ。」


 恥ずかしいのか、彼女の声は少し小さくなった。


「……少女の幽霊なのか?」

「そうよ。あそこ、崖の下に小さな小川があるでしょ?五年前、とある少女があそこで亡くなったのよ。それ以来、夕方になると出るらしいわ。」

「………。」


 見ると、確かに小川があった。そこそこ高さもあるため、幼い子供が落ちると危険を伴うかもしれない。

 別に幽霊を信じるわけではないが、リアルな話を聞くと不気味というか、胸の奥がどこかざわつくような感覚が湧いてきた。


「そう言えば、まだ名前を言ってなかったわね。私は朝霧(あさぎり)(ひかり)、あなたは?」

「俺は……水瀬(みなせ)杜遥(もとはる)だ。」

「水瀬……?」


 名前を聞かれ答えると、彼女はそれに反応し、首を(かし)げた。


「もしかして、水瀬のお婆ちゃんと親戚?」

「ああ、孫らしい。」

「らしいって、自分のことでしょ。」

「………。」

「まあいいけど。それにしても、お婆ちゃん孫いたのね。全然知らなかったわ。なるほどね、それで遊びに来たのね?」

「いや、引っ越して来た。」

「え……、何?じゃあずっとここにいるの?」

「そうなる。」

「……そっか。」


 一瞬、彼女の表情が曇った気がした。ほんの僅かな間だったが、その沈んだ目に、どこか刺すような冷たさがあった。


 ……いや、曇ったどころじゃない。これ、明らかに嫌な顔だ。


 出会って早々、そういう態度は本当に傷つくからやめてほしい。マナー違反だったのは認めるし、失礼な事を言ったのも悪いと思うけど、それが原因なのだろうか。


「あのさ、ごめん、なんで嫌そうなの?」

「そうね……、顔かしら。」

「直球すぎる……。いや、結構傷つくんだけど。」

「だって……、あなたの顔を見てると、なんだか色々と思い出しちゃうのよ……。」


 ドクンッ……


 俺の心臓が急に強く拍動し始めた。


「……もしかして俺たち、初対面じゃない?」

「……。いや、初対面ね。」

「なら、ただの飛ばっちりじゃないか。」

「……ふん。」


 言い返せないのか、その後彼女は顔を背け、鼻を鳴らした。これ以上関わるべきではないと、俺の直感が告げている。


「じゃ。」


 ひとまずこの場から逃げようと、俺は背を向けて歩き出す。


「待って。」


 しかし振り返る間もなく、その一言で足を止められた。


「……何?」


 振り返り、俺は彼女に問いかけた。


「これ。」


 彼女は自分のトートバッグから赤色の小さな水筒を取り出し、俺に差し出した。


「え?いや、それ俺のじゃないよ。」

「知ってるわよ、私のだもの。手水舎の水を飲もうとするくらいだから、喉、渇いてるんでしょ?」

「まぁ、カラカラだけど……。」

「あげる。水筒はまた会ったときに返してくれればいいわ。水瀬のお婆ちゃんの家ならいつでも取りに行けるし。それに、こんな暑い中何も飲まずにいたら、あなた死ぬわよ?」

「………。」


 無自覚だと思うが、彼女の言葉は一々鼻につくような言い方だ。きっと善意で言っているのだろうが、素直に喜べない。


「……ありがとう。」


 俺は少し小さめの声でお礼を言って受け取った。

 そしてふと思った。初めて会った奴に、さらに顔を見て嫌そうな顔をしたくせに、普通優しくするだろうか。


「これ、毒とか入ってないよな……?」

「失礼ね。入ってるわけないでしょ。この状況を想定してこれを用意したと思う?」

「……思わない。」


 とりあえず、毒が入っていないのは確かなようだ。


「一応聞くけど、中身何が入ってるんだ?」

「それは飲んでからのお楽しみよ。あと、私はこれから用があるから帰るわ。じゃあね。」


 そう言うと、彼女はまるで何事も無かったかのように、軽い足取りで去っていった。


 その姿を見送り、俺は恐る恐る貰った水筒に口をつける。


「あ、うまい。」


 中に入っていたのは、ただの冷えた水だった。

 けれど不思議と、目覚めてから口にしたどの飲み物よりも美味しく感じた。

 最後まで読んでいただ、きありがとうございます!

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