1 プロローグ 真っ白な空間に
目を覚ますと、そこは真っ白な空間だった。まるで時間が止まり、何もかもが消え去った世界に、自分だけが取り残されたような感覚。
どれほど時間が経ったのか、いや、ほんの一瞬だったのかもしれない。やがて、ここが病室だと気づいた。何も無いと思っていたはずの空間には窓があり、そこに掛けられた白いカーテンが静かに揺れている。
そしてベットの上で一人、俺は横になっていた。
事故に遭ったのか、あるいは何かの病気なのか。ここがどんな場所かは分かるが、自分が誰で、どうしてここにいるのか。自分に関する一切の記憶が、頭から抜け落ちていた。
少しすると、ドアが開き、小さな女の子が姿を現した。
「……えっ!?お兄……ちゃん……?」
「………?」
ドンッ
「いっ……!?」
俺に気がつくと、その女の子は俺をお兄ちゃんと呼び、物凄い勢いで抱きついてきた。
「お兄ちゃん、起きたんだね……。よかった……ほんとうによかったよぅ……。」
あまりにも突然のことで、言葉が出なかった。
泣きながら、すがるように抱きついてくる少女。
妹なのだろうか。見覚えがない。いや、そもそも自分のことすら覚えていないのだから当然か。
「お兄ちゃん、私のこと、わかる?」
「………。」
「お兄ちゃん……?」
何も応えないでいると不自然に思ったのか、少女は不安そうに俺の顔を覗き込んできた。
「すみません。覚えてない……です。」
他にかける言葉も思いつかず、俺は正直に謝って返す。
「!?……そう、なんだ……。」
すると余程ショックだったのか、少女は俯き、何も喋らなくなった。
大切な人に自分のことを忘れられる気持ち。想像でしかないが、辛いことだというのは分かった。彼女のことは知らないのに、彼女の姿を見るだけで心が苦しくなる。
だからほんの僅かな時間のはずなのに、俺にはとても長く感じた。
暫くして、少女は落ち着いたのか、ようやく口を開いた。
「お兄ちゃん、事故に遭ったんだよ。私はお婆ちゃんの家に行ってたから何ともなかったけど……お母さんは、それで亡くなっちゃったんだ……。」
涙ぐみながら、一生懸命語る少女。
俺は何も言わず、ただ黙って少女の話を聞いていた。胸が締め付けられるような感覚があり、言葉が見つからなかった。
「やっぱり、何も覚えてないんだね……。」
「………。」
「体、痛いところない?」
その問いかけに、俺はゆっくりと手足を動かしてみる。痛みはないが、少し力が入りにくい。とはいえ、何とか動かすことはできた。
「大丈夫そう……です。」
「……そっか、よかった。でも、敬語はやめてほしいかな……、兄妹なんだから。」
妹。そう言われても、記憶がないのだからそれが真実かは分からない。でも、何故だろうか、この子を悲しませてはいけないような気がした。
だから無意識のうちに、俺は答えを返していた。
「……わかった。」
それを聞いた少女は少しだけ涙を拭うと、静かに微笑んだ。そしてゆっくり立ち上がり、俺に向かって言った。
「帰ろう。私たちの家に。」
その言葉に、俺は無言で頷く。彼女の言う「家」がどんなものなのかは分からない。それでも、不思議と心に浮かんだのは恐怖ではなく、温かな気持ちだった。
ここから、きっと俺の新しい物語が始まる。漠然とした予感だったが、胸の奥でそれが確かに感じられた。
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