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それでも彼女は拍手する  作者: 神崎 月桂
誰が為に拍手は鳴る
9/42

#9

「自殺、したんだ」


 シラギクのつぶやきが、静かな空間に、ただ、それだけが存在するかのように広がる。


 自覚してしまった。シラギクが、その、事実に。


「シラギク。けれど、今のお前は――」


「ううん、わかってるの。いや、知っちゃった、勝手に聞いちゃっただけ、かな。……ありがとうね、リンドウさん。落とした指、拾って、くっつけてくれて」


「なっ――」


 いつ気づいたのか。そんな素振り、見えなかったが。

 驚愕に包まれている俺の様子を見たシラギクは、小さく俯きながら、自身の手に視線を落とし。キレイに縫われてる。気づかなかったや、と。そうつぶやく。


 縫い目に気づいたわけじゃない、繋げた指が動いているところは、俺も見ている。だから、気づいた要因はそこではない。

 なら、なんで気づいて――、


 ふと、これまでに抱いていた疑問が思い出される。

 シラギクが徹底して言っていた、勝手に聞いたという、その言葉。

 俺は、基本的には彼女が起きているときにはシラギクの死やそれに直結することは言っていないし、眠っているときでも可能な限り、口にはしていない。

 それに、そのことを聞いた、のなら。先刻の発狂も、もっと早くに引き起こしているはずである。


 しかし、それが起こっていないということは。そういった言葉を、シラギクが直接に俺から聞いていたわけでは、ない。


 けれど、シラギクはなにかを俺から聞いていたと、そう言っているわけで。

 シラギクの死に関わることは、口にはしていない。

 だけれども、ずっと、考えてはいたわけで――、


「……うん、そう、だよ。リンドウさんが、今思ってることが、正解」


 まるで、俺の考えていることが明確に理解できておる、とでも言わんばかりに。ピッタリのタイミングで、シラギクから、その回答が述べられる。


 ああ、くそ。なんで失念していたんだ。そうじゃないか。


 ()()()()()()()()()じゃないか。

 聖女としての力が十分に覚醒していない、と言う前提はあったとしても。聖女と呼ばれるだけの存在であるならば、そう呼ばれるに値するなんらかの理外の能力があって然るべきだった。


 つまるところが、十二分に。そういった可能性を追うには必要なだけの要素はあっただろうに。

 なぜ、その可能性を追わなかったのか。


 歯を噛み、自身の失態を悔いている俺のその傍らで。

 シラギクは、いびつな笑顔を。精一杯に作り、俺にそれを向ける。


「リンドウさん、ありがとう。……それから、ごめんなさい」


 そうして、そう、言葉を漏らして。


 その彼女の様子の変遷に、マズい、と。そう直感で感じ取る。

 しかし、気づいたときには。もう、既に遅くて。


 直後、後方へと駆け出す。


「シラギクッ!」


 数瞬、反応が遅れて。俺はシラギクの後ろを追いかける。

 彼女が向かったのは、下層へと続く道。つまり、ここまでの道のりを逆走する方面。


 はたしてそちらが、ただ、俺から離れる向きにあったから向かったのか。

 それとも。シラギクの本質として、死者の肉体があるから。本能的に送りの霊穴の奥地(死に近い場所)に向かったのか。


 そのどちらかはわかりはしないが。しかし、どちらにしてもシラギクを止めなければならないことは確実。


 幸い、というべきか。シラギクと俺とでは体格も筋力も大きく差がある。

 だからこそ、いくらか初動が遅れたところで。追いかけて間に合わないということはまず無い――、


 キチチチチッ、と。そんな、不快な鳴き声がした。


「ハイドバットッ、こんなときに!」


 二匹のハイドバットが道の奥から現れてきて。先行していた一匹が、わかりやすくシラギクを避けて、俺に向けて飛び込んでくる。

 とはいえ、それほど驚異的な存在というわけではない。落ち着いて対処をすれば、余程の大群でもなければ問題なく倒せる。


 とはいえ、ハイドバットが露骨にシラギクを避けて俺に向かってきているあたり。こいつらはシラギクが逃げ切るための時間稼ぎとして送りつけられているのだろう。


 そう判断して、飛び込んできたハイドバットを抜刀からの切り返しで斬り落とす。以前に相対した個体と同様に耐久力はないので、これで一匹目の対処は完了。

 ただ、今回飛んできていたハイドバットは二匹。次のやつは――、と。視線を前にやって、しまった、と。


 もう一匹のハイドバットは、シラギクの元へとやってきていた。

 そうはいっても、ハイドバットがシラギクのことを襲っているとか、そういうわけではなく。


 しかしながら、そうであったほうがよかった、と。そう思える事象が目の前に起こっていて。


「しまった――」


 ハイドバットは、闇に溶け込み。


 そして、それに引きずり込まれるようにして、シラギクもまた、影へと入り込んでいく。


 こうなると、ハイドバットの移動速度でシラギクが移動できることになってしまう。

 無論、影を伝うようにしてしか移動できないために、薄暗いものの明かりは多いこの通路では、満足に移動できるわけではない。


 ただ、ハイドバットのその最大の特性とも言える移動速度の速さは尋常ではなく。断片的にでしかないその移動ですら、俺とシラギクとの距離を大きく離していく。


「マズいな……」


 ハズレの道を選んでくれれば、行き止まりなどに差し当たって捕まえることもできたかとしれないが。シラギクは一度通ってきたからか。あるいは、導かれるようにしてか。適切に正解のルートを走っていく。

 つまりは、下層へと続く道を。


 道中、復活したアンデッドからの、まるでシラギクを守るような、彼女を逃がすかのような妨害を受けたりしつつも。なんとかシラギクの姿だけは見落とさないように必死で彼女の逃走に食らいつく。


 そうして追いかけているうちに、ついには五層目の端。六層目へと続く階段に辿り着く。


 シラギクは、止まることなく、そのまま下層へと降りていく。


「くっそ、ここまでならまだいいけど。この先に行かれると――」


 五層目は、まだよかった。俺の進む道を禦ぐ敵がいたとしても、然程強くはないからだ。

 それは、五層目がまだ浅めの階層であるから。そして、本来ならばそれは六層目にも同じことが言える。

 実際、六層目に出てくるほとんどのアンデッドは五層目とほぼ同じか、多少強くなった程度のものばかり。

 ただ、ほとんどが、であって。


 全てが、ではない。


 シラギクとの距離が縮むことはなく。むしろ、開こうとさえしている、現状。

 ()()にたどり着くまでにシラギクに追いつけなければ、本格的に彼女の姿を見失うことになりかねない。


 そんなことは重々承知している。だからこそ、全力でシラギクを追っている。

 ……けれど、ハイドバットのアシスト、アンデッドたちの妨害もあって。その距離が縮まらない。


 シラギクも、道を間違うことなく。真っ直ぐに、下層へと続く階段を目指して走り続けていて。


 そして。ついに、拓けた場所にたどり着く。

 たどり着いて、しまう。


「クソッ、間に合わなかったか……」


 シラギクは、その部屋の中を問題なく走り抜けていき。そして、七層目へと続く階段へと足を踏み入れていく。


 一縷の望みに掛けながらに、俺もその部屋に入り。階段に向けて一直線に駆けていく。


 ……が、その目の前を塞ぐようにして。ひとつの巨体が姿を表す。


「まあ、許してはくれないよな……」


 小さく息をつきながら、その巨体に視線を合わせる。


「悪いが、前回相対したときより急を要するんだ。全力で行かせてもらうぞ」


 俺のその言葉に、巨体はグルルルルッ、と。低い唸り声で以て答えてくる。


 さて。どうしたものか。

 ……できれば、避けたくはあったが。仕方がない。


 ブラックドッグとの、再戦だ。






     * * *






 恐怖から逃げたくて、暴力から逃げたくて。

 期待から逃げたくて、責任から逃げたくて。


 逃げて、逃げて、逃げて、逃げて。


 けれど、逃げられなくって。


 ひたすらに走って、逃げてきて。


 そうして、ふと。


 ほんの少しだけ、冷静になる。


「……ここ、は」


 場所の名前は、たしか送りの霊穴。

 リンドウさんが、そう呼んでいた。


 その、リンドウさんは?


「……あっ」


 そうだ。逃げてきちゃったんだ、私。

 だから、リンドウさんはここにはいなくって。


「うっ……」


 頭に、鈍い痛みが襲いかかってくる。


 私は、死んでいて。それなのに、まだ生きていて。

 ぐるぐると巡っていく思考の中で、痛みがどんどんと増していく。


 考えれば考えるほどに増していく痛みに、思わずうずくまりかけた、その瞬間。


 間近で、なんらかの音がした。

 低く、呻くような、そんな声。


「ひっ!」


 アンデッドが、すぐ側まで近づいてきていて。

 その腕から、すんでのところで身を躱す。


 不安が、恐怖が。実体となって迫ってくる。


「あっ、えっと、あっ……」


 躱されたからといって、アンデッドが諦めるわけもなく。むしろ、躱したシラギクに向けて再び近づいてくる。


「い、嫌っ!」


 反射的に、その場から逃げる。


 アンデッドから、ひたすらに逃げて。距離を離す。

 細かな道に入り込み、視界から外れて、身を隠す。


 たしか、低級のアンデッドにはそこまで知能がない、ってリンドウさんが言っていた。なら――、


 隠れた道のすぐ隣を、アンデッドが通り過ぎていく。


 こちらに隠れているシラギクに、気づく素振りは、ない。


 ホッと、小さく息をつきながら安心をするシラギクだったが。しかし、振り返ってみるとなにひとつ問題は解決していない。

 アンデッドは徘徊しているので、そのうちにこの場所が見つかる可能性もある。

 そもそも、シラギクがひとりじゃ危ないと、そう言って守ってくれていたリンドウさんとはぐれてしまっている。


「……ここ、どこ?」


 アンデッドから逃れるために、必死でひたすらに走ってきたからか。どうやってこの道まで入ってきたかがわからない。


 つまり、上層――リンドウさんのいるところまで行く方法がわからない。


「どう、しよう……」


 帰る道が、わからない。

 リンドウさんの元へと行く道が。ダンジョンの外へと出る道が。


 お姉様のところへと帰る道が、わからない。


 せっかく、リンドウさんが連れて行ってくれようとしていたのに――、


「でも、そもそも。私って帰る必要あるのかな」


 ふと、そんな思考が深淵から湧き上がってくる。


 そもそも、自分は死んでしまっているわけで。

 なぜか、こうして動いて、考えて、とできてしまっているものの。自殺して、死んでしまっているのは確かなことで。


 だから、お腹も空かないし、疲れもないし。それに、


「……寒くない」


 明らかに冷たい空気が立ち込めているはずなのに。ノースリーブのワンピースという薄着のはずなのに。

 けれど、寒くない。それが、まさしくシラギクの現在を物語っていた。


 シラギクは、死んでいる。死んでしまっている。


 その死は、自身から望んだもので。けれど、なぜか死ねていなくて。今、ここにいて。


 なら、わざわざ地上に帰らなくても。お姉様の元に帰らなくても。

 リンドウさんのところに行かなくても。


 ここで、ひっそりと。もう一度死ぬまで、待てばいいんじゃないだろうか。

 ……この既に死んでいる身体(からだ)で。再び死ねるかは、わからないけれど。


 リンドウさんは言っていた。アンデッドが深層に向かえば向かうほど強くなる理由のひとつは、深層の気温が低く、逆に浅い層ではそこまで低くないからであって。

 それゆえにアンデッド自身の身体の腐敗の進行度も変わってくるからだ、と。


 シラギクの身体も、ほぼ確実に死んでしまっている。落ちた小指が糸で繋いだだけなのに動いているのがその証拠だ。

 アンデッドは、魂でその身体を動かす。千切れた小指が動いているその理屈は。死んでしまった自分が動けているその理由は。おそらく、それと同様の理屈だと考えるのが妥当であろう。


 ならば、地上へと向かうことは、すなわち身体の腐敗を進める直接の原因ともなり得る。


「……お姉様なら、なんとかできるのかもしれないけれど」


 なんだってできるお姉様ならば。

 しかし、死んでしまった、逃げてしまった私に対して。お姉様は、どう思っているのだろうか、と。

 はたして、そんな私をお姉様が助けてくれるのだろうか、と。


 そもそも、現状のシラギクの存在自体が、聖教会が禁じている死霊術(ネクロマンス)に近しい存在だといえる。死んだはずなのに、生き返っているのだから。


 そんな私を、はたしてお姉様が受け入れてくれるのか。


 そんなことが起こるのならば。そんな絶望を味わうのならば。

 いっそ、このまま、ここにずっといたほうがいいのかもしれない。


 私が、自殺という逃げ道を選んだように。


 向き合わず、ただ、ひたすらに。


 全てから逃げて。

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