#42
アカネにとって、リンドウという人物は。自分自身とよく似た人物である。という認識だった。
なんてことを本人に言うと不機嫌になるのは目に見えていたし。実際、正反対な行動を取ることは多い。
世情からの扱われ方に関しても、同じくである。稀代の聖女として、ともすれば神と同等にまで捉えられているアカネと、ただの名も知れぬひとりの一般人。
だが、世間には公表していないものの、長くに亘って彼と付き合いを続けているアカネには、ひとつの確信がある。
リンドウとアカネは、よく似ている、と。
アカネがリンドウと初めて出会ったのは、ギルドを通じて護衛として彼を紹介されたとき。
当時、聖女としての自身の役割にひたすらに奔走していたアカネは、まだシラギクが生まれていなかったということもあり、各地を転々としながらに活動を続けていた。
そんなアカネが現在拠点を敷いている今の街こそ、偶然にも、リンドウと初めて出会った街。
たまたま、近くの街へと活動に向かうことになり。アカネとしては不要だとは思うのだけれども、いちおうの体裁としてつけるように言いつけられていた護衛をギルドを通して依頼をしたところ。
ギルドマスターから「いいヤツがいる」と鳴り物入りの紹介を受けて出会ったのが、リンドウである。
正直なところ、初めて出会ったときの印象はそれほどよくはなかった。なにせ、明らかに見た目が同年代である。当時、まだ十にも満たなかったアカネと。
実力がある、ということは見ればわかる。伊達に稀代の聖女と呼ばれてはいなかった。
だが、それを差し置いても、ギルドマスターの言う「いいヤツがいる」がつまるところが「都合のいいヤツがいる」という意味合いではないかと思わさせられたくらいには、やはり、子供という印象のほうが先行していたし、最初に顔合わせをしたときのリンドウの態度も、あまり依頼に対して誠実そうではなかった。
しかし、その印象は。すぐに裏切られることになる。
たしかに、あまり乗り気ではなさそうな表情など、見てくれの態度だけならばあまり真面目そうではないというのは相変わらずではあったのだが。
しかしその一方で、行動自体は真摯そのものであった。
やるべきことについてはきっちりとこなしているし。最初の見立てどおり、実力は十分どころか、下手な大人よりも優秀。
それどころか、アカネ自身の問題に対して、仕事と依頼という盾をうまく使いながらに、なんとか解決しようと踏み込んできていた。
アカネのことを頼る人物はいても、アカネへと手を差し伸べてこようとする人物は、初めてだった。両親ですら、アカネに対して頼っていたというのに。
しかし、それと同時に。アカネはそのときのリンドウの表情が深く脳裡に刻み込まれることになった。
まるで苦虫を噛み潰したかのような。やむにやまれぬ事情があってそうしているだけで、本当ならば関わりたくはない、とでも言いたげなその表情。
不思議だった。アカネは、別に助けを求めてはいなかった。はずである。
今となってみれば心の奥底でそう思っていた節がないとは言わないが、少なくとも、そういったことは表には出していない。
それなのに。目の前の彼は、とてつもなく嫌そうな顔で。しかし、そうしなければならないような様相で。アカネのことを助けたのである。
リンドウは、自身のことを怠惰だと自称する。だが、アカネから見れば。いや、世間一般から見れば、微塵もそんなことはないだろう。
だがしかし、それと同時に。不思議と、納得できる側面もありはした。
それから、アカネはリンドウに興味を持つようになった。
転々と移動しながら活動していたものを、この街に拠点を構えて。
基本的にはギルド側に人選は一任していたアカネに関する依頼のほとんどを、リンドウを指名する形で。
そうして長く付き合っていくうちに、アカネはリンドウという人物を知ることになる。
そして、アカネにとって。リンドウという存在が大きくなってきていた。
人間性としての面でも、そして、アカネの奥底でわずかながらに残っていた、異性としての感情でも。
アカネにとっては、リンドウとの出会いが、全ての始まりで転機であったといえる。
こうして彼と出会えたからこそ、今のアカネがいる。
おぼつかなかったはずの足取りは、しっかりと自分の両の足で立つことができ。かつて、聖女という自分によって塞がれていた視界を晴らし、前を見据えることができていると自覚している。
しかし。アカネにとって、未だわからないことがあった。
以前までのアカネであれば、それがリンドウの成すべきことなのだから、わざわざ深く考える必要もないと、そう考えていた。
無論、今でもそれが彼の責務であるということ自体は変わってはいない。少なくとも、アカネの認識としては。
だが、それと同時に。彼に救ってもらって、少しだけ、自分の感情に正直になれたからこそ、思うことがある。
リンドウの感情は。リンドウの想いは。はたして、どこにあるのだろうか。
ギルドの応接間にてアカネが待ち構えていると、しばらくしてギルドマスターがやって来る。
隣になぜかシラギクを伴っていたが、好都合ではあった。
どのみち、この話については彼女も聞き、知っておくべきことではあるだろうから。
「ギルドマスターは、リンドウのことを、いったいどうするつもりなの?」
投げかけた質問に、ギルドマスターがわずかに肩を反応させる。
ギルドマスターが悪意を持ってリンドウに接していないことは理解している。もしそうであったなら、アカネがとうの昔に彼からリンドウを引き剥がしていた。
そうしなかったのは、彼があくまでリンドウのために動いているように、アカネの目には映っていたから、である。
だがしかし。その行動は、まるで彼の願いに反しているようにしか見えない。
リンドウは、自身を怠惰だと自称するくらいには、己が功績を得ることを嫌う。
それは、ある意味ではアカネや正教会にとってはたしかに都合がいいことではあった。なにせ、世間的な立場があり、一挙手一投足に注目が集まりかねないアカネという人物からすると、誰かに依頼を頼む、というだけでひとつの騒ぎがおこりかねない。
それが、特定人物にまるで入れ込むかのように指名で依頼を続けようものならば、それがどんな事態を引き起こすのかは明白であろう。……まあ、現に入れ込んでしまっているので、もはやまるで、ですらない事実ではあるのだけれども。
その点、リンドウは自らの功績を語らない。むしろ、報酬の条件として、ギルドと正教会に対してリンドウが関わっていることを公表しない旨をつけているくらいなのだ。
そこまでして、功績を伏せているリンドウ。それでいて、アカネのことをしっかりと見つめ返してくれる。これほどまでに、アカネにとって都合のいい人物など、他にはいなかっただろう。
だが、アカネにとって都合のいいことが、リンドウにとっての都合のいいことではない。
ギルドや正教会に口止めを行っていたとしても、どこかしらから情報が漏れるかもしれない。
それこそ、例えば護衛依頼から帰ってきたところを偶然に見られてしまい、そこから広まる、なんてことも考えられないわけではない。
リンドウがアカネからの依頼を一度二度受けた、という程度であれば、他にも事例があることではあるので、正教会やアカネにとってはそれほど痛みはない。
だがしかし、アカネという人物の持つ影響力は、リンドウの願いを殺す。
一度でもリンドウがアカネの依頼をこなしたなどという噂が立てば、それこそ、周りから様々な視線を注がれることになるだろう。
そして、それは彼の望むところではない。
だというのに。ギルドマスターは、アカネにリンドウを。そして、リンドウにアカネを紹介した。
おそらくは当時から、彼の願いは変わっていないであろう。
それでもなお、その願いに反すると理解してもなお。ギルドマスターはそれを実行していた。
なんの目的のために、と。アカネは彼の目をじっと見つめる。
アカネの隣に座っていたシラギクも、同じく、視線を反らさない。
しばらく待つと、ポツリとこぼすようにして。ギルドマスターは、言葉をもらす。
「まあ、なんだ。……俺は、正しく頑張る人間には。相応に、幸せになってほしいと。そう思ってるだけだよ」
あなたたちのような聖女であっても。そして、リンドウのような、一個人であっても、同様にね。と。
彼はそう、言葉を続けた。
「俺は昔にリンドウの面倒を見てた立場だということもあって、ふたりよりも少しだけ、リンドウのことを知ってる。あいつが、どうしてひとりなのかについてもな」
シラギクはもちろんのこと、アカネがリンドウに出会ったときには。たしかに、リンドウはすでにひとりであった。
アカネでさえ、いちおうは両親はいたし。後に、妹であるシラギクが生まれてきた。
ひとりでは、なかった。
だが、リンドウはずっと、ひとりだった。
まるで、彼がそうあることを願っているかのように。
「ひとつだけ訂正しておくと、別にアイツ自身、誰かと付き合うのが嫌とか、そういうわけじゃなあない。それなら、そもそもアカネ様たちとも付き合いを作ってないだろうからな」
「それなら、どうして――」
「……それを聞くのは、俺からではないだろう。特に昔の話など、蒸し返してほしくないものもあるだろうからな」
アカネの質問に、ギルドマスターは静かに、そう答える。
アカネも、シラギクも。彼の言葉が理解できるだけに、歯を噛むことしかできない。
「ただまあ、ひとつだけ。……そうだな、ひとつだけ。助言というか、なんというか。そういったものをさせてもらうとするならば」
リンドウもまた、囚われているのだ、と。
彼は、短く。そう言った。
「情けないことにね、俺は繋ぐことしかできなかった。でも、返して言うと、繋ぐことは、できた」
「…………」
ギルドマスターからの言葉に、アカネは、ジッと考え込む。
仮に、そうだとしたら、この人は、いったいどこまで見えていたと言うんだ。いや、おそらくは、見越していたのだろう。情けない、だなんてそんなことは、微塵もない。
全く、末恐ろしい人物を相手にしていたものだ、と。今更ながらに少々戦慄をする。
「さっきも言ったが、過去になにがあったかなどについては、語ろうとも思わない。リンドウの事情についても、これ以上は俺の口からは伝えない。でも――」
「……最初に、リンドウへの依頼はない、と。そう言っていたけれど」
アカネは顔を上げると、目の前の彼に向けて。しっかりとした意志の籠もった瞳と声音で、言葉を紡ぐ。
「ひとつ、依頼があるのだけれども」
「わ、私も……!」
シラギクも。勢い余って立ち上がりながらに、真っ直ぐな瞳でそう言う。
今までのシラギクであれば、アカネがそうしていたから私も、というような意味合いであったその言葉も。しかし、今の彼女の表情を見ればそうでないことははっきりとわかる。
覚悟のある、表情をたたえている。
「……おふたりとも。いい、表情をするようになったじゃないですか」
穏やかで、どこか安心したような表情を浮かべたギルドマスターは、聞きましょう、と。そう言い。そして、依頼を受理する。
相変わらずの、聖女という強権を行使した、無理やりな依頼。リンドウからの文句が飛び込んできそうなそれではあるが。
しかし、今までとは違い。少女たちの想いがたしかにそこにある。
「俺に、できなかったことを。あなたたちに託します」
「ええ、任されたわ。……そういえば、ギルドマスター。貴方からも、頼まれごとをするのは初めてね」
「そういえば、そうでしたね。よろしくお願いしますよ。稀代の聖女様と、そして新人聖女様」
聖女として認められたばかりのシラギクはともかくとして、行く先々で頼られることがほとんどであるアカネにとっては、リンドウやギルドマスターのような存在が稀有である。
余裕のある笑みを見せてくるギルドマスター。
やはり、彼はわかっていて、ここまで立ち回ってきていたのだ。
そして、アカネとシラギクは。そんな彼から、託された。
彼が、なんとか繋いだものを。
ならば、しっかりと応えるべきだろう。
聖女として。少女として。
そして、リンドウに助けられた者たちとして。
「頼んだよ、ふたりとも」
ふたりの聖女を送り出しながら、ギルドマスターはそうつぶやいた。
引き受けたその依頼。それに付随して巻き起こる事象。これからの騒動を考えれば、気が重たくなるところがなくはないが。
しかし、その表情はどこか晴れやかだった。
「少女が、自らの意思で、己の想いで。前に進むために動き出しているんだ」
彼女たちの進む道には。その立場ゆえの、あまりにも大きすぎる障害が立ちはだかっている。
けれども。彼女たちは、前に進むことを決意した。
自らの意思に、己の想いに、従って。
自分自身の願いを。そして、想う人の願望を、叶えるために。
ふたりの少女は。今まで、たくさんの人間たちの願いを聞き入れ、受け入れ、押し付けられてきた彼女たちが。
己のために。姉妹のために。
そして、自分たちのために。
初めて、希う。
「なれば、その道を少しでも支えてやるのが、大人の役目というものだろう」
それが、たとえ褒められた道ではないとしても。
彼女たちが、選んだ道なのだから。




