#39
幻影は、ついに通った攻撃にひと息をつきつつ。まだいる本体へと視線を向けようとする。
素の実力だけで言えば幻影のほうが優勢ではある。だが、気を抜けば対峙できないというのも事実。
だからこそ、リンドウの存在がとてつもなく厄介だったのだが。
そこまで考えかけて。なにか、猛烈な違和感を覚える。
お互い、リンドウの存在が勝敗に左右されるということは理解していた。
だからこそ、リンドウの損失が実質的な負けにつながる。
だと、いうのに。先刻のリンドウは、目の前にまで迫った攻撃に対して回避する素振りを見せず。アカネも、それに対応してはいなかった。
攻撃の過程、不意に見舞われた幻影の置き土産もあり、行動途中からの対応が間に合わなかった、と考えることもできなくはないが。それにしても、一切防御行動を取ろうとしていなかったのには少しばかりの違和感がある。
たとえば。それこそ、最初からかわす気がなかったとか。そういうような、気が。
先程、幻影ははたして、本当にリンドウを斃したことを確認したのだろうか。
限界を迎えればその実態を霧散させ、聖霊へと姿を戻す幻影とは違い、リンドウは実在する人間である。
だからこそ、斃したとしてもそこに実体が残るはず、なのだが。
穿った岩へと視線を移す。同時、幻影は瞠目する。
そこには風にはためく外套はあれども。
しかしながら、リンドウ自身の身体が、ない。
どうやったのかは、わからない。けれど、ひとつだけ確かな事実は目の前の状況。
リンドウが、いない。視界からすでに外れている。
ならば、警戒しなければならないのは。反撃。
リンドウの身体は小さくない。なんなら、幻影の体躯よりも大きい。
彼女の前方の視界には飛び出した岩石とそれに突き上げられた外套。あと、アカネの姿はあれども、リンドウの姿はない。
で、あるならば。やはり――、
くるり、と。後ろへと振り返る。
リンドウがどうやってあの攻撃をかわしたのかはわからないけれども。しかし、左右どちらかにかわしたのであれば、そのまま幻影の後方に回り込まれている可能性が高い。
先刻も、それで窮地に追い込まれた。
しかし、そこにもリンドウの姿はない。
一瞬困惑が生まれそうになった幻影だが。しかし、その思考が長く続くことはなかった。
「――ッ!」
頭上から襲いかかってくる、岩石や樹木といった重量物。
リンドウの追撃よりも先に、アカネからの追撃が見舞われる。
あまりにもリンドウのことを重視しすぎていて、警戒がおろそかになっていた。
先程、自分自身で気を抜いていては対峙できない相手であると改めていたはずなのに。
アカネからの追撃をなんとか捌きつつ、リンドウを探す。
さっきは、これで幻影の回避場所を潰されて、そのまま窮地に追い込まれた。
で、あるならば。どこかにリンドウが潜んでいて、気を見ていると考えるのが自然で。
――実際、その思考は間違っていなかった。
「全く、とんでもない妨害が入っちまったもんだよ」
リンドウの、声がした。
だが、しかし。なにかが違う気がする。
「予定は多少狂っちまったが、どうやら――」
しかし、その異変よりも先に。今は対処を優先しなければ。
回避をするならば、まずはどこから来ているかを把握しないといけなくて。
声がする方向は、後ろ。……後ろ? さっき、そっちにはリンドウはいなかった、はず。
どこかのタイミングで再度に回り込まれた、というのも、ずっと警戒をしていた幻影の目をかいくぐる必要がある。考えにくい、けど。
今は、それよりも攻撃に対処をする必要があって。
再度、幻影が振り返ってみるも。しかし、そこにリンドウの姿がない。
疑問ばかりが湧き上がってくるその中で。
その答えを突きつけるかのようにして。
「――賭けは、俺の勝ちみたいだな」
真下から、リンドウの声がした。
* * *
どうやって、幻影の不意をつくか。それが、最大の問題だった。
しかし、彼女から俺への警戒が最大級に高まっている以上、それは簡単なことではない。
幻影の意識を他のことに向けさせておきながらに。加えて、彼女の視界から完全に逃れる必要があった。
生半可な動きでは。そして。中途半端な覚悟では。彼女が想定していない場所へと潜り込むことなど、不可能だった。
……だからこそ。覚悟を決める、必要があった。
幻影から受けた傷が痛み、それによって動きを止めることになってしまったのは想定外だったが。しかし、真っ向から幻影の攻撃へと、俺自身の回避が不可能な距離まで接近するのは、そもそもの想定内。
予定は狂ったが、計画は狂っていない。
狂っているとするならば、計画自体だ。
現に、幻影は俺に確実な一撃が入ったと確信して。僅かな一瞬のみではあるものの、意識をアカネへと向けた。
勝負というものは。たとえ僅かではあろうとも。その一瞬が、運命を分かつ。
違和感に気づき、俺へと警戒を戻したタイミングには、既にその姿がない。
至近には、俺の体躯を隠せるような場所はない。そう判断した彼女は、先刻の攻防を思い出し、後方へと意識を向ける。――都合、回り込み、背後を取る。というだけでは十分な隙を確保はできない。
だからこそ。そもそも、回り込んでなどいない。
だが、彼女が後方へと警戒を移したように。俺の身を隠せるような遮蔽物は、そこにはなかったはず、である。
……俺の身体が、そのままであれば。
身体の違和感を無理やりに矯正しながら、しっかりと、愛刀を握り込む。
なるほど、たしかにこれは、感覚が大きく変わる。
視線の高さや、手足の振り幅。あらゆる要素が、まるで、昔に戻ったかのような、そんな違和感。
いや、まるで、というのは正確ではないだろう。
実際、当時のように。なっているのだから。
身体に合っていない衣服。裾が動きを阻害しようとしてくる。
とてつもなく邪魔だが、そんなことに気を遣っている時間はない。
文字通り、一回きりの大勝負。一か八かの賭けなのだ。
強引気味に身体を動かして。そして、幻影の懐。彼女の真下へと潜り込み。刀を逆手に持ち変える。
俺の声に気づいた彼女は振り返るが。しかし、その視線の先にはもう、俺の姿はない。
幻影よりも大きな俺の体躯であれば、多少下に潜り込んだところで見落とすこともなかっただろうし。そもそも、その前に彼女に見つかるだろう。
だが、幼く縮んだ身体であれば、話が変わる。
ギリギリまで岩を引きつけた上で、アカネが俺を子供の姿に変化させた。
外套からは俺の身体がするりと抜けて、空中に残ったそれに対して、岩が穿たれる。
幻影視線が外套やアカネに向けられている隙に、小さくなった身体で岩陰を遮蔽にして、彼女からの視線を切った。
そして、完全に幻影の意識外から。彼女の懐へと潜り込んだ。
当然。その途中、どこかの過程で偶然に幻影の目に止まってしまえば作戦自体が破綻する。
そして。失敗は、即ち負けを意味していた。アカネとは違い、幼い身体に慣れる時間も無ければ、丈のあっていない衣服は行動を阻害する枷となる。
彼女が俺を倒したと勘違いせず、一瞬だけでもアカネへと意識を向けなければ。あるいは、穿ったのが外套のみであると気づいた時点で即座に後方を警戒せず、入念に探していれば――、
失敗の可能性は、いくらでもあった。
だが、その賭けに。俺たちは勝った。
動作の違和感に対して、逐次修正をかけながらに、俺は幻影の身体を真下から垂直に切り上げる。
これまでで、一番深くまで入った攻撃。――だが、
「まだ! 幻影のときみたいに、霧散してない!」
「わかってる!」
斬った俺自身が、一番理解している。
不意打ち自体は成功していたが、やはり身体の感覚のブレが少なからず影響していたようで。攻撃の芯が、ややズレていた。
だが、今の攻撃のダメージは間違いなく大きく。幻影は身体を硬直させている。
傷の再生ができるとはいえ、俺の傷が完全に塞がってからないのと同様に。あくまで治癒を促進させるだけであり、即座に回復するほど万能ではない。
刀を持ち変えて、大きく、振り上げる。
今度こそは、確実に。
「――ッ」
息を呑む幻影と、目が合う。
躊躇いは、しない。必要だと、理解しているから。
斜めから幻影の身体を袈裟に斬り下げる。
痛みを叫ばないだけ、いささか、感情は楽である。
苦悶の表情を浮かべた幻影だが。どこか、一瞬穏やかな顔をして。そして、聖霊へと、その姿を戻す。
弾けた光は、いくつかは俺に近づいてきて。触れると、泡沫のように消えてしまう。
残されたのは、荒れに荒れた聖域と。そして、幼い姿の俺とアカネ。
「終わった、のか?」
「うん。幻影は、斃した。聖霊の設定した試練は、完遂された。間違いなく、君の勝ちだよ」
その見た目の幼さには全く以て似合わない、余裕のある笑みを浮かべながらに。アカネがそう言ってくる。
「いや、違えよ。俺と、お前の勝利だ。……とてつもなく、不本意だが」
「……ああ、そうだったね」
そう答えるアカネの表情は。どこか、満たされているように見えた。
「ともかく、また変に聖霊から絡まれないうちに聖域から出るぞ、アカネ」
「試練をクリアしたのだから、別に急ぐ必要性もないとは思うよ。それこそ、性交してからでも」
「……別の問題が発生するだろ、それは。それに、そもそもしないぞ」
ともかく、早くに帰るぞ、と。足を進ませようとした、その瞬間。
ぐらり、と。視界が傾く。
「リンドウ!」
アカネの叫ぶ声が聞こえるが、遠く、遠くに感じられる。
返事をしてやりたいところではあるが、力が入らない。
暗くなっていく視界の中。アカネの姿だけはなんとか捉えようとしながらに。
俺は、その場に倒れ込んだ。
* * *
「……全く、いらない心配をかけさせないでほしいね」
やや困り眉になりつつも。しかし、どこか笑顔でアカネはそうつぶやく。
格上の相手との、二連戦。それも、両者ともに理不尽を体現したかのような存在。
その上、終盤は背中に傷を負いながら。そして、慣れない幼い身体を無理やりに動かして。
なんなら、たとえ魂魄の聖女の権能によるものだとはいえ。身体を幼くさせるのには、負担がかかる。その上で、彼は戦い続けた。
限界なぞ、とうに迎えていたのだろう。
だが、彼は自身に課したその使命を達成するために。限界を超えて、動き続けていた。
単に。緊張の糸が切れて、身体もそれに従った、というだけである。
「……もう。こんな無防備な姿を見せて。私にどうされてもいいのかな?」
なんて。聞かれていないからこそ、言えるような戯言。
別に意図をしたわけではないが。リンドウの姿も、十やそこらの年齢のものになっている。つまりは、アカネと出会った頃の姿。
アカネ自身の見目も相まって。どこか、昔に戻ったかのような、そんな感覚がする。
まあ、見た目だけで。お互いの関係性などは大きく変わっているのだけれども。
「本当に、君という人は私の想定外を引き起こし続けるね」
冗談でもなんでもなく。アカネがここに来たのはリンドウと子作りをするためだった。
だというのに、子作りが達成されることはなく。その代わりに、なぜかアカネの心が救われることになった。
初めてあったときだって、ギルドからの紹介だったし、同世代だとはいえ実力はあるのだろうとは思っていたが。それがまさか、ここまでの付き合いになるだなんて、思っていなかった。
リンドウといると、どうにも調子が狂わされる。思い通りにことが進まないし。感情だって、乱される。
けれど。それが心地いい。
なにもかもがままならないけれど。それがどうして、楽しくて、愛おしくて、たまらない。
ただ、ひとつだけ。いただけないことがあるとするならば。
リンドウの言うとおり、私が恋したリンドウは、私のことを嫌いなリンドウである、ということ。
しかし、それはそれとして。アカネとてひとりの少女である。たとえ、聖女などとまつりあげられようとも。
リンドウが、言ってくれたように。アカネは、少女なのだ。
好かれたい、であるとか。愛されたい、であるとか。
そういう感情だって、人並みにはあるのだ。
「こうなってしまった責任。しっかりと、とって貰うからね」
……まあ、言いたいことは山ほどあるけれども。今は、リンドウも意識を手放している。
疲れから来た気絶ではあるものの。やり切った、ということは間違いなく感じているのだろう。その、穏やかな顔をそっと、撫でる。
今は、とりあえず。彼のこの寝顔を独り占めしよう。
いろいろ考えるのは、あとからでいいだろう。




