#38
「さすがに、三回目は許してくれないか」
拒絶するように押し付けられた巨大な岩石を刀で受け止めつつ、俺はそう吐き捨てる。
アカネからの補助を受けつつ、幻影へと接近――したのだが。差し向けた攻撃は彼女に届くよりも先に防がれる。
半端な防御は剥がされる、同じ手立てでは防げない、ということを幻影に学習されたということもあるし。加えて、幻影が倒れたことを皮切りにして幻影の様相が変わった、ということもある。
攻撃が通らなかったと確認するや否や、すぐさま一度距離を取る。
アカネのすぐそばまで退避をすると、彼女は「どうにかやれそうか?」と、そう尋ねてくる。
「さっきまでと同じじゃ無理だな。こっちの動きに対応できているわけじゃないが、経験によらない実力差で無理矢理にその差を埋めてきやがる」
予測からの防御が間に合わないのであれば、いっそ予測などせず、最初からより広い範囲に全体防御を敷けばいい。どうやら、先刻のことでそれを学んだようだった。
煩雑で非効率なやり方ではあるが、幻影の実力ならばそのくらいの効率の悪さは踏み倒せる。
ゴリ押し気味ではあるものの、ある意味この場における正解の手である。
「ちなみに聞いておくが、あの防御を剥がすのは無理そうか?」
「……不可能とは言わないけど、かなり厳しいだろうね」
先程までの幻影とは違い、警戒の度合いやこちらに対する攻撃の差し向け方などが大きく変化した現状、アカネは俺へと向けられる攻撃を捌くので手一杯になっている。
事実、先程から幻影側の抵抗の攻撃のいくつかは打ち漏らされていて、俺の方に飛んできていたりしている。まあ、十分に回避ができる程度であるが。
しかし、現状でこれなのだ。幻影の方が油断する、なんてことが起これば可能性はなくはないが、そんな甘い期待はしないほうがいいだろう。
「せめて。シラギクがいれば、話は少し変わったんだろうけどね」
「……まあ、仮に防御を剥がせたとしてもその先の一手が続くか、というところも難しいんだがな」
半端な攻撃では回復をされてしまう以上、一気に畳み掛けてとどめまで刺しきらなければならない。
しかし、いくら戦闘経験の浅い幻影とて、同じ手にかかるほど甘い相手ではない。
十分な隙を生み出すためには、幻影に対する初撃や、幻影に防がれたものの二撃目のように。いや、それ以上に彼女の意表をつく必要がある。
「しかし。それにしてもよくその格好で満足に動けているな」
幼いままの姿で、幻影からの攻撃をひょいひょいとかわしてみせるアカネに俺はそう言う。
アカネが着てきていた衣服は今の体躯に合うように改造を施してしまったために元の姿に戻ることが現在できていない。
それが支障をきたしているのではないか、と。そう、思ったりしたのだが。
「それこそ、この姿になってすぐの頃は多少違和感なんかもありはしたけど。もう一日以上も経つわけだし、その間にも動き回っていたからね」
「それもそうだが、筋力なんかも子供なりになったりはしていないのか?」
「まあ、一切影響がないとは言わないけれど。実際のところは、見た目に完全に準じているというほどでもないよ」
存外にも、影響自体はそれほど大きくなかったらしい。
曰く、アカネの少女化は若返っているというわけではなく、見目が幼くなっているだけ、という方が正しいのだとか。
それゆえに、たとえば疾病が巻き戻るようにして治ることもなければ、寿命なんかが伸びるわけでもない。あくまで身体自体は時間通りに進みながら、見た目が幼くなるように変化していったものなのだという。
だから、身体が幼くなるに従って、そのサイズが小さくなるためどうしようもなく減ってしまう筋肉などもありはするが。逆に言うと、それ以外については比較的以前のままを維持できているのだとか。
要は、現在の身体機能を子供の体躯に無理矢理に押し込めて。どうしてもあぶれてしまう分についてのみが反映されない。という感じらしい。
「それに。加えて知識や経験といった、直接の身体機能に依らないものについては変わらずだからね」
例えば、彼女の持つ権能。幼くなった現状でも、大人のアカネが扱っていたものと同等のものを扱えている。
実際、俺の想像で補正されているはずの幻影としのぎを削ることができているように。
加えて、彼女の権能が世界をアカネに味方させているという事実もあり。幻影からの攻撃に対処する程度であれば問題ない、ということだろう。
「それに、今はリンドウが引きつけてくれていることもあるしね。……まあ、そのせいで反撃の一手を生み出しにくくもなっているんだけれども」
事実として、現在の幻影からの攻撃は、やや大人しくなっている。
それはこちらに対して手加減をしている、とかではなく。むしろ、その全くの逆。
幻影が攻撃に割いていたリソースを防御に充てているがゆえの事柄であり。つまり、現在俺たちの攻撃が通らなくなっている主要因。
「特に、君の攻撃に対処するための防御については、私の反応速度では対応できないしね」
幻影が戦闘慣れしていないように。当然本体であるアカネもまた、戦闘の経験値は浅い。
わかりやすい一発二発ならまだしも。その場その場の状況に合わせて臨機応変に幻影が展開するような攻防に対して、予測を交えつつ対応しろという方が土台無茶な話である。
そもそも、先刻から幻影の防御がより堅牢に、そして激しくなっている現状。
アカネからの支援では打ち漏らしが発生してしまっている今よりもより苛烈になってしまえば、俺の回避も間に合わず、接近すらままならない最初の状態に逆戻りをしてしまいかねない。
「……シラギクがいれば、か」
ふと、先程アカネが漏らしていた言葉を思い出す。
ここに、彼女がいないというのはどうしようもない話ではある。
だが。
「……アカネ、聞きたいことがある」
俺が尋ねたことに、アカネは目を丸める。
「それ、は」
「できるか?」
少し戸惑った様子を見せるアカネに、俺はそう質問を被せた。
状況は少し違うが、アカネがやっていたことである。
もし、できるのならば――、
「……失敗したときのリスクはたしかにあるけど、でも」
「そんなことを言っていられるような状況でもない」
「……たしかに、賭ける価値はある、かもね」
どのみち、このままだと一切の手立てが通用しなくなってしまいかねない。そうなると、本格的に詰みになりかねない。
なら、やれるかやれないか、ではなく。
やるしかない、のだ。
「リンドウ、覚悟はいい? どうあがいても、チャンスは一度だけ。失敗したら、二度はない上に、一気に劣勢どころじゃないレベルで追い込まれる」
「ああ、言われずとも」
そもそも、提案をしたのは俺自身だ。
リスクは承知の上である。
「タイミングは私の方が合わせる」
「頼んだ」
外套を少し緩めながらに、俺は正面を見据える。
背後では、アカネが集中している。
「行くぞ!」
「わかった!」
俺が駆け出したと同時、アカネも支援の準備を始める。
当然、幻影の側も黙っているわけではない。
幻影への接近しようとする俺を拒むようにして、丸太が勢いよく飛んでくる
しかし、俺が丸太を回避するよりも早く。別方向から飛んできた岩石によって丸太は軌道を反らされ、当たることはない。
「うん。これなら、十分に対処できる」
アカネがギュッと拳を握りしめながらに、力強く、そう言う。
無論、飛んでくる攻撃はそれだけではない。
世界の意思に加えて、幻影自身もが攻撃という名の防御に徹している現状。先程よりもずっと苛烈な波状攻撃が飛んできている。
……だが、
「さっきまでの私と、同じと思わないでね」
それらの攻撃を、アカネは容易く打ち払う。
対処されること自体は想定していただろうが。しかし、こうも簡単には打ち破られるとは思っていなかったのだろう。幻影は少々驚いた様相を見せる。
実際、さっきは打ち漏らしが俺に到達していたというのに。それよりも勢いを増しているはずの今の攻撃が対処されているのだから。驚くのも無理はない。
「なにせ、リンドウから愛の結晶を受け取ったからね!」
「ややこしい言い回しをするんじゃない」
そもそも、愛も関係なければ、結晶ですらない。
先刻、アカネは言っていた。
『せめて。シラギクがいれば、話は少し変わったんだろうけどね』
と。
それは、決してシラギクがなにか行動をすることによって変化が起こる、というような意味ではなく。
シラギクが近くいる、という状況が、欲しかった。という話である。
シラギクが近くにいることで起こる変化。それほ、至極単純な話。
アカネが、全力を出すことができるようになる。
そもそも先程までのアカネが行ってくれている支援自体、彼女の持つ魂の聖女の権能を拡大解釈して扱っている。
その点、魄の魂の権能であれば実在物体に直接に干渉できるために扱いが良くなる。
事実、これまでのアカネは必要な際にはそうして彼女の力を借りていたわけで。そして、現在のアカネはその供給源を絶たれていた。
だから、フルパワーで動くことができなかった。
……だが、アカネはここ聖域に来てから。シラギクがいないにもかかわらず、魄の聖女の権能を行使している。
彼女の身体を、幼く変貌をさせたときである。
そして、そのとき彼女に魄の聖女の権能を与えたのは――、
そう。俺が彼女に渡した――もとい供給しているのは、魄の聖女の力。
どのみち、現在の俺では魄の聖女の権能は扱えないのだ。
ならば、多少効率が悪くたって、アカネに使ってもらうほうが余程合理的である。
「――――ッ!」
幻影の表情が、歪む。危機を察知して、彼女はより、攻撃を激化させる。
更に積み増されて繰り出される攻撃の圧に。しかし、アカネも一切引けを取らない。
俺の前を塞いでいたはずのそれらは取り除かれ、幻影へと続く道が切り開かれる。
「行って、リンドウ!」
アカネの声に背を押され、俺の身体が放たれた矢のように前へと一気に加速する。
接近を拒むようにして、幻影は地面を突き上げるようにせり出させる
一撃目、左に少し移動して躱す。
二撃目、足元に出現したので、飛び上がってから、足場にして更に前に加速する。
三撃目、強い焦りからか、正面一面を覆うような土壁が出現する。
しかし、準備をしてくれていたアカネが土壁に丸太をぶつけて、俺が通れるだけの隙間をこじ開けてくれる。
世界が俺の行動を拒むように、行く手を阻むが。しかし、アカネがそれらを跳ね除ける。
「至近まで接近できれば、こちらのもの」
不安定な足取りで二、三歩後退りをする幻影。しかし、逃げようにも俺の移動速度のほうが速い。
「これでっ!」
幻影に近づき、愛刀で横一文字に斬り払う。
彼女はなんとか、それをギリギリでかわす。
幻影が、体勢を崩す。
好機が、生まれる。
「アカネ!」
「わかってる!」
この一回を逃すと、次はない。アカネの名前を呼びつけつつ、刀を逆手に持ち替えて。刀を斬り返す要領で幻影へと――、
ズキリ、と。背中に痛みが走って。思わず、身体が一瞬固まる。
痛みの正体など、考えるまでもない。
幻影からの、置き土産だ。
退場したんだから、大人しくしてろよ。全く。
斃れてもなお、幻影のことを守ろうとするその意志には。どうにも共感のような不思議な感覚が湧いてしまうから、嫌なものである。
痛みで一瞬動きが止まったものの、行動が中断された、というわけではない。
俺が仕掛けていた攻撃は継続していて。
そして。
「リンドウ!」
アカネが、俺の名前を呼ぶ。
瞬間、眼前に迫っていたのは。突き上げるようにして飛び出してきた岩石。
幻影は、たしかに体勢を崩していた。だが、同じ手を二度も食らっているのだ。
アカネからの想定外の妨害を喰らいつつ、不意をつかれながらも。しかし、先の攻撃の直後に対応できなければやられる、ということは重々に理解していた。
俺の身体が固まったのは、一瞬だった。
だが、幻影が作り出した、最後の一瞬でもあった。
――勝負というものは。たとえ僅かではあろうとも。その一瞬が、運命を分かつ。
だからこそ。幻影は、与えられたほんの僅かな時間の間で無理矢理に体勢を立て直して。
そして、防御であり、同時に反撃となる攻撃に移行した。
それは、既に攻撃に移行していた俺のすぐ目の前にまで差し迫っていて。
間違いなく、モロに食らう位置関係。
アカネがこの攻撃を打ち払うことも、間に合わない。
体中に、違和感が走る。
視線が、大きく動く。
穿つようにせり出してきた岩石によって、勢いよく突き上げられた真っ黒の外套が、バサバサッとはためいた。




