#37
俺は愛刀の切っ先を間違いなく幻影に差し向けると、彼女に向けて突進をする。
素の戦闘能力自体は低くこそないものの、決して高いとは言えないアカネ。それゆえに、彼女との距離自体の詰まり方は非常に早い。
その一方で、そう簡単に詰まる、とは限らないが。
幻影は特段こちらの攻撃に対処するような素振りは見せず、反撃の準備だけを進めていた。
こちらの攻撃が届くことがない、という驕りからくる行動である。
実際、俺ひとりの力では到底届くことはないだろう。事実、幻影がなにをするまでもなく、世界のどこかしらから、俺に向けて岩石やら丸太やらが飛来してきている。
これらを無視することは当然できないが、しかし対処にリソースを割くと幻影に近づくことができないどころか、現在彼女が準備をしている攻撃の格好の標的となりかねない。
まさしく、世界が彼女に味方をしている。
それくらいに、幻影という存在は無法であり理不尽な存在である。
だが、理不尽はなにも。幻影だけの特権、というわけではない。
「――ッ!?」
幻影が、まるで想定外、とでも言いたげな表情を浮かべる。
正面から、後方から、左右から。あらゆる方向から重量物が接近してきている現状に。
俺は、一切気に留めることなく。真っ直ぐに進み続ける。
このままでは目の前に迫ってきている岩石をモロに喰らうことになる。
圧倒的な質量による攻撃は、単純ではあるが非常に強力。
俺もそれなりに頑丈な身体はしているものの、こんなものをまともに喰らえばただでは済まない。
だからこそ、幻影は俺が回避なり防御なり、なんらかの対処をすると考えて、反撃の準備をしていた。
「だが。ただでは済まない、というのは。あくまで俺が岩石を喰らえば、の話なんだよ」
俺が、岩石と正面衝突をする、その直前。
別方向から飛んできた丸太により、岩石が弾き飛ばされて。
その光景に、幻影は思わず目を丸めていた。
「全く。進行方向の露払いに聖女を使おうだなんて、随分と贅沢なものだね」
「自分から提案してきたようなものだろうが」
後方から飛んでくるからかいの声に、俺はそう返す。
『もし、世界が幻影に味方をしているというのなら』
先刻、彼女から伝えられた、その言葉。
『リンドウ、君には私が味方をしている』
そう。俺は、なにもひとりでは戦ってない。
あちらが理不尽を押し付けてくるのならば。こちらも、同等の理不尽を押し付けてやればいい。
「さあ、行け。リンドウ!」
「言われなくても!」
アカネによって、道が切り開かれる。
狼狽した幻影は準備していた攻撃を防御に転用しようとするが。残念ながら、幻影に理不尽が味方をしているように、現在の俺にも理不尽が味方をしている。
地面から突き上げるようにして飛び上がってきた岩石が、その防御を剥がす。
これで、幻影と俺の間を阻むものは、なにもない。
アカネ自身の戦闘能力自体は、高くはない。
初撃の突きをかわしてくる程度はやってくるが、それが精一杯。
回避することに全力で、その次が繋がっていない。
不安定な体勢となったアカネに対して、俺は刀を逆手に持ち替えて、そのまま横一文字に刀を振り抜く。
「……致命とまではいかないか」
たしかな感触とともに、間違いなく、幻影を斬りつける。
だが、無理やりな体勢からではあったものの、強引に回避に繋げた彼女は、攻撃を受けつつも急所はかわす。
そして、それとほぼ当時。拒絶するようにして、至近の地面から突き上げる形で地面がせり出してくる。
「権能自体は、身体機能とは少しズレたものだっていうのが厄介だな」
幻影自身の回避能力であるとかについてはダメージを受けた分だけ低下する可能性はあるが。彼女の攻撃は権能によるものであり、彼女の身体機能にはほぼ依存しない。
それゆえに。先程の幻影のように、腕を負傷したから攻撃が弱まる、なんてことがない。
……それに。
「やっぱり、一撃で仕留めないとダメだよな」
斬りつけた傷が、徐々に癒えているのが見える。
ただでさえ攻撃を叩き込むのにひと苦労するというのに、その上で一撃を強いられるとは。随分な理不尽である。
「だが、攻撃は届く」
先程までは、ゼロであった攻撃。それではいつまでたっても劣勢を強いられ続けるところに。
わずかであっても攻撃を差し込める余地が現れたのだ。この差は大きい。
それに、幻影自身の戦闘センス自体は、高くない。
一度見せた攻撃であっても。それなりに対応しては来るだろうが、幻影のように完全に順能はしてこないだろう。
「もう一度行くぞ、アカネ」
「わかった」
アカネと意思の疎通を取りながらに、俺は再度接近をする。
先刻のこともあってかかなり警戒はしている。
だが、それは防御が可能、ということとは同義ではない。
「……なるほどね。たしかに、キチンと戦う練習などはしておいたほうがいいんだろうね」
「そもそも、聖女に戦う機会があるのかどうかという話だがな」
アカネの言葉に、俺はそう返す。
アカネからの援護もあり、互いの理不尽が相殺されている以上、俺と幻影の単純な対峙。
今回は最初から防御のために権能を行使していた幻影ではあったが。せいぜい、数発の俺の攻撃を凌ぐ程度。
元より、防御や回避は勝手に世界が成立させていた都合、幻影自身は経験が浅い。
だからこそ、予め構えられていたとしても。
「そこだっ!」
生まれた幻影の隙に、差し込むように刀を突く。
一撃だけでは、やはり急所は避けられる。これでは、先刻と同じ。
だが、俺と幻影とでは、経験値が違う。
先程は、ここで即座に防御を兼ねた攻撃を展開されたために退避を強要された。
幻影の咄嗟の判断は、先程俺を退けることに成功した――同じ行動を繰り返す。
さっきはこれでうまく行ったのだから、思考としては仕方の無いところではある。
だが、それが来る可能性については、こちらも十分に鑑みていた。
回避の用意は、済んでいる。
「アカネッ!」
「本当に、君は聖女使いが荒いね!」
俺が幻影からの反撃を予測、そして回避すると同時。
アカネが準備していた岩石を幻影に対して放つ。
世界がそれを拒むがゆえに、幻影までは届かないが。しかし、それらの岩石は彼女の十分近くに落下する。
それこそ、幻影が満足に動けない程度に。
これなら、幻影の身体能力程度では、かわせない。
確実に仕留めるために、一瞬の呼吸を置きつつ。彼女に向けて急接近。斜めから、幻影へとその刀を振り下ろして――、
ギンッ、という。
剣戟の音がする。
アカネは、無手だ。正確に言うならば彼女の武器はその権能と、それによって扱われる岩石や丸太といった重量物だが、なにか武器を持っている、というわけではない。
だからこそ、彼女との攻防で剣戟の音がするはずがない。
つまり――、
「まあ、来るよなあッ! 幻影ッ!」
「――――ッ!」
腕も、脚も。繋がっているだけで十分に機能しているとは決して呼べないような状況。
それでもなお、幻影はその身体を無理矢理に動かして。俺と幻影の間に割って入り、攻撃を防御してくる。
まるで。……いや、紛うことなく。幻影を守るようにして。
「……まさか、幻影の権能が、幻影までを動かしてみせたっていうの!?」
「いいや、違う」
アカネのその分析に、俺は否を返す。
ガチガチと鍔迫り合いの音がするその最中で、こちらを射殺さんとばかりの視線を送ってくる幻影。
自分自身が相手だから、よくわかる。
これは、他の誰かに強制されて。あるいは、なにかに突き動かされるようにしてやっているものではない。
幻影自身が、幻影自身の判断で。死に物狂いで動いている。
理由は単純。そこに、幻影がいたから。
共闘関係ではないとか、深く踏み込みたくない相手とか、そんなことは関係ない。
幻影が、ピンチだったから。
それを見過ごすことなど、できなかったから。
ただ、それだけ。
「しかし、アカネ。テメエ俺に対してどんな印象を抱いてるんだよ」
目の前の幻影を見ながらに、俺はそう吐き散らす。
立っているのもやっとであり、左腕は辛うじて繋がっているという状態。なんなら、ほぼ千切れていると言ってもいい。
「……ああ、そうだね。たしかに、私の想像する、リンドウそのものの姿だよ。なんだかんだと仕事に対して不満は抱いていても、困っている人を見過ごすことはできず。助けるためならば、どんな壁でも乗り越えてくる。そして」
どこか、心の中で。アカネ自身のことを。助けて欲しいと、願っていた。
そんな彼女の心の裡を映し出したのが、幻影だった。
生きている、というよりかは死んでいない、という状態のはずなのに。
死に物狂いの幻影は、とてつもない強さを誇っていた。
守る、ために。
「だから、先に。そして確実に、倒し切っておきたかったんだよ」
鍔迫り合いに押し勝ち、幻影を突き飛ばしながらに俺は言う。
当然といえば当然なのだが、幻影は万全の状態ではない。先刻の対峙の際には鍔迫り合いに押し負けたが、今回が勝てているように。
間違いなく、強さは半減している。だというのに、危険度が跳ね上がっている。
幻影を守る。ただ、それだけのために幻影はその死力を尽くしている。
「……でも、危うい強さだね」
「ああ。俺も、経験があるからよくわかる」
たとえ腕が引き千切れようとも、足がねじ曲がろうとも。その命を賭してでも、自身のやるべきことを成し遂げようとする。
今の幻影が発揮している力は、そういうものである。
「幻影。それが、お前のやるべきことなのはよく理解してるよ。だがな」
刀の切っ先を差し向けながらに、俺は言葉を、放つ。
「でも、こっちも譲れないんだ。だから、押し通らさせてもらう」
大きく一歩を踏み出して、俺は接敵。
無論、幻影からの攻撃、もとい妨害も入ってくるが。俺が反応するよりも先に、アカネがそれらを撃ち落としてくれる。
お前はそっちに集中しろ、ということだろう。
幻影へと距離を詰め、順手に握った刀を斜めに振り下ろす。
当然、幻影もそれに対応してくる。刀同士がぶつかり合い、甲高い金属音が木々の合間で反響する。
弾かれるように刀が離れて、次の攻撃へと移行。
動き出しも、動く過程も。間違いなく俺のほうが速い。幻影が構えを直すよりも早くに、こちらの攻撃の準備が整う。
順手のままで、そのまま再度刀を振り下ろし、袈裟斬りを入れて――、
「がっ……」
「リンドウッ!」
背中に、熱さにも似た感覚が線状に走る。
後方から、アカネの叫びが飛んでくる。
考えるまでもない。背中を、斬られた。
たしかに、俺は幻影の正面を斜めに斬りつけた。
だが、今の幻影は己の身よりもアカネを守ることを優先している。
それゆえに。攻撃を躱せないと判断するや否や、刺し違える方向に行動をシフトした。
「自分ながらに。その思い切りの良さが、本当に厄介だよ」
歯を食いしばりながら、なんとか体勢を取り直し、幻影へと振り返る。
先刻までのアカネからの攻撃に加え、今の袈裟斬り。
倒れ込みこそしていないものの。膝をつき、腕を立て。立ち上がることすらままならないその様相を見るに。さすがの幻影も限界、というところである。
「……お前は、よくやったよ」
俺は小さく、幻影を評した。
間違いなく、自身のやるべきことを。自身の手札の中でやり切っていた。
アカネと幻影の対面では幻影が有利を取る以上。アカネを守る、というその一点を達成するならば、俺を倒すのが最短であり最善の選択肢である。
それこそ、刺し違えてでも。
結論からいえば、達成には叶わなかった一方で。しかし、間違いのない痛手を与えてきていた。
限界なんてとうに過ぎているであろう、その腕と脚で。
「お前は十分にやりきった。だから、安心しろ」
そう言いながらに、俺は幻影へと刀を振り下ろす。
直後、幻影の身体は淡い光へと変貌したかと思うと、複数体の聖霊へとその姿を変え、方々へと散っていった。
「リンドウ、大丈夫!?」
アカネが駆け寄ってきて、応急で手当をしてくれる。
シラギクのときもそうではあったが、聖女の力による治療は不思議なものではある。
「さすがに、状況的に充分な手当はできていないけど」
「いや、十分だ」
流血が収まり、痛みがマシになっただけでもありがたい。
最低限の対処を済ませた以上、今はそれよりも幻影への対応を優先すべきである。
まだ、戦いは。もとい、俺たちへの試練は終わっていない。
「理不尽の権化みたいなやつが残ってるからな」
こちらを睨みつけてきている幻影の姿。
明白に仲間であるとか味方であるとか、そういうわけではなかったが。しかし、協力関係ではあった。曲がりなりにも、守ってもらった。
そんな幻影を倒されたことに、明らかな敵意をこちらに差し向けてきている。
「君のその分析自体は間違っていないから否定はしないけどさ。……まあ、いいか。君に他人の感情のあれこれを期待するだけ無駄だろうし」
アカネはなぜか小さく息をつきながらに苦笑いをするアカネ。
他人の感情云々についてはたしかに鈍い自覚はあるが。とはいえ、クソ女たるアカネには言われたくないのだが。
「ところで、リンドウ。君は先程、私に対して、リンドウにどんな印象を抱いているのか、と。そう尋ねてきたね」
「……ああ、たしかに聞いたな」
そのときに対面していた幻影自身の能力が、人の規格を超えようかというほどの力を見せていたから。
幻影が、アカネの思う俺を写し取った鏡であったから。
「その質問、そっくりそのまま返してもいいかな?」
「……ああ、それは。たしかに、そうかもしれないな」
アカネの言いたいことを受け取った俺は、そう返す。
眼前に立っている幻影のその覇気。先程から膨れ上がってきている、異質とまで言っていいほどの、その威圧感。
「全く、とんでもない存在を生み出してくれたものだね」
軽く言ってみせるアカネではあるが、その頬には緊張からくる汗が流れている。
「とはいえ、幻影を倒さなきゃ、進めないんだろ」
「まあ、そうだね。逃しては、くれそうにないし」
「……なら、押し通っていくしかないだろう」
たとえ、俺たちが共闘しようが、幻影が倒れようが。
あるいは、幻影が強くなろうとも。最初から、やるべきことは変わってない。
勝利条件は、幻影の討伐。そして、街へと帰ること。
敗北条件は、考えるまでもない。それ以外の、全てだ。
「乗り越えるぞ、アカネ」
「もちろん、言われなくとも」




