#36
飛来してきた岩石を避ける。こんなものに当たるわけにはいかない。
だが、これによりリンドウへの追撃が途切れてしまう。
幻影たちは決して共闘しているというわけではない。
だが、その一方で敵対しているというわけでもない。
だからこそ、こうした偶然の一致によるタイミングの良い攻撃が発生しかねない。
これを逃さない幻影ではない。
幻影の岩石を俺がかわし、幻影の隣を通り過ぎていく。
そんな一瞬の隙で体勢を立て直すと、刀で周囲を薙ぐようにして、攻撃と防御とを両立させてくる。
「っ! 本当に厄介だな!」
刀で受け止めるが、攻撃の重たさに顔を歪める。
相手が自分自身であるために。そうする、ということは理解できている。
そのため、防御や回避こそ間に合いはするが。しかし、力も、速さも、俺よりも一段上。
これは、本当にアカネとの共闘がなければジリ貧に追い込まれていたことだろう。
「――だが、攻略の糸口は見えてるんだよ!」
幻影の有している権能はこちらの行動を読まれてしまうということ。だからこそ、攻撃を仕掛けたとしても、どこにどう攻撃しようとしているかは読み切られてしまう。
だからこそ、有効となるのは幻影が処理することができないほどの攻撃か、反応できないような攻撃。
俺個人では、手数の問題も、速度の問題も解決はできない。だが――、
俺は、懐から投げナイフを取り出すと、それを幻影に向けて投げる。
彼はそれをかわすと。どこか、理解できない、とでも言いたげな表情でこちらの様子をうかがってくる。
それもそうだろう。なにせ、俺の手の内は幻影には割れている。逆もまた然りだが。
木々の合間からわずかに差し込む光によって、空中が、キラリと光る。
ナイフで刺す程度で解決するようならいざ知らず、俺は基本的にはナイフでは戦わない。
投げは遠距離にも対応できるものの、しかし、威力は高くなく、その一撃では決定打とはならない。かつ、回避も難しくない。
近距離で扱うにしても、余程狭い環境でもなければ切れ味やリーチの関係から刀で戦うほうがいい。
だからこそ、ナイフを使うのは搦手を使用するとき。その仕掛けとして利用するのがほとんどであり、今回も同じ。
だが、幻影がその手を使ってきておらず、かつ、俺の行動に対して疑問を抱いているように。この場においては、俺による搦手の効果がこの上なく薄くなる。
なにせ、俺の搦手は相手に気づかれないことが大前提である。その点、俺も幻影も、互いの行動の癖は重々に理解している。
だからこそ、今の投げナイフがなにかの仕掛けのための伏線であるということはバレているし。当然、俺の行動は警戒される。
こちらに全ての集中を向けてくれればそれだけでもありがたくはあるのだが。俺がそれを認識できるということは、幻影にとってもそれは承知の事実。
実際、このタイミングでアカネが仕掛けた攻撃に対してもしっかりと対処をして見せていた。
「ほんと、ふざけた権能だよ」
俺と、アカネと。ふたりの攻撃を読み切ってくる。その時点で、かなり強力な権能であることには間違いないのだが。
しかし、存外に抜けは大きい。
俺が幻影に向けて突進。
先刻に打った仕掛けのこともあり、幻影は俺のことを強く警戒する。
俺の袈裟斬りを刀でいなすと、すぐさま回避を優先。俺と距離取りつつ、追撃を警戒。
その際も、俺の手元から視線は反らさない。
俺がなにかを仕掛けてくるとするならば、なにかアクションを起こすはずだからである。
「……もし、俺がその権能を扱えるようになったときは、十分に気をつけることにするよ」
魄の聖女の権能の、抜け。明確な弱点。
それこそ、攻撃の圧が処理能力を上回った場合には捌ききれないし。
それに――、
「行動は読めても、どうやら、その意図までは読めてないみたいだったからな」
俺がそう言った、ほぼ直後。幻影はその両目を大きく見開き。そして、その表情を歪ませる。
苦痛に耐える表情の中に、なぜ、という疑問が含まれているように感ぜられる。
実際、幻影の俺への警戒は十分であった。そして。だからこそ、対処できなかった。
なにせ。今、俺は動いていない。むしろ、行動を止めたタイミング。
だからこそ、一瞬の警戒の緩みが発生した。
シラギクほどには、権能を十分に扱えていない、相手の心の裡までもは、読みきれない。
そう確信したのは、俺の仕掛けた行動に対して、俺に対して警戒をしていたときだった。
俺の行動の意図まで読めていたのならば、警戒するべきなのは俺の細かな行動ではなく。アカネの方。
単純な話である。投げナイフに繋がれた糸は、俺ではなく、アカネの手に繋がっていた。
俺ではなく、アカネが糸を手繰り寄せたその瞬間に、仕掛けたナイフが引き戻ってきた。
幻影の放った岩石を、その糸で絡め取り、引き連れながらに。
幻影の持つ、魄の聖女の権能。その、弱点。
対処しきれないほどの攻撃の圧には、先読みしようが捌ききれなくなるということ。
そして、俺からの初撃がそうであったように。意識外からの不意打ちには、どうしても反応が遅れる。
とてつもない重量を背中から喰らい、それでもその目はこちらを睨みつけ。今にも、攻撃を続けようとしてきた幻影だったが。
しかし、ただでさえ左腕が使えない状態で俺とアカネの攻撃を捌き、そして岩石叩きつけられ。ついに、体力の限界が来たのだろう。
膝を降りながらに幻影は倒れた。
「……ったく、隻腕のくせに強すぎんだろ。いったい俺に対してどんなイメージを持ってるんだよ、アカネ」
そんな文句を漏らしながらに、倒れた幻影に確実にとどめを刺しておこうと近づく。このまま放置していても、しばらくは動けないだろうが。念のため。
特に、このあと対峙しないといけない相手が――、
「もう少し待つってのもできねえのかよ!」
再び、ブオンという重々しい風切り音。
幻影に近づこうとした俺との間に、岩石が高速で飛来してくる。
それも、立て続けに何個も。
どうやら、幻影が倒されたことに少し焦りを感じているようだった。
「……これは、中々だね」
アカネが、苦い顔をしながらにそう言ってくる。
幻影と違い、幻影の戦い方は比較的シンプルである。
それは、反映元である俺とアカネとの戦闘経験の差であろう。アカネも戦えないわけではないが、基本的には戦わないし。戦うにしても、対人であることはまずない。
だからこそ、そのあたりの経験が物を言う駆け引きであるとか、そういうものについてはまるで無い。……のだが、
「シンプルに厄介だね。大量の物体が、質量とともに襲いかかってくるというのは」
「お前も同じことをやってるって自覚あるか?」
先程までの戦いが様子見であったのかと思わさせられるほどの大量の岩石や樹木。はては空気中から凝集したのだろうか、大きな水塊までもが形成され、飛来してくる。
アカネの方に来る分には彼女自身が同様に岩石などで迎撃ができている一方で、俺の方に来る分については回避する他ない。
最悪岩石などは物理的に防御で干渉できなくはないが、特に水などは防ぎも斬りもできないくせに、抵抗が強いために触れてしまえば行動を制限されかねない。
「おい、アカネ! こっちはどうやって倒すんだよ!」
「さあ。私自身と戦うことなんてないからね」
「おい!」
その無責任な発言に、思わず声を荒らげてしまう。
「とはいえ、君が私に対してどれほどの認識をしているかにもよるが。この攻撃を見るに、戦闘のセンスについては私と同等か、あるいは少し上くらいだろう? ならば、君の素早さで十分に接近すれば攻撃は回避できないだろう」
少なくとも私なら回避はできない、と。アカネはそう言い放つ。
たしかに、それはそうかもしれない。だが、それはそれとして、そもそも接近すらままならないという現状が存在している。
なにせ、幻影に近づこうとすると、アカネがわざわざそれに対処するまでもなく。
攻撃自体が、世界そのものに拒まれてしまう。
手数で押し切ったり、あるいは意識の外からであれば攻撃を押し通すことができた幻影とは違い、たとえ手数を増やし当人と対処限界を超えたところで、どれほど意識の外からの不意打ちを決めたところで。世界が勝手に彼女のことを守りに来る。
まさしく、理不尽の権化を叩きつけられている。
「幻影が世界に味方されている時点で、普通の方法じゃ攻撃は届かない」
それこそ、化け物には化け物をぶつける、ではないが。
幻影が世界から祝福されているのであれば、それに対抗できるのは世界から呪縛されているアカネであろうと、そう思っていたのだが。
「私じゃあ無理だろうね。たしかにリンドウの言うとおり、私ならば幻影に接近できるかもしれないけれど。しかし、根本の攻撃スタイルが同じだから、接近したところで素の実力勝負となって競り負ける」
先程までの幻影との戦いが成立したのは、俺と幻影との戦いにアカネが介入することができたから。だからこそ、俺と幻影との間にある実力差が埋まった。
だが、アカネと幻影が戦う場合、俺はそこに介入できない。いや、介入がゼロとは言わないが、世界が勝手に幻影を守るという性質上、俺の加える手数など誤差にしかなりえない。
「だったら、どうやって戦えって――」
「君が、倒すしかないだろうね」
アカネは、ハッキリとそう言った。
「だが、俺では近づくことすらままならないんだぞ?」
「ああ。リンドウの言葉を借りるならば、幻影が世界から味方されているから、だったかな?」
つまり、君は今、世界自体を敵に回そうとしているわけだ、と。アカネは面白がるようにそう言ってみせる。
実際に戦わなければならない側としては、笑い事ではないのだが。
「だが、リンドウ。君はひとつ、忘れていることがあるね」
「……忘れていること?」
「ああ、至極単純であり、そして、大切なことだ」
どこかいたずらっぽく。見た目も相まってか、子供が自分の仕掛けたイタズラのネタをバラすかのような、そんな表情で、アカネは言う。
「大丈夫。安心して戦ってくるといい。君は、負けない。だって、今君がここにいるのはなんのためだ?」
「なんのためって、幻影どもを倒すため――」
「いいや、それよりももっと、大前提があっただろう?」
「…………ああ、たしかにそうだ」
あまりにも、目の前の対処が厄介すぎて。それどころではなかったこともあるが。たしかに、頭から抜け落ちかけていた。
《本任務は聖域に立ち入っている依頼者の護衛任務である》
俺がここにいる、その理由。
《本来の帰還予定日よりも五日以上の遅延が見られた場合にリンドウを受注者として自動的に受注されるものとし》
困っている人がいて。そして、その人から受けた、依頼がある。
それは、アカネを保護し、護衛し、連れて帰るというその依頼。
《帰還を最優先事項とし、そのために係る他の一切については責任の所在を追及しないものとする》
そして、この依頼には。
《追記:ただし、帰還の要件としてアカネだけでなくリンドウも含めた両名の生存を条件として付す》
心配性の聖女によって。俺たちの無事が、達成要件に入っている。
「ほら、思い出したのなら。依頼の時間だよ」
「……ああ、わかってるよ」
「ならば、その責務を全うしようか」
相変わらずな、クソ女の言葉。
だが、それが。嫌に心地いい。
「大丈夫。君は、依頼を全うするためならば。どんな障壁だって越えていける。たとえそれが、世界であろうともね」
本当に、この姉妹ときたら。どこまで来ても、無茶振りを強いる。
ああ、それならば。存分に応えてやろうじゃあないか。
「うん。いい表情になったじゃないか」
アカネはそう言いながら、俺の隣に立つ。
幼い姿のままだというのに、その存在感は果てしなく大きい。
それこそ、目の前の幻影に勝るとも劣らない。
「それにね、リンドウ。たしかに、世界が目の前の幻影に味方をしているのかもしれない」
でもね、と。そう言いながらに、アカネは言葉を続ける。
「もし、世界が幻影に味方をしているというのなら。リンドウ、君には――」
アカネは、そう言葉を紡ぎながらに、俺の背をトンと押す。
「ああ、そうだったな」
「さて。これで不安要素はないかな? ……それじゃあ、存分に戦ってくるといい」
そもそも、これは聖霊から与えられた、乗り越えるべき試練、だという話だったな。なんて、そんなことを改めて思い起こす。
本当に、今更ではあるが。仮にも、この幻影は俺への障壁として誂えられたものなのだ。
あんまりにも、あんまりだろう、と。そう文句を言いたくなるようなものであっても。
曲がりなりにも、俺への課題なのだ。
「なら、しっかりと踏み越えていかないと、だよな」
無言のままこちらを睨みつけてくる幻影に。俺は、刀を構えた。




