#35
「アカネッ!」
「わかっている!」
自分自身の位置。そして、アカネの場所を正確に把握しながら、森の中を駆ける。
アカネが対面しているのは幻影。
アカネが放つ岩石に対して、まるでどこに攻撃が飛んでくるのかを把握しているかのようにいとも容易くかわしてみせる幻影。
無論、アカネの側も、彼女自身の権能があるために、そうやすやすと攻撃が通るわけではない。
だからこそ、これは単純な体力勝負。
そうなると、ただでさえ想像によって強化されている幻影のほうが有利な可能性が非常に高い。
つまり。このままではジリ貧。いずれ追い込まれてしまう、と。
そう判断したのが、先刻。
「それなら、これはどう!?」
アカネは丸太を二本、幻影に向けて飛来させる。
幻影は着弾地点から最低限だけ後方に下がり、彼の目の前に交差する形で丸太が突き刺さる。これで、前方が塞がる。
そして、その瞬間。幻影の足元が膨らみ始める。
地面から、突き上げるように岩石が飛び出してくる。
幻影は――これを読んでいたのだろう。更に後方にバックステップをして距離を取りつつ、アカネをじっと見つめる。
攻撃の隙を伺っている。講じた策が通じなかったのだ。僅かなりともアカネの側に次を準備するための時間が必要になる。
だからこそ。この瞬間の幻影は、一度距離を取る。
アカネとの距離は十分に詰められる程度だと思っているから。そして、それ以上に警戒するべきなのは、実はまだ攻撃が続いていて、他の追撃がある可能性を否定できないから。
だから、盤面を俯瞰するためにも。距離を取る。
そういう思考をするということを。
「そうするよなあ、幻影だったらさあ!」
俺自身が、一番知っている。
幻影がアカネから距離を取るためにバックステップを取ったその先。彼が着地しようとしたその場所には、既に俺が構えている。
アカネに対する警戒を高めていた都合、俺に対する警戒が下がっていたのだろう。
あるいは、俺がここにいるということを想像していなかったか。なにせ、俺自身なのだからその可能性は高い。
とはいえ、さすがは俺よりも強い俺を移し取った幻影である。
完璧に不意打ちを決めたというのに、空中で無理矢理に身体をねじらせて、俺の攻撃に対処してくる。
だが、強引に対処を行った都合。他の行動が取れなくなっている。つまり――、
「隙だらけだよ、幻影」
いつの間にか空中に控えていた岩石が、猛スピードで幻影に向けて落下してくる。
たしかに幻影は、相手の思考を読み取り、攻撃を予知してかわすことができるのかもしれない。
だが、その身体は俺をベースに想像にて強化されているとはいえ、人間であるはずである。
ならば、対処できる範囲には、限界がある。
その限界を押し付けてやれば、幻影の権能は突破できる。
アカネからの追撃に、しかし、幻影は対処することができない。
岩石の落下と同時。地響きと砂煙とが広がる。
「……まあ、これで終わるわけもないよな」
視界が落ち着いてきた頃合い。砂煙の中から、ゆらりと立ち上がってくる幻影の姿。
だが、その左腕はダラリと垂れ下がっている。どうやら、先程の攻撃を回避できないと見るやいなや、左腕を犠牲にするという判断をとったらしい。
しかし、間違いなく。攻撃は通った。
先程まで、常に攻撃が両者に当たらないという拮抗状態が持続していたアカネと幻影の戦いに、大きな変化が起きた。
それは、間違いようのない事実だった。
これならば、このまま攻撃を畳み掛けることを続ければ――、
「っと、危ねえ!」
目の前の状況を整理していると、後方から高速で岩石が飛来していた。
「安心しろ、お前のことも忘れてないよ、幻影」
「…………」
ジイッ、と。こちらを見つめてくる幻影の瞳。俺の行動を伺っているのか。はたまた、なにか訴えかけたいことがあるのか。なんてな。
……そう。この場には、四人の人物がいる。
俺と、アカネと。幻影と、幻影だ。
陣営としては、俺とアカネ。そして幻影と幻影というように分けることができるものの。しかし、実際のところは二対二の戦いにはなっていない。
現に、先程までの戦いでは俺と幻影。そしてアカネと幻影という、近距離にいながらふたつの戦いが別で起こっていたのである。
それはなぜか。理由は単純である。
ここにいるのが俺とアカネ。そして、そんな二人の考え方までもを忠実に再現した、幻影と幻影だからである。
「まさか、君とこうして共闘するだなんてことになるとは思わなかったよ」
「ああ。俺も、全く以て思ってもみなかった」
「私個人としてはいつでも共闘していいと思っていたんだけどね?」
「俺の方からお断りだ」
「ふふふ……ああ、よく知っているよ」
俺は、アカネが俺自身と共闘しているという姿を想像できなかった。
俺自身がアカネに対して深く関わりたくないと思っているということもあるし。なにより、アカネが他の誰かの手を借りなくてはならないという状況を想定することができなかったから。
アカネも、俺が彼女自身と共闘しているという姿を想像できなかった。
俺が彼女と共闘したがらないということを、他の誰よりも承知していたからだ。
……そう。俺も、アカネも。互いに互いと共闘するという姿を想像できなかった。
そして、そんな二人をそっくりそのまま反映させた幻影たちは。
「さっきの俺への攻撃。一瞬、カバーに入ったのかとも思ってヒヤリとしたが」
「いいや、アレはたまたまだろうね。たまたま、攻撃のタイミングが合致しただけ。現に、今の幻影たちの攻撃が噛み合っていない」
幻影たちは個々に重たい攻撃を繰り返してきている。たしかにそれらは脅威なのだが。しかし、その一方で協調性がない。
俺たちの認識上の相互を忠実に再現しているがゆえに、共闘する、という選択肢がないのだ。
一対一では、たしかに勝てない。二対二でもまた、苦しい戦いを強いられる。
だが、この状況。二対二になることはなく、二対一と一にしかならないのである。
「ふふっ、これが夫婦の共同作業というものなのだろうね」
「こんな物騒な共同作業があってたまるか」
あと、夫婦じゃねえ。
「それで、どうする?」
「……まずはリンドウの幻影から対処しよう。早々に二対一に持ち込みたいというのもあるし、手負いだ。その上、幻影は一筋縄では行かないだろうしね」
そもそも幻影に対する攻撃自体が世界から拒絶されるという、どうしようもない特性を持たれている以上苦戦は必至である。
まあ、それについては幻影の魄の聖女の権能も理不尽ではあるが、そちらは攻略の目途が既に立った。
「ちなみに、どうやればいいとか、考えていたりするか?」
「んー? そんなの考えてるわけないでしょ?」
清々しいまでにあっけらかんと、アカネはそう言い放ってみせる。
「大丈夫。君だってわかってるんでしょ? それで、大丈夫だって。そもそも、さっきだって打ち合わせはしてないし」
「……まあな」
非常に不服ではあるものの、アカネとは長い付き合いである。
いや、それだけではない。とてつもなく認めたくはないが、関係性としても深いものではある。
それこそ、なんとなく、互いの考えていることがわかる程度に。
それこそ、魄の聖女の権能など、必要なくともわかる程度には。
「だったら、君が私に合わせてくれれば。それで大丈夫でしょう?」
「……全く、人使いの荒い聖女サマだこと」
「ふふふ。リンドウだけだよ、こんなことをするの。特別だよ?」
「知ってる。そんな特別扱い、微塵も嬉しくないがな」
アカネが、岩石を浮かび上がらせる。
「……さて。いい加減、そろそろ帰らないと、さすがにシラギクが心配するだろうからね」
「お前にそんな気遣いができたとはな」
「相変わらず、リンドウは私のことをなんだと思ってるのさ」
けれど、アカネの言うことも間違いのないことである。
いくらか前向きになれたとはいえ、現状、シラギクにとって頼りにできる存在は俺とアカネのふたりだけである。
依存がふたりに按分された、といえばマシだというのはそのとおりだが。依然としてふたりだけ、というのもまた事実である。
「そのためにも。さっさと幻影たちを倒そうか」
アカネのその言葉に。応える代わりに、愛刀を構える。
ここまで、随分と一方的にやってくれたものだ。
だが、突破口は見えた。依然として、力量だけならば、相手のほうが上ではあるものの。勝ちの目は、たしかに生まれた。
さあ、反撃だ。
「いくよ、リンドウ!」
「わかってる!」
アカネの掛け声が聞こえたとほぼ同時、俺の横を高速で通り抜けていく岩石。
果たして連携を取る気があるのかというタイミングではあるが。だが、反応はできる。
そもそも、アカネのことだから攻撃を振ってくるのはわかっていた。むしろ、声を掛けてくれただけ、いつも以上である。
俺の脇から通り過ぎていった岩石は、そのまま、幻影へと襲いかかる。
もちろん、それに対応してこない幻影ではない。
だが、そこに俺が追撃を仕掛けてきているのは明白で。そちらにも対処の余力を残して置く必要がある。
小さなステップで岩石をかわしてみせる幻影。だが――、
「――ッ!」
明確に、先程までと比べて。幻影の動きやに遅さが見え始めている。
左腕の負傷による影響はもちろん。なによりも、気にしなければいけない択が増えた、ということが幻影自身を大きく苦しめている。
ああ、そうだろう。
幻影ならば、そうなるだろう。
幻影がアカネの攻撃に対処したその瞬間に、差し込むように突きを入れる。
無論。これも、かわされる。
そのまま身体を地面スレスレになるまでに低くして。地面を薙ぐように周辺を斬りつける。
飛び上がっての回避は悪手と読んだか。幻影は自身の刀で俺の薙ぎを受け止める。
その判断は、正しい。
低くなった俺の背後から。薙ぎの二段目と言わんばかりに、アカネが丸太で空中を薙ぐ。
飛び上がっての回避であれば、こちらへの対処ができなかっただろう。
幻影は鍔迫り合いを押し勝つと、飛来した丸太を蹴り上げる。
同じ手は二度はくらわない、とでも言わんばかりに。アカネ、俺。そして、アカネの追撃までもを対処してみせる幻影。
「だが、これで凌ぎきったと思――」
防がれたのならば、次を、と。攻撃を続けようとしたその瞬間。
ブオンッ、という風切り音。すんでのところで、飛来した丸太をかわしながら、冷や汗がタラリと流れるのを感じる。
「……本当に、厄介だな」
「随分と幻影に好かれてるようだね、リンドウ。自分と同じ姿ながらに嫉妬するよ?」
「冗談でもねえよ、本当に」
冷静に判断するならば、単純にアカネ同士で戦う場合、互いに世界が味方し合う都合で、その戦闘自体がやや不毛気味であるからこそ、先に不確定要素になる俺を潰しにかかっている、のであろうが。
しかし、ここまで俺にしか攻撃をしてきていない幻影の理由として、アカネの言うことが筋が通りそうなのがなおのこと厄介である。
なにせ、アカネの考え方を忠実に再現したのが幻影である。俺に対して執着を持っていても不思議じゃない。
「まあ、いずれにせよ。お互いに狙いは同じようだね」
最初こそ個別に戦っていたから、それぞれが互いの幻影を狙っていたし、幻影たちも、もう片方を狙ってはいた。だが、俺たちが共闘のスタンツをとるや否や、狙いが変わった。
どちらの陣営も。まず優先しようとしているのは、俺。
まあ、アカネを相手取るとなると厄介な理不尽を突きつけられる都合、幻影たちも俺を狙うしかない、というのもあるのだろうが。
だが、互いの陣営で狙いが同じであっても、スタンツは大きく違っていた。なにより、俺たちは共闘していて。幻影たちは、それぞれが俺を狙ってきている。
同じなようで、この差は大きい。
アカネからの攻撃で崩していた姿勢を取り直して、改めて幻影に向けて刀を構え直す。
幻影は、こちらを大きく警戒している様子を見せる。
「いくぞ、アカネ」
「ああ、いつでもいいよ」
再び、アカネは岩石を中に浮かび上がらせる。
そして、岩石が動き出したその瞬間を見極めて、幻影に向けて駆け出す。
先着するのは、岩石。先刻と同じく、幻影はそれらを小さめのステップでかわしてみせる。
そして、そこに俺が攻撃を続ける。
案の定これもかわされるが。これについては、互いに承知の上。
「まだまだ。今度はこっち!」
アカネがわかりやすく腕を振り下げると、上空から丸太が数本、幻影に向けて降り注ぐ。
受けるには重たすぎるそれらを、幻影はかわす。
そして、今度は俺の番。
追撃を叩きこもうとした。
その瞬間――、
「やっぱくるよな、幻影ッ!」
横から、岩石が突っ込んでくる。




