#34
「ちなみに聞いておきたいんだが。聖霊による修行ってのは、どんなものなんだ?」
「うーん、具体的な表現は難しいね。なにせ、決まったなにかがあるようなものじゃあない」
そもそも、聖女とひとくちに言っても、アカネとシラギクでさえ魂の権能と魄の権能と、それぞれの有している力が違うように。
あるいは、それぞれの聖女が主だって管轄している地域や専門範囲などの違いなど。
聖女に課される責務も違えば、そのために必要な要素も変わってくる。
「だからこそ、聖霊の精神干渉能力が必要になってくる、というわけ」
「……なるほどな」
精神性の修行が必要な場合であれば、現に俺に対して既に利用したように、夢の中からの干渉によって、それぞれに必要な修練を用意したり。
あるいは現実に鍛錬が必要という場合は。たしか、聖霊が使う幻影という能力で、修行に必要な要素を生み出す、と。アカネがそう説明していた。
「まあ、それにしても。今回はかなりの聖霊たちが集まってきているようだけどね。随分とご丁寧な対応をしてくれるようだよ?」
「微塵も嬉しくねえ」
要するに、聖霊たちがそれほどまでに集まらないといけないなにかをやろうとしている、ということである。厄介すぎる。
寄り集まってきた聖霊たちは次第に形を作り上げていく。
おそらくは、これが幻影という能力なのだろうが。
「つまり、今俺たちの目の前に在るのが、俺たちが超えなければならない壁、ということか?」
「まあ、そういうことだろうね。聖霊の幻影は、対面した相手の心を読み、その当人にとって必要な障害を準備する」
「……ホント、冗談キツイぞ」
目の前の、あまりにも見覚えのあるその存在に。一瞬、鏡がそこにあるかのような錯覚を覚える。
俺の正面に形作られたのは、大人の姿のアカネ。そして、アカネの正面には、俺の姿。
「どうやら、互いの存在が、乗り越えるべき課題、ということみたいだね」
ただの修行にしては、あまりにも厄介すぎる相手だ。
「ッ! クソがっ!」
襲い来る岩塊を、既のところで刀で受け止める。得物をあまり乱暴な扱い方はしたくはないけれど、そんな甘えたことを言ってられる場合じゃあない。
「ほんっとうに、ふざけた存在だな!」
対面している存在。アカネ……を模した幻影。
聖霊の幻影によって生み出されたアカネが、こちらに襲いかかってきていた。
武器のような武器も持たず、見た目だけで言えば華奢な姿をしているのだが。その攻撃の威力は、その見た目に全くと言っていいほど準じていない。
その権能をもってして、周辺の環境に干渉しているのだろう。岩石や樹木といった重量物を操作し、こちらにぶつけてきている。
圧倒的な質量による攻撃。シンプルではあるが、しかし、最も強力といっていい攻撃である。
それも。重たいくせにしっかりと速度を伴っているために、乗算で脅威度が増している。
実在のものに干渉しているじゃないか、と。そう思わなくもないが。おそらくは権能の解釈を強引に押し広げた結果なのだろう。
現に、俺の後方で同じく幻影と戦っているアカネも、同じような戦い方をしている。
だが、正直なところ。これだけならまだいい。それこそ、アカネでなくとも理不尽な差を見せつけてくる相手は往々にしている。
それこそ、ブラックドックの圧倒的な体躯であるとか。冥府の主の体質そのものであるとか。
だから、圧倒的な質量攻撃に速度を与えながらにしてくる。という程度ならば、まだ、普通な範囲の理不尽である。
「なにか、言葉のひとつでも言ってくりゃいいものを」
「…………」
幻影は、終始無言のまま、こちらに攻撃を続けてくる。
「お前のこと、黙ってりゃあ美人とか思ったことはあるけども。無言は無言で気味が悪いもんだな」
ずっと楽しげに話しているアカネは、それはそれで厄介なのだが。そちらのほうが俺にとってはずっと好ましい。……まあ、いちいち騒動を引き込んできやがるのは、どうにかしてほしいが。
「――とりあえず、防戦ばっかりではどうにもならねえよな」
相手の攻撃を防ぎつつ、機を見る。
重力や速度などが自在とでも言わんばかりに物体を操ってくるのは厄介だが、しかし、単調といえば単調。
アカネ自身、戦闘慣れをしているわけではないから、攻撃が比較的直線的ではある。
幻影からの猛攻をかいくぐり、距離を詰める。
そうして。至近まで詰め寄った俺は、そのまま彼女に対して刀を横一文字に振り抜こうとする。
だが、彼女にその刃が届くことはない。
「本当に、厄介極まりねえよ」
決して、アカネと同じ姿だからと、躊躇ったわけではない。
思うところがないわけではないが、これは聖霊の作り出した幻影であり、アカネではないということは理解している。
起こったことを、解釈しながらに。俺は体勢を整える。
アカネに接近した、その瞬間。猛烈な突風が突如として吹き込み、どこからともなく飛来した倒木によって、俺の体ごと吹き飛ばされた。
幻影がなにかをした、というわけではない。だが、それと同時に。幻影の影響によるものである、というのもまた真実。
単純な話である。世界が。その、在り方が。
幻影に味方しているのだ。
理屈などではない。道理などあったものではない。
だが、聖女としてのアカネにとって都合がいいように、ことが運ぶ。
ただ、それだけ。
アカネの権能とは、そういうものなのだ。
ある意味では、祝福であり。そして、ある意味では呪いである。そんな、権能。
聖霊の幻影だから――と。そんな可能性に賭けたかったが、どうやら、そんな甘い話は存在しないらしい。
「とはいえ、これ、どうするんだよ」
アカネの権能が有効に働いていることがわかった以上、幻影は実質的に無敵の存在であることになる。
なにせ、こちらの攻撃が通るよりも先に、世界によって阻まれる。
実質的な詰みと言えよう。修行、にしてもあんまりな難易度設定である。
もし、そんな存在に抗えるとするならば――、
「アカネッ!」
「君の言いたいことは理解している。でも、それは無理だよ」
俺が提案するよりも先に、アカネからの回答が返ってくる。
「それぞれの課題だからって話か? そういう理由なら、今はそれは――」
「そうじゃない。……ただ、単純に勝ちの目がない。私が私の幻影と戦ったところで、勝てないし。逆もまた、同じ」
「――なっ」
一瞬、動揺。
その瞬間にも幻影からの攻撃が止むことはなく、急いで気を持ち直しつつ、対処にあたる。
「どういうことだ、アカネ」
「そんなに難しい話ってわけでもないよ。この私たちの幻影は、聖霊の幻影によるものだ」
そして、幻影は、当人の心を反映して、必要な障壁を幻として生み出す。
「私たちは、乗り越えるべき存在として相互を生み出されている。当然ながら、この幻影は私の中の想像としてのリンドウだし、そこの幻影はリンドウの中の想像としての私だ」
「ああ、それはさっき聞いたが」
「ついでに、いいことを教えてあげよう。いや、今の状況だと、悪いことかもしれないけれど。……私はね、君のことを強いと評価しているんだよ」
「……世辞なら今はいい」
そういう話をしている場合ではないだろう、と。そうは思うのだけれども。
しかし、背後でアカネは小さく首を横に振る。
「世辞なんてものじゃないさ。むしろ、正当な評価だ。それこそ、場合によっては君には勝てない、なんて。そんな考えが生じることがあるくらいにはね」
「まさか――」
「そう。そのまさかだ」
俺は、アカネのことを嫌ってはいるものの、評価はしている。現に戦闘においても彼女のその理不尽さを知っているがために、高く、評価している。
アカネも、俺のことを高く評価している。信頼からくるものか、あるいは、そう思いたいという願望からくるものか。その如何は知りはしないが、高く評価している。
それこそ、相互に「互いには敵わない」と。そう考えていしまっている程度には。
そして、その想像の強さを兼ね備えた俺とアカネ。それが、目の前にいる幻影の正体である。
俺が勝てないと思っているアカネが、勝てないと思っている俺。
アカネが勝てないと思っている俺が、勝てないと思っているアカネ。
幻影と、本体。その強さの序列は、どう考えても明白である。
「むしろ、可能性があるとすれば今の組み合わせだ。自分自身との戦いは、たしかに戦い方の癖なんかを理解している分対処は容易だろうけど、それは相手も同じ」
ならば、力量で負けている分、ジリジリと不利に追い込まれる未来しかない。
しかし、アカネの言うように相互に戦ったとしても。結局のところ、不利に追い込まれることには変わりはない。
結局のところ、俺にとってのアカネも、アカネにとっての俺も。相互に敵わないと思っている相手である。
そんな相手に対して、相性差からくる勝ち筋がほんの少しだけあり得る、というだけで。基本的な戦闘力については、どう考えても相手のほうが上なのである。
事実、奇跡が適用されているはずのアカネが、幻影を相手に苦戦しているのが伺える。
「随分と手間取ってるようだな」
「リンドウこそ、私の幻影なんか、さっさと斬ればいいものを。それともなんだい? 私のことが好きだから、斬るのを躊躇うのかい?」
「そんな軽口を叩いていられる余裕はまだあるみたいだな」
こちらの攻撃が通っていない理由については誰よりも理解しているだろうに。
「しかし、本当に厄介だね。魄の権能は」
「……なるほど。そっちの幻影はシラギクの能力を扱えてるのか」
いくら想像の中の俺が相手とはいえ、アカネが戦いにくそうにしているとは、いったいどんな相手なのだ、と。そう思ってはいたが。
なるほど、たしかにそれは厄介であろう。
シラギクの身体能力ですら、魄の権能を無意識下で利用していただけで、冥府の主の攻撃を予知して回避することができるのである。
それが俺の肉体……それもアカネの想像により強化された身体に宿っていると考えると。相手取りたいとは微塵も思わない。下手をすれば幻影に対処するほうがマシな程度である。
……いや、こちらはこちらで理不尽を押し付けてくるので、どちらにせよ、ではあるか。
「しっかし、お前とこうして背を合わせながらに戦うことになるとは思わなかったな」
「たいていの相手なら、君ひとりで対処できるからね」
アカネと同伴しているときに戦闘になったことはありはするが、基本的には護衛の任務にあたっているときだし、その際は俺がひとりで対処をしていた。
あるいは、アカネが聖女としての責務を全うするために他者の願いを受けて被害を起こしている元凶に対処をすることはあったが。逆にこちらは俺が関与することができない。いや、できなくはないが、色々と後が面倒になる。
まあ、アカネの場合はその必要もなかった、ということもあるが。
しかし、今回の相手はそうは行かない。自身の写し鏡……以上に強化された存在が相手だ。
単純に対峙するだけでも劣勢を強いられるのに、二対一の戦いなど、戦闘になるかすらも怪しい。
現状は戦線を共にしているわけではないが、しかし、同じ場所で同時に戦っている、という。俺たちにしては、中々に珍しいことになっている。
「だが、どうする? このまま真っ当に対峙し続けたところでジリ貧は必至。とはいえ、相対する相手を入れ替えたところで、より純粋な不利を作り出すだけ」
状況を改めて鑑みて。そして、考える。
今、俺が対面している幻影には、魂の聖女の権能が備わっていて。世界が、幻影に味方する、という理不尽が引き起こっている。
これに対抗しうるとするならば、アカネ自身の権能しかありえないだろうが。しかし、俺の想像によって強化された幻影相手では、純粋な実力としてアカネが不利をとる。
そのアカネが戦っている幻影は俺の身体能力に加えて魄の聖女の権能を扱えるようで、肉体の意思――こちらの行動が読まれてしまっている。
アカネの権能により直接的な痛手は入っていないものの、しかし、こちらからも有効打が出せていない、というのが現状。
あと、一手足りない。
俺の方も、アカネの方も。
あと、一手が――、
「……なあ、アカネ。ひとつ、聞いておきたいんだが」
「なんだい? できれば、手短に願いたいが」
それぞれ、お互いの敵の攻撃に対処するのに精一杯、という現状。
特に俺の方は、下手に集中を切らせば、痛手を喰らいかねない状態だからこそ、気が抜けないのだが。
だが、これは聞かなければ、ならない。
「聖霊の幻影は、対象の想像の中の存在を生み出しているんだよな?」
「精密に言うと、その人物にとって必要な課題を、だけどね。ただ、こと今回についてはその認識で間違いないね。今私たちが対峙しているのは、お互いの想像の中でのお互いだ」
「つまり、その考え方なんかも、反映されていると思っていいのか?」
「ああ、そうだね。実際、幻影の戦い方は私たちの知るお互いのものと同じだろうし。だから、考え方も――」
そこで、アカネは言葉を止めて。そして「……なるほど。それならば、たしかに」と。
どうやら、アカネも気づいた様子である。
「アカネ、提案がある」
「もちろん承諾しよう。……ふふ、まさか、君とこんなことをすることになるとはね」
「ああ、俺も、お前も。互いに思ってもみなかったことだろう」
だが、だからこそ。
そこに、勝機がある。




