#33
「つまり、シラギクが魂を放出した際に、同時に権能を放出して。その権能にあてられた俺が、権能な一部を譲渡される形で受け継いだ」
シラギクは権能の絶対量が減少したことにより、彼女の制御できる範疇に収まって。
そして、俺は半ば後天的に聖女としての格を有することとなってしまった。
と、考えるならば。たしかに、納得できることも多い。
シラギクの持つ、他者の心を読む能力が使えたということも。
そもそも、聖女でなければ入ることができないという聖域に入ることができたということも。
「聖霊たちは、君が聖女であり聖女でないという微妙な立場であったこともあって、かなり疑っていたようだね。君の夢に干渉したことで、事情は察したようだけどね」
「……なるほどな」
どうやって、その聖女の権能を手に入れたのか、という話か。
他の聖女を殺して奪った、というように見えないわけでもないわけで。
「とはいえ、精神干渉でお前のことを殺させようと差し向けてきたのは、未だに納得行かないがな」
事情を察したのならば、さっさと開放してくれればよかったもの。
……とはいえ、聖霊からしてみれば、アカネの望みを叶えるために動いていたのだろうが。
つまるところが、あのときの聖霊の行動は、俺に対する敵意が半分、アカネに対する助力――聖霊にとっては不本意な形式での聖女への協力が半分、という形で俺たちに敵対していたのである。
なんとも迷惑な話だ。
「まあ、それに関しては逃げたいだなんて、もう思ってはいないから安心してくれていいよ。……君が依頼を妥協するっていうのならば、話は別だけどね?」
ニヤッ、と。嫌な笑みを浮かべながらにアカネはそう言ってくる。
……本当に。子供の頃の俺は、随分と厄介な依頼を引き受けてしまったものである。
だが、後悔はしていない。……アカネのように言うわけではないが、これが、俺の成すべきことであると、そう思うから。
「現に、聖霊たちのこちらに対する敵意は見られないだろう?」
「ああ。様子見はしてるが、警戒はしていないな」
最初の頃は様子見に警戒が備わっていたし、それ以降、こちらが聖霊を知覚していると察知してからは敵意が漏れ出ていたものであるが、それが今は、無い。
「つまり、それが回答だよ。聖霊として、君をどう判断するのかのね」
明確に歓迎を受けている、というほどではないにせよ。しかし、異物であるとして排除を受けるというわけではない。
いちおう、聖女である。と、認められたというわけだろう。
「おめでとう、リンドウ。これで晴れて、君も聖女だね」
「別にいらんのだが、その称号」
特段、これといって正教会の敬虔な信徒というわけでもないし、聖女という権威が欲しいわけではない。
あと、男なのに聖女というのも、なかなかに複雑な感情である。
聖域の中を歩きながら、アカネとちらほら言葉を交わす。
思ったよりも、自分は聖女というものを知らなかったのだな、と。そう感じさせられる。
「そういえば、わざわざここに呼び出したのは、俺にシラギクの権能が宿っているかの確認のためだったのか?」
聖域を突破できたのは、シラギクの権能を一部譲渡され、俺が聖女でもある状態になっていたから。
つまり、完全に使い方を誤った方法ではあるものの、聖域の結界は、聖女の判別装置になるわけである。
「まあ、そういう側面もありはするね。でも、君なら結界くらいなら突破しかねないとは思っていたから、どちらかというと聖霊の反応を見たかった、という方が正しいけどね」
「俺のことをなんだと思ってるんだ」
聖女以外を弾く結界なのだろう? それならば、聖女でない俺ならば、入れないはずだが。
「だって、君は私のことを、見つけてくれるだろう?」
「…………」
「それに、任務のために必要ならば、どんな壁でも乗り越えていくのがリンドウという人間だ」
「買い被りすぎだ」
「そうかな? でも、任務の解釈が不一致である、というだけの理由で、聖霊の精神干渉を振り切り、夢の中から自力で脱出してきたあたり、不可能な話ではないと思うけど」
ふふふ、と。アカネが楽しげに笑ってみせる。
曰く、聖域の結界の本質は精神干渉によるものだという。雑な解釈をするならば、聖女の権能を有しないものが侵入しようとすると、いつの間にか来た道を戻るように仕向けられる、という要領。
……絶妙にゴリ押しが効きそうなのが、嫌にアカネの論に説得力を持たせる。
それによって、まるで俺がアカネのためならば、というような状況に見えてしまうのがどうにも面倒だ。アカネはアカネで、それに対して嬉しそうにしているし。
「ちなみに、君をここに呼んだのはそれだけが理由ではないよ。……いちおう、魂の聖女だからね。君に引き継がれた、というのは感じ取れてたから」
「じゃあ、なんのためにこんなところに?」
「それについては、最初から一貫して言ってるじゃない。ここは他に人が来ないから――ってね」
「……おい、まさか」
「わざわざ嘘をつく理由もないしね。君と性交をするために呼んだというのは通して真実だよ」
要は、他者の干渉が――特に、そういった事柄に対して、間違いなく妨害をしてくるであろう正教会の手が届かないところで、行為に及びたかった。
聖域は正教会の管理するところではあるものの、聖女しか侵入できない場所であるという性質も併せ持っているために、正教会の権威が、ある意味では届かない――アカネが柵がほんの少しだけ緩む、数少ない場所、と言える。
そのついでで、俺に備わったシラギクの権能について、アカネ自身の感覚以外の側面からの確認ができる、というわけだ。
「ちなみに、子作りは今でもやりたいと思ってるよ。なんなら今すぐでも構わないよ!」
「反応に困るから、やめてくれ」
「……まあ、そう思い立っている理由は、違ってるんだけども」
と。アカネはどこか、儚げにそう呟く。
最初は、やはりアカネの責任を全うしようとする人格らしく。完全な打算としてのものだった。
最初に言っていたように、強い子へと役割と責任を繋ぐ、という目的のために行為に及ぼうとしていた。
「単純な話だよ。曲がりなりにも稀代の聖女と呼ばれた存在と。後天的ながらに、聖女の格を引き継ぎ、有した存在。通常ならば男子に宿るはずのない聖女の格が宿ったという現在。その二人の子であれば、考えうる限り最強の聖女が生まれる……私の後を引き継げるだけの、強い聖女が生まれると、そう思っていた」
それも、片や魂の聖女。片や魄の聖女。
非実在に干渉する能力と、実在に干渉する能力の子供となれば、机上論ではあるものの遍くに干渉しうる聖女となる可能性もあるだろう。
そうなれば、たしかに最強と呼ぶに相応しい。
でも――、と。アカネは、その意見を止める。
いまは、別の感情が、そこにある。
「リンドウ、君だから、いい。君が、いい。その感情が、たしかに、ここにある」
もちろん、自身の責務といった感情が完全に消え去ったわけではないけれど、と。どこか、申し訳なさそうに笑いながら。
けれども、アカネは。たしかに、言う。
――この感情だけは、嘘ではない。と。
「だからこそ、リンドウ。……今から子作りをしよう!」
「いい話で締めておけよそこはよお!」
あっはっはっはっ! と。大きな声で笑うアカネ。
相変わらず、クソ女はクソ女で安心するよ、本当に。
「リンドウだって、しみったれたような空気より、こっちのほうがやりやすいだろう?」
「それについては、否定しないが」
とはいえ、やり方ってもんがあるだろうが、全く。
* * *
「……まあ、本当に。この感情だけは、嘘じゃない」
アカネは、リンドウに聞こえないように小さくつぶやく。
まあ、魄の聖女としての権能が定着したリンドウと手を繋いでいる以上。それを介して彼に伝わっている可能性は、否定できないが。……まあ、それならそれでいい。乙女の心を覗いた罰として、十分に思い悩んでもらうとしよう。
――リンドウがいい。
アカネが、間違いなく。心の中に秘めていた感情。
自身の役割や責任といった、聖女としてのアカネに全てを支配されようとしていた、かつての自分の中でさえ。
押しつぶされつつも、残っていた。少女としてのアカネの、感情。――今のアカネが在れた、最大の理由。
聖女としてのアカネにさえも「私だって、相手くらいは選びたい」と、そう思わせるだけの感情をねじ込ませた想い。
かつてから、ほんの少しだけ自由になれた、今のアカネにとっては。その想いが、少しずつ動き出していた。
……いや、むしろ。助け出された、その感情から。より、大きく動き出している。
アカネという人物は、生来、どちらかといえばひどく強欲なタチである。
自身の感情を抑え続けていた影響で、今となってはアカネ個人のための主張を放出することがあまりないが。
しかし、それが転じて。遍くを救おうと尽力する方面に移行しているあたり、強欲な性分なのである。
――逃げられるとは、思わないでね?
繋ぐ手に、ほんの少しだけ力を込める。
この気持ちが。伝わっていても、伝わっていなくても、どちらでもいい。
だって。リンドウがどうしようが――アカネは、譲る気はないから。
(……まあ、そのために立ちはだかる最大の壁は妹よね)
色恋というものを理解していないために自覚症状がないが、間違いなくシラギクもリンドウに惚れている。それも、アカネの想いの重さに引けを取らないほどに。
とはいえ、経緯を考えれば、そうなるのも宜なるかなというところではあるのだが。
いっそ、姉妹で囲ってしまったほうが早いかもしれない、なんて。そんなことを考える。
隣を歩くリンドウが、ほんの少しだけ身震いをしたような気がした。
もしかすると、なにか嫌な予感を感じ取ったのかもしれない。
私たち姉妹にとってはいい話なのに。嫌な予感だなんてひどい話だなあ。……ふふっ。
* * *
妙に嫌な予感を感じつつも、聖域の中を進むこと、しばらく。
「あと少しで聖域から抜けられるよ」
「そうか」
アカネのその言葉に、長かったような、短かったような。不思議な感覚を覚える。
「しかし、聖女、ねえ」
どうやらそう呼ばれるに値する力を有してしまったらしい。
ちなみに、権能を引き継いだのは送りの霊穴のタイミングだが、その力が定着したのは先刻――俺が無意識的にアカネに対して権能を行使したタイミングだという。
つまり。本当に実力として、聖女としての権能を有してしまったことになる。
「まあ、君がどう身を振るかについては自由にするといいよ」
「……聖女としての権能を有しているのだから、その義務を果たすべきだ、とは言わないのか」
「まあ、君が正教会に興味がないのは重々承知しているし。それに、わざわざそういう場を準備しなくとも、リンドウならばその力を正しく使うと信じているからね」
ついでにいうと、俺の存在がややこしいということもあるだろう。
男であり、後天的に聖女となった存在。
正教会からしても圧倒的なイレギュラーである。
さらにどうやって聖女になったのかという説明にはシラギクの魄が死んでしまっていることを明さなければならず。つまるところが、説明できないわけである。
「まあ、それならよかったよ。聖女としてなにをすればいいかとか、わからないしな」
「まあ、それはそうだろうね。……でも、そういう発言はもう少し後のほうが良かったかもね。具体的には、聖域を抜けてから」
アカネから、しれっと言い放たれたその言葉。
どういう意味だ、と。聞き返すよりも早く。異変を察知する。
聖霊が、集まってきている。それも、ちょっとやそっとの数ではない。
その異常な現象に、俺は急いで構える、
「アカネ、これはどういうことだ」
「そんな難しい話じゃないよ。それこそここまでのことを振り返れば、ね」
質問に、アカネが答える。
「ここが、聖域だということ。聖域は、聖女が修行を行う場であり、聖霊はそれを手伝う存在だ、ということ」
まるで、ここまでの復習をするかのように紡がれる言葉。
繋がれた糸が、だんだんと答えの形を作っていく。
「そして、君は聖女の権能を有しており。事情は複雑とはいえ、聖霊たちから聖女として認められた」
そして、そんな人物が聖域内にて、聖女としてするべきことなど、ただのひとつしかないわけで。
「どうやら、聖霊の皆様が。ご丁寧にも新人の聖女に、修行をつけてくれるようだよ?」
「……要らねえ。本当に、要らねえ」
こちとら、さっさと帰ってしまいたいところなのだが。
どうやら厄介なことに、もうひと悶着あるらしい。




