#29
「……やっと見つけた」
夜も更けた頃合い。
アカネがご丁寧に痕跡を消しながらに姿を消したせいで、捜索は地味に手間取った。
消しきれなかった微かな痕跡と僅かな気配を頼りに、たどり着いたのは街からしばらくという位置にある森の中。そこに、彼女はいた。
ほんの少しのこれらがなければ、いるはずのないアカネの影に囚われて、街の中で追いかけっこを強いられていたかと思うと、本当に冗談じゃない。
「しかし。なにやってるんだ、これは」
近づいてきた俺のことに気づいていない様子のアカネ。それほどまでに集中して、なにかを行っている。
その雰囲気は年齢にそぐわず荘厳であり、一切の干渉を赦さない、という威圧感を放っていた。
俺がしばらくアカネの様子を観察していると。そのうちに彼女が張り詰めさせていた空気が弛緩していく。
アカネは小さく息をつきながらに立ち上がると、地面に向けていたその視線を持ち上げ。
「よう、おつかれさん」
「ッ!?」
まさか、俺がいると思っていなかったのだろう。声をかけられたことに。……いや、あるいは今の行動を見られたことにだろうか。彼女は大きく驚いた様子を見せる。
とっ、たったっ、と。その身体を後方へと後退らせる。
しかしを森の中、突然の行動に加えて視界の利かない後方への移動だということもあり、彼女は思わず、木の根に足を引っ掛ける。
「わわっ!」
「っと。大丈夫か」
彼女の後方に回り込んで、傾きかけた身体を支える。
ひとまず体勢を立て直させつつ、アカネを落ち着かせる。
「たしかに声もかけずに様子を見てたのも悪いが、元はといえば声もかけずにどこかに行ったお前が悪いんだからな? 曲がりなりにも今回の俺の役目は護衛なんだから、お前が勝手にどこかに行ったのなら、探すのが仕事だ」
「それは、まさか気づかれると思っていなかったからで――いえ、そんなことは言い訳にはならないですね」
どこかバツが悪そうな表情をしながらにアカネはそう言うと、ペコリと頭を下げて自身の計測な行動を謝した。
気づかれると思わなかった、というが、さすがに隣の部屋で控えているのにそれは無理があるだろう、と。
そう思ったのだが、どうやらそういうわけでもないらしい。
「今まで、気づかれたことはほとんどありませんし。こうして見つかったのは、初めてですので」
「それは、それでどうなんだ。主に護衛側のやつらが」
とはいえ、ただ彼らを責める、ということもなかなかに難しい。
実際、脱走の際のアカネの隠密能力については目を見張るものがある。それこそ、手練の斥候なども目ではないほどであった。
アレでは気づけという方が難しい。
数少ない気づかれた事例というのも、様子を見るために部屋に訪れたら既にアカネの姿がなくて、というような経緯で発覚しており。たしかに、それほどに発見が遅れてしまえば、彼女の場所を辿るのは困難だろう。
少し行動が遅れただけで、俺もかなり手間取らされたし。
「それで、いったいなにをやっていたんだ?」
「そう、ですね。うまく言葉にするのは難しいんですけど」
「大丈夫だ。なんとなくでいい」
そもそも、深く理解できるとは思っていない。ただでさえ、理外の能力を扱う存在なのだ。そのあたりの理解が及ぶだなんて思ってはいない。
「調整、とでもいいましょうか。そんなことを、していたんです」
たとえば自然の流れ。風や、水や、生命の動き。
もしくは、ひとならざるもの――精を司るもの、魔を宿すもの、あるいは、死しても動くもの。
そういったものに干渉することにより、より平穏に、そして均衡になるようにバランスを保つのだ、と。アカネはそう言う。
「へえ。聖女ってそんなことまでやるんだな」
とはいえ、たしかに聖女の役割として言われているものを鑑みると、納得できなくはない。
聖女は世界に安寧をもたらす存在。その代の聖女がいかに優秀であったかで、泰平にも戦乱にもなりうる。
と、俺がそう解釈しようとした、その瞬間。
アカネは、小さく首を横に振った。
「……まあ、やるとは言っても。基本的には、形式ばったもの、らしいです」
世界そのものに干渉し、バランスを保つ。まさしく、神の御業ともいえる、その所業。
当然、そのようなことは通常できるわけでもない。優秀な聖女であれば、ほんの少し干渉できることがあるらしいが。それこそ、一部分だけ。自身の権能を以てして、最も得意なところに少し触れる程度が限界。
だからこそ、形式として。人々に安心を与えるための儀式として、行う。
アカネは、そう説明をした。
「なるほどな。……いや、ちょっと待て」
その話が正しいのならば――いや、この場においてアカネがわざわざ嘘をつく理由もないが。ともかく、正しいと仮定しておくならば、おかしな点がひとつある。
アカネは、人々を安心させるための儀式として、形式的に行う、とそう言った。
だが、そのためには観衆が必要だ。
安心させるために行っているくせに、それによって安心する人間がいないだなんていうのはとんだ笑い話である。
「……まさかとは思うが」
「ええ。リンドウの想像のとおりです」
いろいろな、予感が。俺の持つ、断片的なアカネの情報たちが、線で結ばれていく。
――アカネは、世界に干渉ができる。
彼女が人々に見せた奇跡の数々など、些細なものに過ぎない。……ある人が言った、アカネは現世に舞い降りた現人神である、と。
嫌な話が、それがあながち間違いではない。
アカネは、まさしく神の御業とも言える所業を成し遂げることができる。
「ちなみにそのことを、一般のやつらは」
「公表されているのであれば、こんな夜中に隠れて行いませんよ」
ふふふ、と。小さく笑いながらにアカネはそう答える。
笑って、いるはずなのに。ひどく、辛そうに見える。
――稀代の聖女? バカげている。……あのとき感じた忌避感は、やはり、間違いではなかった。
どれだけいいように言葉を並べて持ち上げようとも。つまるところが、ただのテイのいい押し付けではないか。
酷い話である。ただでさえ、あれほどまでに重圧を強いられているというのに。
喝采の届かない舞台裏でさえも、彼女はその責務から逃れることはできない。
アカネは、聖女であることを強いられている。
十にも満たない子供が、である。……それを同年代の俺が評するのもおかしな話ではあるが。
「苦しく、ないのか?」
思わず、そんなことを聞いた。
「……苦しくなんて、ないですよ」
アカネは、定型のように返答をする。
だがしかし。そんな彼女に。俺は小さく首を横に振った。
どうせ、この任務が終わったらそれきりの関係性ではある。見過ごしたところで、俺にはほとんど影響はない。
そう、わかっていても。やはり、困っている、苦しんでいる、悲しんでいる人間から目を背けるのは。どうにもできそうにない。
だから、この接触が。アカネという厄介な性状を持つ人物に関わるということであり、俺自身に不利益をもたらしかねないとわかっていたとしても。
放置、できない。
「嘘だな。そんなわけがない」
「いいえ、本当に苦しくなんてないです!」
やや食い気味に、アカネがそう否定をしてくる。
しかし、その様子は。むしろ暗に肯定を伝えているものであって。
「最初にも言っただろ。俺は、正教会にも聖女にも興味がねえ。もちろん、お前が聖女だろうが聖女じゃなかろうが。どうだっていい」
「ッ!」
「だから、聖女として、とか。正教会のメンツが、とか。そういう気を張らなくてもいいんだ」
こんな、変な気を回すのは子供なりに気恥ずかしいような感情もありはするが。しかし、こうでもしないと、アカネはその心の裡を見せない。
アカネを助けることが、できない、と。そう、思ったから。
アカネは、一瞬、どこか救われたかのような表情を浮かべながらに俺のことを見返して。
そして、俺の手を取ろうとして。
しかし、すんでのところで、引っ込めてしまう。
「……やはり、辛くはないです」
ダメだった、らしい。少し、歯噛みをする。
「だって。私は聖女ですから。……いえ、聖女でなくとも、力を――才を有してしまっている人間ですから」
それは、まるで呪いのように。
「才あるものは、弱きを救けなければならない。それが、才を持つものの責任だから」
しかしながら、縋るように。そんな言葉を、アカネは口にした。
何度も繰り返し、アカネから聞かされた言葉だ。
「むしろ、リンドウも同じだと、そう思っていたのですが」
「……バカ言ってんじゃねえよ。俺は、怠惰な人間だ」
たしかに受けた任務についてはしっかりと遂行はするが、それ以外のことについては、という話である。
アカネにとってそう映ったのは、おそらく、彼女と接している今が任務であるからであろう。
そうなんですか、と。どこか残念そうな様子で俺へと視線を返してくるアカネ。
……ああ、そうだ。俺は、怠惰な人間だ。自身の責任から、逃げたような人間だ。
だが。それと同時に。理性では拒否していると、いうのに。
どうしても、アカネのことを放置できない。面倒だというのは、理解しているのに。
「アカネ」
俺が彼女の名前を呼ぶ。
ゆっくりと視線をこちらに向けたアカネに対して。俺は、ひとつの提案をする。
「俺は、怠惰な人間だ。それは、これまでもこれからも、変わることはないだろう」
任務以外で責任を負うのは、まっぴらごめんである。――だが、
「だが、少しくらいは。……アカネの前でいる間くらいは、勤勉でいても。いいのかもしれない」
「……えっ」
だからこそ――、
「アカネも。俺の前にいる間くらいは、怠惰であっても。……聖女であることを、強いられなくてもいいんじゃないか」
これが、なんの根本的な解決にもならないことは理解している。
だが彼女の問題は、既に深いところに根差していて。これを排そうものならば、彼女自身の精神の拠り所までもを壊すことになりかねない。
だからこそ、ただの気休めであり。そして、これが最善策。少なくとも、このときの俺が取れたであろうものの中では。
無論、なかなかに破綻している提案だということはわかっている。これを叶えるためには、俺がアカネのそばにいる必要がある。正直、関わりたくない相手のそばに。
……気休めにしかならない割には、払う犠牲が大きい気もするが。
「いいの、でしょうか」
「いいんじゃねえか、別に」
「すごく適当……」
だが、アカネに対してはこれくらいのスタンツのほうがいい気はする。
「怠惰な人間がたまに勤勉にしてもいいだろうし、逆も然りだ。ちょうど、入れ替わる分、バランスもいいだろう」
「……ふふっ、それも、そうですね」
アカネが、小さく笑う。ここまでで見た、彼女の表情の中では、最もいいものだと、そう感じた。
「それなら、リンドウにお願いがあるんですが」
「まあ、聞いてやるよ」
「あら。それとも、依頼、と伝えたほうがいいですかね?」
こいつ、なかなかにしたたかである。しれっと、さっきまでの話を覚えていやがった。
「……受けるかどうかはともかくとして、とりあえず聞いてはやる」
「ありがとうございます。まあ、なんというか、改めて言葉にするのも恥ずかしいようなものなんですが」
と、そう告げて。アカネはいろいろと、語り始める。
やってみたいこと、そうありたいこと。
普段の彼女ならば、言葉にすることも立場上許されないようなこと。
まるで子供のような、その願いたち。……いや、紛うことなく、今の彼女は子供なのだ。
決して、子供の姿に変貌したなどということは、なく。間違いなく子供なのである。
けれど、今の彼女は――リンドウの前にいる彼女は怠惰だから。
「こんなことを、言ったのは久しぶりです」
もちろん、彼女自身、それが簡単に叶うとは思っていない。
「だから、ここまではただの願望。依頼は、ここから」
アカネはニコリと笑いかけながらに、そう言う。
その表情は、どこかいたずらっぽくて。
「私を――――にして欲しいんです」
忘れたこともない。彼女は、たしかにそう言っていた。
「でも、それは難しいことだと理解しているから」
そして。俺はその後に続く言葉も知っている。たしかに、覚えている。
「もし、それが叶いそうにないのならば――」
意識が、ぐらつく。いや、少し前からだ。
認識に、齟齬が起こっていた。
その理由が、少しだけ理解できてくる。
ふたつの意識が混ざっていた。今の俺と、今の俺の、ふたつの意識。
そして。片方の意識が、警鐘を鳴らす。
早く起きなければならない、と。




