#28
「あなたがリンドウさんですね。私はアカネといいます。今日は、よろしくお願いします」
「ああ、よろしく」
結局引き受けることになった俺は、翌日、ギルドの仲介のもとで少女と会った。
鮮やかな緋色の髪を携えた少女である。
シンプルながらに豪奢な服装は、おそらく彼女の正装なのだろう。
見てくれだけの印象ならば、身につけているものの質などはともかくとして、やはり同年代というだけはあって幼い印象がある。
だが、纏っている雰囲気やその物腰の淑やかさなどについては、不気味なほどに不似合いである。
仕事の内訳としては、隣町までの往復路、及び滞在中の護衛。
アカネは馬車で移動。馭者は別にいるので、馬車に付き従って歩いていく……つもりだったのだが。
なんでもアカネの道中の暇つぶしも仕事のうちだのなんだのとギルドマスターから強引に乗せられた。……まあ、有事の際は動くし、それまで馬車の上にいていいのならば楽なのでありがたい話ではあるが。
「…………」
しかし。暇つぶし、と言われても。初対面の相手同士なこともあり、会話が全くと言っていいほどに進まない。
アカネの方もそれは同様な様子で、こちらの様子をうかがってきてはいるものの、話を切り出してくる様子はない。
……ならば、俺の方から動いていく必要があるが。互いのこともほとんど知らない状況だし。俺がギルドマスターから彼女について聞かされた話といえば、
「なんでも、稀代の聖女だのなんだのって呼ばれてるらしいな」
「あら、ご存知でしたか。ええ、お恥ずかしい限りですが、皆さんからそう呼んで頂くことがあります」
丁寧な所作でそう答えるアカネ。……どうにも、絶妙にやりにくい。ついでに、相手をしていると疲れる。
ギルドの連中なんかだと、自身の手柄などについては謙遜などするわけがねえだろうがよと。武勇伝をそれはそれは雄弁に語っている姿を見ることができる。あれはあれで面倒なものなのだが、こうして謙虚にされすぎるのも対処に困る。
「せっかく、こうしてお会いしたのも縁ですし。なにかお困りごとがあれはお力になれるかもしれませんよ」
「いらねえよ。興味もねえ」
俺がそう言い放つと、アカネは目と口を真ん丸に開く。
……まあ、一切興味がない、というわけではないが。昨日の昼のアレを見せられたあとでは、そういう気も起きない。
「というか、そんな気を使わなくていいぞ。……それを言い始めると、俺の方がむしろ気を使えという話にはなりそうだが」
そもそも、現在の俺たちの関係性については、アカネが俺の雇い主であり、俺は彼女に雇われている護衛である。
だというのに、アカネの方が俺に対して丁寧に対応して、俺が煩雑に、というのはいろいろと逆になっているだろう。
無論、雇い主が護衛に対して適当な応対をしていい、というわけではないが。今回に限っては、アカネにも楽にしてもらったほうが俺にとってはやりやすい。
「しかし、私は――」
「聖女だから、か? まあ、そう思う気持ちもわからなくはないが、その点については心配無い」
ギルドマスターが、どうして俺をあてがったのか。少しだけ理解できた気がする。
なるほど、たしかにある意味では適任であろう。
「俺は敬虔な信徒ってわけじゃあないからな。正教会がどうとか、聖女がどうとか、興味ねえ」
聖女の力がどんなものか、というくらいなら興味はありはするが。むしろどちらかというと不敬な考えであろう。
最低限の信仰しかなく、聖女に対する盲信もない。
俺もアカネに対して過度な期待は抱かないし。アカネも俺に対して肩肘を張る必要がない。
そもそも、アカネは俺と同年代なのだから。こうして過度に周りの目や評価を気にしたり、相手の望むことを伺いながらに生活している、というのが異常ではある。
たとえ、それが聖女という立場のある人間であったとしても。
ギルドマスターがなにかと理由を付けて俺を馬車に乗せたのも、要は彼女の息抜きに付き合え、という意味合いだったのだろう。
それならばそれでちゃんと事前にそう言っておいて欲しいものである。……まあ、キチンと言葉でそう言うと、俺が報酬を請求してくるからだろうが。
まあ、あとからちゃんと追加で請求するが。
「では、その。……リンドウ、とお呼びしても?」
「好きにしていいぞ」
口調については、まあ、慣れてしまったものでもあるのだろう。簡単には抜けないかもしれないが、少しだけ雰囲気が柔らかくなったように感ぜられた。
隣町に到着するや否や、彼女の周りにはすぐさま人だかりが形成された。
いちおうは護衛という立場なので民衆たちに対して牽制をするが。しかし、四方八方から我先にと寄ってくる彼らの圧はとてつもないものだった。
せめてもの俺のやれることはといえば、なんとか順番に整列させることで。それでも、順番を守ろうとしない人間は結構いた。
アカネはそんな彼らの期待に応えるようにして、ひとりひとりの話を順番に聞きながら、彼らの望みを解決していた。……そう。解決したのだ。
もちろん、それこそ人生相談であるとかの、その場で話を聞いてすぐに解決できるようなものもありはした。……子供に相談するのはいかがなものかと思わなくはないが、一般認識として聖女という存在の認識が特別であるがゆえに、年齢などは二の次なのだろう。
しかし、そういった質問が解決できるのはまだ納得できるにせよ。俺の目の前で解決されていった望みたちは、その程度の範疇に収まらなかった。
たとえば、怪我をしてしまったから処置をしてほしい、という男性。もしも俺が受けようものなら医者にかかれと一蹴しそうなものであるが。しかし、その言葉を受けたアカネは、彼の負傷部分に触れながらなにやらつぶやくと、次の瞬間にはその怪我が痕もなく完治してきて。
たとえば、近くの村の村長が日照り続きで作物が不作になりそうだと訴えかければ、アカネは村の場所を尋ねて。そうして少しした後に、その村がある方角で雨が降っている様子が確認できた。
たとえば、たとえば、たとえば――、
アカネが行ったことは小さなことから大きなことまで様々で。そして、その多くは。
人の身には余る、異常な事象としてこの世に顕現していた。
なるほど、これはたしかに、聖女が特別な存在として扱われるわけである。
なんならば、アカネのことを現人神として崇拝している人物もちらほら見える。……まあ、あれを見せられた後であれば、思考が理解はできなくはないが。
ただ、共感はできない。
(あまりにも、一方的だ)
民衆が行っているのは、アカネへの陳情。
ただひたすらに、願いのや悩みを伝えるのみ。
状況としては、ひどく滑稽だ。
大の大人が、十にも満たない子供にただただ望みを伝えている。
見返りも、提示せずに。
仕事として依頼を受けている俺からしてみれば「報酬は?」のひとことを返してやりたくなるような状況である。
いや、体裁上は見返りはあるのか。
正教会への信仰。彼女への尊敬。
そういったものを、彼らは返している、という建前なのだろう。
笑い話にすらならない。
そんなもので腹が膨れるわけがない。
一部の裕福な人間などであれば正教会への寄付なども行っているだろうが。しかし、こんなところに我先にと集まってきているような人たちの中に、はたしてどれだけの人間が寄付を行っているだろうか。
ほとんどいないだろう。いたとしても、彼女の働きに見合う寄付を行っているような人物はまずいない。
しかし、アカネはただひたすらに彼らの望みを聞き。そして、それを叶えていた。
上っ面だけの潔癖性に、反吐が出る。
(やっぱり、関わるのは間違いだったか)
普段であれば、持ち込まれた依頼については基本的には受けている。
というか、俺自身の立場と信念の都合、そもそもの話が断るという選択肢をほとんど用意していない。
どう考えても達成不可能であったり、倫理的に受諾するのが憚られるものであれば断ることはあるが、基本的にはギルドマスターがそのあたりの配慮をしたものを持ってきてくれるし、断ることはほとんどなかった。
だが、今回の依頼については。少し、迷った。
どう考えても、任務内訳がヤクモノだったからだ。
達成不可能な任務ではないし、倫理的にも問題はない任務だ。
けれども、どう考えても面倒な裏があるということが明白で。
しかしながら、それでも俺は受ける決断をした。
自身の信念に照らし合わせた結果でもあったが。加えて、アカネという人物に興味が沸いたから、というものも確かな理由だった。
アカネのことがかわいそうに見えたから、というのも理由の一端だ。だが、悪いがそれだけの理由で手を差し伸べるほど、俺はお優しい性格はしていない。
どちらかというならば――、
(同情をした、というわけでないが)
どうにも、あのときのアカネの姿が、他人事には見えなくて。
放置をしておく、というのが。どうにも、胸をそわつかせた。
しかし、関わってみた結果がこれである。やはり、面倒そうなものには関わらないほうがよかっただろうか。
(……だが)
「リンドウ。今、大丈夫ですか?」
「ああ。大丈夫だ。少し考えごとをしていただけだしな」
どうやら、ひとしきりの仕事をやり終えたらしいアカネが話しかけてきていた。
相当人数がいたはずだが、あれをすべて乗り越えたのか。……あまり、こういう評価はよくないのかもしれないが、稀代と呼ばれるだけはあるのだろう。
「少し、この街を歩くので。護衛をお願いしてもいいですか?」
「言われなくとも、それが俺の仕事だ」
……そう。現在の俺は、アカネの護衛としてこの場にいる。
だからこそ。あまり関わるべきではないと理解していながらも、彼女の現状が気になるのは自然なことであり。別に、なんらか他の理由があるとか、そういうわけではない、はずだ。
「それでは、よろしくお願いしますね。リンドウ」
「……ああ」
街の中を歩きながらも、彼女のもとへは人が押しかけてくる。
最初に降り立ったときほどの圧ではないが、その人数については広範囲を移動しているだけあってか、匹敵するか、あるいは上回っていたことだろう。
観光などという余裕は微塵もなく、ただ歩いては対応をして、ということをしているうちに日が暮れてしまった。
あらかじめ予約を抑えていた宿に入る。無論、部屋は隣ではあるものの別の部屋。
俺の護衛に、アカネの息抜き、ケアという意味合いを含まされているのであれば多少彼女と会話を交わしてもよかったかもしれないが。とはいえ、アカネの存在は民衆たちにとってあまりにも大きい。
どこに耳目があるかもわからない街中で下手に行動して、噂など流れようものならばお互いにとって不利益となりかねない。
「おっさんは文句を言うかもだが。そもそも俺の仕事は護衛だからな」
そちらを遂行していれば、文句は言われないだろうし、言わせない、と。
そんなことを考えながらに身体を休めていると。ふと、妙な気配がする。
廊下でなにか、動いただろうか、という程度の。よくよく集中でもしなければ気づかないような、微かな気配。
一瞬、夜間にもかかわらずアカネのもとにやってきた阿呆かとも思ったが、違う。そもそもそういう気配ならば、わざわざここまで消す必要はないだろうし。
と、いうか。気配はどちらかというと、近づくのではなく、離れていく向きに動いていて。
「……あー、くそ。めんどくせえ」
気づくのが遅れた。
そもそも接近された気配がないというのに、誰かが離れていく気配がしたということは、その要因はたったひとつ。
念の為にと確認してみるが、案の定アカネの部屋はもぬけの殻。
「どうやら、大層な散歩が好みみたいだな」
既に街も寝静まっている。昼間に叶えられなかった望みたちを叶えに行った、などではないのは明白。
となると、彼女自身の私用であろう。
いちおうは護衛が俺の仕事なのだから、せめてひと声かけてもらいたいものだが。とはいえ、ここにいない相手に文句を言うこともできないわけで。
「……とりあえず、探すか。仕事、だしな」
わざわざこんな夜更けに、それもあれほどまでに気配を消しつつ外に出るあたり、なにか事情があるのだろうが。とはいえ、こちらも仕事である。
おそらくはひとりになりたかったなどの彼女なりの思惑はあるのだろうが。しかし、なにかあったともなればこちらに責任が飛んでくる。それは勘弁願いたい。
「しかし、見事に痕跡を消しながらどこか行きやがったな、あんの聖女め」
これは、探すのに骨が折れそうである。
最低限の荷物だけを準備して、早々に外に出る。




