#26
アカネを伴いながらにしばらく移動していたものの。そのうちに時間が経ち、日も落ちて、あたりが暗く闇に包み込まれる。
これ以上の今日の移動は危険であろうと、小規模ながらに野営の準備をする。
可能ならば火を焚きたいところではあったが、聖霊に居所を察知されてしまっては叶わない。それこそ、この暗闇の中でアカネを連れて逃走、というのは不利を極める。
まあ、送りの霊穴とは違って極度の低温環境というわけではない。もちろん、夜が冷えるというのは事実ではあるが、通常の防寒の準備だけでもある程度は凌げる。
「ああ、毛布はひとつで十分だよ」
「いや、いくらお前でもこれはあったほうがいいだろう」
携帯用の毛布のふたつめを取り出そうとしてアカネから止められる。
予備、という役割もなくはないが、元よりアカネの救出が目的であったので、アカネのためにと準備していたものではあるのだが。
もちろん、聖女の力でどうにでもなると言われると、そうなのかとしか言えないのだが。……いや、そうだとしても、その力をこんなところで使わずに温存しておけと言いたいが。
「ふたりで一緒に毛布を使えば解決だろう?」
「……はあ?」
提示された回答は、想像の斜め上を行くものであった。
「体温低下を防ぐのが目的なのだから、それならばふたりで一緒に同じ毛布に入るほうが合理的だ」
「…………」
否定は、できない。
なにせ、たしかにアカネのいうとおりではある。
だが。
「…………いや、やっぱりダメだ」
「ふむ。随分と悩んだようだけれども。やはりダメか」
アカネはどこか不満げにくちばしを尖らせながらにそう言う。
たしかに合理的は合理的だろう。メリットがある、というのも事実だ。
だが。それはそれ、これはこれである。
なにより、現在、アカネは俺との性交をしようと様々な手を尽くそうとしてきているという状態である。
そんなヤバい女と一緒に、理由もなく同衾するというのは、空腹の猛獣が収められた檻に、手ぶらで踏み入るようなものだろう。
自殺行為もはなはだしい。
既に取り出していた毛布をやや強引にアカネに押し付けると、俺はもう一枚の毛布を取り出す。
アカネは毛布に包まると、先程までの不機嫌そうな様相はどこへやら「ふふふ、リンドウの匂いがする」とまんまるになりながら毛布に顔や体を埋めていた。
いやまあ、たしかに俺が使っていたものなのだから、匂いがするのはそうかもしれないが。……わざわざ嗅ぐようなものでもないだろうに。
「それじゃあ、俺が警戒してるから。アカネは寝ておけ」
「おや、リンドウは寝なくていいのかい?」
「ああ、警戒しながらでも身体は休められるしな」
護衛が必要な人物かどうか、ということはひとまずさておくとして。いちおうはアカネは俺の護衛対象である。現在も依頼の道中であることを考えれば、それが筋であろう。
……というのは半分本音で半分建前。実際のところは、アカネの前で不用意に眠ると、それこそ先程彼女がしようとしてきたように同衾を仕掛けてくるかもしれないからだ。
いや、同衾程度ならまだいいが、それ以上となると厄介だ。
「ふぅん」
アカネの、少々含みのある視線が、まさしくその答えと見ていいだろう。
「まあ、それならありがたく寝させてもらおうかな」
「ああ。しっかり安め」
アカネにとっては、現状はイレギュラーづくしであったことだろう。
聖霊に嫌われているとは言っていたが、しかしあの口ぶりをみるに襲われたことはないのだろう。
それ以外にも、彼女の身体が幼くなってしまっているがゆえに、様々な行動にかかる動作が普段のそれとは違ってしまっている。
実際、アカネ自身が普段と視点や手足の長さが違うがゆえに動きにくいところがあると言っていたし。そのために、余計な体力を消費しているだろう。
と、いうか。そもそもああやって幼い姿になっているそれ自体が、体力を消耗する行為だった可能性すらある。これについては、聖女の力の云々がなんなのか、というその理屈を知りもしない俺からすれば、完全に予測でしか語ることはできないのだが。
それから――ああやって、迫ってきている、ということも。
普段のアカネから鑑みると、押しが強いのはいつものことではあるが。しかし、程度と性質が大きく違うために、ある意味イレギュラーだと言えるだろう。
それに、ああやって俺がアカネを拒むのに体力を割いているのは、すなわち、アカネが迫ってきていることにも体力を割いている、ということでもあるだろう。
体力的にもそうだし、それに。
原因がどうあれ、経緯がどうあれ。断られるというのは、精神的な負担がある。
己の感情……から動いているのかは微妙かもしれないが。それを拒まれ続けるというのは、少なくとも楽なものではない。その内容が、事が事なだけに、余計ではある。
「……全く、わからねえことが多いもんだよ」
すう、すう、と。丸まった毛布から規則正しい呼吸の様子が伺えたのを見て、俺はそう呟いた。
むしろ、わからないこと以外がほとんどない。
アカネが俺に対して性交渉を申し込んできたその理由は、一応納得はしたものの、だがそれでも、なぜという疑問が完全に消え去ったわけではない。
たしかに秘匿性は高いだろうが。しかし、だからといって聖域という正教会にとって神聖な場所である聖域を選んだ理由。――特にこの場に聖霊がいることはアカネ自信承知であったことだろうし。ことの経緯が聖霊を逆撫でするということは想像に難くはなかったはずだ。
その聖霊についても、その能力の詳細が不明な状態である。ただ、その性質がかなり厄介そう、という、嫌なことだけはわかっているが。
「……本当に、どうしてその姿なんだろうな」
小さな寝息を立てながらに横たわっているアカネの姿を横目に、そんなことを考える。
アカネは俺の好みを反映しようとした、とそう言っていたが。しかし、何度も弁解しているようにそんな趣味は無い。
俺がシラギクと頻繁に関わっているがゆえにアカネが勘違いを引き起こしただけ。俺がその見た目相手だと無碍に扱うのを憚られているのを面白かっているだけだと。そう、思ってはいる。
思っては、いるのだけれども。
「ったく。なんで、よりによって、なんだよ」
その見た目が、昔のアカネに――出会った頃のアカネそのままであるがゆえに。
あまり、思い出したくない記憶が無理矢理に掘り起こされようとしてしまっている。
俺が、アカネに関わるようになった、その理由。関わらざるを得なくなった、その、始まり。
ひどく頑丈で、複雑に絡まった腐れ縁が、生まれてしまった、その原因を。
「……今は、下手なことを考えるべきじゃない」
そこには、思い出したくない、という個人的な感情もあったことは否定しないが。
だが、気にするべきことがそこではない、というのも事実。
なにせ、その思考と感情は、あくまで俺自身の個人的なもの。現状の環境と状況には、影響はしていない、はず。
ならば、下手に心を乱されて、任務の遂行に支障を出すわけには行かない。
「どこぞの妹聖女のせいで、厄介な任務要件が追加されてるしな」
シラギクによって、任務の達成要件に、俺とアカネの両名の無事が記載されてしまっている。
普通にしているだけならば、普通に戦うだけならば。非常に不本意ではあるが、俺単独ならばともかくとして、アカネがいる状態で無事でない、ということはまず無いだろうが。
しかし、このは聖域という普段以上にイレギュラーな場所。知見が少ないものの、接敵が推奨されない聖霊という敵に加えて、アカネの身体が幼いという事情もある。
「……本当に、お前ら姉妹と関わっていると、ロクな目には合わねえよ」
愚痴っぽく、そうつぶやきながら。小さくため息をついて。
続いて出てこようとした言葉については、差し控えておく。
今更、といえばそうなのだが。万が一アカネが眠っているように見せかけて話を聞いていたら、厄介だと思ったからだ。
まあ、これまでの話については、別に聞かれても問題ないことだったし、大丈夫、だろう。おそらく。
「…………俺も、少し休むか」
なんだかんだと様々なことが起こっていたので、俺自身もかなり疲れていた。
完全に眠りはしないが、それはそれとして、休息はとっておくべきだろう。
明け方、というにはまだ少し早い頃合い。
「起きてるか、アカネ」
「ああ、少し前からね。リンドウのおかげで久しくよく眠れたよ」
「……そりゃあよかった。だが、そんないい話ばかりではないらしい」
それほど遠くはない距離に、聖霊がいる。視界の範囲外ではあるが、たしかに気配がある。
それも。厄介なことに、どうやらこちらのことに気づいているようだった。
即座に襲いかかってこないのは、おそらくそこにいる聖霊が一体だけで、かつ、こちらが動いていないからであろう。
単身では返り討ちに遭うと判断したのだろう。だが、俺たちから目を話せば、その隙に逃げられてしまう可能性がある。
そして、俺たちが現状動きを見せていないからこそ、相互の体制が待ちになり、膠着状態が続いている。
「しかし、このまま睨み合いを続けるなら、だんだんと不利になるのは私たちだろうね」
アカネが落ち着いた声音でそう言った。
現状の膠着状態が発生しているのは聖霊が一体だけしかいないからだ。
だが、ここ聖域には聖霊はたくさんいる。そのうちに、近くを通りかかる聖霊が現れる可能性は十二分にある。
そうなれば聖霊の数は二体、三体と増えていくことになるし。そうでなくとも、監視役以外の聖霊が現れる都合で、周囲の他の聖霊を呼びに行く余裕が生まれる。そうなれば、不利どころの騒ぎでない。
「払暁まで……は待ってくれそうにはないよな」
正直、まだ視界が十分とは呼べない現状で逃走をするのには不安が残るが。しかし、明るくなるのを待っている間に別の聖霊が現れる可能性が高い。
試しに少し動いてみると、聖霊も少し慌てながらに反応をしているのが伺える。
……なるほど。距離はある、が。下手にも動けない。
「逃走をするにしても、攻撃をするにしても。一気に動く必要がありそうだね。さて、どうする?」
「……攻撃を仕掛けに行ったなら、間違いなくあの聖霊は逃げる。俺たちが追いつくよりも先に、別の聖霊に合流されるとまずいだろう」
それもあって、あの聖霊はこちらの様子をうかがうだけにとどめて、近づきも、遠ざかりもしていない。
追いかけるという行為の都合、周囲に俺たちの居場所がどうしてもバレやすくなる。それは、避けたい。
ならば、逃げるしかないだろう。……都合、遠いとも近いとも言えない距離感に聖霊がいるので、まだ十分ではない足元でも、なんとか逃げ切れるだろう。
ただ、この毛布は放置してしまうことにはなるだろう。先程少し動いただけでも反応していた聖霊だ。この毛布を仕舞い込むだけの隙を見逃してくれるとは思えない。
少々不本意だが、いちおうは予備があと一枚だけ入っているし。なんとか、なるだろう。
小さな動きでそっと懐中の方位磁針を確認する。幸い、進みたい方向と逃走の方向が一致している。基本は、真っ直ぐ走って大丈夫そうである。
「それじゃあ」
スッ、と。アカネがその手を差し出してくる。
「なんだ、その手は」
もはや少し慣れてきたので。なんとなく、その意図は察するところはあるが。とはいえ、いちおう違う可能性にかけて、聞いてはみる。
例えば、携帯食料を要求しているとか、携帯食料を要求しているとか。……いや、絶対にありえないな。
「わかっているだろう? ほら、手をつなごうじゃないか。それとも、この暗がりの中を走って、私が転んでしまって足を止めてもいいのなら、それでも構わないが」
「わかったわかった。ほらよ」
それを言われてしまうと、なにも言い返せない。
観念して、差し出されたアカネの手を握る。
彼女はどこか満足そうな様子で、うんうんと頷いていた。
最初に、手を差し出したのが間違いだったか。
でも。あれを見過ごすのはそれはそれで。
……いや、過ぎたことを考えるのは、やめよう。
そもそも、現状が敵に接近されている状態だ。今は、こちらに集中するべきだろう。
「準備はいいか、アカネ」
「ああ、いつでも構わない。リンドウと私の仲だ。言葉さえ不要で、いつだって合わせられる」
そんな仲が良かった記憶はないが、と。頭の中で訂正しておきながら。しかし、俺とアカネならば、たしかに合わせられるだろうという確信があるだけに、少々複雑な気持ちになる。
「それじゃあ、行くぞ」
ダッ、と。俺が走り始めたのとほぼ同時、アカネもその足を動かし始める。
それに少し遅れて気づいた聖霊が俺たちのことを追いかけ始めた。




