#23
俺の言うことを聞いてくれた、のだろうか。「どうやらリンドウも乗り気じゃないみたいだし。ひとまず、この場ではいいか」と、アカネはそう言うとスッと真っ直ぐに立って、歩き始める。
……いや、どう考えても言うことを聞いてくれたってわけじゃないな、これ。問題に対する結論と解決を先に送りにしているだけだ。
シラギクのときと同じくなことをしようとしているのだろうかと、そう思わなくもないが。一方で、今回に関しては俺自身に責任があることでも対処のしようがあるわけでもない、という事件の性格がある。
いやまあ、俺がアカネのことを受け入れれば解決するというお話ではあるのだが、この流れで事に及ぶというのはさすがにという気持ちが湧く。
彼女が俺を選んだ理由に私欲があると言ったように、俺だって相手を選びたい感情はある。
「それじゃあ、行こうか」
「おい、そっちは逆じゃないか?」
アカネが足を向けたのは、俺が来た方向とは真逆――つまり、聖域のより深部へと向かう方向である。
無論、俺が聖域の構造に詳しくないためにそちら側にも出口がある、という可能性はあり得るが。
「うん、場所を変えようといったのは君だろう? だから、場所を変えようと思ってね」
「……いちおう、今回の俺の任務は、お前の帰還の護衛なんだが」
依頼主を見つけたにも関わらず、そいつが出口と真逆に進もうとするとはこれいかに。
「任務の本音が違ってるってのは君も把握してることだろう?」
「ああ。だが、あくまで俺が受けたのはこの書面としての任務だ」
「……ふぅん。まあ、いいか」
少し面白くなさそうにしながら、アカネはくるりと踵を返すと元の場所に戻ってくる。
「そもそも、聖女以外立ち入り禁止の聖域を、曲がりなりにも聖女じゃない俺がウロウロしてるってのも問題だろう?」
「ああ、それなら問題ないと思うよ」
あっけらかんと言い放つアカネ。
たしかに、いちおう今回の任務を受諾するにあたって正教会から許可が降りているという旨は聞いているが、それでも無闇に探索するようなものでもないだろう、と。
俺がそう伝えるも。しかし、彼女は「少し誤解があるようだね」とそう言って、少し笑いながらに言葉を続ける。
「正教会が聖域のことを聖女以外立ち入り禁止、と言ってるというのは半分正しく半分間違いだよ。たしかに、神聖な場所という扱いになってはいるけど、それは因果関係が逆」
人差し指を立てながらにクルクルと弄びながらにアカネは言うと、そのまま、ピッと下……地面を指差す。
「そもそも、聖女じゃないとこの聖域に踏み入ることができない。今いるこの場所に辿り着くその前に、聖域の結界に惑わされた結果、そのまま外に出てしまう」
「……は?」
たしかに、それならば、ここが神聖な場所であるという正教会の言い分もわかる。だがしかし、その一方で理解できないことが発生している。
今のアカネの言葉を素直に受け取るならば、聖域には侵入者防止の結界が張られており、聖域の中に入れるのは聖女だけ。そして、ここは既に聖域の結界の中。
ならば、俺はどうなる。
「うーん、愛の力ってことかな! さっすがリンドウ、私のことが大好きなんだから!」
「うるせえ、勝手に人の感情を解釈するな。そもそもお前のことは大嫌いだ」
だが、アカネの言うように、そもそも聖域には聖女以外が立ち入れないことが真だととすると、嫌なことにいくつか氷解する箇所もある。
正教会に問い合わせたときに、正教会側はとてつもなく困惑していたという。アレは、聖域が立ち入り禁止だから、という感情もあったのだろうが、それよりもそもそも立ち入ることができないはずであるから、対応に悩むわけではなく、申し出に対して困惑をしたのだ。
とはいえ、そうなると今度は先述のように、なぜ俺が入れているのかという問題が大きく前面に出てくるのだが。
アカネが言うように、愛の力などというクソみたいな理由ではないはずだ。おそらく。
……まあ、そう在ってほしくない、という感情が含まれていることについては否定しない。だが、これに関しては俺個人の感情からくる希望的観測というよりかは、そんな蒙昧な理由だけではないだろう、という直感的な事由ではある。
「だが、聖女じゃない俺がここに来れない可能性もあっただろう。それなのに、なんで俺をこんなところに呼び出したんだ?」
「まあ、きっと来れるだろうという確信があったからね。君は、任務の遂行に関しては絶対の信頼があるし」
それに、と。彼女はニヤリと笑いながらに言葉を続ける。
「そもそも、さっきも言ったでしょ? ここは周囲に人が来る心配もないし、秘匿性と隠密性という意味では非常に優秀だって。性交渉に及ぶに於いて、君の要求を満たせると思ったんだけど」
そりゃあ、聖女以外に立ち入ることができないのならば、そもそも原則誰かが来るということもないだろう。万が一に来るとしたら聖女だろうが、そのあたりについてこのクソ女が対策していないわけがない。
おそらく、正教会を通して他の聖女が聖域に入らないように統制しているのだろう。
シラギクが自分は今は聖域には入れないと言っていた。最初は彼女の身体が死んでしまっているからだと思っていたが、今は、という言葉を付しているあたり、そうお触れを出されている可能性が高い。……まあ、シラギクの場合はアカネから直接に伝えられている可能性もあるが。
とはいえ、仮にも神聖な場所のはずなのに、性交渉の場所として都合がいいからと使おうとするんじゃないよ、このクソ女が。
……まあ、俺自身正教会の敬虔な信徒というわけではないから、そこまでなにか思ったりしているわけでもないが。
とはいえ、場所としては隠密性と秘匿性以外が壊滅的すぎる、という側面での文句はあるが。
「……とにもかくにも、いったんこの話はここまでだ」
「ええ、せっかく聖域まで来たのに?」
「聖域なんかに来てるから、だ!」
最終的に、俺が彼女の行為を受け入れるにせよ、拒むにせよ。少なくとも、ここで及ぶことについては勘弁願いたい。
どうするべきかの判断のための猶予としても、ひとまず、彼女を連れて聖域を抜け、帰還することが最優先である。
「元より、今回の任務はお前を連れ帰ることだからな」
「……最初から、任務に性行為を盛り込んでおけばよかったかな。いや、それだと受理されなかっただろうし」
「恐ろしいことを言わないでくれるかな」
そんな任務、仮にいつものごとく強制受諾で設定されていたとしても、なにがなんでも受理したくない。
(……と、いうか。そんなことよりも)
アカネの普段の振る舞い――俺に対してのみ発動する横暴さを加味するのであれば、わざわざこんなところに呼び出さなくともよかっただろうに。
もちろん、彼女が言うように隠密性と秘匿性という意味では右に出る場所はないのだが。とはいえ、こんな婉曲な方法を使わなくともよかったはずではある。
(なにか、別な目的があった、とか?)
この場所でないとできないこと、あるいは、この場所でないとわからないこと。たとえば、アカネはここにたどりたいた俺を見て、普段ではほとんどしない、俺の身体を見て回る、ということをしていた。
……まあ、アレについては性交渉を申し込む前の最終確認なだけの気もしなくはないが。
とはいえ、わざわざ聖域などという、俺が来れるかどうかもわからない場所へと連れてきたことには意味がある……はずである。
(あるいは、アカネにも人並みの恥じらいに近いものがあった、とか。……いやまあ、さすがにないか)
隠密性と秘匿性を重視しているあたり、可能性としては無い話ではないが。とはいえ、それにしてはやりすぎな気もするし。
それ以上に彼女の性格的に、そんなところを気にするだなんて。
(随分と昔から、見ていない気がするしな)
ふと、そんなことを思っていると、意識せず、アカネの顔を見つめてしまう。
それに気づいたアカネは得意げな笑みを浮かべながらに「なあに? 私の顔に見惚れてた?」と、そうからかってくる。
「なわけねーだろ、どれだけ見慣れてると思ってるんだよ」
「あははっ! 毎日でも見せてあげるよ?」
たしかにアカネの面に関しては非常に整ってはいるものの、彼女が来るときはたいてい厄介ごともついでに舞い込んでくる。できれば、勘弁願いたい。
「しかし、さっきも言ったけど。随分とシラギクには甘いんだね」
ひとまず移動を、ということで。森の中を並んで歩いていると。ふと、アカネがそう言葉を切り出した。
「お前に対してが厳しいだけだと思うが」
「うーん、それなら私に対しても同じく優しくしてくれてもいいと思うんだけど」
先程も答えたが、却下である。
せめて、面倒ごとを連れ込んでくれないのであれば、いくらか譲歩の余地はあるが。
「でも、シラギクだって面倒ごとを引き込んでくるでしょ?」
「…………否定はしない」
アカネほど高頻度、というわけではないが。俺がシラギクと関わるときは、他の一般人なんかと比べるとその差は歴然なほどに、なんらかのトラブルを持ち込んでくる。
元々、シラギクが俺の元を訪ねてくる要因が、なにかあったときの頼り先として、であるがゆえに。これについては仕方がないといえば仕方がないのだが。
「なら、その点については私もシラギクも同じでしょ?」
「だとしても、受け入れる際の態度の差とかもあるんだよ」
シラギクがひどい有様で泣きついてくることはあれど、アカネのように横柄な態度で関わってくることはまあない。そういう差は、心象の側面でかなり大きい。
……まあ、これまでの経歴、という側面もある。これでアカネが突然にシラギクのように殊勝な態度をとってきたら、それはそれで気持ちが悪い。
「あ、もしかしてシラギクのことが異性としてのタイプとか?」
「……はあ?」
「だから私のこの身体にも興味が無いのか」
「いや待て、なんでそうなった」
たしかにアカネの身体は成熟した女性のそれであり、女性らしい膨らみもしっかりある。
一方のシラギクはまだまだ子供であるがゆえに、そういったところについては比較的平坦なままである。……って、それは今はどうでも良くて。
「別にシラギクに対して胤を与えてくれることについては私としては問題ないよ? ……ああ、でもまだシラギクは子供を作れる身体ではないから、そういう意味では今はダメだね」
「話を聞け!」
暴走しているアカネを大きな声で制そうとするが、やはりというべくか、彼女は止まらない。これで止まるようなら、今まで苦労していない。
「しかし、そうか。ならば私が君の好みに合わせられるようになればいいんだな」
「無理だろうそれは。と、いうか。そもそも俺にそういう趣味嗜好は無い――」
「よし、これでどうだろうか」
突如として、聞こえる声が変わった。先程までのアカネの声音の面影を残しつつ、いくらかトーンが高くなる。
いや、より精密に言うなれば。こちらが面影の方であろう。
信じられない、という感情をいだきながらに。俺はアカネの方を振り向く。
「ふむ。なにも準備をしていなかったから、服なんかはサイズがぶかぶかになってしまっているね」
「嘘……だろ……?」
たしかに、コイツは聖女である。
それも、稀代の聖女と呼ばれるほどの存在であり。彼女が巻き起こしてきた数々の事柄は、まさしく奇跡と呼ぶべきことではあった。
だが、これは。これについては――、
「お前、その姿」
「ああ、君の好みがこんな感じなのだろう?」
過去の俺が見たことがある、幼い頃の、アカネの姿。
彼女の言うとおり、縮んだ身体では当然ながらに服のサイズが合うわけもなく、かろうじて腕に引っかかりはしているために完全に脱げてはいないものの、大きくずり落ちて肩が顕になっている。
――人体の、若返り。
奇跡の領分を、遥かに超えている。そんな現象が、目の前で繰り広げられていた。
その現象は、長年多くの人間によって研究されている事項であり、当然ながらに、多くの人間が諦めてきたことであり。
そんな事象が平然と行われているということはもちろん驚くべきことではあるのだが。
なによりも、驚愕すべき事項は。
「ふふん。どうだい? これでリンドウは私に欲情するだろうか」
「……だから、別にそういう趣味嗜好があるわけじゃねえ、って言ってるだろ」
頭のイカれた聖女が、たったひとりの男の情欲を掻き立てようするためだけに行った行為である、という点である。




