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それでも彼女は拍手する  作者: 神崎 月桂
鳴り響く喝采の壇上で
22/43

#22

 アカネの放ったその言葉に。ピシャリ、と。時が止まった気がした。


 脳が理解を拒む。全力で思考を放棄しようとする。

 聞き間違いか、俺の認識齟齬か。なんでもいいから、俺の今の認識を否定できるなにかが欲しい。


 急いでアカネから距離を取ると、彼女は依然として妖しい笑みを浮かべていた。


「ああ、安心してくれていいよ。君の想像している性交渉で間違いないよ。セックスとも言うね」


 微塵も安心できない。間違いであってくれたら、どれほどよかったか。

 というか、言い換えるな。必要ない、理解できてる。できてしまってる。クソが。


「……冗談にしても、タチが悪いぞ」


「冗談でこんなこと言うわけないじゃない。それで万が一本気にされたらどうするのさ」


 それはそうだが。冗談でないなら、なおさら不都合が過ぎる。


「仕方ないなあ。信じてないみたいだから、改めてもう一度言うね。……全く、女の方から二度も言わせようだなんてひどい人だよ」


「やめろ、頼んでもないことをするな」


 俺の全力の拒絶を、なお楽しむかのようにして、アカネはその口角を更に上げる。


「リンドウ、私と一緒に子作りをしようか」


 もはや、どうあがいても聞き間違いであるとか、勘違いでないことは明白だった。

 加えて、非常に厄介なのが。目の前のアカネはふざけたような物言いをしているくせに、ふざけて言っているような素振りが一切ない、ということ。

 つまり、アカネは本気で子作りをしようとしているし、そのために俺をここに呼び出したということになる。


「ふむ。思ったよりも反応が芳しくないな」


「この状況で性交の申請されて手放しで喜べるほど性に興味があるわけじゃねえんだわ俺」


「周囲に人が来る心配もないし。秘匿性と隠密性という意味では非常に優秀だと思うけど」


「そういう意味じゃねえよ」


 たしかにそこも大切だとは思うが、屋外も屋外、思いっきり森の中でするんじゃなくて、せめて最初くらいはちゃんとした室内で……って、なに真面目に考察をしているんだ。


「なるほど、リンドウは初めてはベッドの上でいちゃいちゃとしたい、と。参考にしておこう」


「おい、勝手に変なことを付け加えるな。あと勝手に人の心を読むな」


「ふふふ、わかりやすい表情をしているリンドウが悪いよ」


 楽しげな様子で、アカネは笑う。完全に弄ばれている。

 これで発言の内容まで遊んでいるだけ、ならよかったのだが。しかし、どうにもそうではいらしい。


「……経緯を。せめて、なんでそんな世迷言を言い出したのかの理由を説明しろ」


「説明したら、一緒にしてくれるのかな?」


「聞いてから、判断させてくれ」


 これが、俺の立場からの最大限の譲歩。

 正直なところで言えば、これですら嫌といえば嫌だった。

 だが、俺はアカネのことを放置できない。現在、任務の都合で彼女の護衛にあたっている、というのもひとつの理由であり。また、別の理由でも。


「仕方ないなあ。……とはいっても、理由なんて単純だよ? さっきから言ってるとおり、子供を作ろうとしているだけ。もっともっと単純に言うなら、リンドウ、君の胤が欲しいだけだ」


「生々しい言い回しをやめろ」


「説明してほしいと言ったのは君だろう? ふふ、慌てちゃって、かわいいね」


「説明しろと言ったのは経緯だ。どうしてこうなってるのかの……具体的に言うなら子供を作ろうとしているその理由を言え」


 俺のその叫びに、アカネは小さく笑顔を浮かべる。

 しかし、たしかに彼女の表情は笑顔ではあるはずなのに。どこか、ちぐはぐに繋ぎ合わされているような、そんな違和を感じる。


「君も知ってはいると思うけど。私、いちおうは聖女なんだよ」


「ああ、知らないわけがないだろう」


 なんなら、いちおう、なんて言葉が全くもって不的確な言葉であるほどの人物である、と。一般的には認識されている。

 なんせ、稀代の聖女、などと呼ばれながらに。奇跡と呼ぶべき現象をいくつも引き起こしてきたのだ。


「お前が聖女なんて肩書を持っているせいで、ほぼ受諾強制の任務が舞い込んできてるんだから」


「あら、別に断ってくれてもいいのよ?」


「断れねえんだよ。自分の立場を理解しろ」


 大きくため息をつきながらにそう言う。

 俺としては断りたいことこの上ないのだが。しかし、断ってしまうと周りからの視線が痛いことこの上ない。……いや、それだけならまだいい。俺が多少我慢すればいいだけの話だから。

 アカネが俺のことを指名してくる上に、他の人が代理で実行できないように手続きをしてしまっているために、俺がやらなければ、任務が放置されてしまうことになる。

 これがなんでもないような任務ならまだいいのだが。アカネという人物の立場の都合、非常に深刻な問題を引き込んでくることも多く、無視ができないということがしばしば起こる。


「しかし、私のことをちゃんと聖女だと思ってるのなら、ちゃんと聖女らしく扱ってくれてもいいのに」


「本当にそう思ってるのなら、多少俺に対する態度を変えたほうがいいと思うぞ」


 俺がそう言うと、アカネはしばらくジッと考え込んでから「それなら、今までどおり付き合うこととするよ」と。

 ……どうやら、俺への対応についてを変える気はないらしい。


「さて、話が横道にそれちゃったから、そろそろ本題に戻そうか」


 パチン、と。柏手を打ちながらにアカネが話題を断、切り替える。


「お前が聖女である、ということとなんの関与があるんだ?」


「そう。私は聖女なの。聖女という存在は、民衆にとって希望であり、心の拠り所であり。そして、セーフティネットのひとつ」


 病気に罹った、飢饉に飢えた、天災が起こった。

 そういった、人の手ではどうにも対処できないような事柄が起こったとき。最後の手段として、人々が頼る先のひとつが、聖女という存在だった。


 聖女という存在は、民衆に安心を与える。不都合不条理に見舞われたとしても、助けてくれる、と。……もちろん、実際のところとして、そうした有事の際に都合よく聖女を頼れるか、というところには難しい側面もありはするが。だがしかし、聖女という存在は、間違いなく人々に余裕を与える。

 そういった余裕がある状態ならば、比較的、平穏に暮らしやすい。わざわざ他者を侵さなくとも、自身の生活が確保できるのだから。


 だからこそ、その時代の世の中の安寧は、そのときの聖女の実力に左右される、だなんて。そんな言われ方をすることもあるくらいだ。


 では、今はどうなのか、というと。これまでに類を見ないほどに、平和な世の中となっている。

 もちろん、細かな諍いなどがないわけではないし、事件なども起こったりはしている。

 災害だって起こっている……のだけれども、人々の心が荒れていない。


 それはまさしく、今俺の目の前にいるアカネの実力に依るところであった。


 分け隔てなく、そして迅速に。可能な限り多くを助ける。

 それを可能にしているのは、アカネという人物の、異常とも呼ぶべき、聖女としての権能の強さであった。

 願ったことを、叶える。というのはさすがに言い過ぎている側面があるが。とはいえ、そのように評されることが少なくないほどに、アカネは願われたことを実現してきた。


 そうして感謝を向けられた彼女は。しかし、こう返す。


 ――才あるものは、弱きを救けなければならない。それが、才を持つものの責任だ。


 そして、彼女はそれを実行しているだけである、と。


 これを平然と言ってみせるのだから、所作から行動、実力。そしてその理念までもが、理想の聖女である、として。稀代の聖女とまつりあげられるまでになっている。

 人によっては、そうした現在の立場を守るために行っている演技だろうと言う人もいるが、それならばそれで、偽善だろうが他者のために従事しているのだから、結局のところ美談に落ち着いてしまう。……というのが、世間一般でのアカネの評価。


 この、アカネの発言が。地位を守るための演技であれば、と。本心から、これを言っていなければいいと、どれほど思ったことか。


 アカネは――このイカれ女は。真に、その心根から、先述の理念を持ち。それを達成するべく動いている。


 そして、それが絶対的に正しいと。そう、信じて疑っていない。

 その被害者のひとりが、シラギクであろう。


「ただ、私たちは聖女であると同時に、人間でもある」


「人によっちゃあお前のことを現人神のように扱ったりしてるやつもいるが」


「ありがたい話ではあるけど。でも、人であることからはどう頑張っても逃れられない。私には、どうあがいても肉体的な限界が存在する。……いつかは、死ぬ」


 底冷えするような、低く、冷たい声でアカネはそう言った。


 現在の平穏がアカネの存在によってもたらされているものだとするのならば、もし仮に彼女が死んでしまったら、どうなるのか。

 実際のところは、なんだかんだと後釜となる聖女が台頭してくることにはなるだろう。現在だってあまりにもアカネの活躍がめざましすぎるだけであり、他の聖女たちが実力不足なわけでも怠慢で暇にかまけたりしているわけではない。


 だからこそ、仮にアカネが死んでしまったとしても、世の中で発生する諸々に対処することは十二分に可能であろう。

 だが、それでもなおアカネという聖女の存在が重くのしかかってくる。


 比べなければ平和であれたかもしれない。そもそも、アカネとシラギクという姉妹の間だけでも、魂の聖女と魄の聖女というように性質の違う権能を持つのだから、そもそも比べること自体ができないはずではある。

 だが、人はどうしても比べずにはいられない。そもそも、大部分の人にとっては聖女は聖女であり、自身たちが危機に見舞われたときに助けてくれる存在であり、各個人がどのような権能を持つ聖女なのかは重要ではないのだ。


 だからこそ。もしもアカネが死んでしまったならば。

 間違いなく、世情が荒れる。


 聖女の実力が足りていない、というようなことは問題ではなく。

 あまりにも大きな拠り所としていた存在がいなくなったために、存在しないはずの不安に駆られてしまうのだ。


 それを無理やりにでも解決するために正教会は彼女の代理を立てるだろうが。生半可な実力の聖女はおろか、一般的に優秀と言われるような聖女であったとしても。アカネという存在があまりにも大きすぎるがゆえに、後継は異常なほどの責務と期待に押しつぶされてしまうだろう。


「そうなってしまうのは、私にとっては本意じゃないからね」


「……お前がそんなことを気にしているとはな。少し意外だったよ」


「リンドウってば、いったい私のことをなんだと思ってるの?」


「頭のイカれたクソ女」


「うーん、いつもの」


 だが、意外だったのは本当だ。

 自死を選んだシラギクに対して、やるべき責務があるだろうからと言う理由だけで最大級の決心を踏みにじり、今世からの逃避を否定してみせたのが目の前にいるアカネである。

 それを加味するならば、後釜の聖女に対してそれが責務だからと高すぎる理想を振りかざすものだと思っていたが。

 まさか、他者の精神を慮るような思考をするとは――、


「聖女が倒れでもすれば、それこそ世間が大きく荒れかねないからね」


「お前が相変わらずクソ女で安心したよ」


 前言撤回。アカネは、アカネだった。


「しかし、ここまで聞いてもこれがなんで子供を作ることに繋がるのかがわからないんだが」


「ええ、もうすぐそこまで来てるじゃない? 勘が悪いなあ。それとも、気づきたくないだけ?」


「…………どっちでもいいだろう。早く続きを話せ」


 俺が無愛想にそう答えると、彼女は楽しそうな表情を見せて。

 そうして「もう、せっかちなんだから」なんて小さく笑いながら、言葉を続ける。


「必要なのは、実力が十分に伴った聖女の後継。いや、それだけではダメ。名前にも力が必要。でも、私がいる限りは、聖女として名を馳せるのは困難」


 嫌な予想が、当たった。

 本当に不服ではあるが、俺はこいつと付き合いが長い。だからこそ、なんとなくではあるが、ある程度考えが読める。


「ならば、無理やりに名前にブランドを与えればいい。そう、それこそ。稀代の聖女の、娘、ってね」


「お前の娘が聖女としての格を身につける、という保証はないだろ」


「それはそうだけど。でも、血はバカにならないのよ? それこそ、私の妹(シラギク)が聖女であるようにね」


 実例、というほど確証のあるものではないが。しかし、関連を否定できないだけに厄介である。


「だからね、リンドウ。私は後世に繋がなければならない。それが、私の役目であり、役割。そして、そのためには胤が必要」


「……俺でなくてもいいだろ」


「私にだって多少は私欲があるからね。よく知っている相手のほうがいいってのもある。……でもまあ、一番の理由は、君が強いからかな」


 アカネは先程、自身の後継には名実がともに必要だといった。

 名前についてはアカネから与えられるとしても、実力はどうにもならない。むしろ、ここが半端だと、逆効果にまでなりかねない。


 ここに来てすぐ、アカネが俺の身体を確かめていたのは、そういうことなのだろう。


「だからね、リンドウ。私と子作りをしよう」


「……せめてもう少し場所とかを考えてくれ」

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