#21
《本任務は聖域に立ち入っている依頼者の護衛任務である》
《本来の帰還予定日よりも五日以上の遅延が見られた場合にリンドウを受注者として自動的に受注されるものとし》
《帰還を最優先事項とし、そのために係る他の一切については責任の所在を追及しないものとする》
* * *
木々の間を通り抜けながらに森の中を進んでいく。
随分と奥まで進んできたものだが。果たして――、
「……うわ、本当に居やがった」
視界に映るのは、鮮やかな緋色の髪を携えた女性。
倒木に腰を掛けた彼女は、俺の言葉に反応してくるりと振り返ってくる。
「相変わらずというかなんというか。君は本当に私のとこが嫌いみたいだね」
思わず渋面を浮かべた俺に対して。やれやれと肩をすくめながらにそう言ってくるのは、アカネ。嫌いもなにも、大嫌いなクソ女である。
「せっかく、探しても探しても居なさそうなら、仕方がないからいませんでしたって報告してやろうかと思っていたのに」
「ふふふ、やれるものならやってみるといいさ。おそらくはそれでは認められないだろうけどね」
面白がるようにしてアカネがそう言ってくる。
だがしかし、彼女が言うとおりではあるのも事実。
稀代の聖女とまで名を馳せているアカネが帰ってこれなくなっているから彼女が帰るための手伝いをする、というのが今回の任務の概要。
ともすれば、俺が諦めようものならば、他のやつらが黙っていない。なにせ、この任務が失敗しようものならば、それすなわちアカネという非常……いや、異常に優秀な聖女を喪うことと同義だから。
「それに、君の性格ならば。そんな半端なことはしないだろうからね。仕事に対して、という意味でも。被救助人を見捨てる、という意味でも」
「…………お前が被救助人なのかは要審議ではあるがな」
アカネの強さについては、おそらくは他の誰よりもよく知っている。正直なところ、ここで遭難しているだとか、なんらかの要因で帰れなくなっているとか、そういうわけでないのはほぼ確実だった。
とはいえ、途中で補給のためや入れ違いで無為な捜索をしていないかの確認のために、一時撤退する可能性はあれども捜索を打ち切る予定はなかった、そういう意味では、まさしく図星ではある。……本当に、これだからやりにくい。
アカネには、俺自身の行動がある程度読まれている。
それは、シラギクの有する聖女としての権能と同じ……というわけではなく。ただひたすらに、ただ単純に、彼女自身が俺のことをよく識っており、かつ、アカネ自身の持つ思考力で俺の行動についてを予測しているだけ、という狂気の産物である。もしかしたら、多少は聖女としての権能を使っているかもしれないが、ほとんど地力ベースであるのは間違いない。
曰く、ここまで正確に予測できるのは俺だけである、とのことだが。それはそれでなかなかにゾワリとするものがある。
「そもそも、これを俺が受けないという可能性は考えなかったのかよ」
強制受諾とかいうアカネでもなければ赦されないような横暴がまかり通っている異常な依頼書ではあるが。とはいえ、いちおうの窓口処理としては、俺がこの依頼に対してサインを行わなければ、正式な受注は行われない。
言ってしまえば「依頼文に勝手に書いているだけ」というところでもある。もちろん、アカネという立場からであれば、そんな勝手に書いただけの文章が実質的な権力として動き出すから迷惑な話ではあるが。
「ふむ。リンドウの性格ならば間違いなく引き受けてくれるとは思っていたけれど。……今回については、それ以外の要素も関わってくれたのか」
ジイッ、とこちらのことを見つめてきながらに、アカネはそう分析してくる。
「なるほど、ね。私に対しては雑な対応をするくせに、随分とあの子に対しては優しい対応をするみたいだね」
「うるせえ、優しくしてほしいってのなら、その性格をどうにかしろ」
「ふふっ、善処するとしよう」
絶対にしないな、と。そう確信をする。
……全く、この姉妹に関わると、どうにもロクな目に遭わない。
とはいえ、そのどちらとも関わらないわけにはいかないのだから。本当に、厄介な限りである。
* * *
ギルドに呼び出され俺は、とてつもなく嫌な予感を覚えながらにギルド長の前に座っていた。
わざわざ最高決済責任者がお出迎えという時点で悪い予測ばかりが頭に飛び交うというのに、この場にアカネがいない、というのがなによりも最悪のケースを想定させる。
「さて。今日来てもらった理由だが」
ギルド長はそう言いながらに、依頼書を差し出してくる。
ご丁寧に、俺の名前で指名が入っている依頼書。ともなれば、その依頼主は。
「やっぱりアカネか」
「……いつも悪いな」
「そう思ってるのなら、他のやつに振ってくれよ」
無理な相談とは理解しつつも、とりあえずそう文句を吐いておく。
そもそも指名を食らっている時点でギルド長やギルド側には責任はない。のだが、それでも一応。
苦言を呈しはするものの、ひとまず依頼に目を通す。
つまるところが。アカネが聖域に行ったはいいものの、帰ってくる予定よりも遅れているということらしい。……体面上は。
依頼自体についても、形式上は有事の際の保険として発令しているものなのだろうが。依頼文中で俺を対象に強制的に受注させているあたりがどうにもきな臭い。
そもそも、アカネともあろう人間が、そう簡単に帰ってこれなくなる、ということが考えにくい。
(……絶対、とはいえないが。たぶん、俺を呼び出すための口実だよな)
もちろん、本当に困っている可能性を否定はできないが。
しかし、その可能性が濃い現状。どうにも依頼を受けたくなくなってくる。
「というか、聖域って聖女以外の立ち入りが禁止されてる場所じゃ?」
「まあ、原則的にはそうだ」
俺の問いかけに、ギルド長がそう答える。
聖域という名前からある程度想像がつくように、正教会に於ける神聖な場所という扱いである。
より精密には、聖女が儀礼を行ったり修行を行ったり、と。諸々の事柄を行うような場所であり、その性質ゆえに聖女以外の立ち入りが禁じられている。
「ただ、今回は聖女である当人からの依頼だということもあり、大丈夫だということらしい」
曰く、依頼が正式に発動するにあたって正教会に対して照会したとのこと。……どうやら、相手方も首を傾げてはいたらしいが、アカネからの直接の依頼であるということもあり、そのまま許可が降りたのだろう。
「リンドウには負担をかけているのは理解しているが。彼女に対応できるのが君だけだというのも事実なんだ。……そもそも、他の人物だと、彼女自身が受け付けない」
「ほんと、そこをどうにかできないもんなんです? 曲がりなりにもギルドの構成員はたくさんいるんでしょ?」
「それがどうにかできているなら、こうはなっていない。というのはリンドウ自身よく理解していることだろう」
「…………」
それは、理解している。だが、見え見えの罠に捕まりに行くというのはどうにも癪ではある。
もちろん、億が一の可能性として本当に困っているという可能性はありはするのだけれども。しかし――、
ちょうど、そんなふうに考えているとき。
コンコンコン、と。入り口がノックされる。
「あ、あの……」
ガチャリと音を立てながらに応接室の扉が開かれ、おどおどとした様相で、見知った少女の姿が現れる。
「シラギク、どうしてここに……」
「えっと、その。……リンドウさんがお姉様の依頼についてのお話を受けてるって聞いて、だから、その」
つまりは、現在俺が対面しているギルド長の仕込みというわけであろう。
チラリと視線をやると、どうにもバツが悪そうな表情をしている。自身のやっていることについての理解はしているのだろう。
「あの、ええっと。お姉様が、帰ってきていなくって」
「ああ、聞いた」
「それで、なんだけども。私は今、聖域に入れないから。できれば――」
「…………」
全く、嫌な仕込みをしてくれるものだ。シラギク自体はそんな大人の意図を全く知らずに純粋な感情として訴えかけてきているだけに、余計にタチが悪い。
「わかったよ。引き受ける」
「あ、ありがとう、リンドウさん!」
シラギクは、パアアッと顔を明るくさせる。
その様子に少し嬉しく思うものの、同時に幾ばくか複雑な気持ちもある。
シラギクの、アカネへの異常なまでの依存は断ち切れたが、どうにもその依存が俺に按分されただけな気がしないでもない。
で、あるならば。シラギクのためを思うならば対処をするべきなのだろうが。しかし、彼女とは未だに「共に生きる」という依頼が進行中である。それが、なかなかに厄介な鎖として繋がっている。
……まあ、これについてはあとからでもいいだろう。とりあえず今は、アカネへの対処をしなければならない。
聖域については、全くの事前情報がない場所だ。どのような対策が必要になるのか、どれくらいの規模感で探すことになるのか。
シラギクもいちおうは聖女ではあるものの、まだまだ未熟だということもあり、今のところは聖域には入ったことがないらしい。申し訳なさそうな表情を浮かべながらに謝っていた。
「……とりあえず、聖域に行ってアカネを連れ帰ってきたらいいんですね」
「ああ、よろしく頼むよ」
わからない以上、あまり考えすぎていても仕方がない、と。
最悪、何度か繰り返し捜索をしに行く可能性も加味しながらに俺が立ち上がると。隣にいたシラギクが「あの」と、声を出した。
「えっと、依頼のことで。ひとつだけ、いいですか」
* * *
「さて。それじゃあそもそもの本題の話をしようか」
すっくと立ち上がり、手をパチンと叩いて。アカネはそう言う。
「……本題もなにも、お前の護衛が仕事なんじゃないのか」
「わかってるくせに、わざわざ言わせるだなんて。なかなかいい趣味をしてるじゃあないか」
どう言っても妙な感じで受け取ってきやがる。あまりにも厄介すぎる。
「それで? こんなところまで呼び出してきて、どういうつもりなんだ?」
「まあ、場所は正直どこでもいいといえばどこでも良かったんだけど。リンドウを呼び出すために十分な事由になりつつ、あと、人が寄り付かないところってなるとここが都合が良かったからね」
曲がりなりにも正教会にとっての神聖な場所だろうに、そんなぞんざいな扱いをしてもいいのか。お前、いちおうは聖女だろう。
呆れ半分蔑み半分の視線を彼女に送るも、アカネは全く気にしていない様子で。
彼女はそのまま、ずいっと距離を近づけてきたかと思うと、俺の周りをぐるりと回りながら、様子をうかがってくる。
うんうん、だの、やっぱり、だの。なにやら納得した様子を見せながら観察を終え、改めて正面に戻ってきたアカネは、気持ち悪いくらいに素晴らしい笑顔を浮かべてくる。
アカネの笑顔を見ると、どうにも嫌な予感しかしない。
「私はね、自身のやるべきことは行わなければならないと、そう思ってるんだ」
「……ああ、知ってる」
責務という事柄への、彼女の尋常なまでのその執着は、身に沁みて知っている。
「だから、私は私の責務を果たそうと思うんだ」
「なら勝手にやればいいだろ」
「うん。だからここに来た」
言葉の意図がいまいち掴めない。そもそもアカネがここに来たのは、なにかしらの用事で俺を呼び出すためであり。彼女自身の責務と直接に関連しているとは思えない。
因果関係を理解するための言葉が足りていない。
「おい、アカネ。お前はいったいなにを企んでる」
「企んでるだなんて、嫌だなあ。ただ確認していただけだよ。そして、君は案の定、いいね」
なにを確認しているんだ、とか、なにがいいんだ、とか。それらについて尋ねたとしてもおそらくまともな返答はないだろう。
とてつもなく楽しげな様子を見せながらに、アカネは一歩、二歩、と俺に近づいてきて。
彼女の吐息が間近に感ぜられるほどに、狭まった距離感で、アカネは妖艶な笑みを浮かべる。
そして。ささやくように、耳元で――、
「それじゃあ、リンドウ。今から、一緒に子作りをしよう」
「は?」
* * *
《本任務は聖域に立ち入っている依頼者の護衛任務である》
《本来の帰還予定日よりも五日以上の遅延が見られた場合にリンドウを受注者として自動的に受注されるものとし》
《帰還を最優先事項とし、そのために係る他の一切については責任の所在を追及しないものとする》
《追記:ただし、帰還の要件としてアカネだけでなくリンドウも含めた両名の生存を条件として付す》




