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それでも彼女は拍手する  作者: 神崎 月桂
誰が為に拍手は鳴る
16/43

#16

 絶対的に勝つ必要が無くなった、というのは。俺にとっては大きな違いではあった。

 本能的に、ひとりでは勝てないということを察していた都合。それのみが勝ち筋であったならば、ということはあまり考えたくはなかった。


(とはいえ、それでも依然として苦しいのには変わりないが……)


 力量差が大きく開いている現状、ただ逃げる、というだけでもその難易度はとてつもなく跳ね上がる。

 そもそも、逃げるに必要なだけの隙を作り出すことができない。


 不幸中の幸いとでも言うべくか、退路がそのまま出口への進路ではある。

 進行方向を防ぐように立ち塞がれていない、というのはかなり大きい。最悪、ジリジリと下がるだけでも、ほんの少しずつ出口へと近づくことができる。


 とはいえ、それをしているだけで逃げ出せるほど、目の前の相手は甘くはない。

 そんな少しずつの進捗で出口まで向かおうものなら、その前にこちらのダメージが超過して削り切られる。


 そもそも、現在は通路で交戦しているからまだいいものの、広間に突入したらそこで位置関係を逆転されて劣勢に追い込まれることも十二分にあり得る。

 そうでなくとも、まだ階層は二層目であり。階段をひとつ、昇らなければならない。階段での交戦は足場が不安定になりやすい都合、超長距離での遠隔攻撃を持つ冥府の主に圧倒的に軍配が上がる。


 いずれにせよ、本格的に逃げ出す際には、逃走をするに十分なだけのなんらかの隙を作り出す必要がある。


(残念ながら、閃光弾は在庫切れ。……まあ、冥府の主(ほんたい)に通用するかは不明だが)


 もはや所持していない以上、不要な推察ではあるだろう。

 だが、その反面。有効な手段については、考える必要がある。

 偶然、というか。奇跡、というか。俺が指摘したシラギクの現状と冥府の主の行動理由により、今は一時的とはいえ、相手方からの攻撃が止まっている。

 無論、こちらから動きを取ればその瞬間に攻撃を再開してくる、というような圧については依然として張り巡らされているのでまともに行動ができる、というわけではないのだけれども。


 しかし、それと同時に。このタイミングが隙を作り出す、という意味合いでは。最大のタイミングではあるだろう。

 ここをうまく扱えるかどうか、が最重要の焦点である、といっても過言ではない。


 とはいえ、ずっとこの睨み合いが続く、というわけでもない。

 そもそも、この攻撃が飛んできていない時間も、相手の動揺から始まったものでしかなくて。冥府の主が動こうとさえ思えば、すぐさま攻撃が再開されるだろう。


「やるしかない、か」


 ならば、その前にこちらから仕掛けてしまうしかない。


「シラギク、すぐに逃げられるように準備をしておけ」


「……えっ?」


 俺は背後の彼女に、僅かな声でそう伝える。

 決して、目の前のやつに気取られぬよう。そして、ここからの行動が成功しようが、失敗しまいが、シラギクだけは逃げられるように。


「準備はいいな?」


「リンドウさん、私、その――」


 シラギクからの答えを聞くよりも早く、俺は前に向かって駆け出す。

 無論、それを見逃さない冥府の主ではない。すぐさま、影の手を大量に展開して俺――ではなく。もちろん、いくらかは俺の方へと飛んできているものの、ついに俺から離れたシラギクへと向けてその多くを放つ。

 冥府の主の目標としてはそちらなのだから、妥当な行動ではある。特に、ついに護衛が離れたのだから、冥府の主からしても、絶好の攻撃タイミングではあるだろう。


 だが、ここは通路。非常に、狭い。


 それゆえ、攻撃をしようとすると。その腕すべてが、いちおうは俺の攻撃射程圏内になる。


 一度攻撃が止んだところから、再び一気に攻撃した都合。腕たちは、同時に放たれている。

 だからこそ、先程までの連続的な波状飽和攻撃とは違い、こちらにも一瞬だけ、対処可能な隙ができる。


 俺は地面を強く蹴り上げると、刀をしっかりと構えたままで空中で身体をねじらせ、一回転しながらに通路を遮断するかのごとく、面範囲を斬りつける。

 都合、硬い壁や天井、地面ごと斬ることとなり、刀の先端が毀れるが。しかし、それと同時に全ての腕が斬り落とされる。


 さて。これで腕が一時的になくなった。再使用のための準備時間(リキャスト)は短いだろうが、ないわけではないだろう。

 だから、逃げ出す隙には不十分。だが、接近もしている都合、攻撃なら、できる。


 驚いている様子で行動を取り損ねている冥府の主の至近まで辿り着き、そのまま、刀で横一文字に斬りつける。


 刀は、左から右へと勢いよく通り抜けて、






「斬った、感触が無い――」






 マズい、と。そう感じ取ったのは。痛みが発生したのと、ほほ同時であった。


「逃げろ、シラギ――ガハッ」


 俺が後方の彼女へとそう指示を飛ばそうとしたその瞬間。口からは血と吐瀉物とが同時に溢れ出し、腹が熱を持ち始める。

 否、正確には痛みが走り始めた。だが、強烈すぎる痛みを脳が強引にシャットアウトして、代わりに、熱のみが帯びているように感じているだけである。


 やや霞む視界の中で、斬りつけたはずの場所へと視線をやる。

 そうして起こっていることを整理しながらに、ギリ、と、歯を食いしばって。


「斬られたんなら、ちょっとくらい動きを止めろよ、クソが……」


 そう、恨み言を吐く。

 無表情のまま、変わらない冥府の主は。たしかにその身体がふたつに分かれている。

 だが、その境目はまるで霧のように、真っ黒い靄が溢れ出ているだけで、実体がない。

 しかし、攻撃時は、たしかに有形を保っていた。と、いうとは。有形無形は自在、というわけか。


 ……よく考えれば、影の手との交戦時点から、その傾向はあったろうに。頭から完全にから抜けていた。間違いなく、俺の過失だ。


 ひとまず、急所はなんとかズレている。斬った感触が無い、ということを察知した瞬間、咄嗟で回避にシフトしたために、なんとか、という形ではあるが。

 しかし、冥府の主からの反撃は手痛く。なんとか立てはするものの、ただでさえダメージが積み重なっていた上に横っ腹の肉をそこそこに抉られ、ボタボタと血が流れ出している現状。足取りもかなりふらつき気味になる。


 だが、ここを突破されれば、シラギクへと辿り着かれてしまう。

 無理矢理にでも身体を起こし、刀を構える。


 後方に意識をやると、シラギクが戸惑っている様子であたふたとしている。

 無理もない、が。しかし、ここはなんとしてでも、足を動かしてもらわないと困る。


「早く逃げろ、シラギク! こいつの狙いはお前だ。そして、俺の仕事は、お前を送りの霊穴(ここ)から逃がすことだ!」


「で、でも――」


「安心しろ、シラギク。この任務は、生死が達成要件に含まれていない」


《なお、本任務において生死については成否に関係ないものとし》


「そして、その対象は。護衛対象であるシラギクはもちろん、俺自身のことも含まれている」


「……えっ」


 まあ、一般の心理からしてみればそう感じるのも無理はないが。しかし、そもそもの話、俺のように依頼を稼業にしている人物からしてみれば死は常に隣り合わせのものであり。また、パーティ単位で依頼に挑んだりするということもありうる都合、そもそも、受注者の生死については依頼の勘定には入らないのが基本であり。

 今回についても、生死を問うていない、という以上は。やはり、俺自身の生死についても、依頼の達成要件には、一切関わっていない。


「任務は、そして、約束は。たしかに、成し遂げる。……シラギク、お前をここから、送りの霊穴から、脱出させる、という。その任務は」


「で、でも――」


「早く逃げろ! 俺が抑えている間に!」


 そもそも、完全に上位の相手なのだ。先程の不意打ちが成立しなかった時点で、もはやまともな勝ち筋は追っていない。


「早く!」


「――ッ!」


 タッタッタッタッ、と。後方へと走り出していく音が聞こえてくる。


 大丈夫だ、シラギク。ここから先の道は、ほぼ一本道。加えて、狭い。まず、迷わない。


 俺の道案内がなくとも、出口まで辿り着けるはずだ。


 そして――、


「…………」


 冥府の主は、案の定、俺を無視して離れていこうとするシラギクを追いかけようとしている。

 俺のことは、腹が抉れているということもあり。このまま放置していてもそのうちに死ぬだろう、という見込みもあるのだろうが。なにより、冥府の主の目標がシラギクだから、であろう。


「行かせるわけ、ねえだろうがッ!」


 血を吐きながらに、冥府の主の行く手を阻む。


 体力も機動力も、大きく削がれた現状。その全ては捌けず。いくつかは身体で受け止める。


「……ハァ、ハァ。ったくよぉ。本当に。互いに、仕事なんだから、仕方ねえよ。ついでに言うなら、その仕事が相反してるんだから、笑えねえ」


 ジッ、と。冥府の主を睨みつける。

 依然として変化のない表情ではあるものの、動作の端々から焦りが見える。

 おそらくは、どんどんとシラギクが出口に近づいていることへの危惧からきているものであろう。


 絶え絶えな息。傷だらけの身体。圧倒的な劣勢の中で。

 しかし、俺は。思わず、口角を上げる。


「本当に、ありがたい話だよ。全く……そんなわかりやすく、教えくれるとは」


 冥府の主の焦りが加速する、ということは。どんどんとやつにとっての手遅れ――つまり、こちらの勝ちが近づいてきている、ということ。


 俄然、力が漲る。

 おそらくは、死の縁にいることによる、火事場の力ではあろうが。

 今は、それすらもありがたい。


「お前は、普段から死者を相手にしているんだろうが。ひとつ、いいことを教えてやる。生きている奴らは、諦めが、悪いんだ」


 勝ちの目が、そこにあるのなら。食らいついてでも、執着してやる。


 それが、()()()ということだと思うから。


 ボロボロの身体で。同じく、毀れながらも付き合ってくれている愛刀の切っ先を突きつけながらに、言い放つ。


「死に物狂いの人間は、怖いぞ」






     * * *






 シラギクは、ひたすらに走った。


 視界が涙で歪んで、ふらふらになりながらも。とにかく、走った。


(リンドウさんは、この先の道は単純だって、言ってた)


 実際、そのとおりで。ほとんど、真っ直ぐの道ばかり。

 ときおり道が分かれていることもありはするものの、間違いの道もそれほど深くなく、すぐに引き戻せる。


 そう長い時間が立つこともなく、第二層の端、上へと続く階段にたどり着く。


「ここを、昇る……」


 ふと、後方にいるリンドウのことが気になる。

 彼は、大丈夫なのだろうか、と。


 心配な思いを懐きながらも、首をふるふると横に振る。


「今は、逃げ、ないと……」


 頭ではわかっているのだけれども。身体が、拒絶をする。


(……嫌だ。嫌だ。嫌だ。リンドウさんを、置いて、逃げるだなんて)


 あのままでは、彼は死んでしまうだろう。

 これまで、何度も助けてくれた、圧倒的に強かったリンドウが、明確に焦りを見せて。そして、蹂躙されていた相手。

 シラギクは、彼の心の裡を識ることができるだけに、察していた。

 あの存在は、彼よりも圧倒的に強い、ということを。


 だから、このまま逃げたとするならば、きっと殺されてしまう。


 ……そして、そうなることを承知の上で、リンドウがシラギクのことを逃してくれた、ということも。


 助けに行きたい、けれど。今のシラギクが行ったところで、果たしてなにができるのか。彼よりも、圧倒的に弱い、シラギクが。


 きゅっ、と。拳を握りしめて。シラギクは歯噛みをしながらに、階段を駆け上がる。


 後ろ髪を引かれるような思いをしながらに、第一層へと辿り着く。

 今までよりも、ずっと気温が高い。

 ほんの少しではあるが風が吹いている。おそらくは、外からの風が流れ込んできているのであろう。


「これを、辿れば。たぶん、外に出れる」


 後方からは、未だ、なにも来ていない。


 あの存在も、そして、リンドウも。


 振り向きたい気持ちを抑え込みながらに、シラギクは必死で走る。

 しばらく走り続けていると、そのうちに、光が見えてくる。


 おそらくは、出口であろう。


 必死で、そこへと駆け込もうとして。ふと、その瞬間に後方から、気配がする。


「きゃっ!」


 すんでのところで、身体をよじらせ、シラギクはなんとか横に回避する。

 先程も見た、影の手が、地面へとその手を叩きつけていた。


 さあっ、と。恐怖が湧き上がってくる。同時、嫌な考えが走る。


(リンドウさんが、殺された……?)


 そこまで考えかけて、首を横に振る。

 そんなわけがない。そんな、わけが。


 そう、信じたいだけ、でもあるだろうが。しかし、彼が斃されたにしては、襲いかかってきている影の手が少ないとも考えられる。


 おそらくは、彼が捌ききれなかったいくつかの影の手がこちらに伸びてきたのだろう。


 実際、その腕は最初の叩きつけのあと、起き上がろうとして、しかし、そのまま地面に倒れ込む。

 たぶん、根本の方で、リンドウが斬ったのだ。


 でも、捌けなくなる腕が出てくるほど、リンドウが追い詰められている、ということ。


 早く。早く、しないと。


 シラギクは出口へと向けて、走り出す。


(今度は、足元から!)


 直感的に、どちらから影の手が飛んでくるのか、がわかる。飛び上がりながらに襲いかかってきたそれを回避すると、先程と同様、すぐに、影の手が止まる。


 逃げて、逃げて、逃げて。


 途中、また飛んできた影の手を回避して。そして逃げて。


 そうして、走り続けて。出口まで、辿り着いて。


 そこで、ふと、足が止まった。

 あと、一歩足を踏み出せば、送りの霊穴からは、脱出できる。これで、リンドウの任務と、そして、シラギクとの約束が、完遂される。


(でも、このままだと。リンドウさんは。リンドウんは――)


 シラギクは、自身の手へと視線を落とす。

 そこには、リンドウが繋いでくれた指があった。彼が考えていたように、ちゃんと、わかりにくく縫合された指がそこにはあった。


 彼が、結んでくれた、この繋がりが。

 このままだと、なくなってしまうような、そんな気がして。


 それは、ひたすらに。嫌で。


 警備の人たちだろうか。出口にポツリと子供が立っていることに気づいたのだろう。

 大人たちが驚いた様子を見せつつ、心配そうな顔でシラギクのことを見つめてくる。


 このまま外に出れば――、


 一歩、送りの霊穴から出た、その足。

 しかし、私は、思わず、後ろを振り返る。


『シラギク? いいですか。私たちは、自分の成すべきことを成さなければなりません。それが、私たち聖女という立場の人間です』


 敬愛する、姉の言葉が。ふと、思い出される。


(私の、成すべきこと。私の、できること)


 たしかに、シラギクは弱い。リンドウより、比べるまでもなく、弱くて。

 ずっと、彼に守られ続けてきた。


 そんなシラギクに、できることが、あるとするならば。


「……ごめんなさい!」


「あっ。こら、君!」


 パシッ、と。大人のひとりの腰についていたそれを。見覚えのある形のそれを、奪い取る。

 子供のいたずらだろうと思った彼は、それを咎めようとしたが。しかし、それよりも先に、シラギクの行った行為に、彼らは目を剝く。


「待ちなさい! そっちは危ない!」


 引き止めようと、ひとりの大人がシラギクの右腕を掴む。


 ああ、今だけは。

 この、脆い(死んで腐った)身体が、ありがたい。


 掴まれたその腕は。容易く、千切れる。


「ひっ! な、なんで……!?」


「お、おまっ! なにをして――」


「違っ、俺はそんな力は込めてない!」


 大人たちは、千切れたシラギクの身体に怯む。

 当然だろう、なにせ彼らは、シラギクの事情を知らない。


 その、一瞬の隙を突いて。シラギクは隻腕のまま、走り出す。


「って、今はそれどころじゃない。君、とにかく待ちなさい!」


 制止しようとする大人たちの声を振り切り。シラギクは、送りの霊穴へと、再び侵入した。

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