#12
なにを以て、死とするのか。
あるいは、なにを以てして、生きていると判断するのか。
「別に、俺はお前やアカネのように正教会の敬虔な信徒ってわけじゃねえから、そういった話についてはあんまり詳しくないが」
ただ、いちおうは教会であるとか、あるいは聖女であるアカネから直々にいろいろな話を聞かされることがあるから。そういう場面で魂であるとか、魄であるとか。そういう話は聞かされたりしてきていた。
「ただ、そういう話を聞かされたところで。だからそれがどうしたんだ、って。ずっと、そう思っていたりはした」
けれど、こうして生と死について、真っ直ぐに向き合って。そして、アカネとシラギク。魂と魄の聖女の存在とその権能の話を聞いて。少しだけ、認識が改まった。
「ただ動くだけ、ただ考えるだけ、では。たしかに生きているとは言えないのかもしれない」
例えば、それこそ先程まで対峙していたアンデッドども。
人間の生死の話をしているときに、死なず者の話をするのはナンセンスかもしれないが。しかし、アイツらはたしかに動き。低級などについてはあまり深くは考えないものの、思考を一切しないわけではない。高位のものになれば、ブラックドッグがそうであったように、知能を以てして思考を見せてくる。
だがしかし、アイツらが生きているか、と。そう考えると、はたしてどうも、俺にとってはそうは見えない。
「アンデッドは、ただ、ひたすらに。生者を死へと引きずり込むという本能に従って動いている。知能を有するものはその他の行為をすることもあるけれど、しかし、結局のところ本能の側面ではそれに尽きる」
一説には、冥府の主からそうするように命じられている、というような話もあったりはする。
この、送りの霊穴の奥底につながっているとされる、その場所から。
「……つまるところが、アンデッドどものその意識は、常に死へと向いている。と、俺はそう思っている」
では、生きている人間と、死んでいるアンデッドと。その最大の違いはなんだろうか。
お互いに、動いてはいる。
お互いに、考えてはいる。
だから、生きているとか、死んでいるとか。その境界は、そういった点には存在していない。
「違いがあるのは、魄と。そして、魂だと、俺はそう考えた」
アンデッドどもの肉体は、既に死んでいる。
ブラックドッグを始めとする高位のアンデッドであれば比較的状態がよく、生者の肉体と遜色がないことも珍しくはないが。しかし、その身体はたしかに死んでいる。
死んでいるからこそ、復活ができる、という側面もあるが。
「そして、精神。アンデッドどもは、決して生へとその意識を向けない。既に、精神も死んでいるからだ」
常に死へと向き合っているのは、本能がそうさせているからでもあり。冥府の主から、そうするように命じられているからでもあるだろう。
しかし、けれども。それに加えて。アンデッドの精神が既に死んでいるから。生へと向き合う、その余地がないからだとも考えられる。あるいは、アンデッドにとっての生が、すなわち死であるか。
「だからこそ、人の生死の境目には。肉体としての生死と。そして、精神としての生死が、間違いなく存在していると、俺はそう考える」
俺のその言葉に。シラギクはほんの少しだけ身じろぎする。言葉ではなにも言わないものの。しかし、シラギクなりに、感じたことがあったのだろう。
「隠す理由も、誤魔化す必要性もない。もう、シラギクは理解しているだろうし、そうでなくても識ることができるだろうから、率直に言う。シラギク、お前の身体は、既に死んでいる」
「……うん」
しばらくぶりに、シラギクが口を開いた。
その声は弱々しくて。そして、儚い。
苦しそうな声音で、辛そうな表情で。
しかし、真剣に。俺の話を聞いていた。
「シラギクの身体は、たしかに死んでいる。そういう意味では、先に伝えた生死の境界線としては、身体は死に至っていると考えていいと、そう思う」
「そう、だね」
「だが、精神はそうではない、と。俺はそう感じている」
正直なところ、こちらについても既のところで踏みとどまっているだけで。いつプツリと途切れてしまって、精神までもが死んでしまってもおかしくはないとは思っている。
だが、まだ彼女の精神は死に切っていない。
「アカネと会うという希望を、シラギクは俺と出会ったときに持っていた」
奇しくもシラギクのことを間接的に死に追いやった存在であるアカネが、シラギクにとっての生にすがりつくキッカケにもなっていた。
「俺の携帯食料に対して、マズイという素振りを見せた」
まあ、事実としてマズイんだが。
しかしながら、食べることは、生きることでもある。食事に対しての執着は、ある意味では生者の特権ともとれるだろう。
「死に対する恐怖心を、たしかに抱いていた」
それらは、間違いなく人として生きるものの精神であろう。
「だから、まだシラギクの精神は。……魂は生きていると、そう俺は判断する」
魄が既に死に果てようとも。まだ、魂はそこに生きて在る。
ひたすらに歪ではあった。生と死が混同している。それが、シラギクという存在だった。
「……ここまでが、俺の考える生き死にの境目だ。そして、それを踏まえた上で、シラギクに質問をしたいことがある」
生きていて、死んでいる。そんな存在である、シラギクに。俺は、尋ねる。
「シラギク。お前は、どうしたい?」
たしかに、シラギクは生へと向かう意思を見せた。その精神がまだ死んでいないという側面を見せてくれた。それは、事実。
だけれども、シラギクが既に一度死んでいるということも事実。それも、自ずから死に向かっていって。
少なくともその時点でのシラギクの精神は死んでいたのだろう。だから、その肉体を死に至らしめるために自殺を敢行した。
ある意味では、死んでからのシラギクの意識が生に向かっていたのは、シラギクが自身の死に関する記憶の混濁を起こしていて、その点をうまく思い出せなかったから、とも捉えられる。
事実として、シラギクはそれらを思い出したとき。自分自身が死んでいることを察知したとき。ひどくその精神を取り乱し、死へと向かわせた。
「だが。死に切ることも、なかった」
たしかに、生への執着が限りなく低くはなっていたものの。アンデッドが迫ってきていたその場面に対して、死にたくないという恐怖を抱いていた。
それは、自身の死を確信してもなお、まだ、その精神が死んでいなかったからではないだろうか。
「だからこそ、シラギクに聞きたい。シラギクが、なにをしたいのか」
生きたいのか、死にたいのか。
「もしも、死を望むのであれば。もう一度、改めてここでシラギクが死に直すための手伝いを俺がしよう」
幸い、というべきか。ここは送りの霊穴。迷うことなく、あの世に向かうことができるだろうし。
そのための手伝いならば、俺もしよう。
「あるいは。もし、生きたいというのならば。俺は、必ずシラギクを地上に送り届ける」
それが俺の仕事でもあり。そして、今の俺のやりたいことでもあった。
無論、この判断を委ねるシラギクには、とてつもなく重たい事実であるということは認識している。ただでさえ追い詰められているシラギクの精神に対して、更に追い込む可能性のある事柄ではある。
だが、シラギクが納得して死んでいくために。あるいは、受け入れて生きていくために。間違いなく必要なことだろうから。
俺の質問に、シラギクはしばらくの間ジッと考え込んだ。
「……わた、しは」
いくつもの考えを巡らせたのだろう。しばらくの時間を置いて、シラギクはゆっくりと口を開いた。
「生きているのが、嫌に、なったの」
絞り出すような、掠れた声。
これらは、シラギクにとっての本音であり、向き合いたくない事実でもあるのだろう。
「生きているのは、辛くって。逃げたくて、逃げたくて。でも、逃げられなくって。だから――」
唯一の死だろうという手段を頼って。
けれど、死ねなかった。
「痛いのは、嫌だ。お腹が空いてるのも、嫌。寒いのは嫌だし、怖いのは嫌」
でも、と。シラギクは小さくつぶやいた。
「寂しいのは、もっと嫌だった」
意識が、ハッキリと残っているわけではないらしい。シラギクが死んでからのことではっきりと覚えているのは、俺と出会ってからのことがほとんどで。
それまでのことは、あまり覚えていない。けれど、と。
「なんとなく、寂しかったのは覚えている。それが、嫌だったことも」
キュッ、と。その手を握りしめながら、シラギクは言う。
「……このまま、死んじゃったほうが、楽なんだろうな、って思ったりもした。苦しいのは一瞬だし、辛いことも、もう起こらなくなる。でも、それでも。私は」
その瞳に涙を浮かべながら。
「私は、お姉様に会いたい。生きて、いたい」
「……そうか」
そのシラギクの言葉からは、しっかりと。たしかな意志が見えた。
「自分で死んでおいて、なにを勝手なことを。ってのは、わかってる。それに、未だに自分の意志が薄弱だってのは、わかってる。生きて、戻って。それからどうするべきなのかなんてことは、全くわかってない。それこそ、お姉様に会いたい理由の一端に、お姉様に私はこれからどうすればいいかを尋ねたいから、ってのも、ある」
相変わらず、自身の意思を他人に任せようとしてしまう癖は残っているけれど、と。
「でも、ふたつだけ。お姉様に会いたいっていうこの気持ちと。そして、生きたいっていう、この意志。これだけは、間違いなく、私の。私の想い。だから――」
「ああ、シラギクがそう言うのであれば、俺はそれに応えよう。……だが、ひとつだけ忠告はしておく。ここから先は、地獄だぞ」
「……うん、わかってる」
「シラギクに対する周囲の評価は、変わらないままだろう。アカネはともかくとして、両親からの対応も変わることはない。……いや、変わる可能性はあるが、よくなるということは、ほとんどあり得ない」
むしろ、シラギクの身体が死んでいるということに気づかれたときには、より酷い扱いになることだろう。既に気づいているであろうアカネを除いて。
「それに。先程も言ったように、シラギク。お前の身体は既に死んでいる。ここは極めて寒いから、その身体が腐り落ちることはなかったが、暖かい地上に戻れば、急速に腐敗していく可能性もある」
「……実は、既にちょっと、痛い」
「その痛みが、無くなることはないし、むしろ強まっていくだろう。これから先、ずっと向き合い続けることになる」
終わることのない痛みと、いつ限界を迎えるかもわからない身体とを持ちながらに生きていく、というその判断は、生半可に下せるものではないだろう。
「怖くなくて、苦しくなくて。静かで平穏な日常はそこにはない」
「うん」
「痛くて苦しくて、恐怖に怯える毎日がそこには待っている」
「わかってる」
「アカネに頼ったところで、どうにかなるかはわからない」
「そのときは、逃げる。ひたすらに現実逃避して、逃げて、逃げて。……きっといつかは逃げられなくなって、しわ寄せがくるんだろうけど」
でも、と。
「でも、それでも。私は、生きたい」
だからこそ。それに臨もうとするシラギクの意志は。魂は。間違いなく、生きている人間のものであろうと、そう思えた。
「生きて、お姉様に会いたい。待ってくれているお姉様に。それに……」
シラギクは、こちらに顔を向けながらに、こちらを向いた。
「リンドウさんが、私のことをわかろうとしてくれたから。私は、ひとりじゃないって、わかったから」
「……俺は、アカネみたいに、なんでもできるわけじゃないぞ」
シラギクをここから帰してやることくらいならできるが。アカネのように奇跡を引き起こすなんてことは、できない。
「でも、リンドウさんは、優しいから。私の逃げる先くらいにはなってくれるでしょ?」
「……まあ、今更、か。首を突っ込んだ立場でもあるし、それくらいなら」
既に、クソ女がひとり、勝手に押しかけていている。そこにシラギクが増えるくらいなら、まあ、もはや誤差だろう。
「うん。お姉様と、リンドウさん。ふたりがいるから、寂しくない。生きていくのは怖いけれど、きっと、大丈夫」
シラギクは、そう言いながらに。立ち上がった。
その身体は、少し震えていて。けれど。間違いなく、自分の力で立ち上がっていて。
「だから、リンドウさん。お願い。私を、ここから、連れ出して」
「……ああ、言われなくても。それが、俺の仕事だからな」




