#11
「ひっ――」
ぺたっぺたっぺたっぺたっ、と。小さな足音を立てながらに私は全力で逃げていた。
「やだ、やだ、嫌だっ!」
どうしてだか追いかけてくるアンデッドたちから全力で距離をとりながら、道をあちこち曲がって逃げ惑う。
思ったよりもアンデッドたちの動きが早くないこともあって、シラギクの足でも十分に逃げることができるくらいではあるものの、その代わりにアンデッドたちは途轍もなく数が多い。
だから、逃げた先にもアンデッド、なんてことも多くあって。だんだんと、逃げ道を塞がれながらにどんどんと追い詰められていっていた。
「あっ、行き止まり……」
戻らなきゃ。早くしないと、この道にアンデッドが入ってきちゃうと、逃げられなくなっちゃう。
そう思い、踵をひっくり返したその瞬間。私の目の前に絶望が映る。
既に、通路の中にアンデッドが入ってきている。
今アンデッドがいる場所まで、完全な一本道。後ろは行き止まり。
脇を抜けられれば可能性はあるかもしれないけれど、アンデッドたちは複数集まってきているのでほとんど隙間がない。
つまり、これ以上逃げられない。
ジリジリと迫ってくるアンデッド。ぺたり、ぺたりと私は後ずさりをしながらに少しでも距離を稼ぐ。
けれど、ほとんど焼け石に水。すぐさま壁にたどり着いてしまって、それ以上に下がれなくなる。
恐怖からその場に座り込んで。守るようにしてギュッと身体を丸める。
痛いのは嫌だ、寂しいのは嫌だ。
辛いのは嫌だ、寒いのは嫌だ。
「助けて、お姉様」
しかし、願ってもその言葉は届かない。ここに、お姉様はいない。
「助けて、リンドウさん――」
アンデッドの腕がこちらへと伸びてきて。もうだめだ、と。そう確信したその瞬間。
しかし、その腕はシラギクへと届くことはなく。その直前でポトリと地面に落下する。
「……へ?」
なにが起こったのか。その状況が判断できず、思わず私は素っ頓狂な声を上げる。
だが、直後に聞こえた暖かな声で。すぐに、理解をする。
「ったく、どこまで逃げてきてるんだよ」
「あっ、リンド、ウさん。その、あ、えっと」
言葉が、出てこない。言いたい言葉なら、たくさんあるのに。
ありがとう、とも。ごめんなさい、と。怖かった、とも。
たくさんの言葉が同時に出てこようとして、喉で詰まる。
そんな私に、リンドウさんはただ、ゆっくりと頭を撫でて。無事でよかった、と。そう告げる。
その手は、ほんの少しだけ、熱を感じることができた。
* * *
ひとまず、シラギクが見つかったのはよかった。
第七層。ブラックドックを斃してからすぐさま階下へ降りて、少しの違和感を覚えた。
階段付近に、あまりにもアンデッドがいなさすぎる。
シラギクを捜索しつつ、途中で出会ったアンデッドを斃しながらに進んでいたのだけれども。本来であれば生者を優先して狙うはずのアンデッドたちが、一部、俺を無視しながらどこかへと行こうとしていた。
そんな違和感に従いながら、もしかしたらとアンデッドたちが集まっている方向へと進んで見れば、という話であった。
どうやら、ある程度の冷静さは取り戻している様子で。しかし、それはそれとしてシラギクの精神状態は依然としてかなりマズい状況に見える。
(まるで、生きる意思を見失っているような。そういう状況に見える)
先程、俺と再会した瞬間は安心からか、随分とマシな表情をしていたのだが。しかし、それ以降の彼女は、俺の隣に座り込みながら、ジッと下を俯き込んでしまっている。
その身体は、恐怖からか小さく震えていて。なんとか保っているその意識が途切れてしまえば、そのままその命までもがこと切れてしまいそうな程に儚く見える。
「……リンドウ、さんは。どこまで、わかってるの?」
「わかっている、か」
具体的になにについて、ということはわからないが。現状として、把握していることを教えて欲しい、ということであろう。
シラギク自身の認識との擦り合わせの目的もあるだろうか。
彼女の精神のことを案じてやるならば、本来ならばいくらかの嘘を交えつつに多少は安心できるような言葉を選んでやるべきかのだろうが。残念ながら、それは通用しない、はずだ。
「そうだな。……まず、シラギクが既に自殺をした身である、ということはわかってる」
シラギク自身が思い出したときにも自発的に言っていたし。それ以前からも、彼女自身の身体が既に死を迎えているという状況やシラギクの身の上などを考慮した結果、そうだろう、という予測はできていた。
「それから、シラギクの聖女としての能力。というか、権能、だったか? まあ、その一端として、考えてることを読む、みたいなことがあるんだろうなとは思っている」
これについては確証があったわけではない。だけれども、クソ女ことアカネが民衆に向けて行っていた奇跡であるとか。ああいったものは彼女たちに備わった権能によるものだ、と。アカネから聞いている。
そして、シラギクが聖女であるということは、先の会話から知っており。そして、シラギクが発言していた、勝手に聞いてごめんなさい、というような噛み合わない会話。
シラギクが知るはずのない、俺が秘匿していた考えなどが見抜かれていたという状況などを加味すると。おそらくはそうなのだろう、と。そう考えることができた。
「私は、うまく自分の力を扱えてない、けどね。未熟だから」
ぽつり、と。シラギクはそう切り出しながらに、ゆっくりと話し始める。
「お姉様は、私の権能を魄の権能だ、って言ってた。お姉様の魂の権能と真逆でありながら隣り合わせの権能だ、って」
曰く、アカネは他者や周囲の物。あるいは自然物の大きな流れとして存在している魂に対して自身の権能によって干渉することができ。一方のシラギクはその対象自身。つまるところが人で言うなれば魄に対して、権能で干渉することができる、とのこと。
「言葉は、魂の産物。他人を思って、様々な嘘を織り交ぜることができる。他人を傷つけるためにも。……他人を守るためにも」
けれど、人には本音がある。言葉が魂によって他者と触れ合うものなのであれば、その本音がどこに残るかといえば。すなわち、魄に残る。
そして、シラギクは。魄へと干渉するの権能を持っている。
つまりは、他者がついたありとあらゆる嘘を、シラギクは見抜いてしまう、見抜けてしまう、ということ。
「それ、は――」
どれほどに、残酷なことであろうか。
考えるだけで悍しい、その事実に。俺は思わず顔を顰める。
たしかに、この能力自体は便利といえば便利ではあろう。なんせ、言葉だけを残してしまえば嘘を見抜ける。つまりはどんな相手であってもシラギク相手には一切の誤魔化しが効かないし、誤魔化したところで看破される。
その一面のみを読み取るのであれば、たしかに便利ではある。
だが、ことはそれだけに留まらない。
少なくとも、自身の権能の制御ができていないシラギクにとっては、ありとあらゆる嘘を貫通して、その裏にある真実を受け取ってしまう、ということになり。
すなわち、シラギクのためを思ってついた嘘。彼女自身を守るためにつかれた嘘なども全て意味を持たず。その裏にある本音、失望や畏怖、恐怖や嫌悪など。ありとあらゆるものが、シラギクに伝わってくることとなる。
特に、ことシラギクの立場ともなれば、それはより苛烈なものとなるだろう。
なにせ、シラギクの姉はあのクソ女である。
そう考えると、シラギクが自身を卑下しようとするこれまでの言動にも納得がいく。
失望されるのは、痛いことであろう。比べられることは、苦しいことであろう。
なにせ、シラギクには。他者の気持ちが、全てのフィルターを突破して、モロに伝わってくるから。
俺は、シラギクではないから。その辛さを正しく理解することはできない。けれど、それらがシラギクを死に追いやったことは、理解できる。
……それに、事態がそれに留まっていない、ということも。
たしかに、シラギクには周囲からの期待と、それに対する失望と。それらによる精神的な追い込みがあっただろう。
だが、彼女から聞いた境遇の話であるとか、シラギクという聖女を、俺が今まで聞いたことがなかったということ。
そして、なにより。彼女が放った、言葉。
痛みを、寒さを。暗さを、空腹を。そういったものごとを忌避するような、言葉。
無論、それらが生きとし生けるものとしては避けるべき事象であり、それ自体の言葉には違和感は、ないはずではあった。
けれど、彼女はそれらの言葉に、謝罪を織り交ぜていた。
シラギクの両親は、おそらく、聖女として不出来であったシラギクのことを、無いものとして扱おうとしていた。
それだけでなく、真実を見抜いてくる彼女の存在を畏れ。恐怖から忌み、嫌い、疎み。除け者にしようとしてきていたのだろう。……あくまで、このあたりは俺の想像でしかないが。
ただ、シラギクが自殺した、というのにも関わらず。そういうニュースは一切聞かなかったし、それに、今回の件について依頼してきたのは、アカネである。
もちろん、アカネも姉ではあるのでその行為自体が変というわけではないのだけれども。順当に考えるなるば、両親が依頼してくる、というのが筋としては真っ当ではあろう。しかし、現実に依頼してきたのはアカネである。
そして。そんな中で、彼女にとっての唯一の心の拠り所となるのが、自身の姉であり。そして皮肉なことに、自身がこうして傷つく原因とも言える、アカネであったのだろう。
アカネはその性格上、シラギクの体質。嘘を見抜くというそれに引っかかることはない。良くも悪くも、ある意味では真っ直ぐに付き合う人間ではある。性格はひねくれてはいるが。
それに、シラギクの能力に対してもしっかりとした評価を行っている素振りを見せているあたり。本当に、唯一というところではあるだろう。
他の人はアカネとシラギクをひたすらに比べて落胆するか。あるいは、シラギクの能力の詳細を知り、離れようとする人ばかりであったのならば、なおのこと。
「ねえ、リンドウさん。私、どうするべきなんだろう」
その言葉は、弱々しく、震えていて。
シラギクの今の心境を、まさしく表しているものだろうと感ぜられた。
ここから帰るべきなのか、ここに留まるべきなのか。
生きるべきなのか、死ぬべきなのか。
それが、今、シラギクの目の前に押し付けられている現実であった。
「どうするべきか、か」
シラギクのその質問を受けた俺は、少しの間ジッと考え込んでから。そして、ゆっくりと口を開く。
「なあ、シラギク。人は、なにを以て死ぬんだろうな」
その質問は、シラギクと出会ってから。俺がずっと考えてきていたことだった。
齢にして十にも満たないような幼子に対して投げかけるにはあまりにも重たい話であり。そして、既にその身体が死んでしまっているシラギクにとっては、なおのこと酷な質問でもあるだろう。
だがしかし、それと同時に。今、考えなければいけないことでもあった。
シラギクが、これから生きていくために。
シラギクが、これから死んでいくために。
俺からの質問を受けたシラギクは、足を抱えていた腕にきゅっと力を入れて、より、小さく丸まる。
おそらく、その質問により強い恐怖を感じたのだろう。
しかし、回答を待つ俺の様子に。彼女は、小さく。とても小さく、答える。
「……わかんない、よ。そんなこと。死んだら、死んじゃったら、死ぬんじゃ、ないの」
爪が、ほんの少しだけ皮膚に食い込んでいるのが見える。
「それなのに、私は。私は、死んだのに。死ねなかった。……死んだ、はずなのに」
それは、叫びだった。決して声が大きいわけではない。先程までと同じ、掠れるような声。
しかし、それと同時に彼女の本心でもあった。その小さな身には耐えきれぬほどの期待と、責務と、落胆と、罵倒と。無責任に一方的に押し付けられたそれらは、彼女を徹底的に追い込んだ。
彼女が逃げたことを、誰が責められようものか。誰が止められようものか。
そうして縋った世界の理。彼女は、それにすら裏切られた。
「……俺は、ここに来てシラギクと会うまでは死ぬってことは、身体がその限界を迎え、終わることだと思っていた」
俺自身、自身の職業の都合もあってか、死線はいくつか潜ってきている。
間近に迫ってきた生死の境目に対して、それ以上に踏み込んだら死ぬし、そうでなければ生きている、というような認識をしていたし。そういう意味では、シラギクの言っているような、死んだら死ぬということにまさしく合致する話ではあった。
だが、その基準が、今回わからなくなった。目の前に、その、イレギュラーとも言えるような存在がいたから。
まさしく、身体は死んでいる。俺やシラギクの認識では、死んでいる、と判断できる状態である。
だけれども、シラギクは、たしかにそこにいる。
「だから、シラギクと出会ってから、ずっと考えていた。人は、なにを以て、死ぬのか、ということを」




