#1
《本任務はダンジョンに迷い込んでしまった依頼主の妹であるシラギクの護衛任務である》
《なお、本任務において生死については成否に関係ないものとし》
《生存ではなく帰還を最大目標とする》
* * *
カツ、カツ、カツ。青白い光で照らされた石造りの階段。地下へと続くその通路を、ゆっくりと降っていく。
「……寒いな」
階段を降りきって。そんな文句を、誰に聞かせるわけでもなくつぶやく。
肌がひきつるほどの冷気が漂うこの場に、自身の装備選択をちょっとだけ怨む。
真っ黒の外套を身に着けてはいるものの、この装備では今の周辺気温に抗うには心許ない。
「こんなところに、ほんとに人がいるってのかよ」
ここは、送りの霊穴。地下へ地下へと続いていく迷宮。
道中にはアンデッドが蔓延り、動いたり、止まったりを繰り返している。
最奥部はあの世に繋がっているだなんて、そんな眉唾な話もあったりする、そんな場所。
「仮に人がいたとして、こんな深層まできて生きていられるのか……?」
送りの霊穴では、深層に向かうほど気温が下がる。それは生きる者の体力をいとも容易く奪っていく一方で、アンデッドたちにとっては身体の腐敗が進みにくい、好い環境とも言える。
だから、深層になればなるほど、生者にとっては苛烈な環境になり、より高位のアンデッドが出てきやすい。すなわち、死亡率が上がる。
弱った人間など、アンデッドにとっては好都合でしかない。
アンデッドの本体は死者の魂であるとされている。やつらは本能的に仲間を欲し、それゆえに生者を殺し、引きずり込もうとする。
一体や二体いるだけならともかく。ともすれば十数体やそれ以上に襲われかねないこんな環境で一般人が襲われずに生存しているとは、到底思いにくい。
だからこそ、普段であればこんな依頼など、ギルドに持ち込んだ時点で「冗談を言うな」と一蹴されそうなものであり。俺だって、普通ならまずそんなものを信じたりはしないのだけれども。
『妹が、送りの霊穴で彷徨っているようなんだよね』
ちらと瞼の裏に映った女の顔。どういう手段でか、そんなことを知り得た自称友人のあのクソ女は、そう言って俺を名指しで救助の依頼をしてきた。
厄介なのが、ちゃんとギルドを噛ませているというところ。つまり、正式に依頼として受理されている。
断ること自体は可能といえば可能なのだが、厄介なことにこのクソ女からの依頼は断ると後が面倒なので引き受けるしかない。
そうした経緯があって、半強制の依頼により。俺は今、彼女の妹を捜索している。
「とはいえ、いったいなにがあったら数日前に行方不明になった少女が送りの霊穴にいるだなんて、そんなことになるんだよ」
そもそも、送りの霊穴はあの世に最も近いという話やアンデッドが生まれやすいという都合もあり、その危険性から絶えず警備されている。だから、許可の無いものは入ることはできないはずで。
だからこそ、本来ならばなんでもないはずの少女がこんなところにいるだなんてことはあり得ないはず、なのだけれども。
だがしかし、非常に悔しい話ではあるのだが。
あのクソが言うのであれば、おそらく、いる。
「この階もハズレか? ……そろそろ本気でヤバい寒さになってきたんだが」
フロアの末端、下へと降りる階段の前に到着した俺はそう呟いた。この階には分かれ道なんかはなかったから調べそこねはないはずだが。
「とりあえず、降りてみるか」
階段の暗がりの中に入りながら、慎重に降りていく。
下へ向かえば向かうほどに、さらに驚異を増した冷気が皮膚をひりつかせる。
痛みすら感じるこの寒さには、身の危険を感じざるを得ない。
「……今の装備だと、これ以上の捜索は無謀だな。一度引き返して、もう少しマシな防寒具で挑み直したほうがいいだろう」
下の階にたどり着いた俺の、率直な感想はそれだった。
無論、装備選択が誤りだったというのはそのとおりだが。まさかこんな深層まできても見つからないだなんて思っていなかった、というのも事実。
しかし、こんなところに文句をぶつける相手なんているわけもなく。再びここまで潜ってこないといけないのは面倒ではあるが、さもなくば俺自身の命のほうが危ない。
仕方なく撤退しようとして踵を返したその瞬間。俺の視線は釘付けになった。
「………………」
部屋の隅で白色のワンピースを身に着けて、静かに座っている少女。髪色から肌に至るまで、真っ白という言葉が似合う彼女の姿は、まさしく聞かされていたシラギクの姿そのものだった。
その身体は襲われたり荒らされたりしている様子はなく。ただ、穏やかな表情で目を閉じたままで、眠るようにして座り込んでいた。
近づいて膝を付き彼女の手首に指を添えてみる。が、脈は感じられない。身体もずいぶんと冷え切っている。
無理もない、と。そのまま目を伏せ、冥福を祈る。
どんな偶然か、今いる送りの霊穴は奇しくも最もあの世に近いとされる場所。その最奥はそのまま繋がってるとまで言われている。きっと迷わず逝けるだろう。
「さて、亡くなった人の身体をどうこうするのは好きじゃないんだが。場所が場所だ、仕方ないか」
ここはアンデッド蔓延る送りの霊穴。長期間遺体をここに放置しようものなら、アンデッド化しないほうが珍しい。
奇妙な依頼文のこともあるが、それを抜きにしても遺体を地上に持ち帰ってきちんと埋葬をしてあげるのが彼女のためでもあろう。
「とりあえず、連れて行こう」
この冷気で体が脆くなっている可能性もある。壊さないように、そっと手を伸ばした、そのとき。
「――ッ!」
背後に気配を感じ、慌てて振り返る。
すぐそばには今にも爪を振り下ろさんとしているアンデッドが一体。――大丈夫。低級アンデッドの動きは遅い。間に合う。
右手で刀の柄を握り、抜刀しつつそのまま横一文字に斬りつける。「ゲヒァア」という断末魔とともにアンデッドの身体は崩れ落ちる。
少し離れた位置に二体。爪先で地面を蹴り、アンデッドたちに向けて突進する。そして刀を斬り下げ、斬り上げ。二体それぞれを斬りつけると、それぞれが動きを止め、倒れる。
これで、しばらくは動かないだろう。
ひと息、安堵をつこうとした。その瞬間、
コッ、コッ、カッ、コッ、リズムを刻むような小さな音。
誰もしゃべるはずのない空間に、少女の声が聞こえた。
「お兄さん、すごい! とっても強いんだね!」
背後から聞こえてきたその声は、今までの冷気が楽園かと錯覚させるほどに、冷たく、背筋を凍らせる。
今、自分の後ろに在る存在はふたつ。ひとつは最初に襲撃してきたアンデッド。もうひとつは。
恐る恐る後ろを振り向くと、そこにはユラリと立つ真っ白な少女がいた。
そして、その彼女の両の手は。甲同士がぶつけられ音を立てている。
「君は……シラギクだね?」
「えっ、なんでわかったの! お兄さんもしかして心が読めるの?」
シラギクは、キラキラとした表情でそう聞いてくるが、そんなわけがない。
素直にそう伝えると、ちょっとしょぼくれていた。
「とりあえず聞きたいんだが、寒くないのか?」
あまりの衝撃で、つい今まで忘れていたが。シラギクの服装は真っ白のワンピース。それも、薄手の生地にノースリーブであり、紛うことなき薄着である。
対してここは極寒の地。普通耐えられない。
「えっ、別に寒くないよ?」
「……そうか。ならいい」
しかし、目の前の少女はあっけらかんとそう言い放つ。まるで本当に平気であるかのように。
「それからもうひとつ。その、さっきの動きは……なんだ?」
そう言いながら、俺は先程のシラギクの動きを模倣するようにして両手の甲を近づけ、遠ざけを繰り返す。ただし、決してぶつけないようにして。
「なにって、拍手だよ?」
「なっ…………るほど、そうか」
その答えは、想定していなかったわけではなかった。ただ、想定していたはいたが、一旦排除していたものだった。
少し考えてから、口を開く。
「俺の知ってる拍手ってのは、手の甲同士でやるんじゃなくて、手の平同士でやるもんだったけどな」
「なに言ってるのお兄さん。そんなの当たり前じゃない」
「……そ、うだな」
ああ、そういうことか。それなら、都合がつく。
シラギクは、正しく拍手をしているんだ。
正しく拍手をしているから、彼女の認識は手の平で叩いているように思う。現実と齟齬が起きる。
『ねえ、知ってる? 手の甲でする拍手は裏拍手って言ってね――』
そんな、以前クソ女に言われた言葉が、脳裏をよぎる。もし、全てを理解した上であのときこの話をしていたのなら、本当に、性格が悪い。
そんな思案にふけていると、甲高い声に意識を引き戻される。
「お兄さん! お兄さんは私にふたつも質問したんだから、私にもさせてよ!」
「えっ? お、おう。いいぞ」
すっかり元気になった様子のシラギクの勢いに、少し押し切られてしまう。
まあ、別に聞かれて困るような話もない、はずなので問題はない。
「お兄さんの名前はなーに?」
「名前か? そういえばまだ名乗っていなかったな。俺の名前はリンドウだ」
「リンドウ……さん、リンドウさんだね! 私はシラギク……ってリンドウさんはもう知ってるんだった。とにかく、よろしく!」
「ああ、こちらこそよろしく……てか、名前でよかったんだな。もっととんでもない質問されるかと思ったぞ」
名前なんて、どのみち名乗るつもりだったんだが、というくらいのつもりでの発言だったのだが。
「えっ、していいの?」
しまった。口を閉じても言葉は戻ってこない。「じゃあ、どこかでまた質問に答えてね!」と彼女はいたずらっぽく言った。
「あれ、そういえばだけど、リンドウさんはなんでこんなところに?」
彼女の放ったその疑問に「もう質問をつかうのか?」と、少しおどけて聞いてみる。
彼女はその言葉にハッとして、どうするべきかと子供らしくあれやこれやと思案しているので、俺は少し笑ってから、別にこれは質問にカウントしなくていいよと前置いてから説明をする。
「君のお姉さんと……まあいろいろと縁があってね。それで、彼女から君のことを街まで護るようにと頼まれたんだ」
切れるなら切りたい縁だが。だが、どうにも向こうが切ってくれそうにない。
「そうだ、お姉様! お姉様はどこですか!」
俺が名前を挙げたからか、彼女は思い出したかのようにそう言いながら、彼女は首を大きく横に振り、周囲を見回す。
「…………あれ、そういえばなんで私こんなところにいるんだっけ?」
ふと、現状を確かめるようにして彼女がそう言った瞬間。シラギクの表情がサッと青ざめる。「なん……だっけ、思い出せそうで、思い出せない」「思い出しちゃ……」と。まるでその様子は得もしれぬような巨大ななにかに押し潰されそうになっているかのようで。錯乱しながらその場にうずくまる。
「シラギク、シラギク!」
俺は慌ててシラギクの肩を持ち、彼女の名前を呼ぶ。
「はっ……えっと、ごめんなさい取り乱しちゃって。もう、大丈夫」
どうやら俺の声が聞こえたようで、なんとか正気こそ取り戻しつつも、どこか不安そうな声音で彼女はそう謝ってくる。
「謝らなくていいよ。とにかくここにいても仕方ないし行こうか。道中はアンデッドが……いや、これは問題ない。道が迷路みたいに分かれているところがあったりするから、はぐれないように」
俺はサッと左手を差し出した。シラギクは一瞬ためらったようだが、手を取ってくれた。
やはり得もしれぬ不安の存在は大きかったのだろう。差し出した左手はギュッと強く握られた。彼女の瞳には少し涙が溜まり、大切なものがポロリと崩れ落ちた。しかし顔は笑顔そのものだった。
彼女がどれほどここにいたのかもよくわかる。握ってくる四指は酷く冷たかった。
「帰ろう」
俺は来た道を引き返す。
手を引きつつ歩き始める。
シラギクとともに、街へと帰るために。
『ねえ、知ってる? 手の甲でする拍手は裏拍手って言ってね――』
思い起こすのは、クソ女の嫌な笑顔。ああ、本当に。どうして今思い出すのかと。そんな恨み言を吐いてやりたい。
『相手を呪うとき、そして死人のする拍手なんだって』
バレないように拾った右手小指を。
子供には重すぎる死を隠しながら。
それがただの決断の先送りだとしても。
* * *
非常に面倒なことに巻き込まれたような、そんな気がする。
《本任務はダンジョンに迷い込んでしまった依頼主の妹であるシラギクの護衛任務である》
――そういえば、今までずっと考えたことはなかったが。
人は何を以て死とするのだろうか。
《なお、本任務において生死については成否に関係ないものとし》
幸い地上に着くまではしばらくの時間を要する。
考える時間はありそうだ。
《生存ではなく帰還を最大目標とする》