業火に焼かれた歌姫01
ダグラス・フレイは焦っていた。
毎日のようにジェイク・パラミア国王陛下に呼び出され、その度に娘エリザベスをカルロスと結婚させよと言われるのだ。
「エリザベスはまだ十四歳と若いのです。どうかご容赦を」
そう言ってなんとか逃れ続けるも、全ては時間の問題だった。
ある日、陛下との話を終えて部屋を出たダグラスは最悪の人物と出会った。廊下で壁にもたれかかってダグラスを待ち伏せしていたのは、憎き相手であり悪女と呼んでやりたい女メル・フォードだった。
「なんのようだ」
ダグラスが不貞腐れるのを隠すでもなく、低い声で短く問うた。それでもメルは怖がりも悪びれもせずにわざとらしく話し出す。
「べつにぃ? ただちょっと心配なのよ。カルロス王子はよっぽとお怒りのようだから、陛下に何かお願いするんじゃないかと思って」
「ふん。何かをねだるなら、カルロス王子ではなくメル殿ではないのか。フレイ家が落ちぶれて得をするのはお前たちフォード家の連中だろう」
メルは壁から背中を離すと、サイドスリットスカートの足元を惜しげもなく、むしろあえて足を晒すようにして動かした。そして甘ったるい猫撫で声で言う。
「随分と酷い言い方じゃないの?」
とはいえ、そんなバレバレな色仕掛けに引っかかるダグラスではない。
むしろダグラスは彼女のそう言ったところが嫌いなのだから。
「軍人上がりなもので、貴族たちのお綺麗な口調は理解できなくてね」
「………まあいいわ。せいぜい強がるのね」
それだけ言うと、メルはどこかへ行ってしまった。
残されたダグラスは一人、愚痴をこぼす。
「…全く、媚を売る以外能のない歌の下手な女が当主とは、フォード家も落ちぶれたものだ」
そうして一刻も早く家に帰るために、早足で宮殿を出るのだった。
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バースデーパーティから二週間が過ぎたその日もまた、私は歌を歌っていた。妹のマリアと一緒に、だ。
敷地に迷い込んできた猫を相手に、存分に《聖女》としての歌声を振るう。猫は最初こそ知らない場所に入ったことで気が立っていたけれど、今ではすっかり機嫌が良くなってごろごろと寝ていた。ニャーん、という鳴き声が可愛らしくて、マリアが「飼いたい!」と言い出した。
「父様に相談しましょ?」
「うん! 名前はねぇ〜、決めた! ルナにする!」
「可愛い名前ね、ルナ」
ルナ、と呼んでやると気に入ったのか、猫はさっそく反応して尻尾を振ってくれた。
マリアはそんなルナの一挙一動に夢中になって可愛い可愛いと言って撫でてやるのだった。
その日の夜は、なんだか寒かった。まだ十一月だというのに異様に冷え込んでいた。珍しく父様が早く帰ってきたから、久しぶりに家族全員で食事を取ることが出来たのは嬉しかった。
「今日は早かったのね、あなた」
スープを飲みながら母様がそう聞いた。温かいスープには色とりどりの野菜が入っていて、健康に良さそうだ。もちろん味も良い。
「ああ、陛下がもう帰って良いと言ってくださってな。近頃は夜遅くまで話をしていたから、たまには家族と居るようにと」
「随分とお優しいのね」
二人はなんだか、国王陛下を少し怪しんでいるみたいだった。けれどその気持ちは分かる。本来ならばカルロス王子の告白を断ったのだからもっと怒られるはずなのだ。
ルカお兄様は今も私の隣の席で、国王陛下の名を聞くだけで鬼の形相をしているくらいだ。
ちなみに、しつこく私が結婚を求められていることについては父様からルカお兄様にも伝えられている。知らないのは純粋で幼いマリアだけだ。
そうして食事を終えた私たちは、少しの談笑を楽しんだ。
マリアが席を離れて、自分の部屋から猫を抱えて食卓へ戻って来る。
「ねえ、この猫、飼ってもいいかしら? 名前はね、ルナにするのよ!」
マリアがもう名前を決めているということにやや驚いた父様と母様は顔を見合わせたけれど、その後すぐに笑い始めた。
「マリアがちゃんと世話をできるなら、いいよ」
父様の優しい一言で、マリアはルナを抱きしめてはしゃいだ。
「やったあ! ありがとう、父さま、母さま」
九時を過ぎた頃、私たちはそれぞれの部屋へと戻った。もちろん、マリアはルナを連れていった。
ベッドへ横になった私は眠気こそあるはずなのに、いつの間にか十時を超えていて寝られなかった。
仕方がないから、テーブルの上に置いていた本を手に取る。
本の内容はお姫様が冒険をするというものだ。よくあるおとぎ話だけれど、私はこの歳になってもこの物語が大好きだった。国を追われた勇敢なお姫様は、傭兵たちに気に入られ、共に戦って国を取り戻すのだ。
「こんなふうに、強くなれたらいいなぁ」
窓は閉め切っているから分からないけれど、カーテンの向こうはきっと風の吹く良い月夜に違いない。こんな日に本を読んで深夜を過ごすなんて、なんだか少しだけロマンチックだ。誰もいない、誰も起きていない空間では自分一人だけ生きているみたいだもの。
そのまま夢中で本を読み耽った。もう内容も覚えたものだけれど、気がついたら時計の針が十二時を回ろうとしていることに気がつかないくらい、ベッドの中で真面目に読んでいた。
やがて外から何やら物音がしたその時、ドアが叩かれた。
「もう、こんな時間に誰よ」
渋々本をテーブルに戻してドアを開ければ、そこに立っていたのはルカお兄様だった。
額に汗を流して、何やら焦った様子。
「エリザベス、よく聞いてくれ」
「ルカお兄様が落ち着いてよ」
笑いながらそう返すけれど、ルカお兄様は笑いを返してくれない。いつもなら、「手厳しいなぁ、さすが我が妹」とか言ってくれるはずなのに。
「エリザベス、外にな」
ルカお兄様の声は震えていた。珍しかった。歌姫の血を継ぐルカお兄様は強いから、何かに怯えることなんてないのに。
「何? 外におばけでもいたの? ルカお兄様」
私はやっぱりルカお兄様の怯える理由に気が付かなくて、ふざけながらそう返す。
「家が………武装した軍隊に囲まれているんだ」