8 現実はショボすぎる
「しつこい! このストーカー悪魔野郎!!」
私の怒りは頂点に達しました。
こんなに純粋で利発な少年に、あんな悲しい言葉を言わせるなどと、悪魔め地獄に墜ちるがいい。
私は手を広げて海中に無数のサメを出現させると、悪魔の黒い影を食い破り、食い千切り、景色から消滅するまで、ちりぢりにしてやりました。悪魔がサメを掴んで暴れ狂う姿が見えますが、無駄な抵抗です。私は思わず吠えました。
「夢使いは夢の中で最強なのだ! 舐めるなよ!」
悪魔の悲鳴に混ざって、少年王子様が、私のお腹に抱きついたまま笑っています。
「ルナ! 強くて格好いい! 頼もしいルナが好きだ!」
「ルナが好きだ」「好きだ」……
少年王子様の貴重な台詞がリフレインして、私は目を覚ましました。
横を向くと、現実のアンディ王子殿下も、こちらを向いていました。楽しげな笑みを浮かべています。
「あれを食い千切るとは。爽快だな、ルナ」
現実の王子様にもお褒めのお言葉をいただけて、私は雲の上で踊るように浮かれました。明るい朝の光が宮廷に満ちていて、見るものすべてが夢のように色づいています。あれ? 世界って、こんなに輝いてましたっけ。
ふわふわと、ご飯を食べて。
ふわふわと、馬車に乗って。
その足取りのまま学園に登校した私は、お昼の時間にいつものように図書室に来ました。
でたらめに鼻歌を歌いながら、にやけ顔で本を漁っていた、その時です。背後からこっそりと、不穏な者が近づいていたのでした。
ドオン!
私は不意に背中を突き飛ばされ、顔面から書棚に思い切り突っ込みました。ドドド、と雪崩落ちる大量の本と埃の中に、ちんまい私は完全に埋もれました。
「ひ……ひぃっ!?」
「あ~ら、ごめんなさい?」
謝罪とは思えない居丈高な声が聞こえ、私が恐る恐る本を被ったまま見上げると、そこには上級生の綺麗どころの令嬢たちが5人ほど、ずらりと並んでいました。アンディ王子殿下の、取り巻き軍団です。
私は悪魔と対峙した時よりも、背中がゾッしました。それぞれ個性がある美人が意地悪な顔で並ぶと、悪魔以上の迫力があるというものです。
「チビすぎて見えなかったわ」
「ほんと。貧相な子供みたい」
「オタク」「不気味」
各々の悪口が綺麗に輪唱して、私は苦笑いするしかありません。そんな反応が癪に触るのか、中央で仁王立ちしている縦巻きロールのご令嬢は、厳しい口調で本題を突き付けました。
「あなた、聖女を騙ってアンディ様に付き纏っているようね? おちこぼれの癖に、どういうつもり?」
ああ、学園の噂とは恐ろしいものです。隠していても、こうして表沙汰になってしまうのですから。
「えっと、その、守秘義務がありましてぇ……」
ゴニョゴニョする私の言葉など聞かずに、縦巻きロールさんは自説を被せます。
「姉が優秀だと、妹にもおこぼれがあるってことね。大聖女が立場を利用して身内を優遇するなんて、聖女としてあるまじき行為だわ」
私は思いもよらぬ言いがかりに頭が真っ白になって、本の山から立ち上がりました。
「お、お姉さまは関係ないです! リフルお姉さまの悪口はやめてください!」
反抗的な態度に縦巻きロールさんはカッとなって、ビンタを繰り出そうと、右手を振りかざしました。身長が20センチは低いであろう私は抵抗の術なく、頭を抱えて亀のようにうずくまりましたが、そのビンタの手は、さらに高い身長の手によって止められていました。
「アンディ様!?」
いつの間にか取り巻き軍団の後ろにいたアンディ王子殿下が、ビンタを止めていたのです。ご令嬢たちは青ざめて、ざわつきました。
王子様は冷えきったバイオレットの瞳でご令嬢たちを見回し、縦巻きロールさんを鋭く睨みました。
「何をしている? 令嬢にあるまじき、野蛮な行為だな」
「あ……これは……」
王子様の皮肉を受けて、縦巻きロールさんは何かが崩壊するように、ガクガクと震えました。いつも求愛の声を響かせていたのに、こんな意地悪なお顔は王子様にお見せしたくなかったですよね……私は亀のポーズのまま、同情しました。
ご令嬢方はひとり、またひとりとコソコソと図書室を出て行き、縦巻きロールさんも涙目で走って去りました。
残された私は、王子様の前で本と埃を被ったまま、呆然と佇みました。
「大丈夫か? こうなるから、学園ではルナとは他人のふりをしてたんだけど」
「あ、そ、そうだったんですね」
アンディ王子殿下は自分を囲むご令嬢たちの怖さを、ご存知だったようです。
そして畏れ多いことに、王子様は跪いて私のスカートの埃を払ってくださり、ちんまい脚に触れました。
「怪我してる。血が出てるぞ」
「ち、血ぃ!?」
“血”という言葉に弱い私は傷を見まいと仰け反って、王子様は呆れて倒れそうな背中を支えてくださいました。
「夢の中と外では別人だな。現実では、何でそんなにショボいんだ?」
容赦のない素朴な疑問に、私は空笑いするしかありませんでした。