第8話「色を引く」
「おー、けっこー落ちるね」
「汚れごっそり」
テンちゃんとイズミは、一つのバケツの中でそれぞれの服を揉み洗いしている。およそ五日分の汚れが浮き出る様に感慨深げだ。
対する僕とリツは、絶えず流れる川に泥を濯いでもらっていた。
「これ、なんて実なんだろうね」
「とりあえず洗剤の実、とかでいいんじゃね?」
この森に迷い込んでから五日目の朝。僕らはようやく洗剤を手に入れた。
それは直径2㎝程の、黄色っぽいような茶色っぽいような皮をまとう果実で、中には一回り小さな黒々とした種が入っている。使うのは皮の方。これを水に浸けて擦れば見事に泡立ち、実際使ってみても汚れがよく落ちた。
生えていたのは川を挟んだ対岸の森で、柿やタケノコがあった場所のすぐ近くだ。そこでリツが見つけ、相変わらずの不思議な感覚で洗剤に使えると判明したのだった。
服の予備も手に入って、立て続けに生活の質が向上しているのを実感する。もう皆の顔も不安の色を忘れた様子だ。
目に見える汚れを一通り落とした僕とリツは、近場で拾った長めの枝を川原に突き立てて、即席の物干し竿を作る。
「ここは日も照ってるし、すぐ乾きそうだな」
学ランを枝に引っかけながら、リツは眩しい空を見上げた。
目の前の川幅はかなり広く、しかも流れつく端が見えない。そのため頭上の天気が明瞭に降って来ていて、これなら今日中にでも取り込めそうだ。
リツの言葉を聞いて、隣に並んだテンちゃんは思いつく。
「そうだっ、風も吹けばもっと早く乾くよね」
と言いながら少女は、何かを呼ぶように天を仰いだ。
すると途端に、一際強い風が川沿いを駆け抜ける。
それは水気を飛ばすと共に、固定の甘い衣服も空へと飛ばした。
「ちょっ!? 俺の服が!?」
「あ、僕のも」
先に洗濯を終えていた僕ら男子の衣類が宙を舞う。不規則な落下はまるで持ち主から逃げるようで、そうして乾かす最中にて、またも川へ舞い戻ったのだった。
「流されるぞ! 急げ!」
「うんっ」
「ご、ごめーんっ」
後ろからの謝罪に取り合わず、僕とリツは慌てて川へと足を踏み入れる。せっかくの着替えを無駄にするものかとびしょ濡れになっても構わず突き進んだ。
途中でせり出す岩が足止めしてくれていて、どうにか服の回収に成功する。疲れと水分で重くなった足で戻ると、女子達はもうこちらを気にも留めず自分達の服を干していた。
「テンちゃん、さっきの風すごいね」
「へへーでしょー。もう自由に操れちゃうんだっ」
得意げになっている少女に、リツは詰め寄って声を荒げる。
「おいっ、もうちょっと加減考えろよ! 濡れちまったじゃねぇか!?」
「ごめんってー。でもすごくない!? あたし、天気を自分で変えれるようになったんだよ!?」
謝罪早々に賛辞を求めるテンちゃんに、リツの叱りは勢いを失う。
「……まーすごいけどな? けど着替え、これしかねぇんだしよ」
「すごいなら撫でてー?」
反省した様子もなく頭頂部を差し出され、リツは顔をひきつらせた。そのまま反応を返さなくとも褒美を待つ少女に、彼は折れて深く息を吐く。
そうして、ポンポンと軽く頭を叩くだけしてその場を離れた。
「む、ちゃんと撫でてよぉ」
非難の目を避けようとしてか、リツは距離を取って濡れた服の水気を絞っている。不服げなテンちゃんにはイズミが寄り添っていて、代わりに「よしよし」と撫でてあげていた。
僕は傍観者としてニヤニヤとリツを眺めていれば、こちらに気づかれ、はてさてどういう意味か、彼はまたもため息をついていた。
それからは改めて四人分の洗濯物を並べて干す。今度は洗濯物が飛ばないよう、昨日からこの川に居座っているヒィちゃん達に押さえてもらい、テンちゃんの力で適度な風を吹かせた。
一区切りつくと、リツが皆を見回して問いかける。
「んじゃ、これから何するよ?」
「川までの道作り?」
「うん、まずはそれが良いだろうね」
イズミの案に賛成して、僕は物干し竿に座る三角錐を見た。道を作っていないために彼らは、大木にいる仲間達と合流出来ないでいるのだ。
否定の意見はなくまとまって、それじゃあ大木の拠点まで戻ろうか、と川を離れる事に。
だが何故か、テンちゃんだけはその場に足を止めたままだった。
「ねえ、ちょっといい?」
少し神妙な面持ちで、少女は注目を集める。
そのまとう雰囲気は明らかにいつもと違っていて、どこか申し訳なさそうでありながらも、強さが垣間見えた気がした。
「あたしさ。もう、」
意を決するために言葉を区切る。
先を言えば、後戻りは出来ないとばかりで。
だがその続きは、唐突に遮られた。
「す、すみませんっ!」
震え、忘れかけた不安に染まる声。
割って入った驚愕に、意識は眼前の少女よりもそちらを優先する。
眼鏡をかけ、長めの後ろ髪をおさげにしたセーラー服の女の子。垢抜けない着こなしと華奢で猫背な姿、潤んだ瞳が感情をより濃く強調している。
「ここ、どこですかっ……?」
そして、その子の首には、見覚えのあるプラカードが提げられていた。
『あなたのお仕事は〝絵を守ること〟です。』
どうやらこの森にまた一人、迷い込んだようだった。
△△▽▽□
僕達は〝絵〟の女の子を中心に、扇状に座っていた。
「……まあ、経緯は大体俺らと一緒だな」
「そうだね」
リツの感想に僕も頷く。それは、女の子にとっては余計不安を煽る情報となったようだった。
「こ、ここからは出られない、ってことですか……?」
絶望で声音を染めていく女の子だったが、それを晴らすように少女が笑いかける。
「大丈夫安心してっ。あたしたち意外と何とかなってるからさっ。何なら一緒に暮らしていけば当分心配はないと思うしね?」
テンちゃんの励ましに、女の子は何も返せず俯いてしまう。
そんな、小さくなっていく姿を見て、こちらから手を差し伸べるべきだろうと僕は少女の言葉に続ける。
「うん、君も一緒に暮らそう。僕達も、一人でも仲間が多いと心強いからさ」
「……え、と」
お願いするように言うと、女の子は顔を上げつつも困惑していた。ただ嫌な感情は見えない。それだけでもう、決まったようなものだった。
だから僕達は、当人を置いてさっさと歓迎ムードを作っていく。
「なら、名前つける?」
「うん、それが良いよ! あたしたち、ここで暮らしやすいよう自分たちで名前つけたんだ!」
イズミの提案にテンちゃんが頷く。次々進んでいく話に女の子はついていけていないのか、目をパチパチとさせていた。
けれど構わず、テンちゃんは名乗り、紹介を始めた。
「あたしはテン! でこっちがリツで、イズミとモリくんっ。みんな、そのプラカードの内容から取った名前なんだ」
最後に指差したのは女の子が首から提げるプラカード。女の子も指先を追ってその文章を読み、少し落ち着いた様子で声を発する。
「……これ、何なんでしょうか。絵を守るって、どういう……」
「不安がらなくていいよ。それは、アドバイスみたいなものだから」
天気の少女はそんな風に注釈した。いつそんな考えに至ったのか、僕の知らない事を語ったその横顔は、なんだかいつもとは違って見えた気がして。
けれどすぐに天真爛漫さを取り戻す。
「というか絵を守るってことは、絵を描くのが得意ってことなんじゃない!? あたしは天気を守るってので、今じゃもう天気も操れるんだ!」
そう言ってテンちゃんが宙で指を躍らせて見せると、小さなつむじ風が生まれ、足下の木の葉を舞い上げた。
新人の接待に息巻く少女に苦笑を浮かべながら、リツが改めて声を掛ける。
「まあなんだ。無理にとは言わねぇけど、俺達と一緒の方が何かと安全だと思うし、ここで暮らさねぇか?」
「え、あっ、えっと……お願い、したいです」
ペコリ、と律儀に頭を下げた女の子に、僕達四人は顔を見合わせて微笑んだ。
「じゃあ名前どうするっ!? 絵だから……そうだ! エナとかどう!?」
「そ、それで大丈夫ですっ」
「もうっ、敬語はなくていいよっ」
まだ女の子の態度はぎこちないが、こうして僕達はエナちゃんを歓迎した。
すると、順番を待っていたとばかりにヒィちゃん達も集まってくる。
「えっ、なにこれっ」
「積み木」
そう言いながら、イズミがヒィちゃん達を積み上げて見せた。積み上がった五匹のヒィちゃんは、「ヒヒーっ!」と陽気に腕を広げている。
「ん? きみら太った……?」
「ヒぃ?」「ヒーヒー?」
会話をしているイズミとヒィちゃんに戸惑いつつも、エナちゃんは次第に笑い出していた。
「なんだか、可愛いですね」
「ん」
イズミは肯定と取りづらい反応を示す。可愛いという点には同意出来ないと言いたげだ。
だがエナちゃんはその機微には気づかず、立体達に挨拶を始める。不思議な生物ももう受け入れたらしい。
「そういやテン、お前さっき何言おうとしてたんだ?」
ふと思い出してリツが問いかける。それは僕も聞きたかった事だ。新たな迷子との遭遇で中断されたが、あの雰囲気をそうあっさりと流していいようには思えない。
けれどテンちゃんは、気にするなと首を横に振った。
「やっぱまだいいや!」
そう言って、少女はエナちゃんと混じってヒィちゃんと遊び始める。その様子はいつもと変わらない。先ほどの神妙な表情の面影もなかった。
僕とリツは見合って首を傾げるが、それ以上疑問を口にする事はしなかった。少女自身から言い出すのを待つべきだろうと結論付け、僕ら二人は保護者のように遊ぶ女子達を眺める。
「あのセーラー服は、あの子のだったんだね」
「だなぁ。てか、あいつらは来るの知ってたって事か?」
予備の服を持ってきたヒィちゃん達を見ながらリツが言う。その答えを僕が知るはずもない。
森の精に関しては結局謎だらけだ。いやそれだけではなく、この森や僕ら自身についても何も分かっていないのだが。
人が増えたとなれば、この森での生活が長くなる予兆な気もしてくる。
とは言え今となっては、ここで過ごす時間が良い事なのか悪い事なのかは、いまいち判断し辛いところだった。
新しい仲間を招き入れた僕達は、いつも通りに拠点の開拓を進める。
まず着手した川への道作りは存外早く終わった。これは、視線を外すとスポットまでの距離が変わるという特性を利用して距離のリセットを繰り返し、結果10m分の道作りだけで済んだおかげだ。
その間にエナちゃんはテンちゃんに連れられ、拠点の説明を受けていた。二人は相性が良いのか合流した時にはすっかり仲良くなっていた。
それからは目立った作業はなく、各々の気になる点を改修して回る。エナちゃんの寝床は、イズミが個室に移った分、洞にスペースが空いたのでわざわざ作る手間も省けていた。
僕とリツはお粗末な男子寮の点検をしている。エナちゃんにはテンちゃんの指導を受けながら自分用の食器を作ってもらっていた。
だがそれももう終わったらしい。おさげの女の子が、出来上がった品を持ってきて近づいてくる。
「えっと出来たんですが、次、何かやることありますか?」
テンちゃん以外にはまだ遠慮がちだが、無理に距離を詰める必要もないかと僕はそのままに微笑みを返す。
「早いね。僕の方で頼みたい事はないよ」
「そう、ですか……」
エナちゃんはどこかガッカリした様子で引き返し、今度はリツに手伝う事はないかと聞いていた。そこでも成果が得られないでいると、テンちゃんの方から何か誘いがあってそっちへ向かって行く。
働き者だなぁ、と感心しながら僕は手元に集中を戻した。男子寮は素人仕事のためにまだまだ下手な造りだ。手を借りても良かったかもしれないが、男子しか使わないのに頼むのはなんとなく忍びない。それはリツも同じ意見だったようで、男子二人で黙々と進めている。
少し離れて全体像を眺めていると、素材を削っていたリツが、一区切りついたようで声を掛けて来た。
「あいつもすっかり頑張ってんな」
視線を向けるのは誰よりも背の低い少女。テンちゃんは、こっちにも聞こえてくる明瞭な声でエナちゃんに話しかけている。二人は傍から見てももう昔からの友人みたいだ。
「自分が一番年下だったし、後輩が出来て嬉しいんじゃないかな?」
「かもな」
僕の推測にリツが失笑した。
エナちゃんは聞くに中学三年生らしい。テンちゃんは高校一年生だと言うから、お姉さんらしく振舞おうと健闘しているのだろう。ただまあ、背はテンちゃんの方が低いし、あまり年上には見えないが。
「にしても、何やってんだあいつら?」
「まあ、遊んでても別に文句はないでしょ」
二人は何やらしゃがんで地面を囲っている。何かやっているようだが、内容までは分からない。イズミも個室が出来上がったからと昼寝をしているしわざわざ咎める事でもないが、リツはなんだかんだとお節介焼きだから、心配してしまうのだろう。
さすがに危険はないだろうと判断して、僕とリツが次の作業について相談していると突然、一際大きく少女の声が上がった。
「えぇっ!? なにこれ!?」
見ると驚きはエナちゃんも浮かべていて、自分の手元を見つめ唖然としていた。そしてテンちゃんが、僕達の方に向いて手招きをしてくる。
「ねえ見て見て! エナってばすごいよっ!」
僕とリツは作業を中断し、呼ばれるがままに少女達の下まで寄っていった。すると、驚愕の理由がハッキリと視界に映る。
「なんだこれ……」
「うわ。不思議だね」
「ね!? すごいよねっ!?」
テンちゃんが指差す地面は、奇妙にも光っていた。
そこには枝で引っ掻いたような土の溝が出来ていて、その溝をなぞるように白と赤が混ざった光が、囲う僕らの陰の中で存在を主張している。
更にその色は、地面だけでなく転ぶ棒切れの先にも残っていた。
「エナにね、この枝で絵を描いてもらったんだっ。ほら、『お仕事』が絵を守るだったしね! そしたら、地面引っ掻いただけなのに不思議な色が付いたんだよっ!」
しきりにはしゃいでいる少女の報告を聞き、リツは顎をさする。
「これが、エナの『お仕事』による力って事だろうな」
「そ、そうなんですかね……」
エナちゃんは不安そうだった。自分の事が分からないと気付いた時、不信感はどこまでも広がっていくものだ。だから、信頼を肩代わり出来る柱になるのは先輩の役目だろう。
「僕達もそれぞれ、不思議な力と言うか感覚と言うか、そんなものがあるんだ。間違いなくエナちゃんのは、絵を描く力なんだろうね」
「絵……。記憶を思い出せないから、あまり、ピンとこないんですが」
下がったままの両肩に、ぽんと優しく小さな手が置かれた。
「ふとした時に思い出すよきっと」
「そう、かな」
より近くからの言葉で、エナちゃんは少し心を落ち着けたようだった。少女の時は大変だったけれど、それ感じさせない頼もしさは、ハッキリと成長として見えた。
それからヒィちゃん達も色の付いた土の溝に気づいて集まって、その騒ぎで起きたイズミも寄って来た。そしてテンちゃんにせがまれたエナちゃんは、更に絵を描いていった。
簡単な記号だったり、ポーズを取ったヒィちゃんだったりと、比較的形の取りやすいものから始めていく。線にはまだ自信がなさげだったが、それでもペン代わりの枝を握る女の子はとても生き生きとしていた。
色は時間が経つと消えるらしい。色の種類も不定で、描いた後で変化する事もあった。多分使いこなせていない証拠なのだろう。
しばらくして騒ぎが落ち着くと、エナちゃんはまた作業を求めた。自分の力の追及よりも、この場所での役割が欲しいようだ。僕は暗くなりつつある空を見上げて、それじゃあと魚の捕獲をお願いし、それにテンちゃんもついていく。続いてリツも、「歓迎も兼ねて彩り増やそうぜ」と川向こうの果物や野菜を取りに行った。
大木の拠点に残ったのは僕とイズミと森の精の群れ。
森の精の群れは、エナちゃんの真似をして枝で地面に絵を描いているが、色が付かず不思議そうにしている。けれど記号や図を描くだけでも娯楽になれたらしく、ヒィヒィ言いながら遊んでいた。
僕はやる事もなくただ皆の帰りを待つ。以前よりも生活がノンビリになったなぁ、と感慨にふけっていると、ふとイズミの様子が気になった。
かまど横の丸太椅子に寝転びながら、なぜだかじっと川の方を眺めている。
「イズミ、どうかしたの?」
「……暇だから、何か作ろうかと考えてた」
どうやらイズミも時間を持て余しているようだ。一体何を作るのか気になって、僕は彼女の対面に座る。
「それじゃあ僕も暇だし、手伝ってもいいかな?」
「助かる」
と、その瞬間には彼女の計画が決まったみたいだ。
ガバッと上半身を起こして、向かい合う僕に定まり切っていない詳細を話してくれる。ワクワクと目を輝かせるイズミを見ていると、僕の方も胸が躍る気分になった。
自分一人で何かをしようとしても、そうは感じないのだろうな。
皆がいるから、居場所を大切に思える。
そして居場所があるから、皆を大切に思える。
その答えは、間違いなく正しいはずだ。