地球脱出編 第八話
ウンチクの視線を背中に受けながら廊下の案内板に従ってトイレに向かう。
すると見覚えのある男女のマークが見えてきた。
目的の場所が分かると同時に、我慢の水門も決壊を迎えそうになる。
出来る限り早足でかつ内股でトイレに駆け込むと、入口から出てこようとする人影が目に飛び込んだ。
足の筋肉を総動員してブレーキをかけたが、上半身の勢いは止められない。
何とか両手を前に突き出し、壁を利用して体を止めた。
ぶつからないことに安堵したのも束の間、視界いっぱいに少女の顔があって、心臓が一際高鳴る。
腰まで届くような銀髪。驚いたように見開かれた大きな瞳。仄かに香る匂い。
初めて間近に感じる異性の存在は、思考を停止させるに充分な破壊力だった。
至近距離で両手の間に少女を挟むような格好。完全にこちらが変質者と思われても仕方がない。
そんな当たり前のことにも気づかないまま、視線を交差させていると……。
「変態野郎! 妹から離れろー!!」
新たな女性の声で金縛りが解けるように首を巡らすと、赤いマントに突っ込む闘牛のような勢いで少女が駆け寄ってくる。
橙色のショートヘアの少女は、見せつけるように左手の拳を強く握りしめた。
空気の層に穴が開くような音と共に繰り出される殺人級のパンチ。
当たったら無事では済まなそうなソレを、見てから避けることができた。
「こいつ!」
左のサイドテールを揺らしながら何度も拳が繰り出される。
かすっただけで皮膚が裂け、直撃すれば骨も砕けそうな一撃一撃がまるで映画のスローモーションのように映る。
余裕で回避しているが、この後どうすればいいか分からない。人を殴った事がないので反撃という選択肢も浮かばない。
背中が何かにぶつかった。壁だ。もう後がない。
「もらった。死ね!」
八重歯を見せながらの左ストレートが長槍のように迫る。
首だけ動かして避けると、耳のそばで砕け散る音。
目だけ動かしてみると、少女の拳が通路の壁を貫いている。
異常を感知したのか、警報が鳴り響く。
「ここまでよく避けたな。だがテメエの命も、ここまでだー!」
これまでが投槍なら、今度繰り出されたのは弾丸の如き速さだった。
今までの速さに慣れてしまったせいで、反応が追いつかない。
「そこまでだ」
鼻先で拳が止まる。
「おい止めんなよ」
少女は拳を突き出したまま、ウンチクに反論する。
「コイツはウヴァルに襲い掛かってたんだ。だから殺す。その邪魔をするならお前も殺す!」
ウンチクは大きな溜息をついた。
「落ち着きなよ。彼はトイレに急行してただけだって。ティンカーベル、警報解除だ」
「この下着野郎の味方するのかよ」
「ワタシの言葉が聞けないっていうなら、彼女から話を聞くんだね」
ウンチクの前に先程ぶつかりそうになった少女がゆっくりと前に出る。
「トリーア。彼はぶつかりそうになっただけ。私にぶつからないように両手を使って止まってくれたの」
「テメエ、妹の言う事は本当か?」
シカクは何も言わずに何度も頷いた。
「そうか。そうか! ウヴァルにぶつからないように体張ってくれてたんだな。オメエいいやつだな!」
破顔一笑しながら鼻をデコピンされた。
「さてさて誤解も解けたみたいだし。軽く自己紹介しておこう。トリーアとウヴァル。二人は双子の姉妹なんだよ」
姉のトリーアは妹の肩に手を置いて「よっ」と手を上げ、妹のウヴァルは小さく会釈する。
「えっとクヴィンです。よろしくお願いします」
「自己紹介も済んだし、ワタシは彼を格納庫に案内する。後で呼ぶから二人とも自由に過ごしていてくれ」
「オッケー。行こうぜウヴァル」
「さてさて色々大変だったね。じゃあ改めて格納庫へ……おやどうしたんだい。震えて」
安心してやっと自分が何の用があったか思い出した。
「すいません、先にトイレ行ってきます!」