それは日曜日の約束
7 それは日曜日の約束
翌日は水曜日だった。れもんは学校から帰ると、サガの部屋のチャイムを鳴らした。
以前より華子にサガを紹介して、と言われていたので、サガが休みの日に恩田古書店に連れて行くと約束していたのだ。
一度チャイムを鳴らしたが、一向に出てくる気配がない。寝ているのかと思い、二度目のチャイムを鳴らしたら、寝癖を頭につけたサガが出てきた。
「ごめん、寝てた」
そのまま部屋に促されて、見ると奥の畳の部屋に布団が乱れていた。
「もう、夕方なんですけど」
れもんがぐしゃぐしゃになっている布団を畳もうと、手を伸ばす。
「朝は早く起きてたんだよ?昼過ぎになったら眠くなっちゃって」
話しながらサガは寝間着にしているトレーナーの裾をまくった。
「今着替えるから、後ろ向いてて」
れもんは素早く後ろを向いた。サガは何も気にしない様子で、着替えをしている。
「着替え終わったらうちに来て」
れもんは耐えきれなくなり、そのまま部屋を出た。サガの無神経さに呆れながら、ばたんと大きな音をさせて部屋を出た。
「れもん…?」
サガは女の子はよくわからない、とおもいながらスエットのズボンに手をかけた。
恩田古書店は申し付けていたように、華子が店番をしていた。れもんは店内にひしめく古書に圧倒されているサガを引き連れ、レジカウンターまで歩く。
「はじめまして、れもんちゃんのいとこの恩田華子です」
予想以上の美少年だと、華子は内心驚いた。確かにハーフの顔立ちをしているが、日本人の血が強いのか、あまりくどさを感じさせない不思議な顔だと思った。
「藤野サガです。藤野は藤の花のふじに、野原のの、サガはカタカナです」
名前を聞き返されることが、グランパで働き始めて増えたのか、実にわかりやすい自己紹介だった。にっこりとほほ笑むと、どうぞよろしくと握手をした。
れもんはしばらく二人を見守っていたが、新しくいいい古書が入っていないかと、本棚の方を向いた。
れもんが本を眺めつつ、二人の様子を横目でうかがうと、何の話をしているのかわからないが、盛り上がっているようだった。
二人はタイプが似ているのかもしれない、とれもんは思った。自分ならば、初対面の人と気さくに話すなど到底できない。聞かれたことに答えるだけで、自分から話題を見つけられない。
二人のそばにある本棚まで移動すると、サガの働いているグランパの話から、駅前通りの美味しいレストランの話に移り、最近華子が行った沖縄旅行の話に移っている。
よどみなく会話が続く二人を、背後に感じながられもんは少し惨めな気持ちになった。
うまく他人と話せない自分に対するコンプレックスだけが、原因ではなさそうだった。
もやもやとした気持ちを抱えたまま、夕闇が濃くなってきたので帰ることになった。
華子は去り際に
「今度サガ君のお店に遊びに行く約束したよー!れもんちゃんも一緒に行こうね」
とれもんに耳打ちした。れもんは少し微笑んで、
「うん、サガと仲よくなってくれて良かった」
と言い、別れた。微笑んで見せたとき、頬の左側がうまく上げられなかったように思い、とっさに手で覆い隠した。
「華ちゃんって、旅行好きなんだね。俺も行ってみたいなー」
帰り道サガはれもんと並びながら、楽しそうに言った。
「華ちゃんって、年上なのにその呼び方でいいの?」
れもんは少し口調にいらだちを浮かばせた。
「華ちゃんがそう呼んでって言ったんだよ」
まあ、れもんが嫌なら呼ばないけど、とサガは拗ねたような口調で言う。
「別に嫌じゃないけど」
れもんも俯いて答える。
「沖縄ってすごく暖かいんでしょ。海もあって食べ物も美味しそうだよね」
サガは先ほどの様子に戻り、なおも沖縄の話をしている。
「海が好きなの?」
「特別好きとは思わないけど、ずっと山の方に暮らしてたからさ」
「わたし、今度海行くけど」
「十一月なのに泳ぐの?」
サガが驚いて、思わず歩調を止める。
「違うよ、泳ぎに行くんじゃないよ」
「じゃあ、何しに行くの?」
れもんは黙った。毎年海に何をしに行くのか、れもん自身にもわからなかった。わからないことには、答えられない。
「サガも行く?今度の日曜なんだけど」
れもんはおそるおそるサガに切り出してみた。お願いだから、断ってと内心願いながら。
「日曜は…仕事だね」
れもんは少しほっとしてサガを見た。緊張が解けたのか、ほうっと息が漏れた。するとそれをため息だと勘違いしたのか、サガは少し慌てて
「でも、北さんに、あ、北さんって店長ね、店長にちょっと聞いてみるよ。休めるか」
と言った。
「無理しなくていいよ。仕事優先していいから」
心の底から思ったことをそのままれもんは言ったのだが、サガにはそれがれもんの遠慮に見えた。
サガはれもんが自分のために血液をくれるといった日から、れもんの望みならできる限り叶えようと決めていた。今生きているのはれもんのおかげであり、れもんに対する恩は一生をかけてでも払うつもりだった。
サガはその日の夕飯は、れもんの家に寄らなかった。
「おやすみ」
とドアの前でれもんが呟いたとき、目の前のれもんがとても小さく可憐に見えて、思わず頭を撫でてみたい衝動に駆られた。
あの子のためにできる限りのことをしたい。
それは今のサガの中にある一つの目標だった。
「だめだ」
翌日、グランパで北に日曜休みの件を伝えたら、北は即答でこう答えた。
「どうしても?」
「うちは土曜、日曜が一番混むだろうが。最近お前のおかげで客も増えているのに、俺一人じゃ店回らないだろ」
「そこをなんとか、お願いします」
サガは北の前で、両手を合わせ頭を下げる。
「だいたい休みの申請は、ひと月前にって話だろ。どんな用事なんだよ」
どんな用事かと、問われサガは少し考えた。
「えーと、命の恩人と海に行く」
「海?」
「そうです」
「何しに?」
北はふーとため息をついた。
「時間は何時から何時まで?」
「多分昼間です。夜には帰ります」
北は磨いていたカップを棚に戻すと、サガをじっと見た。顎髭と黒縁眼鏡の北に、見つめられると結構迫力があって、サガはひるんだ。
「絶対だな?」
気圧されるように言われ、こくんとサガが頷くと、
「しょうがねえなあ」
と北は苦笑いした。サガは働き始めて気が付いたが、北は結構押しに弱く、情け深い人だった。
「ありがとうございます!」
「ちなみにさ、あ、いや答えたくなければ答えなくていいんだけど、命の恩人ってこの間のセーラー服の女の子?」
そういえば北はれもんを一度見たことがあるのだと、思い出した。
「そうですよ」
「なるほどねえ」
北はにやにや笑いをしていた。
「なんですか?」
何か変なことを考えているのではないかと、サガは警戒した。
「あの制服、俺の母校なんだよ」
「そうなんですか」
「海ねえ」
「デートとかじゃないですよ。言っときますけど」
北はサガの方を見て、にやりと笑った。
「男と女が二人で出かけたら、それはもうデートなんだよ。仕事サボって昼間から乳繰り合うってか」
「乳繰り合うってなんですか。乳繰り合うって」
辞書を引け、辞書をと言って北は鼻歌交じりに開店準備をしていた。サガはれもんに会ったら、海に行けると伝え、辞書を借りようと思った。