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レモネード  作者: 蟻田みな
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キムチ鍋の季節に

6 キムチ鍋の季節に 

グランパという店名は、北が店を継ぐ前からグランパだったのだと、サガは聞いて驚いた。


 「おじいさんから継いだから、グランパじゃないんですか」


 サガと北は並んで、カウンターの内側にあるシンクに立ち、サガが洗い、北が濯いでいる。


 「昔は喫茶グランパだったんだ。俺が継いだとき表記を英語に変えたけど、昔からグランパだったね」


 「じゃあ由来は?」


 「知らないねー」


 サガがグランパで働き始めて一か月がもうすぐ経とうとしていた。日雇いの仕事は今は全て辞め、午前10時から間に休憩を挟み、夜の12時まで働いている。主な仕事は給仕、食器洗い、コーヒー以外の飲み物の準備、掃除などのこまごまとしたものだ。何か一つのことに、集中して取り組むという経験をしてこなかったサガには、食器洗いすら楽しかった。


 休みは週に一度、定休日の水曜日だ。サガはまた水口家で夕飯をともにするようになった。主に水曜日の夕方、あとは休憩中に一度帰宅した際、時間があれば食べることもある。


 この日はれもんに会うより前に、母親の香子に会った。


 「サガ君今休憩中?今晩キムチ鍋なんだけど一緒にどう?」


 店からの帰り道、スーパーで買い物をしてきた香子の荷物を持ちながら、


 「いいんですか。ごちそうになります」


 とサガは嬉しそうに答えた。


 香子は出会った時のサガに戻ってきていると内心ほっとしていた。一時期、ひどく痩せこけ、元気がなかったサガの姿が嘘のようだ。


 実際にサガが健康を保っているのは、娘のおかげであるということは、香子は知る由もない。


 あれからひと月の間に、二回サガとれもんは秘め事を行った。


 二回目は一度目と同じように指先から吸血したのだが、香子に指先の絆創膏の理由を問われたれもんは、サガに別の場所からの吸血を持ちかけた。


 「見える場所に傷があると、お母さんが心配するの」


 サガとれもんは相談し合い、服を着ている際に露出せず、体育の授業で着替える際に下着に隠れる箇所を探した。結果、わき腹がいいのではないかという結論に達した。


 吸血する際は、サガの部屋を使った。障子も閉めドアにカギをかけ、畳の部屋で向き合う。


 れもんが制服の裾をあげ、中に着ているミント色のキャミソールに手をかける。少しあげると、縦長のへそがサガの前に現れる。


 秘め事を行う際、過剰に恥ずかしがらないことを、れもんもサガも決めていた。恥ずかしいという言葉を口に出すと、とたんに秘め事は性的なものに意味を変える。あくまでこの行為は、サガの命のために行う献血のようなもので、それ以上の深い意味はない。だからためらわずに、血を吸ってほしいと、二回目の秘め事の前、れもんはサガに告げた。


 「わかった」


 とわかっていないのに、サガは答え、わかっているふりをしてれもんの肌に触れる。


 早く、服の裾を抑えるために、れもんの肌に触れる指が意味を持たないうちに、ことを終えてしまわないと。


 サガが恥ずかしいと思っていることは、れもんにはわかっていた。サガの色白の皮膚は、れもんの皮膚より薄いようで、サガの体温の変化に合わせて、表面も変化する。


 サガが恥ずかしさを堪えながら血を吸っている姿を見ると、れもんは不思議な恍惚感を覚える。傷口の痛みにも慣れた。血を吸われるとき、サガの耳、高い鼻梁、シャツの隙間から見える鎖骨のあたりが、ピンク色に染まるのを見おろすと、れもんの体温が上がった。


 


 「ただいまー」


れもんがアパートに帰宅したときには、もう香子とサガがちゃぶ台でれもんを待っていた。真ん中には赤く、辛そうなキムチ鍋が出来上がらんばかりに煮えている。


 「おかえり」


 とサガと香子が同時に言う。れもんは制服から部屋着に着替えるため、奥の自室に戻る。


 三人が揃うと、鍋を囲んだ。ごく自然にサガはれもんのぶんと、香子のぶんの鍋をとんすいに取り分ける。


 「もうすっかり寒くなったわね」


 「寒くなると鍋が美味しいですね」


 サガは嬉しそうに、よく煮えた白菜を食べている。れもんは鍋を冷ますため、とんすいに息を吹きかけている。


 「そういえば、もうすぐ十一月も終わるわね。れもんは今年も海に行くの?」


 香子がれもんに訊ねる。


 「行く、予定だよ。今度の日曜日かな」


 突然サガの前で、海の話が出たのでれもんは少し戸惑った。箸で冷ました肉団子をつまんで、口に運ぶ。


 「寒いんだから、厚着して行きなさいね」


 香子がそう言ったきり、海の話題は出なかった。そのまま話題はサガの仕事のことに移った。


 夕飯を終えると、サガは夜の仕事のために店へ戻った。


 「後片付けできなくてすみません。鍋美味しかったです」


 礼儀正しく香子に告げ、れもんには笑顔で手を振り、サガはアパートを出た。


 二人きりになった部屋で、れもんと香子は後片付けをした。洗い物は香子が一人でしており、れもんはちゃぶ台を拭いている。キムチ鍋の汁の飛沫を丁寧に拭いている。


 「あのさ、お母さん」


 れもんはさっきサガがいたので聞けなかったことを、聞いてみた。


 「本当はわたしに海に行ってほしくないって、思ってる?」


 香子の表情は、れもんに背を向けているのでわからない。


 「まあね。寒いし、女の子が一人で出かけて危ない目にあっても困るし」


 香子ははぐらかしている。自分の本当の気持ちを、れもんに言ってくれない。


 「そんな理由じゃないんでしょ?」


 れもんは香子の背に語りかけるよう、振り向いた。香子は洗い物をしていた手を止め、れもんの方を向く。


 「れもんが行きたいのなら、それを止める理由はないわ」


 お母さんの嘘つき、と思ったがれもんは口に出さなかった。


 「今年はサガ君に付き合ってもらったら?」


 「サガと?どうして?」


 「そのほうがいい気がするからかしら」


 サガと十一月の海に行く。れもんには今まで誰かと二人で海に行くことなど、考えられもしなかった。


 「サガ君ルーマニア出身でしょ?ルーマニアって日本みたいに海が多くないでしょ」


 「…明日聞いてみる。でも日曜だと仕事あるから休めないんじゃないかな」


 断ってくれたら気が楽だな、とれもんは思った。ただ母にこう言った手前、自分からサガに聞かないわけにはいかなかった。

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