西日さすアパート、二人の秘め事
5 西日さすアパート、二人の秘め事
「サガは死にたいと思ったことはないの?」
「ない」
妙にはっきりとサガは答えた。
「俺が簡単に生きることを諦めてしまったら、俺を必死で生かそうとした母に申し訳がたたないから。とりあえずこの呪われた運命の中で、生き抜くことを考えるかな」
ああ、とれもんは思った。サガに感じた自分との違い。初めて会ったときから感じていた、サガの目の輝きが今のれもんには眩しかった。
「どうしたの?」
サガはうつむいたれもんの顔を覗き込んだ。口をへの字に曲げ、声を出さずにれもんは泣いていた。いつも泣きそうな表情をしていたれもんが、サガの前で初めて泣いた。
流れる涙はそのままにしておいた。やがて顎を伝い、畳にしずくを落した。サガは気遣うように、れもんの肩を触れずに抱いた
「何も聞かないよ」
サガは呟くようにれもんにやさしく語りかけた。語りかけられて、れもんはまた涙を落した。濡れたれもんの頬を、サガが親指の腹でなぜるように拭った。
しばらくそのままでいると、だんだん日が傾き、畳の部屋に西日が差した。れもんも少し落ち着きを取り戻し、
「綺麗だね」
と言った。西日はれもんのふやけた瞼と、赤い鼻も照らした。
「サガ、考えていたことがあるの」
「ん?」
れもんとサガは窓側の壁を背にして、横並びになっていた。れもんは顔を左に曲げ、サガの顔を真正面に見る。
「誰かの血を吸っても、吸われた人が吸血鬼になることはないの」
「それはないよ。母親で証明済みだよ」
「わたしの血をあげる」
サガはれもんの両肩を掴んだ。
「本気で言ってるの?」
「本気よ。わたしはあなたを生かしたい。あなたのお母さんみたく」
サガはれもんを揺さぶった。
「自分の体を傷つけることになっても?痛い思いを我慢しても?」
「人の命に代えられるのなら、大層なことではないはずよ」
「俺を人だと思えるの?」
サガは苦悩していた。れもんを母のような目に合わせるわけにはいかない。
「無理をしないと約束できる?」
「うん。あまりに痛かったらちゃんと言うから」
サガは赤くなっていた。
「なんか…いやらしいだろこういうの」
照れているようだった。いやらしいといった声が先ほどやさしく語った言葉とは違って、男らしく聞こえた。
「わたしはどうすればいい?」
れもんもいざ血を吸われるとわかると、身構えた。小説や映画では吸血鬼が女の首筋に牙を立てるシーンがあるが、ああいう風にされるのはさすがに恥ずかしい。
「初めは少しだけ、指から採るくらいでいいよ」
サガとれもんは西日の差す畳の部屋で、向かい合った。れもんがサガに手を差し出すと、サガは丁寧にれもんの制服の袖を肘のあたりまでまくりあげた。
「血で汚れるといけないから」
サガがれもんの腕ごと手を自分の方へ引き寄せ、指先を咥える。正座をしているれもんから、後頭部が見えるほど、サガは姿勢を低くし、犬のような格好になる。れもんはサガのつむじを見ながら、心臓が早くなるのを感じた。寒いわけでもないのに、二の腕のあたりに鳥肌がたつほどぞくぞくした。
サガは咥えているれもんの指先をしばらく舐めた。だが、決意したように、一思いに犬歯を立てると、そのまま吸血した。
咥えたままれもんを見ようと、上目使いで見上げると、れもんが痛みを我慢しているかのように眉間にしわを寄せ、顔を赤くしていた。
「痛い?」
咥えたまま喋ったので、はっきりと発音できなかったが、れもんは首を横に振った。
静かな時間だった。オレンジ色で満たされた部屋で、少女は指を咥えられ、少年は指を咥えていた。生きるために、生かすために二人が決めた秘め事。誰にも見られていないはずなのに、れもんは誰にも知られたくないと強く思った。