心のとげ
13 心のとげ
「クリスマスのメニュー決まりました?」
客足が少し途絶える午後4時が、北とサガの休憩時間となる。カウンター内でまかないのサンドイッチを食べながら、サガが聞く。
「メインを鶏にするか、牛にするか悩み中」
ほれ、と手渡されたメニューのラフ案を見ると、チキンのコンフィとローストビーフのイラストが書いてある。
「どっちも美味しそうですね」
寒くなったせいか、最近はカフェ利用の客も以前より多い。サガと北は日中も忙しく働き、休憩中や閉店後もクリスマス企画について話し合っている。
「ドリンクもクリスマスっぽいもの、出したいよなー」
と北は頭を抱える。
サガは最近コーヒーを客に出してもよい、とお許しが出された。ようやくこの店の店員として認められたようで、誇らしかった。
「北さん、イブの日閉店後お店を少し貸してもらってもいいですか?」
「いいけど…掃除、後片付けはお前全部やれよ」
さて、とサガは思う。イブの日、閉店後店でれもんを喜ばせるために、何をしよう。店のクリスマスも、サガのクリスマスもまだ計画の途中だった。
十二月も半ばを過ぎると、制服の上にカーディガンを羽織り、そのさらに上にコートを羽織り、マフラーをぐるぐる巻きにして、ようやく暖かさを感じるほど、寒さが強くなっている。
れもんは図書委員会の仕事で、冬休み前の書架整理を行っていた。アイウエオ順に本を整える作業だが、思ったより時間がかかる。
二、三年生の中にはぺちゃくちゃおしゃべりをして作業をしてない人もいるが、一年生は黙々とやらなければならない。
「水口さん、最近三つ編みじゃないんだね」
書架整理をしているとき、隣のクラスの女子がこそっと話しかけてきた。
れもんは自分の名前を知られていたことに驚き、髪形を見られていたことに驚いた。あれからヘアアレンジの練習のため、ポニーテールで学校に来ることが多くなった。
「うん。変かな」
こそっと、内心緊張しながら答えた。誰かに学校で話しかけられるなんて、久しぶりだ。
「いや、すごくいいよ。雰囲気変わるね」
とその女子は言った。ただそのときの声が少し大きかったせいで、先輩たちがこちらを向いた。
作業を終え、帰るとき、派手な三年生の女子が数人、れもんの脇を通りすぎるとき、
「ださっ」
と一人が低い声で言った。それに続いて周りの女子の笑い声がかぶさるように響いた。
吐く息が白くなる空気が、さきほどの出来事でとても重く感じられた。れもんは下を向きながら、ずんずん歩いた。学校からアパートまでは十五分、その道が十分になる速度で歩いた。
家に着くと、日勤の母はまだ帰っていなかった。自室に入り、姿見の前で、髪を結わえているゴムを乱暴にはずし、髪を下した。
そのまま制服がしわになるのも構わず、ぼすんとベッドにうつぶせになった。サガとのクリスマスに浮かれていたが、水を差された気分だった。そしてやはり自分には幸福は似合わないのだとれもんは思った。
ださい、と低く吐き捨てた三年生は、まっすぐの長い髪をしていた。ばれない程度の薄い化粧をし、可愛かった。
おしゃれはああいう人たちにだけ、許される特権だということを忘れていた。れもんは髪を三つ編みに戻し、部屋着に着替えた。
夕食のおでんを煮込みながら、借りていた『美女と野獣』のDVDをぼんやりと眺める。
「こんばんはー」
サガが入ってきた。今日は水曜日だ。
「家でご飯食べるの?」
とれもんはちょっと戸惑い気味に聞いた。なんとなくサガには会いたくない気分だった。
「お母さんから聞いてなかった?こないだ会ったときに言っといたんだけど」
これ、お土産だよ、サガはとスーパーの袋からイチゴを出した。
「聞いてないけど、大丈夫。多めに作っているから」
おでんなら鍋にたっぷりと作ってある。今やサガにお裾分けするために、多めに作る習慣がついていた。
香子が帰ってくるまで、体育座りで二人横に並び、『美女と野獣』を見る。映画は野獣と娘がダンスを踊るシーンだ。
「北さん毎日クリスマスメニューで悩んでるよ。そろそろ問屋さんに食材注文しなきゃいけないのに」
サガはれもんの横顔を見つめた。
「北さんって、華ちゃんの高校の同級生だって知ってた?この間華ちゃんから聞いたんだけど」
とダンスシーンを食い入るように見つめながら、れもんは言う。
「ええっ、それ知らないよ!何にも聞いてない」
サガが大きな声を出したので、れもんは睨んだ。サガはごめんなさい、と小声でいい、なんで言わなかったんだろうとぶつぶつ言っている。
「ねーあの二人昔付き合ってたりしてね。それで言わないとか、そういうことなんじゃないの」
サガはなぜかにやにやして、嬉しそうだ。
れもんは冷静に
「もしそうなら、華ちゃんも気まずくてほかの人には教えないんじゃない。華ちゃんは普通に話していたから、違うと思うよ」
と答えた。
その後もサガは一人で、北さんの弱みを握っただの、いつ切り出そうかな、など盛り上がっていた。サガの能天気さに、さきほどまで落ち込んでいたれもんも少し気が紛れた。
「ね『美女と野獣』ってお話、知ってる?」
れもんはサガに訊ねた。
「知らない、どんな話?」
「魔法で野獣に変えられた王子様が若い娘と恋に落ちて、娘の優しい心で人間に戻る話」
「へえ」
「いろんな派生した話があるみたいだけど、大体こんなあらすじ」
れもんは少し黙ってから、呟いた。
「この野獣は人間だけど、もし本当の野獣なら人間である娘と恋をして幸せになれたのかな」
「え?」
「お互いに苦しむような気がして。人間は人間と。野獣は野獣と。付き合うのが一番いい気がする」
れもんは自分を、野獣に重ねていたのだ。隣にいる少年は誰もが羨むような美しい少年で、自分のようなださい人間が隣にいるのは似合わないと思うのだ。
サガは何も言わなかった。やがて香子が帰宅し、三人で夕食をとった。