綺麗になるには
13 綺麗になるには
れもんの部屋で行うのは初めてだった。サガがれもんに向き合い、いつものようにれもんの左手を取ろうとすると、
「首からでもいいよ」
とれもんが来ていたシャツのボタンを一つ外した。
「目立たない?」
目立つかもしれないが、いつもとは違うことをれもんはしたかった。照れるサガを見たかった。
サガがれもんの両肩を掴み、顔を近づける。れもんの顔の横、うなじの辺りに口をつける。舌がれもんの肌に触れると、
「あ」
とれもんが声をあげた。
そのままサガは何もなかったように、れもんのうなじに犬歯を立て、血を吸った。
血の止まりは指先より悪かった。しばらくガーゼで強く押さえた後、正方形の絆創膏を貼った。シャツのボタンを留めると、襟足から少し絆創膏が見えた。
自分からサガに会うことを避けていたが、サガに会えて、嬉しかった。見たことのないパーカーを着ていた。新しく買ったのかしら。首から血を吸われて、ぞわぞわしたけれど、嫌ではなかった。サガの顔は赤らんで、目も潤んでいた。あの目が欲しい。
れもんは年末年始のことを忘れて、クリスマスのことで頭がいっぱいになった。華子に服の相談をしなければ、と考えた。
「グランパって高校の同級生のお店だったのね」
と華子はセール品のタグが付いているニットを手に取った。
「店長さん?」
「そうそ。北君ていう子で、わたしと同い年」
世間は狭い、とれもんは思った。あれから服の相談のために、恩田古書店に寄り、買い物に行く約束をした二人は、週末を利用してデパートに来ている。
「れもんちゃんにはやっぱりスカートが似合うね。女の子らしい感じだし」
「ワンピースとか、どうかな」
黒い生地で、スクエアネックになっているワンピースを体にあてて、聞いてみる。
「ワンピースもいいんじゃない。あとは色だけど、クリスマスなら」
白とかどう、とふわふわのニットワンピースをれもんの体に華子があてる。
「白か。普段あまり着ないけど、変じゃない?」
「変じゃない、変じゃない、かわいい」
華子はれもんを見て変わったなあ、と思う。以前は買い物に行っても、本屋しか熱心に見なかったれもんが、サガが現れた後からおしゃれに気を使うようになった。
サガ君と、付き合っているの?と華子は聞きたくなる。付き合っていたら、いいなと思うが、若いカップルに茶々をいれるようなおばさんにはなりたくない。
「昼ご飯、どこで食べる?グランパ行く?」
華子はれもんが喜ぶかと思い、提案した。
「小龍包が食べられる中華料理屋さんがあるらしいから、そこにしない?」
れもんは少し悩んだ。 本音を言えば、仕事をしているサガを見たかった。だが不意打ちで訊ねるのはサガに悪い、という気もした。何より、サガの職場に行く、というイベントをクリスマスまでとっておきたかった。
「華ちゃんはクリスマス何してる?」
熱々の小龍包で口を火傷しながら、訊ねた。
「彼氏と食事かな。そのあと飲みに行ったりするかも」
飲みに行った後は、おそらく彼の家に行く。聖夜にふさわしく、セックスをして、朝を迎えるという流れだろう、と思う。
いとこの、高校生の前でこんなことを考えている自分を、華子は恥じた。親にも恋人がいることは伝えているが、泊りのときは友人の家に行くと言って出かけている。三十にもなって恥ずかしいことなどないはずなのに、なぜか父には自分の色恋を悟られたくない、と思っていた。
「ご飯食べ終わったら、れもんちゃんの家で髪形の相談しない?ヘアアイロン持ってきたし」
食後二人はアパートへ向かった。いつも三つ編みのれもんの髪を、華子が丁寧に巻いていく。ゆるいウェーブがかかった髪を、ポニーテールにまとめ上げる。
「どうかな?ワンピースがボリュームあるから、髪の毛あげた方がすっきりして可愛いよ」
姿見の前で合わせ鏡をして、後頭部の確認をする。
「すごい。すごくいい。華ちゃんありがとう」
れもんは感心したように、ため息をつきながら何度も鏡を見ている。自分でこのようにうまくできるだろうか。
「グランパに行くこと、お母さんは知ってるの?」
「うん。行くときには必ずタクシーを使って、帰るときはサガに送ってもらうならいいって。お母さんも夜勤だから」
華子は鏡を見ながら話すれもんのうなじに目が留まった。乾いているが、二つの小さな傷がぽつんとある。
「首、怪我したの?」
はっと、れもんがうなじを押さえ、振り向いた。
「学校で、フックのあるところに寄り掛かったの。ぼーっとしてて。それで怪我しちゃった」
クリスマスまでに、傷が目立たなくなりますように、とれもんは祈った。可愛い髪形でグランパに行きたい、と思った。