もういくつ寝るとクリスマス
12 もういくつ寝るとクリスマス
吹く風は冷たさを増し、どんよりとした曇り空の日が多くなってきた。れもんは昨日から新調した冬用コートを着ている。紺色のAライン、大きめのボタン、少し古めかしい形の、制服にもよく似合うコートを駅前のデパートで購入した。
そのコートを着込み、恩田古書店の半分外に出ている古雑誌コーナーで立ち読みをしている。読んでいるのは『季節の和食』という料理本で、伊達巻のカラーページを熱心に目で追っている。
十一月末に期末試験も終わり、冬休みまで一か月を切った。部活にも入っていないれもんは、放課後をしばらくのんびりと過ごせる。
昨年は受験勉強に忙しく、年末年始をゆっくりと過ごせなかったが、今年は年越し蕎麦やおせち料理を手作りしようと目論んでいる。
雑誌の値段を確かめて、れもんは店内の所々にそびえたつ本の山を崩さないよう気を付けながら、れもんの叔父のいるレジカウンターまで持って行った。
「れもんちゃんなら、ただであげるよ。この店の常連さんなんだし」
叔父はそう言いながらも、しっかりとレジを叩いている。
「叔父さんいつもそう言っているけど、ただでくれたためしがないでしょう」
れもんはお金を払い、叔父から紙袋に入れた雑誌を手渡された。
「お母さんは元気かい?」
叔父は眼鏡を外し、眉間のあたりをもみながら言った。最近眼精疲労がひどいらしい。
「元気だよ。ほぼ毎日働いてる」
この恩田古書店の店主である叔父と、れもんの母の香子は兄妹である。つまり香子の旧姓は恩田香子であり、恩田古書店および恩田税理士事務所が実家なわけであるが、本人は医療関係の仕事に幼いころから興味があったらしく、その夢を叶え看護師になった。
叔父と香子はあまり似ていないと、れもんも華子も思っている。叔父は本好きで、理屈っぽく、母は本はあまり読まないが、人好きで温和だ。叔父の妻、れもんから見た叔母は、香子よりの性格をしており、恩田家の均衡は保たれている。
「正月は三が日の間に、顔を出すように、お母さんに伝えておいてくれ」
叔父はれもんにそう告げると、少し早いお歳暮だよ、と高そうな焼き菓子の詰め合わせを持たせた。
「ありがとう、叔父さん。華ちゃんによろしくね」
れもんは焼き菓子の紙袋に雑誌を入れ、アパートまで帰った。帰りながらふとサガは年末年始仕事かしら、と考えた。
海に二人で行った日から、どうもサガのことが頭に浮かぶ。
あれから、サガが水口家に夕食を食べに来ることが少なくなった。れもんが以前より積極的に誘わなくなったからだ。もちろん血を分け与えるという行為は、二人の間で行われていたのだが、脇腹からの吸血をれもんはやんわりと避け、一番初めに行った指先からの吸血を提案した。
「傷が目立つけど、いいの?」
サガはれもんの手を取り、口をつける前れもんに訊ねた。
「包丁で怪我したって言えば、疑われないから、大丈夫」
サガは以前よりも血を吸うことに慣れたように見える。頬は白いままで、色が変わっていない。
それよりも自分の体温が上がっていることを、悟られはしないかと、れもんは気が気ではなかった。
自宅に戻り、こたつに入り寝ころびながら『季節の和食』を読んでいると、左手の絆創膏が目に入って、否応なくサガのことを思い出した。さきほど叔父からもらった焼き菓子をその手でつまみ、口に運んだ。
サガが訪ねてきたのは、夕飯の残りのシチューをサガに持って行こうかと、ちょうどれもんが考えていたタイミングだった。
その日は十二月の初旬にしては珍しく、大雪が降った日だった。アパートの窓から下を見下ろすと、駐車場が生クリームを厚く塗られたケーキの表面のようになっている。
その日は水曜日だった。雪のために学校が休みになり、れもんは少し早目の大掃除をした後、借りてきたDVDを見ていた。
「学校から帰ってくる時間だろうな、って思って来たんだけど、今日はずっと家にいたんだね」
れもんが出したコーヒーを飲みながら、サガが言う。お茶菓子に先日叔父から貰った焼き菓子を添えてある。
「学校休みになったの。電車で来る生徒も多いし」
れもんは焼き菓子の中でも、薄いクレープのような生地がくるくる巻かれているクッキーを取り、つまんだ。噛むとかけらがこぼれそうになり、慌てて左手で受けた。
サガはアーモンドが入っている、ココアのクッキーを齧る。
「この辺で大雪って珍しい?」
「全然降らないよ。年に一、二回くらいかな」
サガはコーヒーの入ったカップを、両手で包むようにして、飲んでいる。しばらく黙った後、
「雪が降ると、家の中に閉じ込められている気がしない?」
とれもんに訊ねた。
「よく、わからないけど」
「ルーマニアに住んでた頃、家の中に一人ぼっちのことが多くて。雪が降る中母さんを待ってると、なんていうかものすごく寂しかったんだよ」
れもんの頭の中に、森に囲まれた木の家で、母親の帰りを待つ幼いサガが浮かんだ。きっとほっぺたと鼻を赤くして、冷たいガラス窓に顔をくっつけていたのだろう。いつ帰るかわからない母親を、じっと待つ小さな男の子。
「今でも寂しい?」
思わずれもんはサガに訊ねていた。
「少しね」
サガの横顔をれもんは見る。額から高い鼻がすっと通り、唇が鼻と顎の間にきれいにおさまっている。顎から頬のラインは鋭角で、その頬に小さな子供の面影を探したが、今のサガには見つからなかった。
「そういえば、どうして来たの?」
「あー、れもんってクリスマスイブどうしてる?」
れもんは思い出した。年末年始の前にクリスマスがあることを。
水口家においてクリスマスの影は薄い。クリスマスイブは恋人や家族と過ごしたい人が多く、香子はその人たちが休んだシフトの分、夜勤を引き受けることが多かった。当日の夕飯もエビフライや鳥のから揚げなどに、サラダといったちょっとしたもので済ませ、大体次の日に夜勤明けの香子と並んでケーキを食べるという流れがいつもの水口家のクリスマスだった。
「普通にご飯作って、寝るだけかな。」
高校は翌日の25日が終業式だった。友達がいる高校生なら、カラオケとかに行くのかもしれないが、れもんにはそんな予定はない。
「あのさ、イブの夜よかったらグランパに遊びに来ない?」
「バーに?」
自分が戸惑った表情をしたことに、サガを見てれもんは気がついた。少し慌てた様子で
「お酒はもちろん飲まなくていいし、クリスマスの特別メニューを北さんが出すんだって。俺が全部おごるから気軽な気持ちで遊びに来てくれたらなーなんて」
思ったりして、と最後の方は尻すぼみになりながら、言った。
「サガがおごってくれるの?それは何か申し訳ないよ」
申し訳ないのは自分だ、とサガは思う。いつもれもんから血を貰っているが、何か手助けになるようなことも、お礼も全然できていない。さらには食事までときどき作ってもらっているのだ。
「お礼だから!本当に気にしないで」
サガに真剣なまなざしで、語気を強めて言われると、れもんも従うしかない。
しばらく話題が途切れると、ふいにサガが
「していい?」
と切り出した。