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レモネード  作者: 蟻田みな
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れもんの秘密

10 れもんの秘密

弁当を食べ終えると、芝生でぼうっと海を眺めた。


 「今日は付き合ってくれてありがと」


 ふいにれもんがサガに言う。


 「わたしさっきも言ったけど、全然優しい人間じゃない。だめな、人間なの」


 サガは黙った。何かれもんが大事なことを話そうとしている気がした。


 「今日海に来たのは、お父さんのこと。わたしのお父さん、この海で亡くなったの」


 れもんとサガは芝生のある広場から、歩いて海岸に降り立った。海岸はゆるいカーブを描いており、遠くに小島が見える。


 「昔この辺に住んでたの。お父さんとお母さんとわたしの三人で。車で三十分かな、それぐらい離れたところに」


 れもんはサガの少し前を歩き、ときおり振り返りながら言う。風が少し出てきたせいか、れもんの前髪が乱れている。


 「お父さんは医者、お母さんは看護師をしていた。仕事は二人とも忙しそうだったけど、休みの日は朝から外食したり、遊んでくれたりして、楽しかったよ」


 れもんが海岸で小枝を見つけた。それを持ちながらで、なおも海岸を歩いていく。


 「お父さんはそのとき本当に忙しそうで、病院に泊まりきりになることも多かった。外科医だったの。当時勤めていた病院にはお父さんほどの手術をできる先生があまりいなくて、そのぶん他の人より働かされていたのね。寝不足でふらふらで帰ってくることもあったみたい。もっともわたしの前ではそんな姿は見せなかったけど」


 「優しいお父さんだったんだね」


 サガはれもんの背中に呟くように、語りかけた。


 「優しいお父さんだったよ。生き物が好きで、穏やかで。でも優しすぎる人だった」


 れもんは立ち止った。大きな流木がちょうどベンチのようになっているのを見つけ、そこに二人で腰掛けた。


 「ある日寝不足のまま、手術をしたお父さんは医療ミスをした。患者さんは亡くなった。テレビのニュースや新聞でも取り上げられて、お父さんは責任を感じてその病院を辞めたの」


 れもんはコーヒーの話をするときのように


サガの方を見ない。最近気づいたのだが、れもんは大事なことや自分の気持ちを話すとき決して人の目を見ない。


 「わたしはそのとき小学四年生で、クラスメートからお父さんのことでいじめを受けた。靴を隠されたり、机に落書きされたり。先生も見て見ぬふりで、辛かったけどお母さんお父さんには絶対にばれないように、家に帰った。お父さんはその頃毎日家にいて、大体ソファでぼんやりしていた。お母さんだけがわたしとお父さんがぼんやりしている間も、仕事してご飯作って、一人で頑張っていたっけな」


 サガはれもんが泣き出すのではないか


と思った。だがれもんはまっすぐ海を見つめたまま、話を続ける。


 「ふと、わたしは海が見たいと思うことが多くなった。学校で無視をされているとき、無くなった靴を探しているとき。学校なんかにいかないで、家にも帰らないで、海が見たいなあって思うようになった」


 「あの日は確か、日曜日でリビングで洋画を見ていたの。ラストシーンで海が出てきて『海が見たい』って気がつけば声に出していた。それを聞いたお父さんが、『不思議だねれもん、お父さんも同じこと思った』って言って、海に行くことになったの。お母さんは仕事に行っていたから、二人でそのまま海に行った」


 「うん」


 「車を飛ばして三十分、十一月の海に二人で来た。海は広くて、風は冷たかった。今日よりも天気は悪くて、人は誰もいなかった。二人で体が冷えるのも構わずに、どんどん海岸を歩いた。しばらく歩くと、お父さんが『飲み物を買ってくるから、れもんはここで待っていて』って言ったの」


 れもんは顔を歪めた。その顔が泣くのを堪えているように見えて、思わずサガは背中をさすった。


 「れもん、泣きたかったら泣いていい。言いたくなかったら言わなくてもいいんだよ」


 れもんは歪んだ顔のまま、サガを見て


 「いいの。わたしが言いたいの。初めて今あの日のことを誰かに話そうとしているの」


 と言った。少ししゃくりあげてから、れもんは続けた。


 「お父さんは『はぐれると困るからお父さんが来るまで、ここを離れないでね』ってわたしに言ったの。だから待ってた。ずっと待ってたけど来なくて、だんだん心細くなってきた。偶然そこを通りかかったおじさんに話しかけられたとき、わたしは泣いた。お父さんが帰ってこないって。そのあと、警察が来て、海岸にお父さんの靴が並べられていたのを見つけた」


 ここまで話すと、れもんは顔を手で覆った。


 「わたしのせいなの。お父さんが離れたとき、一緒にいればお父さんは死ななかったかもしれない。ちゃんと帰ってきて、生活をやり直そうとしたかもしれない。海が見たいなんて言わなければ、お父さんは自殺なんてすることなかったかもしれない」


 れもんは声をあげて泣いた。胸の中から何かを吐き出すように、嗚咽を漏らしながら。


 「わたしが悪いの。全然優しくなんかないの」


 サガはれもんの涙を拭おうと、ハンカチがないかを探したが、無かったので袖でれもんの顔を拭った。


 「それは違う。れもんのせいじゃない。れもんは今まで…ずっと自分のせいでお父さんが亡くなったって思っていたの?」


 れもんは鼻をすすり、呟いた。


 「お父さんに対する気持ちは色々あるの。わたしのせいで亡くなってしまったっていう気持ちもある。でもそれだけではなくて、お父さんのことを少し恨む気持ちもあるの。わたしとお母さんのこと捨てたんだって、わたしとお母さんじゃお父さんをこの世につなぎとめておくことはできなかったんだって」


 「でも、お父さんの気持ちもわかるから。お父さんが死にたいって思う気持ちを、小学四年生のわたしはもってたから。結局自分を責めることしかできなかった」


 サガはれもんの体に自分の着ていた上着をかけた。サガはれもんを後ろから抱きすくめた。上着の上かられもんの感触を感じた。


 れもんはサガの腕の中でじっとしていた。波の寄せては返す音だけが聞こえる。れもんの体が、サガの体温に包まれて温かくなっていく。


 「サガがね…」


 「うん?」


 「サガが、わたしに生きたいって、生きることを諦めないって言ってくれたでしょう?あのとき、嬉しかった。わたしはお父さんにサガみたいに生きたいって思ってほしかったんだって、わかったから」


 サガはれもんがなぜ自分に血液をくれるのか、わかった気がした。


 「お母さんは、わたしが十一月に海に行くのをやめてほしいと思ってる」


 「そうなの?」


 「それでも、ここに来ずにはいられなくなる。毎年、毎年繰り返し来て、それで何かが変わるわけでもないのに」


 「来年も来る?」


 「わからない」


 「来年も来たかったら、一緒に来よう。だってれもんはちゃんとアパートに帰るでしょ?帰る場所があるなら、きっと大丈夫なんだよ」


 大丈夫、大丈夫とサガはれもんの手を軽く叩いた。


 「もう少し、このままでいてもいい?」


 れもんはサガの腕の中で、聞いた。


 「うん」


 不思議と恥ずかしいという気持ちは起きなかった。ずっとこのままでもいいと、サガは思った。腕の中のれもんは自分が小さい子供になった気分だった。夕暮れにはまだ早い、十一月の海岸だった。

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