二部2
二部2
父母訪問会の熱気はたちまち去っていき、学園は平常運転に戻った。父母訪問会後に初めて迎えたT先生の授業は、僕たち生徒らの拍手で始まった。
成功の報告。レシピの感謝。そして噂で耳にした、二学年の教室で行われたパフォーマンスについてだ。
僕はネリーから断片的に聞いていたものの「煮えた油に手を入れて無傷」以上の詳細は噂に乗らず、「異世界転移者の特質」とか「無敵超人」とか荒唐無稽な内容が流れに流れ、好奇心が募りに募った時点の、この授業だ。
「油で手を揚げても平気な理由を教えてください」
「先生は無敵超人なんですか」
「トリック? それとも手品の一種ですか?」
「皆の希望は分かったよ」T先生は苦笑いする。「あれ以来、どこの教室でも最初にこれをねだられるよ。科学の摂理と人体の構造について知っていれば、到底トリックとも言える内容ではないんだけどね」
異世界転移者のT先生は卓抜した知識を持っている。彼からすればこんなこと、驚きにも値しないのだ。
「まず、油で手を揚げるトリックの前に、僕が参考にしたテラの逸話を話すね。
プレイフェアという科学者が、聴衆を前に講義していた。その日の聴衆には皇太子が含まれていた。彼は煮えたぎった鉛を用意し、皇太子に向かって言ったんだ。
『科学を信じるならば、言葉でなく行動で示すのです。
右手を鉛の鍋に入れ、鉛をすくい、となりに用意した冷たい水の中に入れるのです』とね」
「はぁ? 溶けた鉛って熱いんじゃないの」
「金属を溶かすって相当だろう、右手、溶けちまうぞ」
ざわめく生徒たちに、先生は「鉛の融点は328度だね」と補足する。
悲鳴のような声があちこちであがり「無理」と教室は無理一色に染まった。
「皇太子はしり込みした。科学者プレイフェアは進み出て、右手を布でぬぐい煮えた鉛の鍋に手を入れた。鉛は彼の腕を焼くことも、溶かすこともなかった。
鉛は小さな玉になって、右手の肌ではじかれたんだ」
誰もが席で押し黙り、真剣な顔してT先生の続きを待つ。
「これは皮膚の油を完全に拭い去り、肌が水分をまとっている状態で起こる、科学的事実なのだけれども、詳細については上の学年で学ぶ専門的知識だから、ここまでにしておこう。
さて最初にこの逸話を挙げた理由だけどね、父母訪問会で皆のご両親に初めて接する僕は、客員教師であることと同時に、異世界転移者であることを限られた時間の中で伝えなくちゃなかったんだよね」
「ああ、そうですよね」
「この世界で生まれた人より、多く紹介しなくちゃならない内容があるんすね」
「そうなんだ。教師という立場上、信頼して子供を任せられるという印象を持ってもらわないとならないからね。
そこでこの逸話を参考にさせてもらったんだ」
「どういうことですか?」
「プレイフェアが普通に講義をしただけなら、皇太子の印象に残らなかっただろうね。本気で科学を信じるか質問を突きつけ、自分はこれだけ強く科学を信奉していると見せつけた。彼が後世に名を残す科学者となった理由の一つだと僕は思うんだ」
教室は真剣な面持ちの生徒らによる、納得の空気が満ちていた。
……そうだ。パフォーマンスを見なかった人も、噂を聞けばT先生に一目置くだろう。知恵者であると想像するだろう。
「ご婦人方には少し刺激が強すぎたかもしれないね。そこは次回の反省に回すとして……煮えた油に手を入れる方法だけどね、テラには『アイスクリームの天ぷら』というものがあるんだ。今回はその応用で……」
終業の鐘が鳴る少し前。きりがいいからと、切り上げ教壇を去りかけるT先生に、質問が投げかけられた。
「先生。T先生はどうやってそんなに多種多様の知識、学んだんですか?」
歩みを止めて、皆に向き直るT先生。
「僕の住んでいた東京には、義務教育制度があったからね。君たちと同じく学校という場所で、集団生活を送る。最初に六年、次に三年。以後は進路や選択によって任意の年数を学ぶ」
「お菓子のレシピなんかもそこで学ぶんですか?」
「プレイフェアの逸話とかも学校で教わるんだ」
「ああ、なるほどそういう雑学的分野の知識についてか。そうだね、それらは学習要綱にはないものだ。
そういうものは、僕は読書やインターネットサーフィンで仕入れているね」
インターネット。生徒たちは顔を見合わせ騒然とする。
T先生の話にときどき登場する、テラの神秘の科学技術。文字も画像も音も瞬時に世界中に行き渡る、張り巡らされた見えない網。僕には想像もつかないこの巨大な機構が、T先生を作り上げる一部であるのだ。
「先生、インターネットサーフィンで見たもの、全部覚えてるんすか」
「いや、ネットの情報は信憑性に欠けるものもあるからね。僕が皆に話している内容は、自分で作ったホームページ――資料を紐解き、読みやすいようにまとめ――で発信する側だったんだ」
「先生、ネットで発信して、俺たちに教えているみたいなこと、ホームページに書いてたんですかっ」
「そうだよ。大学生で専攻していた民俗学――歴史的なミステリ、オカルト方面、都市伝説。今日の科学者の逸話や、ミネカの実験、マンハッタン島売買なども僕のホームページで取り上げた内容だよ。
興味を引く題材、印象に残る後味、奥深さのある文章で、僕は定期的にホームページを更新し続けてきたよ」
「すごいですね、先生」
「はは、すごいと言ってくれるのは嬉しいけど、テラでの反応はそうでもなかったんだよね」
「ええー」
「ホームページと呼ばれる時代から、ブログを経て、キュレーションサイトやSNS登場して鞍替えし、定期的に更新してきたんだ。アクセス数もそれなりにあったんだけどね。どんなに大勢の人が見てくれても、僕にすごいと伝えてくれる人は皆無だったよ」
「ひどいっすね」
「テラの人は非人情だよ」
「で、先生のホームページはどうなっちゃったんですか」
「ああ、そうだね。こちらに来てまもなく一か月。サーバーの料金を払い込めないから、閉鎖になって終わってしまうね」
「閉鎖?」
「今まで書いていたものがすべて消えて、読めなくなってしまうんだよ」
「それは勿体ない」
「ずっと見にきてた人、がっかりしちゃいますね」
「そうだね。でも思い…」
T先生が静かなつぶやきに、終業の鐘が重なった。耳が割れんばかりの破砕音の中、僕は冷たいものに心臓をわしづかみにされた気がした。
(……今、言った)
(言った……よね?)
(T先生、こう言った)
…………思い知ればいいんだ……と。
久しぶりに夢を見た。
夜の空、闇の海。砂浜に僕は立って、波の合間に突き出ている杭を見ている。
(あれ、最初みたときヒレだと思ったんだっけ)
(なんでヒレなんだっけ)
思い出せない。
杭は相変わらず握った拳の形で、上を向いている。
(少し……)
(潮が引いたのかな)
前見た時は、拳部分しか見えなかった杭が、今度は手首のあたりまで露出している。
いつか完全に潮が引いて、杭の根本が現れるのだろう。
そしてそれは、そう遠くない日のように思えた。
「明日に行う全校集会に参加するよう要請を受けたんだけど」数日ぶりのT先生の授業。満足度100%の講義はあっという間に終わり、鐘が鳴る五分前の雑談タイムに突入していた。「テラの学校とは仕組みが違うようだし、皆の視点による全校集会を聞かせてくれないかな」
異世界転移者の依頼に、生徒たちははりきって意見を述べる。
「全校集会ってのは文字通り、講堂に全生徒が集まって行うんすよ」
「進行は生徒会役員って呼ばれている三学年の代表委員が行い、二学年代表委員がそのサポート、一学年代表委員はまあ雑用って感じで控えてます」
「集会は三部構成です。最初に生徒会からのお知らせ。行事が近ければそれについての喚起や諸注意。なければ省略。次にお召し上げ。最後に生徒総参加の相談会ってとこです」
「メインは最後の相談会ですね。学校に対する不平、不満、悩み、そういったものを集会の場で打ち明け、生徒全員で対応に当たるんす」
「万が一に備えて教師たちは講堂の後ろに待機してもらいますけど、基本は生徒自身での解決ですから。会長が取り上げ、生徒全員で思考し、会長が意見を求め、代表委員たちが働きかける。創立以来、一度も教師の助力を得なかったことが、代々会長の誇りだそうです」
「全校集会は月に二度行われるんです。相談事を自分の中でまとめて、他人に分かってもらいやすい形にするのにちょうどいい期間ですよね」
熱いトーンでまくしたてる生徒たち。
「うん、ありがとう。全校集会がよくわかったよ」そこでT先生は顎に手を当て、考え込む。「けどね、僕はもうすぐここで教えて一か月になろうとしている。でも全校集会に呼ばれたの今回が初めてなんだよね」
そういえばそうだ。
僕も前回の全校集会が記憶にない。どうやら開催していないようなのだ。
「先々週の……あ、そうだ! 全校集会の時間がつぶされたんだよ」
「思い出した、学園長の臨時集会に取られたんだ」
僕も思い出した。
「学園長の奴、なんで全校生徒を集めたりしたんだっけ」
「それが全く思い出せないんだよね」
「いつもの語り終われば一片も記憶に残ってない、くだらない演説だったんだろう」
僕も記憶の片鱗さえ残っていないので、くだらない演説であることに異論はない。
閑話休題。
「三部構成の真ん中、お召し上げというのが気になったんだけど、どんなシステムなんだろう」
もっともなT先生の疑問。
「ああ、正式名称は何て言うんだっけか」
「えっと、おおい、代表委員頼むよ」
生徒たちに振られ、僕たち北塔一年の代表委員三人は顔を見合わせる。目線が僕に集中した。
「えっと、全校生徒の所持金を集金するシステムで、共同箱という箱に集められます。集め終わったあと共同箱から全生徒に小遣いとして20クラウン配布します」
「ふむ。所持金を収集し、再配布するシステムなんだね。所持金って全部?」
「はい。個人のお金は持っていてはいけないスタンスです。共同箱に全額入れること。違反者には罰則があります」
「手持ちが20クラウン以下の子には嬉しいけど、それ以上のお小遣いを持っている子は不憫だね」
……そう。僕は唇を噛む。
先日の父母訪問会で、僕は小遣いを貰っていた。買いたい鳥の本があった。あれは確か50クラウンだっけ。
「規則ですから。富むものは貧しい者に分け与える、奉仕と平等の精神を、生徒たちは育むんです」
「なるほど。立派な心掛けだね。
ところで僕はまだこの世界の物価に疎いんだけど、20クラウンってどんな感じかな。本は買える?」
「本は無理ですね。安いのでも50クラウンはしますから」
「となると、欲しい本があるならひと月以上、小遣いを貯めなければならないんだ」
「そうでもないです。特別に欲しいものがあれば、全校集会で意見を述べればいいんです。学校の生徒全員で楽しめるものだったり、公益性が認められれば、特別なお金が共同箱から与えられます」
「皆で楽しみ、使えるもの……」
「本だったら図書館に置く図鑑とか。園芸クラブだったら、花壇に植える種の代金とかですね」
「ふうん。そういう公益性を認め、共同箱から与える判断を下すのは、誰がするんだい?」
「まあ、ふつうは生徒会代表の会長ラファエルになりますね」




