第三部7
第三部7
午後最後の授業、六時限目の鐘が鳴る直前に、僕たちは教室にすべりこんだ。
アクシスは不満を噛みつぶした顔で、席に座る。僕と取り巻きたちは「まいった」顔で、机につっぷした。
カードゲームのあとアクシスはどこからか籐カゴを取り出し「ここでやるか」とサンドウィッチを見せつけた。
なんでもここは、誕生日パーティの当初の開催予定地だったのだという。取り巻きたちが必死に言い繕い、僕もそれに加勢していなければ、あやうくサンドウィッチの概念が強制的に塗り替わっていることになっていただろう。
(アクシスはあの日、パーティの会場を下見していたのか)
(雪が降らなければ、寒い夜、外で開催をしていたのだろうか)
アクシスのことが少しずつ分かるようになってきたが、クレイ=ナハルトについて知っていることは殆どない。
ちらりと振り返ってみる。
自席で怪奇小説を読みふけっているクレイ。窓は遠く、暖炉からも離れた薄暗い席は、アジサイを育てるのに適した日陰と湿気を想起させる。
鐘が鳴る。教師が入ってくる。さっそく授業が開始されたが、クレイは本から目を離さない。
教科書を読み上げる教師が、板書に取り掛かる。白墨がカツカツ響き、クレイははじめてここで顔を上げる。左右を見渡し、慌てて本を閉じて授業の支度にとりかかる。
(ワンテンポ遅い)
(……もう授業開始から五分だ)
図書館のカイキさん。教室の浮世離れ人。
彼には相談相手になってもらっている。ときどき鋭い意見にハッとすることもあった。
でも僕はまだ、いまいち彼のことが分からないでいる。
授業が終わり、放課後になり、クレイを呼んだはいいが、僕たちは居場所に困っていた。
教室はグループ発表の作業をする生徒らに、先に使われてしまっていた。
他の人に聞かれたくない話をするのに、人の多いプレイルームは適さないし、図書室も人の出入りがある。
「話をするのがやっとの狭い空間で構わないなら、怪奇クラブで使っている場所を提供するが」
クレイが提案する。
「それはありがたいけど、怪奇クラブなんてあったんだ?」
「正式に認められたクラブではないからな。活動も不定期だし、人数も片手で足りる。場所も使用頻度が低い部屋に間借りしているだけだし」
彼に連れられたどり着いたのは用具室だった。ドアの窓まで押し寄せる雑多な物の群れに、気持ちが引きさがりそうになる。
「なんだ、またそこを使うのか」
教材を担いだ教師が呆れた顔で通りすがる。「ついでに仕舞っておいてくれ」とクレイ=ナハルトに教材を押し付けている。
「人数増やしてクラブの申請をなぜしないのか。もっとましな教室を使えるだろうに」
教師は去っていく。クレイは「はぁ」とか眠そうな返事をするだけだ。
入室した用具室は、ドアと窓をのぞいた二方に長い棚がしつらえられ、教材や、季節外の用具が、奥へ行くほど埃をかぶっている。
手前の棚から机と椅子を、さらに奥から追加の椅子を二脚ひきだし、口で埃を吹いては、クレイは眼鏡を真っ白に汚している。そんな彼の姿を見ていると、高揚した気分に水を差されるのも確かだ。
彼らにネリーの件を語ろうとした理由は、とても一言では言い表せられない。でもとにかく終わりまで続けた。
アクシスと取り巻きは、途中で眉をくもらせ、顎に手を当て、終いには「それはないだろう」とばかりにかぶりを振る。
「Rubellaなんてほんとにあるのかよ」
否定してくれる人を、僕は心のどこかで望んでいたのかもしれない。
安堵すると同時に、過去に懊悩した自分を思い出して気持ちの行き場がなくなる。
「市長や学園長、エバハルトのご両親は『ある』前提に立っている。
そしてRubellaが仮に存在しなかったとしても、感染防止という視点で動いた彼の行動は理にかなっている」
「てめー、どっちの味方なんだよ」
アクシスが凄む、クレイは涼しい顔をして続ける。
「エバハルトに質問したいのだが、妹は存在しないと言い張った事務方と造園業者はRubellaの存在は知らないのだろう?
「知らないと思う。ネリーと接触はほとんどしなかったし、感染したかどうかだけ確認し、未感染だったから口止めだけを頼んだ様子だった」
「なぜTはそんな方法をとったのだろう」
「え」
「理由も伝えず『面会に来た女の子の存在をなかったことにしてくれ』なんて、不審なことこの上ない。誘拐犯? と疑惑を持たれても仕方ないし、そういう噂が流れるのも至極当然な流れじゃないか」
「それは……まあ、不名誉を被ってでも、未知の感染症の存在を公にはしたくなかったからじゃないかな。パニックになることを危惧していたし、自分はウィルスやワクチンを専門家のように説明できないからこうするのだと、申し訳なさげに言っていたし」
学園の白き聖人、ラングルフォートの守護神。彼の擁護にまわると心がざわめく。
「……彼の処置はいびつだと思わないか」
「いびつ?」
「噂を流される危険を犯さず、口止めを君のところで行えばいい」
「僕のところで、口止め?」
「理由を話し、感染防止だと強く告げ、妹に直接会うのは待ってくれと頼んでも聞かない分からず屋だとTは君を見做しているのか?」
「そんなことは……」
「代表委員をこなし、教師の受けもいい。単なるクラスメートのおれでさえ、君が教師に口答えなどしたことなど一度もないと知っているほどだ」
「……うん」
「それなのにTは君一人に言い聞かせて堰き止めず、あえて二人に不審な方法での口止め策を取った」
いびつの意味が浸透してくるのが分かる。
T先生との関係がぎくしゃくしはじめたのは、ネリーのこの件があってからだった。僕は心の底でRubellaなど信じていなかったのかもしれない。感染防止策に不信を抱いていたのかもしれない。だが僕はずっとそれを表に出せずにいた。誰にも話せずにいた。
「エバハルト。君はRubellaが実在すると思うのか」
「……わからない」
「彼が何を目的にいびつな手段をとったか心当たりはないか」
「……わからない」
「君は異世界転移者で客員教師であるTを信頼しているのか」
「……わからない」
アクシスと取り巻きたちは「彼」の悪口を言い合い、盛り上がっている。それを横目に見ながら、僕はクレイに答える言葉が見つからないでいた。
「なら、分かるように行動してみるか」
「……うん」
サウスラングルの中心部、木造二階の古びた建物が市役所だ。常勤の役人は50人ほどだと、市の会報で読んだ記憶がある。軋むドアを開け、一階の広いロビーに踏み込む。奥のカウンターには各課受付が並んでいる。閉所一時間前を迎え、来所者も役人も忙しない雰囲気を背負っていた。
学園の制服姿をした少年五人の小集団から、クレイが進み出た。
「異世界転移者のTについて知りたいのですが。おれたちは彼の教え子という立場ですが、教師という面からでは分からない情報を、いろいろ調べ上げたいと。あ、怪しくはないです。制服で了解していただけますよね。早速、彼が転移してきたときのことを知る人の名前と住所を教えていただきたい…」
カウンターの役員が殺気だったのが分かった。僕は慌てて割って入る。
「ラングルフォート学園のT先生の教え子です。学内で発行する新聞でT先生の特集をします。役所で提供できる公式情報をお願いします。またT先生が学校に来る前、お世話をしていた人達がいれば、その人たちにもインタビューを取りたいと考えてます」
最初からこうしていれば、役所の人も快く、名誉市民証の入ったパンフレットを渡してくれただろうに。
横目で睨むが、クレイは対応の悪さを猛省する様子もなく、パンフレットを眺めている。
『名誉市民証・異世界知識と経験により、サウスラングル市の文化科学の発展に寄与し、貢献され~(略)サウスラングル名誉市民の称号を贈り、その栄誉を称えます』縮小して刷った証書と、「彼」の絵姿が入ったパンフレットだ。反対側には彼の基本プロフィールがあり、学園生徒なら知っている内容だ。
「はい、おまたせ。地図と名前ね」
カウンタの切れ目から出てきた男性役人がメモを渡してくれる。この人は「彼」が異世界転移直後にお世話になった家を調べてくれていたのだ。
異世界から転移してきたTを発見、保護した人の名前が書かれている。地図は以前に近くまで行った「妖精の窓」の裏だ。
「今から行くのかい? うちのかみさんだから、留守にはしてないと思うけど」
「あなたの奥さんが発見、保護したのですか」
へえ、と思いながら男性役員の顔を見る。
「うん。街の共同井戸のところで忽然と現れたTさんを見つけて、うちのやつが声かけてさ。Tさんにとって見知らぬ場所なのに、取り乱しもせず、気丈にふるまい、丁寧に礼まで言う素晴らしい人間性の人だってあいつも言うし、俺もそう思ったさ」
「……」
「そんでもって顔も悪くない。近所の若奥さんがキャーキャー噂するほどの顔立ちに、異世界転移者というブランド効果もある。認めはするけどさ、ちょっと同性としてもやっとするものもあったさ。何せこっちは朝から夜まで勤めに出ているわけだ」
「……はあ」
「しかしさすが異世界転移者のTさんだ。俺の心のもやもやを読み取ったように、こんな話をしてきた。『コンクリート詰めのキャデラック』の話をね。車とかセメントとか異世界の技術だけどさ、まあTさんの言いたいことだけは伝わったんだよ。『お疑いなら、現場をセメントで固めても構いませんよ』とね。こいつは男気あるやつだ、と認めざるを得なかったよ。浮気とか疑った、こっちがキモの小さい男だと反省したね」
俯き黙った僕に代わって、クレイの個性的な対応が再び炸裂する
「ははあ、なるほど。それはT先生が得意分野としていた民俗伝承ですね。怪奇性があればもっとお伺いしたいのですが、もしかして奥さんの方がご存じでしょうかね。まあ今から伺うので、そのとき確認すればいいのでしょうが、欲を言えば謎や怪奇性を含んだピリリとした話が個人的希望…」
男性役員のひとは目を丸くする。僕は取りなす気力がわかないでいる。割って入ったのはアクシスの「ああ?」と不機嫌な声と、新たに現れた役場の人だった。
「悪いね、話し中に。君たち学校に戻ったらT先生にこれ渡しておいてくれるかな」
彼は、大量の封筒をアクシスと取り巻きの両手にごっそり抱えさせ、「あっこれもだ」と封書を追加し、僕とクレイの両手も埋まった。
これは開封するだけでも一夜仕事になりそうな量だ。バラのまま持たされているので、粗雑なアクシスや、気遣いのないクレイの腕の隙間から、ぼろぼろと封筒が零れ落ちている。
「紙袋を下さい」
僕は冷静に言った。どうやら気の利かなさや不合理を目の当たりにすると、僕は我を取り戻すようだ。
カウンターで出してくれた紙袋に、封筒を詰め込んでいく。10つ出来上がった紙袋は、いずれもパンパンだ。
「T先生あての親書なんですか」
「親書は最初に渡した一山だけだね。あとは要望書」
「要望書?」
「異世界の進んだ知識や科学を、ここで再現・実現して欲しいという希望を書いた書類。フォーマットは役所で配布している。噂に聞いてぜひ欲しいとあこがれた市民の声、ノースラングルで設計されたと聞いて焦る市長が書き込んだもの、ぼくも『カメラ』が欲しいから、事あるたびに書いているよ」
「カメラって何ですか?」
「目の前の光景を精密に静画で写し取る機械らしいよ。これがあれば複写紙をはさんで、書類を書きなぞらないで済むわけだろう。ぼくだけでなく、他の人も欲しがっているから、最後の二山はすべてカメラの要望書だね」
僕らはただ伝書鳩の役目を果たすだけなのだが、制服姿を見つめるまなざしに期待がこもっているのを肌で感じる。
「教え子に頼まれたならTさんも重い腰をあげてくれるんじゃないかな」
「君たち、くれぐれも頼むよ。僕らも憧れているし欲しいですといった気持ちを押し出してくれ」
鳩にそんな重たいものを乗せたら、飛ぶものも飛べないだろうに。
市役所を出て、僕たちは地図の住所に向かった。
道すがら、背後から聞こえるのはアクシスの「重てえ」の不満の声。側溝で足を止めては「ここに捨てていこうぜ」と取り巻きたちを煽る。
常識人がいない一行の、せめて僕だけはモラルを貫かなくては。
「そんなことしたら困るだろう」
「誰が」
「……彼と、手紙を託した人が」
「『カメラ』を作れと頼むだけの奴が困る? 頼まれる奴が困る?」
紙袋の紐が指に食い込む痛さに、僕は無言になる。
「どうせ奴は新製品なんて作らないだろうよ。今まで豚市長が何回も参ってきてムダだったし」
僕もそういう光景を何度も目にしてきた。
目的の家にたどり着き、温かく迎えてもらえて僕はホッとする。ソファに腰掛け、紙袋をおろし、指がちぎれそうな荷物から開放された。
「Tさんのこと? なんでも聞いて」お茶を振る舞いながら、若い奥さんははしゃいでいる。「出会いから? うちで過ごした時期のこと?」
身振り手振りをまじえて彼女は出会いを熱心に語ってくれた。
第一声が「大学の駐輪所にいたはずなのですが、ここはどこでしょう」と丁寧な物腰で聞かれたということ。立ち話で彼女が風に身を震わせると首に巻いていたマフラーを貸してくれようとしたこと、ポケットから出てきた暖かいお守りのようなものも勧められた部分に及ぶと、語る彼女の興奮と歓喜は頂点に極まった。
しかし、リュックのポケットからはみでていた透明な瓶の飲み物がどうのと、詳細まで聞いていたのでは日が暮れてしまう。
学園で発行する新聞に使えそうな、代表的なエピソードをお願いしますと頼んでみる。
「それなら、うちの裏手にある『妖精の窓』の話はどうかしら。この菓子屋さんは立地の悪さでね、あまり流行してなかったんだけれど、異世界菓子というひらめきを得て、Tさんの力を借りてからは、売り上げも評判のうなぎのぼりよ。店主は彼に足を向けて寝れないって大変な尊敬ぶりなの」
自分でリクエストした内容なのに、手放しで称えられる人格者エピソードに、膝で握った拳が白く冷たくこわばる。
「うちの子も、Tさんにはお世話になってね。『異世界の特別製ゲームだよ』っていろいろ遊んでもらったみたいでね。あの方は子供の遊戯にも精通されてらして、うちに居た頃は近所の子供が毎日のように詰めかけて来たんですよ……あ、ほら。テオ、お兄さんたちに教えてあげなさい。Tさんの事、聞きにいらしたのよ」
彼女の声がドアを向く。見れば、細く開いたドアの隙間から、おずおずと小さな男の子が覗いている。母親の手招きに、ぴゅっと逃げて行ってしまった。恥ずかしがり屋らしい。
「T先生本人にまつわるエピソードも豊富でありがたいことですが、彼の語ったエピソードに関しても収集しているのですが、どうでしょう奥さん」メモの用意を手にクレイ=ナハルトが身を乗り出す。「新聞作りという名目はありますが、それとは別に記者の特権といいますか、胸にとどめる濃い話といいますか、ぶっちゃけると怪談話なんかがいちばん嬉しい訳でしてね…」
本来なら彼の超翻訳を、奥さんに伝えてあげるべきなのだろうけど……。
僕は乗り気になれず、まくしたてられる奥さんは目を白黒している。
「……あ、ああ。そうだわ。ぜひリンゴを食べて行かれて。Tさんが居る頃は、毎日のようにお客さんがいらしたのでね、切って出しても、お菓子にしても便利なリンゴを沢山買っておいたの。まだいっぱいあってね。今、お持ちしますわ」
彼女はそそくさと居間から出ていった。
きぃとドアが開く。奥さんが戻ってきたにしては早すぎやしないか。怪訝に見やると、さっきのテオが覗いている。おずおずと入室してくるその手には、一枚の紙が握られている。
「……」
これ、と言いたげにテオはそれを広げて見せた。
「なんだろう」
「……あそんでもらった異世界のげーむ……」
なるほど。母親に言われた「教えてあげなさい」を忠実に守ったのか。懸命な子供を、僕はいじましく思った。
紙を見る。五角形の大きな星型が書かれ、内側は細かい升目が並んでいる。書き込んだ跡があり、白い丸と黒い丸が陣地を取り合うようにひしめきあっていた。
「これで彼と遊んだんだ」
「……うん」
「どんなルールなの」
「黒か白かきめて、こうたいに書く……先に5つならんだほうが、勝ち」
小さい子向けの分かりやすいルールだ。二色の丸を再見すると、白い丸が5つ並び、上から長い線を貫き勝ちを示しているのが分かる。
「白が勝ったんだね」
「……ん」
テオの声が鈍くなり顔色が曇るのに、僕はワンテンポ遅れて気づく。
「えっと、白はどっちだったのかな」
「……ぼく」
子供の曇り顔を、歯切れの悪さを、僕はよく知っている。
どこで知ったか思い至った瞬間、悲鳴が胃を突き破りそうになった。
(……僕だっ)
(この苦しさ、この居座りの悪さを、僕自身も経験しているからだっ)
テオに対するいとおしさが心からあふれ出てくる。気づけば子供の頭を優しくなでていた。
「ありがとう。僕に教えてくれて感謝するよ」
「……」
「ほんとうだよ。僕は、今日ここに来て、テオに会えて、話ができたこと、心から良かったと思っている」
子供が鼻をすすった。
「……あのあと、ぼくとあまり話してくれなくなった。他のこどもがいるときは、仲間にいれてくれるけど、ぼくだけに新しいげーむを教えてくれなくなった」
「……うん」
「……ぼくひとりのときは、このげーむをなんども、なんどもやらされた。ぼくは、ほかのげーむがいいって言ったけど、こわい顔された。うちにいるあいだ、ずっとこのげーむだった。
だから、ぼく……あのひとが………………こわい」
堪らず僕はテオを抱きしめた。大丈夫、そう思っているのは君だけじゃないんだ、僕の思いが伝わるまでずっとそうし続けた。