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第二部4

第二部4


血相かかえた父子は、最小かつ必要なことを全て短時間で情報交換し終え、それぞれの場所に散っていく。

父さんは復路を辿りながら、家に一度戻ってみるという。

ネリーは勝手に家に帰るような子ではないが、と父さんの半疑に僕も同感だ。往路の探索は空振りになるかもしれないが、父さんは近所の人に声をかけ、増援を頼んでくるという。一度家に戻るのはそちらが目的でもあった。

僕のほうは学園内で、できる限りの捜索と情報収集をおこなうことになった。

証言を突き合わせた結果、最後に無事なネリーの姿を見たのは、僕なのだ。

父さんはネリーを学園の正門に送り届け、そのまま市場に向かった。ネリーはアップルパイのお使いを持って、僕に面会しここで行方が途切れている。ネリーが招待された邸宅へは、裏の階段を降りて、裏門から出ればすぐ近くだ。

だが邸宅には訪れていない。父さんはすでに、裏の険しい石段を一通り探し済みだが、遭難者は居なかったという。

学園の中で途切れているネリーの足取り……。

階段をのぼる僕の両足は、まるで雲でも踏んでいるようにふわふわと頼りなかった。


「はぁ? 俺の妹に、ネリーという友人が居るかって? 知るかそんなこと」

「おれは一人っ子だからお門違い。わずらわしい質問する前に、絞り込みとかしろよ」

北塔三階の二学年の教室を訪れた僕はけんもほろろに扱われる。

「あ、あの、それじゃあ、学園の裏門近くの邸宅から通っている方は、教室に居ますか……?」

絞り込みの質問を決死の思いでしてみたが、相手にするのも面倒だといわんばかりの重い沈黙が立ちはだかる。

突き刺さる沈黙の痛さに、鼻の奥がツンとしてきた。

「……南塔の二年生に、裏門にほど近い自宅に住んでいて、そこから通っている奴がいたはずだが。」

僕を哀れんだのか、ひとりの生徒がボソリと情報を提供してくれる。僕にはその顔が神様のように見えた。

「み、南塔ですね、ありがとうございます!」

気力を振り絞り、僕は塔間を駆け足で移動する。

すでに放課後に突入し、教室に残っている生徒は数少ない。南塔三階の教室で「街から通う」二年生を捕まえることはできたが、彼は男兄弟しかいないということだ。

うつむき、僕は唇をかむ。

さっきからずっとグダグダだ。前提条件があやふやで、絞り込みもできぬまま、僕はじたばた翻弄しているだけだ。

(……冷静に、冷静になれ……)

(ネリーを招待した少女は、父母訪問会の日、二学年の調理実験の教室で知り合った……)

(調理……何を作っていたんだっけ……そうだ)

「あの、すみません。このまえの父母訪問会でさーたーあんだぎーを作っていた二学年のクラスって分かります?」

目の前の二年生が挙動不審に陥る。まだ話は続いていたのかと言った顔だ。

「う、ああ、それなら西塔の奴らがやってた調理実験だけど」

「西塔……ありがとうございますっ」

入学以来初めてだった。こんなに塔の間を何度も行き来したのも、階段の上り下りの回数を大台に乗せたのも。


「なんだ君は。話しかけるな、うっとうしい」

それは長いお使いをこなしてきた僕に投げかけるには、あまりに酷い言葉だった。

息は切れ、膝は笑い、肉体的に疲労していたのはもちろん、ネリーの行方を掴めない自分に焦り、予感と不安が暗雲となって覆われようとする心も疲弊しきっていた。

「君のせいでどこまで読んだか分からなくなったじゃないか」

彼は図書室の本に目を落とす。ここにたどりまで僕は西塔二年生の教室を訪ね、そこに残っていた生徒から情報収取し、プレイルーム、自習室、昇降口を確かめ、最後に図書室の奥で本の山に埋もれている該当生徒を発見したのだ。

「す、すみません、忙しいところ。でも、こっちも急用なんです。妹の件でどうしても……」

「君の妹など知らん」

「え、あ、はい。先輩は御存じないですが、先輩の妹さんが、僕の妹と懇意なはずで……」

「……」

「先輩の妹さんに招待を受けて、妹のネリーは先輩の自宅に向かったはずなんですけど……」

「……」

「僕の父が迎えに行ったところ……先輩のご家族が言うには、ネリーは来ていないと」

「回りくどい。結論から言え」

「……行方不明になった妹、ネリーの行先を先輩は御存じないかと」

埃が舞い立つ勢いで、本が閉じられる。

音は大したものではなかった。

だが、ずっと先輩が蓄電していたものが、その拍子に空気中に放出されたように感じた。僕の目と肌がピリリと軽く焼かれる。

「情報の組み立てもできない愚かな後輩に、おれが手を煩わされなければならないのはどんな理由だ」

「……情報の組み立て……愚かな……?」

「おれは朝、家を出た、妹とは特に顔を合わせていないし、話もしていない。学園に着いてからは授業を受けていた。どこにネリーとやらの行方を知る要素がある?」

「そ……そうかもしれないですけど、でも万が一の可能性に賭けて、尋ねてみようと思うのは当然じゃないですか。大事な妹のことを」

鼻で笑う声がした。僕の神経は一瞬マヒしていたと思う。

「君は陰謀の体現者か」

「はぁ?」

「おれにとって大事なのは次期試験であり、試験勉強だ。時間を取らせ、無駄質問を投げかけてくるのは妨害者にほかならない。おれの成績を妬んだ誰かに雇われたのか。こんなことで足を引っ張ろうとする陰謀を担うのか」

「妨害って……陰謀って……僕はそんなつもりは。……ただ妹の行方を案じて」

「君の妹が実存するという証拠もないのにか」


マヒを通り越し、僕の神経は停止状態に至ったのではないか。

目の前の人の言うことが分からない。彼は本をふたたび開き、ページに目を落とす。僕がそこに存在するのが不快なのか、意識を遮断し、冷たく見えない壁を張っているのが感じられた。

じわじわと感情が戻ってくる。

(……彼は、こう言ったのか。ネリーは居ない、と)

(証拠がないから、存在を実証できない)

(それゆえ僕の必死の捜索や質問は偽りで、彼にとっては時間を奪う陰謀でしかない)

(……そんな、ことを……)

(……なんてことを!……)

両の拳を強く握りしめ、指先が氷のように冷え切っているのを知る。

爪の先がてのひらの内側を強くひっかき、僕は怒気を耐えているのを知る。


問題児アクシスに、「ジャガイモ農家」と揶揄されたことはある。

悪口だ。しかし同時に事実でもある。

だがこの先輩は、僕の身の上を何一つ知るでもなく、僕の本質を否定する言葉を投げかけた。

目視できる矢なら、振り払うこともできるし、患部に刺さったのを抜くことも可能だ。だが見えない矢は、耐え難い痛みを僕に与え続けた。

冷血漢のそばをいつ離れたのか、記憶になかった。図書室も気づけば退室していた。

(あのいけすかない顔の前で、ネリーが居ることを実証できたら……)

(……探し出して連れてくる。……ネリーを知っている人に語らせる)

憤りが強すぎて、僕の中で目的がすり替わりそうなる。

(……ネリーを知っている…………あっ!)

ひらめきが舞い降り、僕は手を打った。

ネリーを知っている人。ネリーを目撃した人がいるではないか。

(僕がネリーを送り出すとき、会ったじゃないか……庭師のおじさんに)

彼も僕とおなじ最終目撃者だ。教室に戻った僕と違って、彼は庭で作業しながらネリーの足取りを見ていたかもしれない。

ほかにも事務方の男の人がいる。彼は面会を申し込んだ時しかネリーに会ってないけど、面識はある。

彼らに学内のどこかで見かけていないか、聞くのは決して無駄じゃないはずだ。


日の落ちかけた空の下、僕は中庭を突っ切り、庭の隅にある物置小屋を目指す。がちゃがちゃと道具を片づける物音がする。

庭師のおじさんは、街の造園会社から派遣されてくる人だ。月に何度か訪れ、学園内の手入れをし、店へ戻っていくのだ。

よかった、帰社する前に捉まえられて。

「すみません、庭師のおじさん。ちょっとお聞きしたいのですが、よろしいですか」

「……ああ」

園芸用の帽子を深くかぶった年配の男の人だ。目線を遣ってチラと僕の顔を見ただけで、向き直ろうとはしてくれない。

「今日の午前中、一時限目の授業の頃だったので、かなり早い時間です。女の子がひとり面会に訪れたの、覚えてますよね」

「……さあ」

「小麦色の髪でふたつのお下げにした子で……僕に顔立ちが似てます。その……身内ですから。親戚にも『印象は真逆なのに、顔立ちはそっくりねえ』とよく言われます。

僕とその女の子が一緒にいるところ、見てますよね? 裏の石段まで送っていくところだったんです」

「知らないな」

否定の声にかぶさるようにして、片づけ音が再開する。金属がぶつかり傷つく音に、背筋が粟立つ。

「そんな、だって、見ていたじゃないですかっ。僕がネリーに『庭師のおじさんが見ているぞ』と話しかけたのをっ。あれは、ネリーが痒がって掻こうとしてたから、そう諫めて……おじさんも、小さく笑っていたじゃないですか……っ」

もう返事はなかった。おじさんの丸めた背中が質問を拒絶している。

物置小屋に園芸道具を収め、個人の荷物をまとめたおじさんは、僕の脇をすり抜けていった。


「すみません、すみませんっ、緊急なんですっ!」

事務室の小窓は施錠されていた。ガラスを必死に叩いて僕は呼びかける。夕食も間近な時間、事務の営業時間はとっくにすぎている。ガラスの向こうに並ぶデスクにも、人影は見当たらない。

……明日の朝までなんてとても待てないっ……僕が悲壮さに襲われたとき、暗がりで影が動き、小窓を開錠する。

「もう時間外ですよ」

「わ、分かってます。すみません、謝ります。ですが大事な用件なんです。僕の妹が今朝がた面会に訪れたのを、手続きした人を……あ、あなたです、あなたでした!」

平身低頭な謝罪からの、支離滅裂な興奮に、相手は戸惑い、後ずさった。

「覚えてますよね? 朝いちばんの面会。僕の妹です。小麦色の髪をお下げにした、愛想があまりよくない子です。あなたが面会の手続きをしてくださったんですよね」

「本日、女性の面会は一人もおりませんが」

「……は?」

絶句する僕。用件は済んだとばかりに、ガラスを閉じようとする事務方。慌てて僕は小窓の隙間に手をねじ込む。

「今朝ですよ? ほんの数時間前の出来事ですっ。一時限目の授業中、北塔の四階の教室を訪れて、僕を呼び出しましたよねっ? 僕は直前に教室を飛び出て、あなたに『しーっ』と合図したの、よく覚えてますっ!」

「……」

「もしかして今日は面会が多くて、ひとりひとり覚えてられませんでしたっ? そうだっ、記録見せてください、面会手続きの記録っ。僕の名前はエバハルトですから、記録に照らし合わせれば、一目瞭然ですよねっ」

嘆息し、照明を点け、事務方の男性は帳面を持ってきてくれる。書き込みがある最終ページ。日付と時間、名前、面会理由の三枠に区切られ、最後の記述に父さんの名前がある。

指で辿りながら、上方にさかのぼっていく。午後に二人、三学年の生徒への面会者がいる。午前中は一学年の生徒の面会がある、面識のない名前なので東西南のいずれかのタワーの生徒なのだろう。指でさらに上をなぞる。

(……午後、一学年生徒、面会。あれ? なんで午後になってしまうんだ?)

よく見るとそれは、前日の日付だった。

室内だというのに、僕は恐ろしく激しい突風が駆け抜けていったのを感じ取り、膝がガクガク震えはじめる。

(なんで……どうして……)

(なぜ午前の記録にないんだ……? ネリーの名前が載っていないんだ……?)

「もうよろしいですか」

うんざりした口調を隠しもせず、事務方は帳面を引き寄せる。僕の反応を待つつもりなど、傍からなかったのだろう。ぴしゃりとガラス窓が閉じられ、照明が落とされる。

僕は動けなかった。小窓手前の小さなカウンタに、ぐったりと上半身をもたせ、まばたき一つせず、黒いガラスを見つめつづけている。

大理石で作られたカウンタが、僕の体温を容赦なく奪っていく。手足は凍えきり石のようだった。

『君の妹が実存するという証拠もないのにか』

先輩の悪意ある言葉が脳裏によみがえる。見えない矢の傷が、はげしく疼く。

(証拠は……証拠はひとつもない………………だけど……)


「そんなところで何をしているんだ」肩をたたかれ、僕は周囲がすっかり暗くなっているのに気づく。「とっくに夕食の時間は終わっているぞ」

寮監の教師だった。どうやら見回りの途中らしい。

うながされ立ち上がるも、僕の頭は重く、視界はどんより濁っている。

「なんだ、そんなにふらついて。腹でも減っているのか」

今の僕は、夕食などとても喉を通らないだろう。胸も喉も固い鉛が詰まっているようだ。

とぼとぼ歩く僕。数歩離れてついてくる寮監。

「……あっ」

思わず声をあげ、足を止める。通りがかったその部屋は、図書室の準備室だった部屋だ。今はT先生の部屋になっている。

視界に垂れこめた暗い雲が、払われていくようだった。冷え切った手足に、血流がめぐり、脳が活性化しはじめる。

(そう……そうだ、T先生)

(れっきとした証拠が、ここにあるじゃないか。父母訪問会で、面識があるじゃないか)

妹のこと覚えていますか? そう一言聞けばいい。T先生は微笑んで「ああ、あの時の子だね。甘いものが大好きすぎて、欲張ってしまう女の子だ」と答えてくれるだろう。

僕はドアに駆け寄る。ノックしようと手を振り上げる。

が、室内は人の気配がない。照明もついていない。何よりも下がった「外出中」の札が、僕の意気をみるみる萎ませていく。

「ああ、Tさんか。今日は午後から外出の届が出ていたな。しばらく戻ってこないだろう。用事なら明日にしなさい」

寮監にうながされ、僕はうなだれてドアを離れる。

矢傷はもう、手も付けられないほど深刻なダメージを、僕の体にも心にも与えている。

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