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宙のガーデン  作者: midorimaru033
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第9話

毎日1話ずつ更新します。

第9話■夢と現実


 ブザーが鳴るので何かと思って廊下に出るとゴトウが笑顔で立っていた。軍装している。

「地球時間じゃ、朝の七時だぞ」

「知ってる」

「なあ、ちょっと付き合え」

「なんだ、観光にでも連れて行ってくれるのか」

「外に出たいか? 何もないぞ」

「ここにいるのは息が詰まる」

「じゃあ、来い」

 グレーの軍服を着た二人は、狭く長い廊下をまっすぐ進む。よく見ると、壁の材質も床の材質も、違うものを貼り合わせて補強しているようだ。錆びて穴の空いた場所など、放置されている。

「ガーデンに行くか」

「ガーデン?」

「この月基地で一番金のかかっている場所だ」

「ああ、お姫様のお城だな」

「知ってるのか」

「話だけは聞いてる」

「俺も姫には会ったことがない。いくらエネルギー制御されてるからと言って、触って爆発したら怖いからな」

「触ると爆発するのか?」

「そこまでは知らない。でも、あれだけのエネルギーを持ってるんだ。握手しただけでも体が吹き飛ぶって話だぜ。気をつけな」

 研究棟の4階を突っ切って、さらに奥に進むと、右に曲がる通路が現れる。緩やかなスロープになっており、そこを下ると、別棟の通称「ガーデン」に入る。

「この扉の奥がガーデン。そして、そこから先は全部、このガーデンの制御装置。ほとんどが機械だ。フル稼働していないと間に合わないんだと」

「燃料は?」

「地球からの物資だ。持ってきたうちのほとんどがここで使われる。入るか?」

「いや、いい」

「じゃあ、ここで待ってろ。車呼んでくる。何もないけど月観光しようじゃないか」

 スロープを上がっていくゴトウの後ろ姿を見ながら、手に持っていた軍の帽子を被った。正面についた刺繍は、防衛軍のロゴだ。地球政府のものとは異なる。

 ガーデンの扉も、他の棟の扉と変わらない。鉄でできた重い扉だ。躊躇したが、ノブを握って、回した。

 中は、明るい。まるで、地球の朝のような明るさだ。

「誰?」

 水に濡れたすずらんを揺らしたような女の声がする。

「ジン? ユリ?」

 白いシルエットはゆっくり立ち上がり、こちらへ向かってくる。長く垂れた植物の葉をくぐると、目の前には小さなの素足が並んでいる。

「あなた、新しい人?」

 視線を上げると、華奢な栗毛の女が、首を傾げて微笑んでいた。

 一瞬、ここは地球なのではないか、とトモヤは思った。高い天井からは太陽光が降り注ぎ、緑が溢れ、暖かい土の香りが広がっている。優しい眼差しがトモヤに注がれた。

「ここは…?」

「ガーデンよ。道に迷った?」

「君は」

「私はサイ」

 名前を聞いたのは、初めてだった。大きなエネルギー源が、生きている人間で、目の前にいる。目も鼻も口も腕も足も、人間のそれと何も変わらない。特別な人間ではない。

「あなた、もしかして、ジョー・トモヤ少佐?」

「ああ」

「知っているわ。はじめまして」

 差し出された手を握るのを、躊躇った。この姿を見て、まさかとは思ったが、恐怖が勝った。サイはそれを悟ったのか、口元に手を添えて小さく笑った。

「大丈夫よ。このガーデンにいる間は、エネルギーは宇宙空間に放出されているから」

 恐る恐る手を握ると、その手は柔らかく暖かかった。

「あなた、思っていたより背が低いのね。年はいくつ?」

「二十歳。身長は一五八cmしかないんだ。操縦者は小さくないと、コクピットに入れないから」

「そうなのね。私は十九歳。身長は一五三cmよ」

「そう…なんだ」

 サイは走り出すと、ベッドの上の猫を抱えた。

「この子はイチ、三毛猫よ。あっちはニイ、黒猫。そこにいるのが、サン、茶トラ」

「ああ、うん。名前?」

「そう、名前。私がつけたの。ジンが、地球から連れてきてくれたの」

 遊び相手を見つけた子供が、はしゃぐようだった。誰かが来るのを待っていたのだろうか。ひとりぼっちで閉じ込められたままで、寂しかったのだろうか。

 まるで、小さな子供のように、サイはトモヤの手を引いた。

「こっちに来て、お花が咲いたの」

 鮮やかな光が踊り、降り注ぐ暖かさは、今まで味わったことのないような気持ちと、懐かしい記憶を呼び出した。木漏れ日がメリーゴーラウンドのように、くるくると回る。

 緊張し固まったままだったトモヤの表情は、次第に弛緩し、ふわりと笑顔になった。

 サイが木の根元を指さした。濡れた土に白い花が咲いている。

 白い花は天井を見上げていた。

 いつかの故郷の風景が蘇った。在りし日の母の背中を見上げる、夕日に染まった枯れた土地。何度呼んでも、母は振り返らなかった。風に揺れたのは、白い花だ。

 緑に反射した光が眩しい。

 サイの裸足がレンガの床を踏む。銀のジョウロを胸に抱えて、サイは微笑んだ。

 無意識のうちに、トモヤの両目から涙が溢れた。

 音もなく、一滴が顎の先に向かって滑り落ちる。

 とつ、とレンガに染みができた。

「ジョー少佐? どうしたの?」

 駆け寄ったサイは、トモヤの頬に手を当てた。

「泣いてるの?」

 なぜこの女は、見知らぬ人間にこんなに近づくことができるのだろうか。そうか、長い間閉じ込められたままで、人との距離感がわからないのだ。初対面でこんなに顔を近づけるなんて。トモヤは頬を涙が伝うのも忘れて、サイの瞳を見つめた。

「ごめんなさい、私がおかしなことを言うから驚いたのね」

 サイは頬から手を離すと、一歩下がった。トモヤは思わず、下ろしかけたサイの手を慌てて握った。

「いや、そうじゃない」

 困惑の表情のまま、二人は見つめ合った。水の流れる音が響いている。

「君は…」

「え?」

「君はずっとここにいるの?」

「ええ、ずっとここにいるわ」

「いつもここにいる?」

「ええ、いつも」

 そっと手を離すと、トモヤは俯いた。

「申し訳なかった。突然入ってきて、不躾な…ことを」

「また来て」

「え?」

「また、いつでも来て。あなたのこと、もっと知りたい。私、友達が少ないの」

「友達?」

 背後から激しいブザー音が鳴り響いた。猫たちが一斉に隠れる。

「ジョー少佐、お車の準備が整いました」

 耳障りな雑音混じりのアナウンスの音声だ。

「じゃあ…また来る」

 サイは笑顔で小さく三回頷いた。

「待ってる」

 鉄の扉は重い。ガーデンの中と外では気圧が違うのだ。外から開ける時は軽く、中から開ける時は重い。振り返ると、白いスカートの裾が踊って見えた。

 外は暗い。当たり前だ。窓などないし、外も暗いのだから。袖で涙を拭う。目深に帽子を被り直した。

 スロープを上っていくと、ゴトウが走り寄ってきた。

「見当たらないから探したぞ。アナウンスは聞いたか」

「聞こえたよ」

「どこに行ってた」

「どこにも行ってない」

 まるで、夢と現実ほどの差がある、とトモヤは思った。


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