第4話
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第4話■予備
蛍光灯が点滅して、暗い空間に男の顔が浮かび上がった。口ひげを蓄えたその口がゆっくりと動く。
「予定が狂ったな、セリザワ博士」
「申し訳ございません、オダ中将」
セリザワ博士は深く頭を下げた。青い軍服には、左肩のところに月基地の刺繍がある。その下には星型のワッペンがあるが、これは施設管理部のマークである。
「君が悪いわけではない。頭をあげたまえ。事の詳細を説明して欲しいのだよ」
「私が地球の管理部門に到着した時、すでに最終候補生五名のうち、二名が死亡していました。詳しい原因は調査中ですが、恐らく…シラバのシステムについて、詳しく知ってしまったからではないか、と」
「シラバのシステム?」
「はい。月基地を出立したシラバが、小惑星オニキスへ到達し、任務を果たしても、こちらに戻ってくることができないことを酷く悲しんだ二名は、訓練中にエネルギーのコントロールを誤り、命を落としたとのことです」
「なんと…」
「現在もコントローラーに関しては研究が続いています。エネルギー源より構造が複雑なのです。その多くはコントロール機能と感情のコントロールに大きく関わっていると言われます。感情が乱れればエネルギーのコントロールもできなくなる可能性があります」
「では、なぜ予備を連れてこなかった」
「施設側が、最終候補生残り三名の提出を拒否しました。すでに、感情のコントロールが難しいとの判断です。私も面会しましたが、このプロジェクトに耐えられるだけの精神力は残っていないものと判断しました」
「彼女…スガワラ・ヨルだけで、エネルギーをコントロールできると?」
「彼女は最終候補生には残りませんでしたが、同じ訓練は受けています。年齢も若く、外部との接触を避けた特別隔離施設にて訓練をしていました。コントロール能力はマッチングテストで合格点を出しています。彼女だけは、シラバのシステムもプロジェクトの詳細も知りません」
「しかしな」
「現時点で、このプロジェクトに参加できるコントローラーは彼女のみです。予備を探し、育成する為の時間はありません」
「わかった。まずは艦長には私から説明しておく。スガワラ・ヨルには、シラバ、およびシステム内容は徹底的に伏すこと。悟られる言動は慎むこと。また、感情面には影響のないよう、精神コントロールも怠らないように」
「心得ております」
「では、よろしく頼む」
一礼すると、セリザワは鉄の扉を開け退室した。重い扉は錆びた音を立てて閉まる。しばらく閉じた扉を睨みつけてから目を閉じて深く呼吸した。振り返ると非常口の扉の前に、白衣の太った男が待っていた。
「おかえり、セリザワ博士」
「キバくん。どうしたの?」
「もう帰ってこないんじゃないかって、みんな心配してたんだ」
「帰ってこない? 私が? どうして」
「墓参りはできたの?」
「予定は滞りなく」
セリザワとキバは並んで早足で歩き始めた。床の下は空洞になっているので、歩くたびに足音が響く。
「コーヒーでもどう?」
「キバくんが入れてくれるの? じゃあ、いただこうかな」
研究棟に向かって曲がると足音が変わった。床の材質が異なるからだ。
「地球はどうだった?」
「うん、そうね。怒りに震えるってこういうことなんだわ。なんというか、計画ってある意味、予定ではあるんだけど、人間ほど計画通り動かせないものはないわね。五人中二人もだなんて」
「残りの三人は会えた?」
「会えたわよ。彼らは、想像以上に繊細。大きな力を秘めていればいるほどにね。最終候補生残り三人は、今にも制御管に放り込んだら死んでしまいそうだったわ。話しかけても返事もできなかった」
「問題は、精神面か」
「コントローラーは基本的には躁状態が多いけれど、それが鬱に転じたら、再起不能と判断せざるを得ない。薬の投与も効果なしよ」
「元気が出なけりゃ何もできないってことだ」
「使える状態なのは、あの子だけだった。信じられる? 日程は決まっているのに、使えるのはひとりだけ。その為にいくら予算をつぎ込んでいると思う? パイロットはひとり養成するのに訓練期間を二年費やしているのに、コントローラーひとり用意するのも、こんなに手間をかけて、たったひとり」
「まあ、そうかっかするなよ」
研究棟二階の一番奥にある管理室は、実質研究者たちの休憩所だ。使い古しのロッカーに、積まれたダンボールや壊れた機材が無造作に置かれている。穴があいてスポンジのはみ出したパイプ椅子に、壊れたデスクはガムテープで補強されている。
「向こうの責任者は、なんて?」
「申し訳ないの一点張り。情報管理が行き届いていなかったなんて、どの口が言えるの? 外部との接触は完全遮断、の約束でしょう?」
「地球は英雄フィーバーだからな」
「フィーバーが施設内で起こってはいけなかったの。今から自分が手を貸すプロジェクトで、その英雄が死ぬだなんて」
「声が大きいよ。もう少し静かに」
「ごめん」
コーヒーのいい香りが漂ってきた。コトコトと音を立てて、コーヒーメーカーが温まる。
「そもそも前任のコントローラーが急死したのがいけなかったんだ。一年も前になるか」
「ジェニファーね。彼女は優秀だったわ。サイのコントローラーとしては適任だった」
「やはり、コントローラーは使い捨てるしかないんじゃないか? 冷たいことを言うようだけど、訓練中に死んでしまうし、死因も不明。いっそ、訓練なんかしないで、一発本番の一回だけ活躍してもらった方が」
「そうよ。だから、ヨルはそのつもりで連れてきた」
「訓練は?」
「したわ。初級編だけね」
「じゃあ、テストしかしてないのか?」
「テストは合格。運良くあの子だけは隔離棟にいたから、英雄フィーバーは知らないの。もうこの際、うまくコントロールすることは期待しない。あの膨大なエネルギーをシラバに集中させてくれればそれでいい」
「予備は?」
大きなマグカップに注がれたコーヒーは、少し酸味の強い香りだ。セリザワはスティックのシュガーを入れて錆びたティースプーンを回した。
「オーブシステムの完成待ち。あまり期待できないけど」
「どうしたもんかね」
「どうもこうもないわ。ヨルがダメな時は、シラバとアルテミスごと、プロジェクトを捨てるしかないのよ」
「一度導火線に着火してしまったものは、戻せないものなあ。困ったなあ」
「ジョー・トモヤは行方不明? そして、小惑星も軌道に乗ったまま地球へ衝突」
「最悪のシナリオだな」
「見てごらんなさいよ。この月基地だって、予算が回らなくてまるでハリボテよ。シラバを開発するだけで、天文学的な数字の金額が飛んでるのに」
「ハイテク技術が聞いて呆れるな。結局、なんだかんだと人力だ。いつぞやの、世界大戦の日本軍が使用した、零戦みたいなもんだ」
「キバくん、歴史詳しいのね。二〇〇年も前の話でしょう?」
「教科書で読んだだろ?」
私あまり知らないのよねと言うと、セリザワは胸ポケットから写真を取り出した。
「あの子を生かすことだって、莫大なお金がかかってる。サイのガーデンを維持することが、月基地の最大の目的。そりゃ、一般市民もなかなか移住できないわよね。火星の方が賑わってるわ」
「その写真、サイの?」
「ええ。私とサイとジンとアキラ」
「いい写真だね」
「そう? ありがとう」
「あと三か月が長いね」
「それ、ジョー・トモヤの前では言わないでね」
「おっと。そうだね」
セリザワはマグカップを置くと、立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ行くわ」
「ねえ、ユリ。君にとって、サイはどんな存在?」
セリザワは扉に向かって、小さな声で「今は、私のすべてよ」と、言った。