第1話
毎日1話ずつ更新します。ちゃんと完結します。
第1話■葉桜と雨
広い教室で若い女教師は、子供達に向かって言った。
「皆さん、戦闘機シグマを知っていますか?」
子供達はおのおの手を上げて、知ってる、と叫んだ。
「私たち人類が、月への移住を初めて二十年。東西戦争に使用されてから開発が進み、月に配備されているのが現在の最新のシグマです。しかし、この度さらに新たな戦闘爆撃機シラバが開発され、このスクールの卒業生である、ジョー・トモヤさんがたったひとりの専属パイロットに決まりました」
明るい歓声が広がる。
「とても素晴らしいことですね。まずは皆さんで拍手を送りましょう」
小さな手がぱちぱちと鳴る様は、まるで雨音のようだ。その様子を教室の一番後ろで眺めていたゴトウは、組んでいた腕を下ろして、ひとつ大きなため息をついた。
「とても、素晴らしい、ね」
鳴り止まない拍手に窓の外を見ると、雨が降り始めていた。
そっと教室を出たゴトウは、廊下で佇む背の低い男の肩に手を置いた。
「挨拶は済んだか、ジョー・トモヤ少佐」
「ああ」
トモヤは振り返らず、じっと窓の外を眺めた。窓の外には、しっとり濡れた鮮やかな葉桜の枝が、手の届きそうな場所まで垂れている。ゴトウは窓を開け、タバコに火をつけた。トモヤに向けて箱を差し出す。
「どうだ?」
「いや、いい」
「そうか。雨を見るのは久しぶりだ。ここのところ、月とこっちを行ったり来たりだ。軍の仕事も楽じゃねえな。あんたも、すっかり英雄だな」
「挨拶まわりも仕事のうちだ」
「家族は? もうお別れは済んだか?」
「故郷には、父と姉夫婦がいるが、俺の顔を見て喜ぶばかりで、本当のことは言えなかった」
「軍の意向が気に入らんな。予めエンディングまで作りこんだシナリオだ」
「それをわかって訓練に入った。サインした時点で、もう文句は言えない立場だ」
「技術が発達したって、やってることは何も変わらん。結局、最後のボタンを押すのは人間で、根本的なところは原始的なままだ。面白くないな」
「むしろ、技術が発達することによって、どんどん原始的になっている気がするな。原子力に代わる新しいエネルギーは、ひとりの人間の超能力だとか。まるで、天に雨乞いするようなものだな。原理を理解すればするほど、出口は遠ざかるばかりだ」
「なんだ、自分の意見があるんじゃないか。政府の言いなりの人形かと思っていたが、どうやら違うようだな」
「自分の意見など、求められていないからな。この口が動くのもあと三ヶ月だ」
ゴトウは青く茂った桜の葉を一枚とってトモヤに手渡した。雨の雫で袖口が濡れている。
「やるよ。あっちに行ったら、こういうのが恋しくなるもんだ」
ふう、と吐き出した煙が窓の外に吸い込まれるように消えた。
「そうなんだろうな」
トモヤはそれを受け取ると、左胸のポケットに入れた。パイロットに決まった途端、胸の飾りが増えた。階級が上がったからだ。無表情のまま、空を見上げた。
「ありがとう」
ゴトウには、それが機械的な言葉に聞こえた。空は雲ばかりで真っ白だ。
携帯灰皿に吸殻を押し付けて、窓を閉めると歩き出した。
「行くか…月へ」
雨は強く降り始めて、窓ガラスを叩いている。雨のシルエットを踏みながら、二人の足音が規則正しく鳴り響いた。