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三月の終わり、最後の晩餐。

ボーイに椅子を引かれ、促された松葉が着席したのは、奏の隣だった。


正面の二席にも料理が配膳されるのか、

大皿と銀食器が並べられている。


「他にも誰か呼んでるの?」


「呼んでるけど、食事は俺達だけだから。

まずは、今までの取材のお礼を受け取ってほしいな」


前菜がテーブルに運ばれ、空のグラスにシャンパンが注がれる。


春野菜のマリネが彩り豊かに白い皿の上で

輪を作り、酸味のあるソースの香りが漂った。


「これまでの取材、ご協力本当にありがとうございました。

本の内容もろくに明かせてないけど、執筆も順調で、来月には完成の予定です」


小さな泡が浮かぶグラスが高い音をたて、小さく乾杯の音を鳴らした。

緊張した様子もなくシャンパンを含む奏に、松葉は尊敬の視線を送った。


「君はこういう場所に慣れてるの……?」


育ちの良さそうな男子だとは思っていたが、

まさか個室のレストランにフレンチとは。


「まさか、来たことないよ。でもほら、

個室だし誰も見てないから。緊張しなくてもいいかなって」


たしかに、テーブルマナーを気にする場で

人目が気にならないというのは、松葉にとって幸いだった。


前菜を食べ終わる頃にはスープが運ばれ、

見計らったように絶妙な給仕に感嘆した。


白身魚のムニエルにも明るい色のソースがかかり、

春らしい繊細な色が選ばれているのがわかる。


「季節のコースなの? 可愛らしい色よね、淡くて。前菜も春野菜だったし」


「そう、よくわかったね。

旬のコースがあったから、せっかくだし頼んでみたんだ」


口直しにと桜のソルベがテーブルに運ばれ、

ほんのりと色づいたシャーベットを口に含んだ。


冷たさが心地良く、わずかな甘さと桜の香りが口内を満たした。


二皿目のメインディッシュは肉料理で、

これも季節のフルーツソースが皿を彩っていた。


メインを平らげた奏はスマホを取り出し、姿勢を正して松葉に向き直った。


「これから人を呼ぶけど、松葉さんには不快な思いをさせるかもしれない

……でもどうか、同席してほしいんだ」


「何なの、不快って……私に関係あること、なの?」


「それは聞いていればわかるよ。

松葉さんは何も話さなくていいから、座っているだけで――お願い」


真摯な目で松葉を見つめる奏は、これまでになく

深刻で、明らかに苦しんでいた。


話してはくれないが、その尋常ではない様子に松葉は頷くしかなかった。


デザートのフルーツタルトを食べ終わり、

皿が下げられた頃、個室の扉が開いた。


微笑みをたたえた美女が、ほっそりとした白い足を個室に踏み入れた。


イエローのドレスを着た女性は、松葉より年下とも年上とも

とれるような年齢で、穏やかそうな表情を浮かべていた。


嫌味なところがない可愛らしさに、松葉は視線を吸い寄せられた。


女性の後ろから続いて姿を現したのは、石蕗だった。


「――よく来たね、兄貴。そして、詩織さん。さあ、座って」


奏の硬い声が個室に響いた。


どうして、と松葉の心臓は跳ね上がった。


奏は石蕗に、兄貴と言った。兄弟だったのだ。

そこでようやく松葉は奏の名字を知らないことに気がついた。


石蕗も驚いた様子だったが、レストランという場もあり、

ボーイにシャンパンを給仕されるまま、静かに座っていた。


「なあ、奏は松葉と付き合ってるのか?」


「違うよ、松葉さんは仕事の取材を手伝ってもらったから、お礼をしてたんだ。

二人をここに呼んだのは、これについて聞きたいことがあったから」


封筒から取り出した写真をテーブルに並べる奏。


テーブルに並ぶロウソクの火がゆらりと

写真の表面に反射して、松葉は目を凝らした。


そこには向かいに座った女性が――石蕗の彼女、

詩織という女性が、男性と写っていた。


背景にはつい最近、見覚えがあった。動物園、美術館、水族館。


どれも奏と取材に行った先の風景で、撮られた女性は

恋人風の男性と親し気に腕を組んで歩いている。


「……どういうことだ、これ」


呆然とした石蕗の声が、給仕が去った後の個室に響いた。


「あら、お友達よ?」


「美術館に、水族館でも見た!」


「後をつけてきたの、奏君?」


「……ち、違います。奏と取材に行った先で、

偶然……出くわしたんです」


苦しい言い訳かもしれないが、奏を悪いように言われたくなかった。


「証拠写真をよく見てよ、言い逃れできる?

兄貴も考え直してよ、こんな人と結婚していいの?」


石蕗は絶句してしまっていて、言葉が紡げずにいた。


「私より弟の奏君を信じるの?」


悲しそうな彼女の声に、奏は拳を握りしめて

耐えているが、横顔には怒気が見てとれた。


松葉はどうにか奏の助けになれないかと写真を見つめると、

美術館で見かけたあの鮮やかな色があった。


奇しくも松葉にドレスを選ばせた、

総レースのピンクを着た女性が指を絡めて歩いている。


「……私も見たよ。美術館でこのワンピースを着た女性が、

腕を組んでいたのを見た。ご家族じゃないですよね。

石蕗、彼女に兄弟はいるの?」


「兄弟は、いない……本当なのか、詩織。どういうことか教えて」


呆然と写真に目を落としていた石蕗は、

ようやく彼女に視線を向けて問いかけた。


奏は立ち上がり、後は二人でどうぞ、と松葉の腕を掴んだ。


「行こう、松葉さん」


腕を引かれ、足早にホテルを出た。


会計が、と戸惑う松葉にコースだから

済ませてあると簡潔な答えが返ってくる。


「奏、腕が痛い」

ホテルのロビーを出て、夜風に吹かれる外で

ようやく松葉は口を開くことができた。


「ごめんね、いい気持ちはしなかったよね。

どうしても今日で、全部終わらせたかったから」


「……全部って、どういうこと?」


ああ、これかと。終わりと言っていたのはこのことだったのかと。


松葉は直感的に奏の『最後』という

言葉の意味に気づいたが、確かめずにいられなかった。


「兄貴の彼女ね、俺にも言い寄って来たんだ。

だから嫌な予感がして、調べてた。これまでの取材も、

あの人が浮気してるって証拠写真を撮るため」


「じゃあ……本を書いてるっていうのは嘘なの?」


「本は、書いてるよ。今度兄貴から渡してもらうから、受け取って」


「どうして石蕗からなの? 奏の本なのに」


「俺はもう消えるから。兄貴は詩織さんに盲目的だったけど、

さっきので目が覚めたと思うし。もう障害になるような人はいないよ」


最後に奏は松葉を見て、一つ微笑んだ。


「だからどうか、幸せになってね。松葉さん」


そうして奏は、松葉の前から姿を消した。



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