肆ノ巻〜魔楼〜
春の暖かい木漏れ日が大兵な熊と犬を包んでいる。無論、それは俺と三橋改め真司のことなんだが、今日もまぁ、腑抜けた調子で日向ぼっこに没していた。
「たっさん、今日もいい天気ですねぇ……」
「そうだな……こういう日は一段と飯が美味い。」
「アンタは四六時中喰ってるだけでしょうが……これじゃまたふくよかになっちゃいますねぇ?」
真司の指摘通り、俺は朝食だけでは飽き足らず当然のようにポップコーンに手を伸ばしていた。確かに最近はデブるスピードが速くなっている気もする。
欲求の感覚が麻痺してきたというか自分の中で暗黙知していたのに言われたせいで余計に現実味を帯びてきてしまった。
「だっ……黙れ!お前だってなぁ、油断してたらすぐ俺よりデブるんだぞ!運動する機会ができれば少しは……」
苦し紛れに反論する野太い声は次第に覇気と説得力はなくなり頭の中は物哀しさと羞恥で程なく満たされ、俺は身体に似合わず酷くげんなりしてしまった。
「……そうですね……。今のご時世、動物の自分らが自由に出歩けるなんてあり得ないっすから……虚しいけど……」
「さっきもそうだけど、お前のそのどっちもわかってることなのにあえて言っちゃうとこ、本当に大っ嫌いだわ……」
「すんません……」
この少し憂鬱ながらも苦のない時間がゆっくりと過ぎていく中、主人である弟の孝介は、俺達が感じている怠惰な時間の流れに対比するように忙しなく仕事の準備に追われていた。
「いいよなぁ、有職者は!お上に必要とされて、やることがあってさ〜!」
暇が祟ってつい孝介に対し妬みを言った。
「やっぱり人間辞めたこと後悔してる節あるよね、兄さん?」
孝介の方は手作業を止めることなく俺の言葉を受けた。これだから要領のいいやつは恨まれるんだよ……
「別にぃ?ただ働けない奴からしたら羨ましく見えただけだから!」
俺はふいっと顔を背けた。我ながらなんてガキっぽいんだろう……
「あっ、そうだ!今日から非常勤で2人の面倒見てくれる人が来るから。確か、柳田君だったかな……?」
なんの前触れもなくこの話を切り出させ、俺も真司も困惑の色を隠せない。無連絡にも限度ってもんがあるだろ……
それだけ言い残して孝介はまた足早に家を後にした。
「あ、おいっ!」
静止せんと発した俺の声も先程と同じように虚しく獣だけが取り残された部屋に響いただけだった。
「どんな人なんですかね、優しかったら他はどうでもいいっすけど。」
「いや、なんでそんなすぐに呑み込めんだよ⁈」
真司が独り合点するのを横目で嫉妬した。
理解力に乏しい俺にはこの状況を短期間で会得するなんて無理な話だ。
デカい身体で唸りながらもただ一刻一刻時間は流れていく。それから程なくして第三者が扉を開ける音がした。
「いや〜、流石矢本さん!こんなに豪華な研究室貸し出してもらえてるなんて羨ましい限りですよ〜」
なんて、クサい芝居染みた独り言を吐いた癖毛の青年。
ー⁈
声を聞いた瞬間気がついた。コイツ、まさか……!
「これからよろしくお願いしますね、熊君……いや、【旦那】?」
「何しに来たんだよ、猫又!」
やっぱり俺の勘は当たってた。……にしても、何で猫又がここに……?
真司も気がついたらしく「あの時の……!」なんて唖然としていた。
「それにしても旦那は一段と横に大きくなりましたねぇ。三橋さんもいいガタイになられて……」
まだしらを切るつもりか……?
しかもお前まで体型のこと言いやがって……!
「っせえ!いいから理由を言え!」
「ちょっと……摑みかかるのはよして下さいよ?
……ただもうすぐ旦那の魔力が完成するってことです。」
奴は妖しげな笑顔で語りかける。
「「魔力の完成?」」
「つまりは、比較的大きな動物に換われたことでその資格があるってことです!それは三橋さんも同義。
ただ旦那の場合は、そこまで巨躯になれたなら申し分ないという感じですかね。」
その後「じゃあボクは弟さんに会わなきゃいけないんで……」と酷く落ち着いた様子で呟いて消えていった。
「なんだったんっすかね?しかし俺にも魔力があるとかなんとか……これが一番気がかりですけど。」
「デカい身体だからもうすぐ完成するとかじゃないんだとしたら……完成させる為にこんな図体に……?」
俺はついこぼしてしまった。聞かれていないだろうか?
「?たっさん、何か言いました?」
「いや、なんでも……」
セーフ!……危なかった……でも完成したらどうなんだろ?少し気になる……
「先輩!ただ今戻りました!いやもう、熊君もワンちゃんも可愛かったです〜」
新入りの柳田がこう言いながら研究室本部に入ってきた。
俺はコイツにただならぬ危機感を感じていた。……なぜかわからないがそういう確信だけは変に持っていたのだ。
「ごめんね、柳田君。歓迎会の時に聞き忘れたことがあって……訊いてもいいかな?」
「はい?」
コイツは何食わぬ顔で笑っている。
ぶつけてしまおう、この確信を。
「君、【人間】じゃないでしょ。」
すると、コイツは諦めたような顔をして溜息をついた。
「……バレちゃいますよね。」
それでも、声色を変えない彼に少し疑問を抱いてしまう。
「化けの皮剥がれたってのに随分と余裕だね?」
「何でわかったんです?」
理由をわかっているような口ぶりで聞いてくるのでこちらの方が驚いてしまった。
「俺、昔からそういうのわかったんだよね。霊感が強いって言うか……見えないはずのものが見えて、世間一般から変人扱いされてんだよ。」
「やっぱりあなた方兄弟は凄まじい魔力をお持ちのようだ……新しい魔楼がここに……」
「どういうことだよ?」
「魔楼というのは我々の棲む魔界でもトップクラスの魔力を持っている人達のことです。しかし、昔から普通の人々から厄を創り出す害人だと拒まれてきました。魔楼の仕事は世界をより良い方向へ導くこと。その為なら戦でも飢餓でも何でももたらします。それが彼らの魔力ならたやすくできるんです。物の怪の存在が認知されていない現在でもその嫌悪は人々の潜在意識の中にこびりついている……魔楼の血を引いているお二人が他人から毛嫌われたり、霊感が強いのはそのためでしょう。アンタの兄さんが熊に変化、しかもあんなにデカくなったってことは魔力の方から自分の力を制御できるまでの器を作りたかったんだと……」
「……ん。」
まだ理解はしきれてないけど、話の道理は立ってる気がする。……自分たちにそんな力が眠ってたなんて……
「話はわかったけど、少し気になることが……」
「何です?」
「もし魔力が完成したとして、兄さんの体重どんだけになるとかある?」
これは一見関係ないように見えて俺にとっては生活スペース云々で重要なのである。
「……多分ですけど、軽く1tは……魔楼の中にはこれぐらいごろごろいますから。」
「マジでか……道理で最近食欲凄かったわけだ……」
「まぁ、この力を生かして陰ながら社会に貢献するも殺して今まで通り生きるも貴方たち次第です。もしなる気があるならボクまで連絡ください。」
そう言って、観察資料を整理しながら彼は踵を返していった。
「ただいま……」
家の扉を開けると、そこにはいつも通りスナックに興じている兄が膨れ上がった肉体を横たえていた。
「……ラッキーならもう寝てる。」
「よかった……ねぇ、兄さん。もう一回人間辞める気ある?」
「魔力の話か?……ちょっと興味あるかもなぁ……」
深く考えていないのがこの人らしい。よく言えば滅入ってないんだろうけど。
「あるんだ……実は、僕も気になる。」
ある言葉が口から出ると共に耳から入ってくるのかわかった。
「「……魔楼、なっちゃおうかぁ……」」
当たり前に2人が頷くと兄弟以外は寝静まった部屋の中へ呟きが静かに消えていった。
「よし、そうなったら相応しい身体作りの為に俺はもっと喰っていいんだよな?」
また変な風に意気込んでる。まぁ、あながち間違いではないか……
「……程々にしてよ……?……それ僕にもちょうだい。」
「仕方ねぇな……特別だぞ?」
「うっさい、巨デブ……」
「お前のがうるせぇ!……気にしてんだから言うなし……毎回言ってんだろ……」
キャラメルが入ったトリュフボールだろうか。甘い中に感じるカカオのほろ苦さは魔楼として生まれ変わる自分たちの未来を案じているようで妙に戦慄した……