突然の死線
俺が再び目を開けると、そこは林の中だった。
そしてすぐ「なんか日本とあまり変わらないな」と囁いた。
てっきり、中世のヨーロッパのように町は栄えていて王様がいて、あれこれ理由を付けて自分に能力でもくれるかな、と密かに期待を抱いていたがそんな事はなさそうである。
俺は辺りを見回した。
小鳥が鳴いている。木々は騒めき、空は青く澄み渡っている。
「この格好だと少し肌寒いかな」
俺は自分が学ラン姿のままである事に気づきため息をついた。
そう、少し肌寒く冷たい風が吹いている。
その時だった。
小鳥のさえずりが突然止まった。
辺りは静まり帰って、不気味な雰囲気を漂わせている。
「どうしたんだろう……」
俺は多少気になったが、再び目を閉じて自分が転移した事に喜びを感じていた。
だが次の瞬間、その喜びは打ち砕かれた。
ドォーーン
という凄まじい音が数メートル先で鳴り響いた。
俺は思わず耳を塞いだ。
「ん?何かいる!」
音の方向に目を向けると、巨大な化け物が暴れている事に気が付いた。
その奇怪な姿に俺は目を丸くした。
顔はのっぺらぼうで、お札が張ってあった。
縮れた髪の毛を不規則に生やしていて、手足は合計6本ある。
「日本の妖怪に似ているな……」
俺はそんなことを呟いていた。
この世界はどこまでも和風である。
それ故なのか、和服のようなモノを羽織っていた。
が、その体格は巨体で腰から肌色の尻尾を伸ばしている。
俺はその様子にあっけにとられていた。
初めて見る巨大なバケモノ。
けっしてロボットなどではない、本物の怪物。
そいつが今、目の前で暴れている。
一度死んだとはいえ、殺されるかもしれない恐怖と言うのは拭えないものだと痛感した。
その時、後ろの茂みがガサガサっと音を立てた。
警戒していた俺は、ギョッとして振り向いた。
茂みの中から出てきたのは、自分と同い年くらいの少女である。
小柄で色白なその少女は、俺と目を合わせると
「なぜここに人がいるの?」
と、驚きの声を発した。
「あっ……すみません」
「まだアイツが来るには時間があるから……すぐ逃げなさい」
切羽詰まったその少女の表情を俺はじっと眺めた。
「何をしているの? 早く逃げて」
その透き通るような声を聞いて、彼は疑問に思った。
「あなたは、逃げないんですか?」
彼の落ち着いた声を聞いて、少女は俯いた。
そしてしばらく何も答えなかった。
どうしたのだろうか、と思い彼が声を掛けようとしたとき、少女が目に涙を浮かべている事に気が付いた。
「……ごめんなさい。本当は私がアイツの生贄になるはずだったの」
「えっ?」
突然の言葉に俺は戸惑った。
「この村では10年に一度、神様に生贄を捧げないといけない。そうしないと村に災いが訪れる。でも、私は怖くて……怖くて逃げだしてしまったの。本当にごめんなさい」
少女の言葉が俺には理解できなかった。
この世界に召喚されてすぐ、世界の成り立ちや概要を把握する暇もなく陥った状況だ。
「つまり、君がその生贄に選ばれたという訳かな?」
「ええ」
その言葉を聞いて、俺はある一つの慈悲のようなものが込み上げる。
「へえ。俺でよかったら、身代わりになるよ」
「へっ?」
少女が困惑した表情を浮かべた。
「ああ、いや、俺さっきこの世界に来たばかりだし、そんなに長生きするつもりもないから、俺でよかったらアイツに殺されて生贄になるよ」
俺は至って冷静だった。
死に対する恐怖は拭えないとはいえ、もともと現実味のない話しだ。今さら、どうにでもなれという感じである。
少女はさらなる困惑の表情を浮かべていた。
その表情を見て、俺は言葉を返した。
「あ……えっと、生贄は君じゃないといけない理由でもあるのかな?何ていうか、生贄はその都度、若くて美しい女性に限定されているとか、俺みたいなやつは神様に嫌われるとか」
俺は必死に説明を試みた。
「あっ……別に、生贄はあなたでも構わないんだけど……そんな事って……」
「ダイジョブ、ダイジョブ。要するに殺されればいいんだろう?」
俺はそういって怪物に近づこうとしたが、少女に止められる。
「……まって!」
「どうした?」
「アイツは……私だけを狙っている。私の血に反応して動いているの」
「えっ…じゃあどうしよう」
俺は困った。
「やっぱり、見ず知らずの貴方を……犠牲にするわけにはいかない」
ケナゲなその表情を見て、俺は胸を痛めた。
異世界にも、こんな可憐な少女がいたんだ……この子は今必死で迫って来る「死」から逃げているんだなあ、と彼は思った。
「なんか、よく分からないけどさ。本当は死にたくないんじゃないの?」
俺の言葉を聞いて、少女は少し核心を突かれたような表情を浮かべた。
「あ……いや、生きなきゃいけない理由が君にはありそうだなあって、こっちの考えだけど、君そんな表情をしているよ。だから逃げたんでしょう?」
少女の表情がみるみる強張っていく。
その時だった。怪物がこちらに気づいたらしい。
その、のっぺらぼうの顔はこちらを向き、六本の手足と着物をバタつかせながら、こちらに走ってきたのだ。
「逃げようぜ……」
俺は早口にそういうと、少女の手を無造作に握った。
強く、そう強く握りしめた。
少女は困惑した表情で俺を直視した。
その瞳は深く、純粋で、美しかった。
「走るぞ!!」
俺は一言叫んで、その吸い込まれそうな瞳から目を背け、走り出した。




