片思いは苦くて酸っぱい
「即興小説トレーニング」様で途中まで書いたものを加筆しました。
松本君がバイトを始めたらしい、という情報を持ってきてくれたのは親友の知花ちゃんだ。
松本君は学校でも一、二を争う人気があるイケメンくん。ちなみにとなりのクラスで同学年の高校一年生だ。お察しの通り私・香川希美は以前から彼を憎からず思っておりまして、ええと、うんまあ絶賛片思い中だ。
毎朝同じ電車に乗っていて、時折彼がお年寄りに席を譲ってあげたりしてるのを見ているうちに気がついたら好きになってた。多分松本君は私のことなんてしらないだろうけど。
知花ちゃんはその私の後ろ向きな片思いを知っているたったひとりの人間だ。
「え、どこで?」
お弁当の唐揚げをつまんだお箸がぴたっと止まる。知花ちゃんはそれをにやにや見ながら自分のサンドイッチをぱくりとかじった。
「ただで教えるわけにはいかないなあ」
「――――ではデザートのいちごで」
「うむ、くるしゅうないぞ、希美や」
私のデザート用タッパーを自分の元に引き寄せながら知花ちゃんが背をかがめて囁いた。
「天野駅前のカフェ・ネージュ。昨日買い物にいって偶然見かけたんだよね」
「天野駅……」
通学途中の駅だ。そして松本君がいつも乗り込んでくる駅。
ちょっと大きな駅で駅ビルにショッピングモールもあるし、ふらりと私が行ってもおかしくない――――よね?
まして私は彼に認識されていない。これは彼をこっそりとのぞき見られるチャンスではないのか?
「行く?」
「い、いいいい行かないよ! そんなストーカーみたいな真似、悪いじゃん!」
「へえ、そうなんだあ。まだ取り巻きの子たちも気がついてないし、チャンスだと思うんだけどなあ」
「う」
そうなのだ。松本君にはファンクラブまで行かないけど取り巻く女子たちがいるのだ。彼女たちが怖いというのも、ある。
「だからさ、例えば明日あたりならチャンスでしょうが」
「――――」
「行かないの?」
「――――いか、ない」
と言っていた日もありました。
私は今、カフェ・ネージュの前にいます。
いつもトレードマークのようにポニーテールにしている髪を下ろしてだてメガネをかけて、ぱっと見私だとわからないように変装。で、ひとりでゆっくりしに来ました~! という言い訳に文庫本なんか鞄に忍ばせて。
ドキドキしながら店のドアに手を伸ばし――――
「わっ!」
勝手にドアが開いた。ちょうど店を出るお客さんがいたみたいでびびった私は、開いたドアの前で固まってしまった。
ど、どどどうしよう。たしかに店に入るつもりではあったけど心の準備が!
「いらっしゃいませ」
――――そして案の定、中から声をかけられて入らざるを得ない状況に。
「お一人様ですか?」
「はい」
諦めてそう答え、声をかけてきた店員さんを振り向く。
はい、お約束。
松本君だよおおおおおおっ!
い、いやまて落ち着け私。私は本を読んでのんびりするためにここへ来たのだ。うん。そういう設定だ。必死に平静を取り繕う。
でも白いワイシャツに黒のパンツとエプロン姿の松本君、めちゃくちゃかっこいい! 多少顔が赤くなるのは許して欲しい。
「申し訳ありません、ただいまカウンター席しか空いていないのですがよろしいですか?」
「は、はいっ」
「ではどうぞこちらへ」
松本君の案内でカウンターの少し高めなスツールへ座る。すぐにおしぼりとお冷や、メニューが運ばれてくる。そうやって仕事をしている松本君、かっこよすぎる。
あ、それよりまずは注文ですね。
そう思ってメニューに目を落とし、思わず固まった。
ここ、本当にコーヒーしか飲み物がない。
実は私はコーヒーが苦手なのだ。でもこんな駅前のカフェなら紅茶とかジュースくらいあるだろうと何も調べないで来た自分を恨む。
苦いものは大の苦手。カフェオレとかも7対3以上でミルクが多くないと飲めない。それも砂糖をたくさん入れて。
けれどコーヒー専門店なら変な注文できない、とチキンな心が叫ぶ。松本君にコーヒーが好きでここへ来てると思ってもらわないと恥ずかしいしまた来られないじゃないか。もはやリピートする気満々なのはとりあえず隠しておく。
「ご注文は」
「――――ブレンドで」
……やっちまった。
やがて運ばれてきたカップには熱くて黒い、そして香しい液体が満たされている。ふわりとあがる湯気がカップの縁に沿って弧を描く。
香りは嫌いじゃないんだよ。苦いのがだめなだけで。
かといってせっかく注文したんだから飲まないと。
その上私はここにきてまたかっこつけた。「ブラックで飲めるのよ私」的なパフォーマンスをしなければと思い込んでしまった。専門店に来るんだからブラックで飲めて当然だろうと考えたのだ。
私はクリームも砂糖も入れず、そっとカップを持ち上げ、唇に近づけた。
――――こくん。
苦い。
そして、酸っぱい。
やっぱり苦手だ。でも、よく行くファーストフードのコーヒーに比べたらずっとすっきりして飲みやすい。
私は文庫本を広げ、カウンターの中で洗い物を始めた松本君をちらちら見ながら少しずつコーヒーを飲み進めた。
結果。
何とか飲み干しました、ブラックコーヒー。苦かった。
「ありがとうございました」
でも私を送り出してくれた松本君の営業スマイルを見られただけでもよしとしよう。うん。
あんな苦い思いをした(物理)というのに、案の定私はカフェ・ネージュに通い始めてしまった。
高校生の懐には全く優しくないお値段は貯めていたお年玉から支払った。
週1回行っては文庫本を少し読み、苦手なコーヒーを飲んで、1時間ほどで店を出る。これだけ。松本君に声はかけないし、ただ本を読むふりをして眺めるだけ。だってバイトの邪魔はしたくないから。
なのに。
「――――今日は何を読んでるんですか」
何度目かに行ったとき、突然カウンター越しに声をかけられた。松本君だ。
ええっ! もしかして私、覚えられてる?
とたんにあわあわしてしまうけど、最近よく来るから印象に残ってるんだろうと自分を落ち着かせる。相手は営業スマイルなんだから、と。
「えっと、園田海っていう作家で」
「聞いたことある。なんかの賞をとった作家ですよね」
「あっはい、そうです」
「おもしろい?」
「今読んでるのは恋愛ものだから男の人にはどうでしょう。でも、いろんなジャンルを書いてるから気に入るのもあるかもしれないですね」
「へえ。なにかおすすめありますか?」
「ええと――――」
そこへちょうどお客さんが入ってきて、松本君は「いらっしゃいませ」と仕事へ行ってしまった。
ふと店内を見回すと割と席が埋まっている。松本君も忙しそうで、話の続きはできそうにない。
カップの中のコーヒーももう空だ。私もそろそろ帰ろうかな。
松本君が接客している間に他の店員さんにお会計を済ませ、私は店を出た。
――――おしゃべり、しちゃった。
少し浮かれた足取りで私は家路を急いだ。
翌週、私はまたカフェ・ネージュへ来た。
いつも通りカウンター席でブレンドをブラックで注文する。
最近、少しずつブラックコーヒーにも慣れてきた。まだまだ苦手だけど。
店内には静かめのジャズが流れ、午後の日差しが窓から差し込む。とても居心地のいい空間。
けれどこの日は少し様子が違った。
「あーっ! 本当だ、松本君だ!」
けたたましい女の子の声がして、数名が店に入ってきたのがわかった。ちらりと横目でそれを見る。
げ、松本君の取り巻き軍団だ!
「ね~、松本君! バイト始めたなら教えてよ!」
「そうだよ、みんなで売り上げに貢献しに来たのにぃ」
「ねえねえ、私たちのテーブルは松本君が来てね」
4人の女の子がカウンターの中にいる松本君目がけて殺到する。当然私のすぐ横になるわけで。
「ご、ごめんね。とにかくこちらへどうぞ」
あ、松本君顔が引き攣ってる。
これはたしかに困っちゃうだろうなあ。
「はあい! ねえ松本君、あのね」
そう言って4人のうちの一人がぐるっと向きを変えた。勢いで肩にかけていたバッグがカウンターの上を通る。
かしゃん!
バッグが私のコーヒーにぶつかった。そのままカップがはね飛ばされ、転がって、三分の一ほど残っていたコーヒーが私の服にこぼれてしまった。
「わっ!」
「香川さん!」
幸いずいぶん冷めていたからやけどするほどじゃない。でもコーヒーのシミがピンクのカットソーにくっきりとついてしまった。松本君が大急ぎでたくさんおしぼりを持ってきてくれた。
「あ、あの」
バッグをぶつけた子が「やばい」って顔でこっちを見ている。松本君が向き直り、その子と視線を合わせた。
「江原さん、それにみんなも」
「――――」
「俺はここで働きに来ています。すみませんが騒ぎたいなら他所でお願いします」
「――――」
4人は「ごめんなさい」と松本君に頭を下げ、江原さんと呼ばれた彼女は私にも謝ってくれた。そしてそのまま帰って行った。
嵐の去ったその後で、店長と松本君が頭を下げに来た。クリーニング代を、との申し出は丁重に断り(だってお店のせいじゃないし)、謝罪だけを受け入れる。
「でも火傷とかしてたら」
それでも心配そうに私の側に残った松本君に、私は必死に「冷めてたから大丈夫」と繰り返した。何とか納得してくれたようで、松本君がぽつりと言った。
「そっか、ならいいんだけど。香川さん、ブラック苦手そうだもんね」
「へ?」
それ、ばれてた? っていうか、今――――
「なまえ……」
「え? 隣のクラスの香川さんでしょ」
「ええ!」
ど、どうして! どこでばれた!
「だっていつも電車で一緒だろ? 名前くらい知ってるよ。ここに来てくれるようになって最初は気がつかなかったんだけど、割とすぐにわかった。伊達に毎朝見てないよ」
「えええ」
驚く私を後目に松本君はカウンターの中へ目をやった。そこでは店のマスターがコーヒーに何かを入れてかき混ぜ、大きめのカップに注いでいる。最後に上に生クリームをトッピングして、松本君に手渡した。
それを私の前に静かに置いてくれた。
「はい、どうぞ」
「え、注文してないですけど」
「これはお店からのお詫び。クリーニング代受け取ってくれなかったし、さっきのコーヒーはだめにしちゃったからね」
熱々のコーヒー。でも何だか甘い香りがする。
そっと口をつける。けれど予想していた苦みと酸味はなくて、苦みより前に独特の甘みがくる。
――――ココア?
「これね、モカジャバっていって、コーヒーにチョコを入れた奴なんだよ。これならブラック苦手な香川さんでも飲みやすいかな、って」
「ふぇ?!」
まって、今なんて言った?!
「だって、いっつも飲みにくそうにしてるから。クリームとか入れればいいのにって思ってた」
ひいいい! コーヒー苦手とまでは思われていないみたいだけど、ブラック苦手だってことはバレバレだったのか!
私は心底恥ずかしくて穴があったら入りたかった。この際土の中でもいい! プリーズ!
「なんで苦手なのに挑戦してたの?」
「いや――――その」
松本君が好きだから、なんて言えるわけがない。しどろもどろになってしまった私に松本君がやさしく笑いかけた。
その笑顔にどきりとする。ひょっとして―――――ばれちゃった? 私の気持ち……
どぎまぎしていたら松本君が声を落として言った。
「まあ、でもわかるよ。ブラック飲めるのって『大人』って感じだもんな。俺にも覚えがあるよ」
がっくり。
松本君目当てで苦手なコーヒーを飲んでまで通い詰めてるとは思ってくれないのかあ。どうやら松本君には私の気持ちはまったく伝わっていないようだ。
それじゃゆっくりしていって、と声をかけて松本君は仕事に戻ってしまった。
なんだかほっとしたような、がっかりしたような。複雑な気持ちをもてあましてモカジャバをごくりと飲み込んだ。
熱くて甘くてほろ苦い。まるで今の私の気持ちみたいだね。
「――――松本君はにぶすぎるねえ。ボクは応援するよ」
だからまたおいで、そう言ってカウンターの中でマスターがウインクをしてくれた。




