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テセウスのゆりかご  作者: タカノケイ
一章 ドッペルゲンガー
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ドッペルゲンガー 6

――5772 マユミ 安楽処理


 イチの耳の裏から電子音声が響いた。事前に設定すれば、仲間の生死の情報を受け取れるシステム音声だ。同じ情報を聞いたであろうカイが声をあげないように、イチはその口を押さえて屈み込む。穴が見つかったら次に生かすことができない。すまん、サト、と心の中で謝る。


――1012 アサト 安楽処理


 再び音声が流れる。じたばたと暴れるカイを押さえ込んで、イチは穴の上をにらみ続けた。ロープは見つかるだろうか。サトのことだからバケツは遠くに蹴るなり投げるなり、処理しているはずだ。足音も何も聞こえず、赤目がまだ居るのか立ち去ったのかすらもわからない。どうか、立ち去っていてくれ――。

 その願いもむなしく、穴の中にすうっと影が差す。ゆっくりと見上げると鬼の面が穴を見下ろしていた。


「くそっ」


 イチが背中に庇う間もなく、赤目の投げた短槍がカイの胸を貫いた。カイの口からごぼっと血の泡が溢れて、体がぐったりと力を失ってイチにもたれかかる。


――5738 カイリ 死亡


「このやろう、こいつは残機が少ねえんだぞ」


 イチは怒りをたぎらせて立ち上がり、カイの体から槍を引き抜き上に向けて構える。赤目は向けられた穂先にも迷うことなく穴の中に飛び降りてきた。が、着地した瞬間に足場が崩れ、赤目は土砂と共に暗闇に吸い込まれていった。


「ははっ! ざっまあ」


 喜色をあらわにした瞬間、イチは足に鋭い痛みを感じ何かに引張られるように尻餅をついた。何事かと目を向けると、足首にワイヤーのようなものが巻き付き、その先に付いたフックがふくらはぎに突き刺さっていた。ワイヤーは赤目のグローブをはめた腕へと繋がっている。落ちていく一瞬に何かを刺されたのだ、と気づいてイチの背中を戦慄が走った。


「……お前、マジ怖すぎなんだよ」


 イチは痛みを堪えて腰を起こして刀を抜くが、金属製のワイヤーは簡単には切れない。イチは狭い穴の中で精一杯に刀を振りかぶり、迷わず赤目の手首を切断した。鮮血を撒き散らしながら小さくなっていく赤目を目で追う。ぼちゃん、という大きな水音に安堵して体の力が抜けた。


「致命傷じゃねえから、討伐ポイントにならないかもな」


 独り言を言いながら立ち上がり、地上に出るためにロープを掴もうと振り返る。


「……ええ!?」


 ロープに指先が触れる瞬間、イチの足元が崩れた。


「ち、ちょっと、まてまてまてまて」


 必死に前に足を動かすものの、動かせば動かすほど足場が崩れる。ロープに向かって伸ばしたては空を掴んで、イチは暗闇の中に落ちた。

 どぼん、という重い水音が他人事のようにイチの耳に響く。凍るような冷たさに思わず肺の中の空気を全て吐き出した。死ぬ物狂いで手足を動かして、どうにか水面に浮上して息をつき、岸に向かって不恰好に泳いだ。なんとか足が水底を掴み、四つん這いで岸に這い上がる。


「さささささ」


 あまりの寒さに歯の根が合わず、寒いとすら言えずに震えていると、バトルスーツから弱いモーター音が響き、あっという間にスーツが乾いて、体に熱が戻ってきた。


「あーあ、こりゃ死んだほうが楽だったかもな」


 イチは口を開いたまま遠い天井を見上げ、そのままぐるりとあたりを見回した。


「あああっ……痛てえなくそ!」


 ふくらはぎに刺さったフックを手探りで外して悪態をつく。返しがついていたので傷が広がり血が滴り落ちた。残っていたワイヤーで応急の止血をして先に繋がっていた赤目の手首を湖にぽちゃん、と投げ捨てる。痛むが歩けないことはなさそうだし、後遺症が残るほどでもなさそうだ。地上に戻るかここで安楽死を待ってリスポーンするか……再びあたりを確認するが遠くにぽっかり空いた穴から真下に差し込む光だけでは、周囲の様子がわからない。

 割と浅いところにカイの投げ入れた発光筒が光っているのを見つけて、濡れるのもかまわずに拾い上げ、歩きながら周囲を確認した。やはり地底湖のようだ。直径十四・五メートルだろうか。湖面にカイの遺体を見つけて、岸に引き上げる。その時、ポーンと耳の後ろで電子音が響いた。


――フォロー圏外です。記憶のバックアップを中断します。再度バックアップを開始する場合にはメモリーチップを一度取り出してから再挿入してください。フォロー圏外です。記憶の……


 首の後ろに手を回してスイッチを探し、イチは手動で音声を中断した。ふう、とを息を吐いて、再び地底湖の周りを歩き出す。湖を半周した頃、水面に漂う青いバトルスーツに目が止まった。


「……赤目」


 一瞬悩んだものの、イチはザブザブと湖に入って赤目を引き上げた。シュウウ、と音がしてイチと……赤目のスーツが乾きだす。


「え? お前、もしかして死んでない?」


 思わず声に出して、赤目を凝視する。死んでいるならスーツは機能しないはずだ。どうやらまだ生きているらしい。手首を切り落とされて水に浸かっていたのに……スーツが再び乾き、暖かさが戻ったのにイチは寒気を覚えてぶるっと震えた。時間が短かったからなのか、寒さで出血が抑えられたせいなのか。どちらにしても……


――化け物なんじゃねえか?


 声に出そうになるのをなんとか理性で押し留める。起きられたら面倒だから今のうちに殺ってしまおう。だが刀を無くしてしまっている。首を絞めるか? そこまで考えてイチは大きく首を振った。


「それじゃ、ただの人殺しだよな」


 イチは独り言を漏らす。バトル以外で無抵抗の人間を殺すのはルールというよりしてはいけないことだという気がした。動けないように縛ってさえおけばいい。縛る……イチは辺りを見回して拘束できるようなものを探す。


「あるわけねえか、あ、そうだ」


 ついまた独り言を漏らす。バトルスーツを脱がして縛りつけようとイチは考えた。袖から腕を抜いて、腕と体と一緒にして前面の金具をきつく留めてしまえば拘束具の代わりになるだろう。イチは自分のアイデアに得心しながら赤目のスーツの金具を外していく。あまりに白く、思ったよりもずっと細い首筋に少しの罪悪感がわく。そういえば手も薄く小さかった。

 そうか、この罪悪感を減らすためにマスクを被るのか、とイチは思った。よく考えなくてもマトモではないこの施設で長い時を過ごして感覚が麻痺してしまっていることは否めない。どうせ二度と出ることはないのだし出たいとも思わない……ふっと鼻で笑って四つめの留具を外したイチの手が止まった。


「え……」


 そのまましばらく思考も動きも停止する。目の前には小ぶりだが形のよいふくらみが二つ並んでいた。


「……女なのか」


 おろおろと、イチは留具を元に戻し始める。気配を感じて、ふと視線を上げると、赤い瞳がイチを見つめていた。


「これは、留めてるんだからな」


 外したのも自分なのだが、思わず言い訳がましい言葉が口をついた。


「大体、なんでスーツの下が真っ裸なんだよ」


 寒さと動揺でなかなか金具を留めることが出来ずにいると、すっと赤目の手が上がって、イチは慌てて後ずさる。


「止血してくれ」


 赤目はイチに切り落とされた右手をあげていた。体が温まったせいか血が噴出し始めている。


「え?」


 思ったよりもずっと幼い声に動揺しながらイチは周囲を見渡す。記憶のバックアップが取られていないここで倒してもポイントにはならないが助ける義理もない。


「襲わないと約束する。頼む助けてくれ」


 弱々しい声に、イチは諦めのため息をついた。これがばれたら「保護欲の塊だ」とまたサトに笑われるだろう。本当に俺は何をしてるんだ? と思いながら、イチは血が止まりかけている自分の足からワイヤーを解き、赤目の手首に巻きつけて止血した。


「出血で死んだほうが楽だと思うぜ? バトル終了までにここから出られるかどうかわからねえし、食い物もねえし、寒いし」


 間が持たず、イチはべらべらとしゃべる。バトル終了まで大門に戻れなくても安楽処理されるのだ。今死んでも変わらない。


「それでも……私は生きたい」


 赤目は細い声でつぶやく。へえ、イチは不思議な気持ちで相槌を打った。テセウスの中でその言葉を吐く違和感を赤目は感じないのだろうか。


「手間をかけた」


 赤目は吐く息とともに言うと目を閉じた。

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