最終章 8
何を言っているんだ? カイリはモニターのNIカイの顔を見つめる。カイリの目の前のモニターは、次々にNIのデータを消していることを示すゲージが映し出されている。97パーセント……95パーセント……ゆっくりと確実に減っていく数字はNIの終焉へのカウントダウンに他ならない。
それなのに、その横に開いたウィンドウには「俺の勝ちだ」と言った、満ち足りた顔のNIカイが映し出されている。何かをしくじったのか? 何を見誤ったのか……不安が胸から競りあがり震えるカイリに向かってNIカイは首を振った。
『ああ、心配しなくていいよ。君も勝ちだから』
そう言って、モニターの中のNIカイは苦しそうに笑った。カイリは、なぜか見覚えのあるような気がするその笑顔を黙って見つめる。
『僕は、僕を殺したかったんです。でも殺せないから、僕を殺してくれる君を作りました。これは全て僕が仕組んだことだったんです』
今までとは打って変わったカイの声色に、カイリの背中に捕まっていたマユがそろそろと顔を出した。気づいたNIカイがじっとマユを見つめる。
『ごめんね、マユミ。謝って済むことじゃないし、だから何だって思うかもだけど、その記憶は全部作り物だから。計画に巻き込みたくなかった。でも君に新しい世界を見せたくてテセウスに……違うな。ただ笑う君を見たかったのかもしれない。NIの君はもうずっと眠ったままだから』
「何、言ってんのよ」
申し訳なさそうに頭を下げるNIカイに、かすれた声でマユが聞き返す。カイリはそっとマユの手を握りながら「NIカイが全て仕組んでいたこと」と考えればすべてのつじつまが合ってしまうことに気がついた。自分に与えられている能力、ロボタンとの不自然な出会い。準備されていた脱出計画。
でも、それが本当なら、今までのすべてがNIカイの自殺のためだったのだとしたなら、そのためにダイチとマシロが犠牲になったというのか。
――そんなことは、許されない
カイリは理解していくのと同じスピードで沸き上がる怒りに拳を握りしめる。
『本当は少し、気がついていたでしょう』
柔らかく安心したような笑顔を崩さないNIカイがマユからカイリに視線を移動する。カイリの中に沸き上がった怒りが波が引くように消えた。たしかにおかしいと感じてはいた。でも、認めたくなかった。これは自分の心が選択していることだと思い込みたかった。
――僕は自分がループから逃げ出したくて
カイリの指先が細かく震えた。それではNIカイと同じだということになる。
『もうあんまり時間がないから手短にやることを話します。全削除が終わったら終了プログラムを起動して、タワーにいる仲間に予備電源を切らせてください。バックアップからの復元が始まる前に。予備電源を落としても終了プログラムは止まらず、タワーが全壊してNIは本当の終わりを迎えます』
NIカイの話に耳を傾ける自分に違和感を持ちながら、カイリはそれでも大きく首肯する。NIカイは納得したように微笑んだ。
『僕はこの数百年、死ぬことだけを考えて行動してきました』
「数百年?」
『いろいろ試したんです。それこそいろいろ。NIは記憶や思考は管理されないけど、行動は完璧に把握されてしまいますから。このタワーにはこんなになっても「まだ死にたくない」と思う人が数パーセントいて、いざ、消そうとすると気づかれて阻止されてしまうんです。今となっては、僕の邪魔をするのが生きがいなんじゃないかなって思うくらい。中から壊すのは無理だったんです。だから』
「テセウスを作って、記憶を奪った自分を入れた……人類の生体の保存という名目で……」
カイリは呟く。NIカイは気まずそうに笑った。
『テセウスの前にもいろんなものをいくつも。すべて失敗しました。NIを壊せ、なんて指示を入れなくても、世界のひずみに気が付くところまでは毎回うまくいくんです。でも真実を知ったところで、NIを破壊するとまではなかなか思ってくれないし、実際に壊せる段階でしり込みしてしまったり。我ながら意気地がない話で』
頭が理解しても心が理解をしなかった。そんなカイリにはお構いなしにNIカイの独白は続く。
『だから、今回のテセウスは、凶暴性・自棄性を増すようなシステムにしたんです。いざ、僕たちを壊すというときに躊躇をしないように。追いつめるために、古い実験体の少女も洗脳して入れました。まあ、これはうまく起動しなかったみたいですが』
「洗脳ってマシロさんのこと……」
『そうです。冷凍してあった彼女の幼体をアンドロイドに育てさせました。成長短縮が出来ない時代の胚だから手間がかかりましたが、別の意味で、その甲斐がありました』
「コロニーは? ロボタンは……」
NIカイは自分の仕事を自慢するような調子で話している。カイリは沸き上がった疑問を、その答えが知りたいのかどうかもわからぬままに絞り出した。
『コロニーは本当にありますよ。これからの人類復活というシナリオに必要です。D38……ロボタンは何も知らないんですよ。自分がなぜコロニーの人間を復活させたいのかも。僕が全部仕込んでおいたことですから』
「じゃあなんでよ! なんであたしに撃たせたのよ!」
それまで黙って聞いていたマユがモニターを涙のたまった目で睨み付ける。ロボタンはマユに銃を離すなと言った。最後にはマユに撃たれることがわかっていたかのように。カイリは床に横たえられたロボタンの頭のないボディを見つめる。
『ごめん。AIはNIを助ける行動を取るようにプログラムされてる。それをどうしても外せなかったんだ。NIを壊すためにはあそこでロボタンを壊さなくちゃいけなかったんだ』
「そんなのひどい、よ」
マユはカイリの手を離し、かくんと膝を折って座り込んだ。細く壊れそうな声で泣き始める。
『大丈夫。ロボタンの記憶はさっき侵入したときにバックアップを取っておいたよ。すぐに他のボディに入れられる。僕に代わってすべてを説明できるように記憶を足しておいたから。コロニーまでのナビに必要なんだ。人類の復活までが僕の計画だから』
「そんなの! そんなの、ロボタンじゃないよ!」
『感情があるように見えるかもしれないけど、あれは機械だよマユミ。僕のプログラム通りに話して行動していただけで』
マユの取り乱しぶりにNIカイは狼狽えた様子で俯いた。泣き崩れるマユの後ろで低いうめき声が聞こえてアサトが起き上がった。カイリが振り返ると、頭をふりながら立ち上がるところだった。
「なあ、俺もなのか? 俺のバトルスーツから安楽死薬が出なかったのもおまえの仕業なのか?」
『安楽……? ああ解毒のシステムを利用してたあれか。偶然のミスでしょう。あなたとダイチさんはイレギュラーです。仲間が出来ることは想定してたから、全てのファイターにいろいろなことが出来るように記憶に入れてありますけど。あなたは旧式のヘリだって飛ばせるでしょう? 四〇年を一人で生き抜くサバイバル知識もある。何度もの人生で積み上げた経験の記憶だと思ってるそれは、僕が入れておいたものです。とはいえ、今回の成功はほとんどあなた方のおかげなのは間違いない。本当に感謝しています』
カイリは何かが心に引っかかって、考え込む。隣でマユがすくっと立ち上がった。
「ふざけないでよ! 第一、あたしの笑顔を見たいって、危険だからって、あたしここで二回も死んでるんだよ? そんなのって」
「マユさん、黙って」
「マユ、しっ」
叫び続けるマユを制する、カイリとアサトの声が被った。NIカイの説明に聞き逃してはいけない言葉に二人同時に気が付いたのだ。
「解毒剤と言ったか?」
アサトはよろよろと足を踏み出してカイリの横に立つ。アサトと入れ替わるようにして、カイリはマユの隣に膝をつき、その肩を抱いて宥めた。
『ああ。バトルスーツは元々、毒の中を歩くために開発したスーツの再利用なんです。毒に触れたと判断したら解毒剤が打たれるように出来ています。そのシステムをテセウスでは安楽死薬の注入に使っていました』
「ダイチが着ていた……ロボタンが準備していたスーツに入ってるのはどっちだ?」
『ロボタンが持ち出したのはコロニーで作ったものだから解毒剤です。人類復興のために必要になるものですからね。解毒薬の開発と、古いスーツの定期的な破棄と再生産を命じていました』
カイリとアサトは顔を見合わせた。ダイチは助かるかもしれない。アサトの目が一瞬で生き返ったが、それを見たNIカイが眉を潜めた。
『とはいえ、ダイチさんのボディは諦めるべきです。もちろん、コロニーもテセウスも全く毒に侵されてないわけじゃないですから、毒素に強い遺伝子を持った者をファイターに選んではいます。それでも、障害が残る可能性が高い。新しく開発された解毒剤は人体実験もなされていないですし』
そこまで言うと、NIカイは諦めさせるような、安心させるような、ご褒美を与えるような不思議な笑顔を見せた。
『あなたたちのクローンは、破棄せずに残してあります。何といっても今回の功労者ですし、今後の復興にも尽力してもらいたいですから。記憶はドッペルゲンガーにならなかったダイチさんのものになりますが、さほど問題はないですよ。ああ、あの実験体の……マシロさん。彼女は少し難しいかもしれません。でも、コロニーに行けば何とかなる。胚が冷凍で残ってますから、それを育ててから記憶を移せばいい。時間はかかってしまいますが……』
離し続けるNIカイに背を向けるように、アサトがくるりと踵を返した。
「アサトさん?」
「ここは任せる。俺はモトを呼び戻してタワーに向かう。だから」
アサトは血が滲みそうな目で振り返り、NIカイを睨み付けた。
「あいつにダイチをリスポーンさせるな」
『僕の権限ではもうできません。あなたたちが出来るように条件を整えておいただけで』
NIカイが呆れた口調で言う。アサトは安心したようにカイリに向き直った。
「じゃあ、ダイチとマシロちゃんを迎えに行ってくる」
『終了プラグラムの実行まで恐らく間に合いません。行って、あなたまで毒に侵される必要はないのに』
「お前には言ってねえよ。カイリ、俺が行くまで、くれぐれもダイチとマシロちゃんに無茶をさせるな」
返事を聞かずに出ていくアサトの背中を見つめ、カイリはモニターに視線を戻した。NIカイのすべてを諦め、それでいて羨むようにアサトを見送る視線が、カイリの喉を詰まらせる。
画面の中のNIカイの顔が次第に満足の形をとって、カイリは彼にもう何も言うことが出来ないことを悟った。
――彼は充分に苦しみ、とっくの昔に壊れて、今やっと救われたのだ
マユがしゃくりあげる声だけが響く室内に、空虚が満ちる。NIカイを羨ましいと感じる自分にカイリは戸惑う。彼は何もかもから解放されるのだ。自分も今日起こったこと、知ったこと、これから起こること、全てを投げ出して眠ってしまいたいとカイリは思った。
『さあ、もう時間がないよ。予備電源を残しておけば、終了プログラムが作動する前にNIがバックアップから復活してしまうかもしれない。そうなれば、NIは終了プログラムをキャンセルして、タワーの復旧を指示してしまう。タワー復旧の停止を指示して予備電源を落とす以外に、君たちが確実に救われる道はない。今、何をすべきか……君が僕ならわかっているはずです』
NIカイの言っていることは痛いほどわかる。でも助かる見込みのあるダイチに予備電源に向かえと、どうして言えるだろうか。カイリは冷たくなった指先を動かすことが出来なかった。
『仕方ない。リスポーンさせた方が彼の為だと思うけど、ダイチさんを助ける手段を準備します。ただし』
NIカイは探るようにカイリの目の中を覗き込む。
『それは予備電源を落とさなくては起動しないことにします』
ぼうっとしている場合ではない。何か、ダイチとマシロの為に、出来ることは、と考えるが、頭に霞がかかったようだった。
『救出の準備はできました。ああ、もう、さようならです……本当にありがとう。君の選択を信じて眠るよ。もう、疲れた』
NIカイが囁いて、カイリは我に返ってゲージを見つめる。3%……2%……1% 穏やかなNIカイの顔がモニターから消えた。どうしようもない気持ちを抱えたまま、カイリは通信の手続きを始める。
「マシロさんに連絡します。予備電源を落とさないと、いや、逃げるように伝え……」
どうすればいいのかわからぬまま、カイリは時計を見つめる。今から向かうアサトより、NIカイが「準備する」と言った手段の方が助かる見込みが高い気がする。ならば予備電源の破壊に向かわせるべきだ。
――そう思い込みたいだけかもしれない
カイリは震える指で通話をタップした。