最終章 6
すっかり扱い慣れたウィングスーツを使って、カイリたちは飛んでいる飛行機からテセウスへと降り立った。モトは操縦に必要なAIを備えており、エリーは着用できるスーツがないため、機体に残っている。
テセウスのバトルでは使うことが禁止されていたような武器を、エリーがどこからかかき集めており、各々に扱い使いやすそうな武器を装備していた。とはいえ、NIからの指示がない以上、ファイターたちの妨害はない、とカイリは踏んでいる。
「やはり、NIの邪魔がなければこんなものですね」
テセウスを脱出した……いや、させられた時にロボタンが壊した入口は塞がれていた。それでも、テセウスの抜け道を知りつくしたロボタンの案内で、簡単に建物内へと侵入する。更に、カイリとロボタンが次々とロックのかかった扉を開き、あっという間に最深部のメインコンピューターの置かれた部屋へ辿り着いた。
「さっむいな。念のため外を見張っておくわ。いや、寒いから逃げるんじゃないからな?」
そう言うと、アサトが笑って部屋を後にした。見張るためなのか寒さから逃げるためなのか本当にわからないところがアサトらしい。少しの時間でしっかりと気持ちを立て直したアサトの背中に、カイリはそっと頭を下げる。
「あたしも。ここに居ても役に立たないから見張りに行こうかな。っていうか、寒いし」
「いいえ」
出ていこうとするマユをロボタンが引き止める。
「マユさんの安全が確認されていないと、カイリさんの精度が落ちます。室温はいくらか調整できると思いますのでここに居てください」
「そんなことは……いや、マユさん、そうしてくれますか? お願いします」
配線を繋げながら、事務的に恥ずかしいことを言うロボタンに赤くなりながらも、確かにそのとおりなので、カイリはマユに頭を下げる。
「はあ? まあ、いいけど」
仕方がない、というようにマユがカイリの隣に立つ。ロボタンは操作リングをカイリに手渡しながら、自分の配線をコンピューターに接続した。カイリはそれを見届けて、深く息を吸い込む。
「いよいよですね」
「はい、あ、マユさん、武器は絶対に手放さないよう」
「わかった」
マユは機内でエリーから受け取った小型の電磁銃を振って見せる。
「ああ、気を付けて、気を付けてください」
ロボタンが慌てて制した。マユは舌をちょろっと出して、手を下ろす。二人のやり取りに苦笑して、カイリはロボタンに向き直った。
「ロボタン。やりましょう」
「はい」
ロボタンの目が黄色く光る。カイリは画面を睨み付けて、最初のコマンドを入力した。しばらく無言で画面を睨み付ける。
「やりました、よね」
「はい。これで、しばらくの間は、向こうから遮断されずにアクセスできます」
カイリは、はあ、と白い息を吐いて目をぎゅう、と閉じる。
「カイリ、目薬使う?」
「カイリさん!」
呑気に聞こえるマユの声に笑い返そうと顔を戻したとき、ロボタンの鋭い声が飛んだ。マユの方に動かしかけてた顔をモニターに向ける。
19:02 スーツナンバー12648 発信あり
19:48 スーツナンバー12648 頸部より薬液を注入
「……薬液って、安楽死薬ですよね」
カイリは呆然と画面を見つめ、首だけを動かしてロボタンを見つめる。ロボタンは「おそらく」とうなずいた。表示されているのはロボタンがどこからか用意したバトルスーツの、ダイチが着用したナンバーに間違いない。
「バイタルの……チェックは」
「出来ません。あれはメモリーチップが入っているから出来るのです。それ以外はスーツが何を起動したか、しかわからないでしょう」
ロボタンは意図的にそうしているように淡々と告げる。それが「初めからわかっていたことだろう」という枷になり、カイリはパニックを起こせない。ロボタンに負けないくらい冷静に画面を見つめる。
「ダイチさんは、じゃあ」
続きの言葉が出てこなかった。隣から、ふらっとマユのいなくなる気配がする。アサトに報告に行ったのだろう。平気だ、と思っている心とは裏腹にがくがくと足が震えて、カイリはその場に膝をつく。床を見つめて、心に何かがこみ上げるのを待った。
「カイリ、起立」
背後から大きな声がして、カイリは驚いて振り向く。アサトが繕ったような笑顔を向けて立っていた。
「それはつまり、ダイチが苦しまないで逝ったってことだろ? NIタワーには、まだマシロが居るじゃない。作業続行」
アサトはびし、とモニターを指さした。それでも動けずにいるカイリに向かって、アサトは足を揃えて深く頭を下げる。
「その作業は俺には出来ない。あいつが命を捨ててまでしたかったことが、正しいか正しくないか、俺には考えてもわからねえし、それが命を懸ける価値があることなのかって今でも思ってる。でも、あいつが最後に願ったんだ。叶えてやりたい。頼む。頼むから作業を続けてくれ」
「アサト」
アサトはとうとう膝を折り、床に手をついた。マユが慌てて一緒にしゃがむ。
「アサトさん」
座り込んでいたカイリは膝立ちのまま、這うようにして少しアサトに近づき、アサトの近くの床にポツリと落ちた水滴をみつけて止まる。
「はい。必ず」
カイリは足をバンバンと拳で叩いて立ち上がり、モニターに向き直った。画面はマシロのバトルスーツへの発信の準備が出来ていることを表示していた。
「ありがとうございます」
黙って準備を進めていてくれたロボタンに顔を向けずに礼を言うと、迷わず発信する。すぐにマシロから応答があった。
「マシロさん?」
『カイリか』
何か言わなくては、そう思うのに言葉は喉につかえて出て行かなかった。
「マシロちゃーん、俺もいるよー」
いつの間に移動したのか、隣でアサトが明るく言った。カイリに向かって、頷いてモニターを顎で指す。
「カイリは操作で忙しいから、説明を俺からするよ」
『わかった』
「の、前にダイチはどうした?」
『疲れたらしくて起きないんだ。ずっと寝てるから、ずっと担いで歩いている。さすがに重いぞ』
カイリは思わず、うっと声を上げて口と心臓の位置を手で掴む。バタバタとマユが部屋の隅に移動して、両手で口を抑えて座り込んだ。
「マシロちゃん……」
アサトですら言葉が出ないらしい。痛いような沈黙が流れた。
『NIタワーの予備電源に向かえばいいんだよな? ダイチに聞いて場所は大体の場所はわかっているが、もっと細かい指示が欲しい』
「バトルスーツに地図を送ります。見方はわかりますか?」
カイリは消えそうな声でやっと返答する。
『おお、見れた。ここに行けばいいんだな? 指示があるまでは壊さない、で間違いないな』
「はい」
『着いたらまた連絡する』
マシロは一方的に言って通信を切った。アサトは呆然と「切断しました」と文字の浮かぶモニターを見つめている。
「マシロちゃん、ごめん。なんで、俺はそこに居ないんだろうな」
アサトの握っている拳が真っ白になっているのを見て、カイリは、パン、と自分の頬を叩いた。
――泣いてる場合じゃない
ロボタンに始めるよ、と目で合図する。いよいよシステムに介入し、全てのデータを削除するのだ。相手はNI、勝てるわけもない相手かもしれない。それでも、負けるわけにはいかなかった。
◆
マシロはがむしゃらに足を前に進めていた。
通路に入ってからは、人の歩けるような通路や階段があったのが幸いだった。ダイチを背負ったままいくつのも階段を下り、予備電源のある最下層を目指す。
通路で対峙したロボットにこの通路は狭すぎる。恐らく入ってこれないだろう。そして、今になっても新手の追手が来ないのは、追う気がないのか、追えないのかのどちらかだ。
それがあのロボット程度なら、何体来られてもマシロの敵ではない。背中のザックにはまだまだ食料が入っている。バトルスーツの体温調節はすこぶる快調で、廊下の所々が凍っているにも関わらず寒さは感じないし、どこにも怪我をしていない。カイリとも連絡がついて、アサトの声も聞いた。
――だけど、さっきからダイチが動かない。
カイリとの通信の少し前、ダイチが「ありがとう……マシロ、愛してる」という、マシロには理解しにくい一言を発してからだいぶ経っていた。体の大きなダイチは当然のように重い。自分で掴まっていてくれないから、落とさないよう支えている腕も痺れ始めていた。マシロは苦しくなって、はっと短い息を吐いた。
「よし、そろそろ休んで何か食べるべきだな」
独り言を言って立ち止まり、壁際に慎重にダイチを下ろした。ダイチはう目を閉じたまま、何も言わない。
「ダイチも食べた方がいいぞ」
返事を待たずにザックから簡易食を取り出して水を入れ、携帯ポッドで温める。しばらく経つと、リゾットのいい香りが漂ってきた。
「ほら、食べられるときに食べて置け」
マシロはパックにスプーンを突っ込んでダイチに差し出す。だが、ダイチは腕をだらりと垂らしたままだった。
「そんなに疲れたのか。仕方がないな」
マシロはパックを持ち上げ、中身を大きく一匙すくってダイチの口の前に差し出した。それでも動かないダイチの口を無理やりスプーンでこじ開ける。
「食べろ、ダイチ。食べないと元気が出ない」
口元に集中していて、ダイチがゆっくり傾いていたことにマシロは気が付かなかった。
「おい!」
ゆっくりと横倒しに倒れるダイチの頭をかろうじて支えることに間に合った。そのままそっと寝かせてから、マシロはぶるっと肩を震わせた。
「なんだか寒いな。ダイチは寝るのか。じゃあ、これはわたしが食べてしまうぞ」
大きく口を開いて、ダイチの口に入れようとしていた一匙を自分の口の前に持っていく。そのまま、マシロは停止した。一度口を閉じて、もう一度口を開く。それでも手は動かなかった。
「ダイチ、どうしよう。食べられない」
マシロの手が震えて、スプーンが落ちた。床にリゾットが散らばる。
「なあ、ダイチ、おかしい。食べられないんだ」
マシロはダイチの肩をゆする。ダイチは人形のようにグラグラと揺れた。マシロは動きを止めて、じっとダイチを見つめる。じわりと涙が浮かんで視界が滲んだ。
「う」
急にこみ上げた生まれて初めての吐き気に、マシロは両手で口を押えた。よろよろとダイチから離れ、こみ上げる吐き気に激しく体を震わせる。
荒い息をつきながら、無理に水を飲み込むとすぐに盛大に吐いた。脂汗を流して、はあはあと肩で息をする。そっと振り返ってダイチを見ると、倒れた時と同じ格好のままだった。
「起きてくれ、ダイチ。私は何かおかしい。あの、あの時のアサトみたいに。ダイチ、目を、開けろと言っている」
ぐらぐらと強くゆすっても、ダイチは目を開けなかった。マシロは倒れたダイチに添うように横になり、胸に縋りついた。
「苦しい。どうすればいい? 教えてくれ」
絞り出すように言うと、何かが壊れたように大粒の涙がぽろぽろとこぼれた。
「ダイチ」
目の前にある薄く目を開いたままのダイチの顔は薄暗闇でもわかる程に青白かった。
「ダイチ。助けてくれ」
マシロは肩を震わせ、声を出して泣いた。泣いているうちに全てが終わってしまうのかもしれない、と思うくらいに泣いた。その間もダイチは指一本動かしてはくれなかった。
それでも、長い時間がたつと、自然に涙は止まった。マシロは不思議な気持ちで暗い通路の天井を見上げる。瞼が重かった。このまま眠ってしまいたい。ゆっくりダイチの顔に視線を移して、額を頬に寄せた。そのまま目を瞑る。
――こんな風に眠ったことがあった。いつ?
マシロは霞のような記憶に心を漂わせる。気が付いたらテセウスにいた。生きろ、殺せ、と頭の中の誰かが言っていた。誰も何も教えてくれなかったから、ひたすらその声に従った。
――でも、ダイチは違った。一緒に食べて、一緒に寝て、私に寂しいを教えてくれた。殺すだけだった私の家族になってくれた
そうだ、自分は殺すために作られたのだ。殺すために作られたから、ダイチを助けることも、その夢をかなえることもできない。そう思ってマシロはずず、と鼻を啜った。泣くのは疲れるからもうやめようと思った。ダイチの頬に触れている額がじんわり温かくなっていく。ぬくもりに安心して眠りに落ちそうになった。
――温かい?
マシロはぱっちりと目を開けた。ダイチの頬に冷えた自分の頬を当ててみる。真っ白な頬は、それでもほんのり温かい。
――生きてる
生きているとすれば、そのうちに目覚めるだろう。そして自分の顔を見て「泣いたのか?」とバカにして笑うだろう。マシロは慌ててゴシゴシと顔を擦った。
「でも、別に恥ずかしいことではないのかもしれないな。前にも一度泣いているし」
小さく声に出して、がばっとマシロは起き上がる。
――私はダイチと約束したじゃないか
ダイチの目的のために自分の命を使え、と、願いを必ず叶える、と約束したのだ。それを守れないことの方が、ずっと恥ずかしいことではないか。マシロはすっかり冷え切ったリゾットの袋を拾い上げる。
「いただきます」
落ちたスプーンを拾って、袋に差し込もうとして、マシロはダイチをちらりと伺う。おい、汚いだろ、と言った気がした。ダイチは時々うるさすぎるのだ。はあ、と溜め息をついてマシロは新しいスプーンを取り出した。凍り始め、しゃりしゃりを音を立てる料理をあっという間に胃に詰め込む。冷たさに少し震え、お湯を沸かして飲んだ。
てきぱきと道具をザックに詰め直して背負い、再び動かないダイチを担ぎあげる。
「重いなあ。でも遠慮するな。地底湖のお礼と約束だ」
マシロはしっかりと前を見つめて、再び歩き出した。