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テセウスのゆりかご  作者: タカノケイ
一章 ドッペルゲンガー
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ドッペルゲンガー 4

 白い白い世界。相変わらず暴力的なまでに白い部屋でイチは目を覚ました。見慣れた天井は愛想もなくイチを迎える。ああ、またこれかと知らずため息が零れそうになって、口元を引き締めた。


「……二十年ぶりか」


 自分の手を見つめながらぽつりと呟く。皺も染みもない、若く美しい指だった。数か月前に付けられた切り傷も消えている。


「おはようございます。マスター」


 イチの声に気づいたロコが椅子から立ち上がって、心配そうにイチを覗き込む。以前のロコならイチが起きる少し前に気がついたものだった。同じAIなのに何が違うのだろう、とイチはぼんやり思いながら起き上がり、ベッドに腰掛けた。


「おはよう、ロコ」


 ロコに手渡されたシャツを身に着けながらイチは立ち上がった。驚くほど体が軽い。そして体の線が細い。ロコはちゃんと体型にあった服を用意してくれていたが、ベルトを締める感覚が違う。これからまた分厚い筋肉を付けるためにトレーニングしなくてはいけないが、それはイチにとって苦痛ではない。若い体はあっという間に鍛え上げられるだろう。


「若いって素晴らしいな」

「若いマスターも、前のマスターも素敵です」


 真剣な表情で告げるロコに気取ったお辞儀をしてみせて、イチはリスポーン室を出た。廊下を進んで治療室に入る。ベッドに寝ているファイターから送られる、赤目を倒したんだってな、という賛辞と羨望に答えながらまっすぐ休憩室に向かった。思っていた以上の反応に、悪い気はしない。


「さあて、サトに笑われるか」

「サト様の気持ちはご存知のはずです」


 顔を覗きこんで可愛く睨んでくるロコに向かって、イチは肩をすくめる。サトは俺にリスポーンさせたことを悔やみつつも、本気で面白がる男だということを知っている。


「マスターに深く感謝しておられます」

「そういうのはね、口に出さないのがかっこいいんだよロコ」


 ロコに微笑みかけながら、扉を開けて休憩室に入った途端、サト・カイ・マユを先頭に、赤サイドのファイターほぼ全員がいるのではないかと思うような大観衆がイチを拍手で出迎えた。白い布に「祝・赤目討伐」とでかでかと書かれており、その下にへたくそな字で――六回目リスポーンおめでとう――とある。恐らくサトが後から書き加えた字だろう。


「わあ、イチ若い! かわいいー」


 マユがイチに気がついて飛びついてきた。体重がいくらか軽くなっているイチは、力加減を間違えてたたらを踏んで抱きとめる。酒臭い、と顔を背けると心なしか表情が険しいロコと目が合った。


「昨日からお祭り騒ぎなんですよ!」


 カイがイチがいない間の状況を伝えようと、歓声に負けないような大声を出して叫ぶ。大人しいカイ珍しい、と見ると、真っ赤な顔ですっかり出来上がっている様子だった。

 休憩室は惨憺たる有様で、掃除用アンドロイドがせわしなく動いている横で、ひっきりなしに何かが壊れる音が響いている。どうやら一月戦が終わってから、本当に一晩中飲み明かしていたようだ。その喧騒と漂う酒の匂いに、イチも徐々に飲まれていく。赤目を出し抜いた瞬間が思い出された。そうだ、俺たちで、あの赤目をやったんだ、伝説を倒したのだ、という興奮が沸き起こった。


「うおおおおおおおお!」


 イチは声の限りに吼える。それに呼応して、数百人のファイターも声を上げた。会場の全員がトランス状態に陥ったように何度も吼える。サトに頭から酒を浴びせられ、イチはその酒瓶を奪い取って喉を鳴らして飲んだ。こんなにうまい酒は久しぶりだと思った。もう、大丈夫だ、と酔いの回った頭で思う。


「いよおう、イチ。でえもなあ、倒したのは俺。俺のカウントだからー。あっはっは。そして、お前は、六回目ー」


 サトはろれつの回らない口調で言ってゲラゲラと笑ったかと思うと、白目を剥いて崩れ落ちた。それを見たマユが、サトを指さして腹をかかけて笑う。

 混乱の中、サトのアンドロイド、ソニアが諦めたような顔でずるずると引きずっていった。きっと、がっちりアルコール処理をされるだろう。笑って見送ったイチも溺れるほど飲んで、何度もロコにアルコール処理をされ、されてはまた飲み、その日は何の夢も見ない幸せな眠りについた。




「おはよー……」


 眠たそうな目をしたマユが入ってきてイチのチームの全員の首が揃った。訓練施設の片隅に設けられた作戦ルームである。

 バトルドームには宿舎に併設されて広大な面積の訓練施設が設けられていて、トレーニング室はもちろん、プールや実地訓練のための野外訓練場まで設けられていた。テセウス入りした当初はイチも驚いたが、よく考えれば「貨幣」「経済」という概念はとっくの昔に消失している。生産・管理・労働に関わる全てをアンドロイドがこなしているのだ。アンドロイドを修理するのもアンドロイドである。労働に対価はないから、どんな立派な建物でも人の手をなんら煩わせずにいくらでも建てられた。

 もちろん、個人が好き勝手に建築することは許されていないし、人口の急激な減少に加え、資源の再利用の徹底とエネルギーの効率化によって地球環境は好ましい状態に保たれている。


「あー、頭いてえ……」


 サトが首を回しながらぼやいた。三日三晩続いた酒盛りの翌日である。アルコール処理でも、騒ぎ過ぎた疲れは取れていない。もう帰っていい? と聞くと、サトはテーブルに突っ伏して動かなくなった。


「我慢しろ。で、二月期のバトルなんだけど、何か意見ある?」


 イチが切り出すと、カイがおずおずと手をあげた。だが、マユは大きなバニティケースをどんとテーブルの上に乗せて化粧を始めるし、サトは目を閉じて、今にも眠りそうだ。イチはため息をついて、俺が聞くからかまわず話せ、という視線をカイに送った。


「あの……罠を仕掛けておくっていうのは卑怯なことですか?」

「罠?」


 イチが聞き返し、サトは薄目を開いた。マスカラを持ったマユの手も止まっている。皆に注目されたことで、色白なカイの頬が赤く染まった。途端に俯いて、膝の上で自分の指を弄び始める。


「あ、あの落とし穴とか……その……」

「ばっかじゃないの」

「マーユ。カイ続けて」


 うんざりした声で貶すマユを叱咤して、イチはカイに続きを促した。マユはぷくっと頬を膨らませてカイを睨む。それを見たカイはしどろもどろになって話を続けた。


「あ、あの、あんな大きなフィールドで、えと、草地とか森とか岩場とか、いろんな地形がありますよね? だから、平原でやりあうだけじゃなく、なんというか、もっといろんな戦い方があるんじゃないかと思って……じつは森で見たことがあって、あの……」

「何を?」


 サトは興味を持ったように体をおこして相槌を打つ。ダイチも何を言い出すのか、と身を乗り出した。


「罠……だと思うんですけど森の中を追いかけられて逃げていたときに、草で編んだようなロープが張ってあって、僕は気がついて避けたんですけど、僕を追ってた人がひっかかって、あっという間に木の上に吊り上げられて……」

「そいつ、引っ掛けようとして自分が掛かったの? ウケル」


 マユはきゃはは、と声を立てて笑った。罠でファイターを、というのは面白くはあるがいかにも効率が悪い。そんな待ち受けるだけのような罠では、二十四時間罠の近くで座っているだけで終わってしまうだろう。もしかしたら、そういった森の中にはバトルを恐れるような人々が隠れていたりするのだろうか、とふと思ったが、そんな人間を狩るのはいくら点数になっても良い気持ちがしないだろう。


「いや、仕掛けたのは別の人だと思うんだけど……僕、そのまま逃げちゃったから」


 カイは恥ずかしそうに目を伏せる。別の人だと何故思ったのか、と質問しようとするダイチより先にマユが大きな刷毛をカイに向かって振った。


「え、え、え? チャンスなのに殺さなかったの。まじほんと、女々しいのは見た目だけに……」

「マユ、ちょっと黙って。カイ、どんな罠だったかもう少し詳しく思い出せる?」


 サトがマユを制して質問するが、カイはうな垂れて、細く柔らかそうな髪に顔を隠してしまった。指先でくるくると髪をいじり始める。本当うっとおしいな、その髪切れば? とマユが毒づいた。イチは苦笑いでカイの頭に手を置いた。


「イチはいっつもそうやって甘やかすんだから! 男のクセにキモイ!」


 マユはイチがカイの肩を持ったことで一気に機嫌が悪くなった。どうやらマユは、カイの美しい金髪や白い肌、そして青い目が羨ましくて仕方がないらしく、すぐにカイにケンカを売る。

 数十年前……いや、それ以上かもしれないが先天的な病のほとんどが遺伝子レベルで克服された。だが、美を目的としての遺伝子操作は今でも禁止されている。もちろん、いつの世にも闇は存在するもので、それらが「出来る」ことは周知の事実であるのだが。マユは闇でその禁忌を犯して少しおかしくなったという噂があった。情緒が安定していない、というのだ。


「カイ、続けて?」

「はい。罠のことをいろいろ調べてみました」


 再びイチに促されてカイはやっと顔を上げる。机の上のラップトップに手をかざし、数枚の写真が空中に浮かびあがらせた。


「古い資料ばかりで立体画像がなかったんですが」


 それは本来、動物を捕まえるための罠だった、から始まりひととおり、原始的な罠の説明をする。聞き終えると、イチはうーん、と椅子の背もたれに寄りかかった。面白いとは思うが実戦で使えるのだろうか。


「そんなのかっこわるーい。あたしははんたーい」


 マユはにべもなくはき捨てた。もう罠の話に興味をなくしたようで、目を倍の大きさにするのに余念がない。すっぴんを見せてしまっているのに意味はあるのだろうかと思いながら、イチは黙ってマユからサトへと尋ねるように視線をうつした。


「俺は面白そうだと思うよ。正直、最近飽きてたんだよね。戦略の幅が広がるのは大歓迎。それに、罠が実際あったってことは、これからは俺らも気をつけなきゃならなくなる。知ってた方がいいよね。でもカイ、何で今まで黙ってたん?」


 サトの視線を受けて、カイは「卑怯かなと思って……」と呟いたきり再び俯く。自分に自信がないのもここまで来ると生きづらいだろう、と思う。励ましたり褒めたりを繰り返しても、カイは一向に変わらない。だが、その頼りない優しさをイチは好ましく思う。サトも同じ気持ちなのか、安心させるように微笑んでカイに向かい合う。


「そんなことないよ。で、実行してみるとして、罠をどのタイプにするかと、ターゲットを誰にするかだな。切り込んでくる連中の中で引っ掛けやすそうなやつって誰だろうな?」

「あの……」


 何かを言いかけて、サトのまっすぐな視線が重いかのようにカイは押し黙った。


「そりゃあ、ターゲットは赤目だよなー、カイ」


 沈黙を破り、イチはにやりと笑った。だからこそこのタイミングでの告白なのだ。あの賞賛、あの高揚感。あれは赤目を倒したい、と思わせるのに十分だった。


「赤目!? そんなら、あたしも手伝うよー!」


 マユが片方だけ大きくなった目を見開いて、身を乗り出した。カイは驚いて顔を上げて、嬉しそうにしっかりと頷いた。


「全員一致で決まりだな。二月期のバトルまでみっちり準備しよう。俺たちの二月期のターゲットは赤目だ。罠にかけて倒す。他の連中に出し抜かれないように、いいな!」


 おう! うん! はい! と、イチの差し出した手に、三つの手が重なった。

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