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テセウスのゆりかご  作者: タカノケイ
最終章 1
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最終章 3

 恐らく、回線を切らせまいと準備していた言葉だったのだろうと思う。だが、ダイチはカイリの真意を図りかねて困惑する。


「それは……どういうことだ?」

『どこかに必ず非常回線があると思って……見つけました。NIタワーからテセウスのクローン室に繋がっているんです』


 だから何なのか、ダイチにはわからない。沈黙しているとカイリが言葉を繋いだ。


『……テセウスは最新のコンピューターがあります。そして、それはNIのメインコンピューターと非常回線で繋がっている。つまり、テセウスのコンピューターからNIのメインコンピューターに侵入できるかもしれないんです。いや、必ずやります。今なら抵抗も弱いでしょうから、僕は必ずNIのデータを壊します』

「そうか。頼む」


 ダイチは満足してそう言った。カイリは嘘をついていると思った。鼻にかかった涙声も痛々しく、死にゆく自分に一時の夢を見させるために必死で嘘をついているのだろう。メインコンピューターに侵入し壊す、ということが容易いことではないことくらい疎いダイチにもわかる。それでも、その気持ちが嬉しかった。


『……ダイチさん。僕はこれからひどいことを言います』


 だから、カイリは急に低い声で言った時にも、その声に含まれる罪悪感には気が付かなかった。


「なんだ?」

『NIのデータを壊した後に、NIタワーの電源を完全に落とす必要があります。バックアップから復活する可能性をゼロにするためにです。予備電源は遠隔で操作できない設定になっているんです。つまり、そこにいるダイチさんにしか落とせない』

「カイリ、待ってくれ」


 ダイチは混乱して話を止める。カイリが語っているのは夢物語ではないのだろうか。現実なのだろうか。本当にNIを終わらせることが出来るのだろうか。


『時間がありません。もしやるなら、何故かとか、本当かとか説明する時間が惜しい。僕はすぐにテセウスに引き返します。信じてください、としか……』

「……わかった。続けろ」


 ダイチは頷いて、カイリが早口で告げる予備電源のシステム室の場所と、キーワードを頭に叩き込んだ。


『予備電源を落とせば、当然真っ暗になります。非常灯すらもつきません。そして……おそらくそこは高温になります』


 カイリが深く息を吸い込んだ。


『行けば……間違いなく……ダイチさんは助かりません』


 感情を押し殺した声でカイリは言った。だが、その言葉をカイリがどんな思いで言っているのかがダイチにはわかった。


『もう一つの道があります。そこから五十キロメートルほどの施設に、最新型のアンドロイドが居る事がわかりました。今、シズさんが交信を試みています。どのくらいかかるかはまだ分かりませんが、それが現在最速の救助の可能性です。一旦戻って、仕切りなおすことも可能です』


 カイリの示した二本の道。そのどちらを選ぶか、はダイチの中で明白なことだった。


「カイリ、これはそもそも俺が勝手にやったことだ。そして、行っても行かなくても俺は毒で助からない。それはお前のせいじゃない、わかるな? 俺は地下に向かう。救助はマシロだけに向かわせてくれ。いいな?」


 カイリが息をのむ音がだけが聞こえた。


「カイリ、返事は?」

『……はい』

「嫌な役回りをさせてすまない。ありがとう、カイリが居てくれてよかった」


 お前のおかげで、俺は無駄死にしなくてすむかもしれない。皆に自由を与えられるかもしれない。ダイチは心から感謝した。通信機の向こうでカイリが鼻を啜り、堪えきれないように嗚咽を漏らした。


「泣かないでくれよ。じゃあ今から地下に潜り込むルートを探る」


 しゃくりあげ、声にならないカイリにダイチの胸も詰まった。なんという思いをさせてしまっているのだろうか、という自責の念に締め付けられる。だが、時は一刻を争うと思った。


「カイリ、お前は何も悪くない。ありがとう。……じゃあ、またあとでな」


 通信を切ってしばらく佇み、大きく息を吐いてから吸い込む。でも、これで望みは繋がったのだ。


「よし」


 円柱の出入り口に向かおうとしたダイチの肩が何者かに捕まれた。条件反射で振り返りざまに肘を当てようとすると、どうなったのか分からないまま地面に転がされた。


「……ダイチ、何をしている」


 睡眠剤が入らなかったのか? ダイチは自分を上から睨みつけるマシロを呆然と見た。その顔には今まで見たことのない怒りで彩られていた。

 不機嫌そうな顔を見たことはあったが、なるほどマシロは今まで怒ったことがなかったらしい、とまで考えてダイチはハッとして身を起こす。


「お前! マスクはどうしたんだよ!」

「邪魔だったから捨てた」

「毒があると知ってるだろう! 取ってこい!」


 怒鳴った瞬間、ダイチはマシロに襟首を掴まれ、あっという間に立ち上がらされた。マシロが胸元を掴んだ手を引き寄せて離さないので、背の高いダイチは前屈みになる。


「私は犬じゃない。それに先に質問したのは私だ。ダイチ、何をしている」

「俺はこれからNIを壊しにいく。いいか、お前は逃げろ。マスクをつけて、ここからなるべく離れて。カイリが、迎えを寄越してくれるから」


 息苦しくて切れ切れに答えながら、ダイチは力が抜けるのが分かった。マシロがいくら頑丈でも、ロボタンの言っていた「毒に強い人間を作り出す技術」の末に作られた新人類だとしても、防毒マスクなしでは助かる見込みは薄い。

 一人で何とかしようと思って、状況を悪くした上にマシロまで巻き込んでしまった。ちりちりとした焦燥感が肌を焼いた。


「お前はそれで帰るんだ。マスクを拾ってそこで待て」

「ダイチも一緒なら帰る」


 俺は帰っても死ぬだけだ、と叫びだしたい気持ちをダイチはぐっと堪えた。マシロの腕を振り払おうとダイチは力を込めるが、ぴくりとも動くことが出来なかった。仕方なく、マシロの目を覗き込む。


「だめだ。俺はNIを壊すまで帰らない」

「じゃあ、私も帰らない」


 マシロは挑むようにダイチをにらんだ。ダイチも負けずに睨み返す。


「帰れと言ってる!」

「約束が違う!」


 ダイチを突き飛ばしたマシロの目には、涙の粒が盛り上がっていた。


「死なないと言った! お前もカイリもロコも、死なないと言った!」


 マシロの白い肌は怒りで上気して真っ赤だった。


「わかってたんだ。リスポーンしたアサトはアサトじゃなかった。私は間違えた。ダイチはリスポーンさせない」


 マシロの真っ赤な頬を涙の粒が伝って落ちた。


「でも、そうしたら私は一人になる」


 堰を切ったように、マシロの頬を涙がこぼれ落ちる。ダイチはマシロに歩み寄り、その両肩に手を置いた。細い、と今更ながらに思う。


「マシロ、聞いてくれ。帰ればアサトやカイリやマユがいる。ロボタンも。一人じゃないだろう? 頼むから、生きてくれ」


 みるみる萎れていくマシロを見ながら、お前だけは死なせたくないという言葉の傲慢さに気づいた。残される者の痛みを知っていたからこそ、自分はこの行動に出たのではないかと気づく。

 謝罪の言葉さえも軽すぎて口に出すことができない。黙り込むダイチの前で、マシロはしっかりと顔を上げて背筋を伸ばした。


「嫌だ。わたしは最後までダイチと一緒に行く。一番、大事な人だからだ。一番、一緒に居たい人だからだ」

「だめだ。俺は死ぬんだよマシロ。一緒に来ればお前も」


 マシロの真っ赤な瞳がまっすぐにダイチを捉えていた。その力に気圧されてダイチは次の言葉を紡ぐことが出来なかった。まつげを涙で濡らしたまま、マシロは微笑んだ。


「ダイチはどうしてもNIを壊したいのだろう? 私の命の一つくらいくれてやる。そしてそれは私が決めることだ。ダイチが一人でやろうと勝手に決めたように」


 死にたくないと言った。あの日、腕を切られて血を失い、寒さに凍えながら、マシロはそれでも生きたいと言ったのだ。頼むから助けてくれと言ったのに。


「私は絶対についていく。ダイチの足では私を振り切れないし、万が一振り切れても、私はダイチを諦めない。これ以上の話は無駄だ」


――全て失うのだ


 ダイチは頭を力いっぱい殴られたような衝撃を受けた。自分の命を、愛する人の命を。共に生きるはずだった時間、未来、その全てを失ってしまうのだ。

 今まで何を見て、何を考えてきたのか。何をわかったと思い込んでいたのか。やり直しのきく人生の記憶が、自分をここまで愚かにしていたのだろうか。


「ダイチ、わかったのなら早く何か言え。時間が惜しくないのか」


 マシロは初めて会った時と変わらぬ凛とした目でダイチを見つめている。「それは戦わない理由になるのか」そう言い放ったのと同じ目で、自分の命を使えと言っている。


――避けられない喪失ならば、せめて最後まで


「……すまない。マシロ……ごめん、マシロ。ごめん」


 情けないことに温かいものが頬を伝った。マシロは満足げに微笑み、ダイチに近づいた。ダイチは何度も何度も謝り続けた。


「もういい。許してやる」


 マシロがそっとダイチの胸におでこをつける。マシロの自分に対する気持ちは、初めて見たものに懐いたヒナ鳥のようなものかもしれない。愛してる、などと言ったら壊れてしまう類のものなのではないかと思う。

 ダイチが恐れつつ背中に腕を回すと、マシロは安心したようにダイチに体重を預けてきた。ダイチはその重さと温かさを全身で受け止める。今腕の中にあるぬくもり。これから失うぬくもりを、決して壊さない強さで抱きしめた。


「俺も、お前が一番大事な人だ。一番、一緒に居たい人だ。一緒に行ってくれるか?」


 ダイチの背中に回されたマシロの腕に力が入った。ダイチの腕の中で、こくり、と頭が上下する。


――生きたい


 ダイチは生まれて初めて、本気でそう思った。それは叶わぬ願いであると知り得ていて尚、祈るようにそう思った。



 ダイチとの通信を終えたカイリは深いため息をついた。ダイチは自らの選択だ、と言ったが、地下に向かわた罪悪感のようなものがどうしても消えない。だが、ここで自分が悩んでいる暇はないのだ。ダイチは既に地下へと向かった。カイリがテセウスに戻れなくては全てが無駄になってしまう。カイリはぐっと顔を上げる。


「シズさん、乗り物は見つかりましたか?」

「手配出来ました。数分で到着します」


 シズは顔を上げて答える。カイリは頷きながら立ち上がった。


「途中でロボタンとマユとアサトさんを拾ってから向かうとして、その乗り物はテセウスまでどのくらいかかりますか?」

「四十八時間前後です」


 それでは遅すぎる、カイリは舌打ちをする。NIタワーに残る毒はどの程度なのか、それはダイチを何時間生かすのか。残り時間は? そこまで考えてカイリは首を振った。折れそうになる気持ちをぐっと立て直す。


「もう少し早く移動する方法があるといいんですが」


 カイリを凝視したまま少し考えたシズがゆっくり口を開く。


「最短の移動方法は、今用意してある乗り物でロボタンとの合流。そこまでがおよそ三時間。合流してから空港まで二時間。そこで飛行機に乗り換えて二時間の七時間です。飛行機の性能によって多少のズレが生じます」


 聞き方が悪かった、とカイリは理解する。シズのAIはロボタンのものよりもだいぶ古いものなのだろう。聞かれた問いにしか答えられないのだ。七時間という時間は長いのか短いのかもわからないが、四十八時間よりは可能性があるだろう。


「飛行機の手配は……」

「近くにエリーが居ます。エリーに任せられます」

「わかりました。それで行きましょう。エリーさんとロボタンに連絡してください」


 シズはうなずく。間もなく、終わりました、と顔を上げた。


「じゃあ、行きましょう」


 カイリが言うまでもなくシズは接続を外して歩き出す。カイリは慌ててシズの後を追ったが、体が悲鳴を上げていた。それでも黙々と走る。時間が大きな武器になることは間違いない。階段を駆け上がりながら、ここが大きなビルの地下だったことに気が付いた。ロボタンに運び込まれたときはぼんやりしていて気が付かなかったが、相当に深い層だった。途中からエレベーターに乗り込み、随分長いこと登って一階に出た。窓ガラスの割れた建物を出ると、そこには見覚えのある乗り物が止まっていた。


「モトさん!」


 乗り物の前に立つアンドロイドを見て、カイリは歓喜の声を上げる。助かったとわかったらダイチがとても喜ぶだろうと思った。シズがカイリの肩をそっと押す。


「ロボタンのもとへ向かってください。私はここで待機するようロボタンに指示されています。モト、カイリさんをお願いします」

「了 解 で す」


 モトは声を出したシズを少しの間見つめ、カイリを抱えて乗り物に飛び乗った。


「三 時 間 で 合 流 し ま す。 ど う ぞ お 寛 ぎ く だ さ い」


 カイリにビスケットの入った皿とコーヒーを手渡してモトは運転席へと消えた。カイリは前回与えられていた部屋に戻る。

 栄養と睡眠をとることも大事なことだと知っている。いざというときに使えない自分では困るのだ。カイリはビスケットをバリバリとかじって、コーヒーで通らない喉に無理やり押し込んだ。次にバトルスーツを操作して睡眠剤を注入する。カイリはゆっくりと眠りに落ちた。

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